喧嘩〜知らない表情〜
部屋を覗き込むリディアに気付いたのは、ルークだった。
「……リディア?どうした」
ルークの視線の動きに合わせて、傍らにいた女性も、ゆっくりと振り向く。
「あら」
その声色は落ち着いていて、微笑みもどこか余裕がある。
彼女の長い栗色の髪がサラリと揺れ、同じ茶系でもリディアの深い焦茶の髪とは異なり、光を受けて淡く金を含むように輝いている。同じ色の長いまつ毛を瞬かせ、そこからは涼しげな透き通る翡翠色の瞳が煌めいていた。
女生徒は一歩進み、柔らかな声で言った。
「はじめまして……あなたが、リディア様ですね?評判通りの、可愛らしいかたですね」
にこやかな眼差しには、嫌味の影は微塵もない。
それどころか、自然な敬意と親しみが混ざっていて、リディアは一瞬、言葉を失った。
「それでは、私はお邪魔なようなので……」
その女性がチラリ、とルークに目を向けると、ルークは「フィリア嬢!」と焦っている。そこには、2人にしか伝わらない世界があるようだった。
「すみません、つい……。それではルーク様、また明日。リディア様も、ゆっくりなさってくださいね」
リディアに洗練された軽礼をとり、彼女は机に散らばった書類を手に取った後、静かに足音を響かせて去っていく。
取り残されたリディアの胸に、言いようもないモヤモヤが広がった。そんなリディアを、ルークは少し首を傾けながら見つめた。
「わざわざこんなところまで来てどうした?……俺に用事、だよな?」
ーー本当は聞きたいことがたくさんあったはずだ。
模範生候補に自分が選ばれなかったこと。そこに、ルークも関与しているのか。しているなら、ルークはリディアを魔法使いとしてどう評価しているのか。現状ダメなら、どうすればもっと成長できるのか……。
けれど、口をついて出たのは、全く関係ない言葉だった。
「……今の人、すごい綺麗だったね」
リディアの言葉に、ルークは戸惑った表情を浮かべながら言葉を返す。
「あぁ、彼女はフィリア・モンロー。模範生で、回復魔法が得意なんだよ。学年一の才女で、まぁ確かに評判高いわな」
ルークの説明は淡々としており、単に事実の説明をしているようだったが、リディアの心の中では、言葉にできないいらだちが広がっていく。
「ふーん……そう、なんだ」
リディアがルークから視線を逸らすと、ルークは心配そうにリディアを覗き込む。
模範生候補者に選ばれなかった理由を聞きにきたはずなのに、心の焦点は、なぜかフィリアに向いてしまっている。
「大丈夫か?……本当にどうした?」
ルークの質問に、どう言葉を返せばわからないでいると、場の雰囲気を変えるように、ルークは部屋にあつらえてある棚から、茶器と茶菓子を出し、リディアを椅子にかけさせてそれらを振る舞う。
「これ、うまいんだ。本当は、来客用のなんだけど、内緒な?」
笑いながら言うルークに、リディアの気持ちがわずかに緩む。
「そんなことして、バレても知らないからね」
「大丈夫大丈夫。うちの代は模範生の結束固いから。バレても3人で揉み消しさ」
冗談めかして笑うルークの言葉が、再度リディアの胸をざらりと撫でた。
「最近、あんま会えなかったけど元気にしてたか?新しい魔法とか、試してんの?」
「うーん。実は最近、一般教養とか結構勉強していて……魔法の勉強、ちょっと減ってるかも」
「なんでまた。しばらく、試験もないだろう?」
その言葉に、リディアはルークを見つめる。聞きたいことを聞く流れに、なってきた。
「……模範生候補者に選ばれなかったから」
「は?」
「だから!模範生候補者に選ばれなかったのが悔しかったの!!私だって……カトリーナが選ばれるのはわかるけど、他の候補者、私より魔法の実力低いじゃない……なのに、私が選ばれなくて、なんであの子たちが選ばれるの?私に教養がないから….私が貴族じゃないからダメなの!?」
リディアの叫びにルークは瞠目する。
「何、お前、模範生になりたかったの?」
「そうじゃないけど……!」
ルークと同じ立場になりたかった、と本人の前で言うのも恥ずかしく、リディアが言葉を選んでいると、ルークは呆れたようにため息をつく。
「立場が欲しいだけならやめとけー?雑用も増えるし、魔法を勉強する時間だって減る。魔法局とのコネクションとかは増えるけど、そこまでメリットもないぞ?お前は魔法が好きなんだから、そっちに専念しろよ。3年生になったら、魔法の講義だって増えるんだ、そういう勉強してた方が、リディアだって楽しいだろ」
ルークの良かれと思って発言した言葉が、リディアの胸をさした。
自分は、ルークとは同じ立場にはなれない、そう言われた気がした。
「……なんで、そんなこと言うの?」
「いや、だってお前、立派な魔法使いになるためにこの学園に来たんだろう?別に魔法界で偉くなりたいわけでも、有名になりたいわけでもないんだから」
「そうだけど……でもじゃあ、そういう理由だけで選ばれなかったわけ!?もし私が、魔法局とコネが欲しいって思ってたら、ルークは私を候補者として挙げてくれた!?」
その言葉に、ルークはリディアから視線を逸らした。
それが、答えだった。
「ルークは、模範生の立場で、選考に関わったんでしょ?……候補者として、誰をあげたの」
ルークは一つ深呼吸をし、リディアを見つめた。
「指名したのは1人。カトリーナ・フランベルグだ」
その言葉に、今度はリディアが息を呑んだ。
ルークが、自分ではなく、優秀な魔法使いとして、カトリーナを選んだことが、ショックだった。
「……なんで?」
「模範生の基準は、生徒の模範となり、教師たちの目の届かない範囲においても、学園を円滑に運営できる人材だ。そのためには、教養、魔法の実力、広い視野、優れた判断力、周囲を惹きつけるカリスマ性がいる。模擬戦、試験での成績、ナイル国での実習結果、全てを総合的に判断して、カトリーナ嬢が相応しいと判断した」
ルークの答えに澱みはない。
それは、公私混同をしないという、ルークの決意の表れでもあった。
「……なら、なんでレオナルドは選ばなかったの?」
「彼は候補者だったよ。ただ、ナイル国の一件とかで判断力に疑問ありってことで、俺が退けた」
レオナルドの言葉を思い出す。
『僕はルーク殿に認めてもらえないようで……』と悲しげに呟いていた。
「……なんで?レオナルド、頑張ってたよ。私が司教とやり合ってた時だって、間に入ってくれた。足を怪我しても、しっかり戦ってくれたよ」
「その前に、カトリーナ嬢を見捨てただろう。お前のことだって助けに来てくれたけど、最後は何もしなかったじゃないか。俺が魔力共鳴しなかったらどうなってたかわからないんだぞ!?……あいつは、自分のことしか考えてない!お前のことなんて、優しい言葉を吐きつつ心配してなかった!!」
「あれは、私がやりたいって言って、レオナルドが任せてくれただけだよ!!」
リディアの叫びに、ルークは困った表情をする。
「お前の言い分もわかるが、彼の行動には疑問が多い。模擬戦の時の戦い方だって褒められたものじゃなかった」
「ルークは、レオナルドのこと何もわかってない!!」
「わかってないのはお前だろう」
リディアの感情の爆発を、ルークが一つ一つ、冷静に受け止めていく。
それが、悔しかった。
先ほどの、フィリアとルークのやりとりを思い出す。2人には、リディアの入れない絆がある気がした。
「じゃあ、ルークにとって、私ってどんな魔法使い?……教えてよ」
リディアの懇願するような視線に、ルークは戸惑いながらも、真剣に答える。
「お前は、昔の俺の価値観を変えてくれた。魔法が楽しいものだと教えてくれた……お前の夢の通り、お前は、人を幸せにできる魔法使いだと思ってるし、そうなってほしいと思ってるよ」
それは、ルークからしたら最高の褒め言葉だった。
だが、リディアの欲しい言葉はそれではなかった。
「ルークと、肩を並べられるような魔法使いだと思う?」
「え?……いや、それは」
ルークは自己肯定感の低さから即答ができなかった。
ルークは、リディアの方がよほど優秀な魔法使いだと思っている。
だけど、リディアは、その答えを否定と捉えた。
「嘘つき」
「は?」
「ルークは、私のことなんて、ダメな魔法使いだと思ってるんでしょ!」
「おい、なんでそうなる!?そんなわけないだろう!」
「だって、私のこと、模範生候補者に選んでくれなかったじゃない!」
「だから、それはさっき説明したろーー」
「でも!!でも……フィリアさんと一緒のルークみたいな表情、私知らないもん」
「え?」
リディアは怒りと悲しみで、頭がどうにかなりそうだった。自分が言っていることが支離破滅なことはわかっている。
でも、自分とフィリアの差が。
ルークが自分には、冷静な「先輩」として振る舞っている姿が。
全てが、自分はルークに並べないと示されているようで、悲しくてたまらなかった。
「もういい!帰る!」
叫ぶと同時に、リディアは椅子をがたりと鳴らして立ち上がった。
泣きそうになるのを必死に堪えて、ドアへと向かう。
「おい、リディア……!」
背後でルークの声が迫ってきたが、振り返ることはできなかった。振り返ったら、目元に溜まった涙がこぼれ落ちてしまう気がした。
バタン、と扉を閉めた瞬間、リディアの胸の奥にズシリと重たい痛みが広がる。
どうしてこんなことになったのか、リディア自身にもわからなかったーー
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