闇に手を伸ばすプリンス
リディアは地を蹴った。
魔力で強化された脚が石床を砕き、弾丸のように司教へと迫る。掌に魔法陣を展開し、刃状の水を形成する。
「っはぁ!!」
斬撃と共に振り下ろしたその魔力の刃を、司教はわずかに身を引き、すれ違いざまに闇の触手を伸ばす。
「脆弱な技ですな!」
リディアの背後から黒い影が襲いかかるが、リディアはそれを光魔法で弾く。触手は空を切り、司教の表情が険しく歪んだ。
「チッ……小癪な!」
リディアは振り返りざま、右手で魔法陣を展開した。今度は光を帯びた水球を作り、司教の足元に叩きつける。
水が破裂し、石床に光の膜が張りつく。それは、司教の足元にある闇の魔法陣を止めるために展開したものだったが、効果はなかった。司教は、それを見て口の端をゆがめる。
「おや、私の魔法陣に作用するのは難しいですかな」
「うるさい!あんたなんか一瞬で倒すって言ったでしょう!」
「その割には手こずってますね」
言葉の応酬をしながらも、リディアは司教が思ったより強敵であることに気づいていた。
次々と仕掛ける攻撃魔法は、全て塞がれている。そして問題があったーー。
(司教の足元の魔法陣を確認したい。弱点があるはず、そこを突きたいのにーーあいつに近づけない!!)
司教の足下から伸びる闇の触手が、リディアが司教に近づくのを阻む。
光魔法で触手を減らしても、次々と新しいものが湧いて出てきて、これでは消耗戦になってしまう。
リディアは、万全ではなかった。
朝からルークと揉め、ハーブ園に行き、そこから逃げるようにタウンハウスに戻った。仲間を失い、精神的にも体力的にも疲労が溜まっている中、自分で体を切り裂き、痛みも感じていた。
(魔力は無駄にはできないし……傷の治療は、諦めた方がいいわね)
リディアが攻め方を考えていると、司教は口元を吊り上げ、ゆっくりと手を掲げた。その動きに呼応するように、足元の魔法陣が脈打つ。
「この程度ですか……であれば、やはり私がその“器“をしっかり管理して、女神様にふさわしくして差し上げますよ」
石床に刻まれた魔法陣が淡く紫に発光し始める。周囲の空気がねっとりとし、重力が増したかのような圧迫感がリディアを襲った。
「……っ、何よ、その魔法……!?」
司教の足元から浮かんだのは、闇と血の混ざったような禍々しい球体だった。明らかに、普通の攻撃ではない。
考える間も無く、球体が放たれた。リディアはすぐさま防御魔法を展開する。
(流石にあれは食らったらまずい……防御魔法に水魔法と光魔法を融合!)
輝く水の壁が球体と衝突し、凄まじい音と共に、水が蒸発した。闇の魔力は一瞬止まり、渦を巻いた後に激しい爆風と共に弾け飛んだ。リディアは吹き飛ばされないように地を蹴ってバランスをとる。
「この程度の魔法で……!」
だが、その瞬間だった。
ーーリディアの背後。爆風に紛れて小さな棘が飛んでくる。司教の狙いは、最初から二段構えだった。
(……まずい!!)
鋭い闇の棘がリディアの肩を刺し、リディアはよろめいた。そこに畳み掛けるように、棘が複数飛んでくる。片膝をついたリディアに、司教が勝ち誇ったように笑った。
「いくら魔法が洗練されていても、戦略がなければ私には勝てませんよ。戦いには知性が宿ってなくてはならない」
闇の魔力がさらに濃くなった。リディアは息も絶え絶えに必死に立ち上がる。
(このままじゃ、やられる……)
その時ーー
「リディア!!」
声と同時に石壁が炸裂するような衝撃音が鳴る。闇の鎖がリディアの横から伸び、司教を攻撃していく。
風のように、誰かが駆け込んできた。
長身の黒髪の少年。リディアの視界に飛び込んだのは、このカビ臭い空間に似合わぬ清廉さを持った鋭い青い瞳。
「レオ、ナルドなの……?」
「すまない、遅くなった」
レオナルドが右手を上げと、その手元から黒い霧が浮かび上がる。
司教の闇の触手がレオナルドに向かって飛ぶが、その霧に触れた瞬間、触手は溶け、空間に消えていく。
「貴様……その魔法は……!」
「大事な魔法の教本をあんなところに置いておくからさ。せっかくなので、読ませてもらったよ。センスがない魔法陣だったから、アレンジを加えたけどね」
「……あの部屋にはトラップを仕掛けたはずだ」
「そうだね、面白いトラップだった……僕のために、感謝するよ。おかげで僕はまた一つ、魔法の高みに行けた」
レオナルドはリディアをそっと抱き締める。「もう大丈夫、僕が君を守るよ」と言いながらリディアの大きな傷を魔法で治療していく。
「……すまない、格好つけたかったけど、光魔法は得意じゃなくてね。全ての傷は治せないみたいだ」
「十分助かったよ、来てくれて……ありがとう」
「当たり前だ。言っただろう?君は、僕にとって大事な女の子だ」
レオナルドがリディアに優しく微笑む。リディアは、上がっていた息を少し整えた。
「それで、かいつまんで状況説明してくれないか?」
「私の時間魔法を使って、女神を召喚するか、私に女神になって欲しいんだって。断ったら戦いになった。私を操って女神に仕立てたいらしいよ」
「へぇ……僕のカティに闇魔法をかけ、次はリディアか……許せないな」
レオナルドのプレッシャーが上がる。
「リディア、下がってるんだ」
その言葉とともに、レオナルドが駆け出す。手元には闇の鎖が出ており、司教に向かって縦横無尽に伸びていく。
ーーその時だった。
レオナルドの視線が、部屋に描かれた一つの魔方陣に吸い寄せられる。
それは、リディアと司教が先ほど話していた「ハーツ中毒者を救う魔法陣」だった。
中心から、外周に向かって回転するような渦巻き状の紋様。渦巻きの線が途切れ、点と線で再構築された複数の箇所があり、まるで失敗作のような魔法陣。
(……この紋様は……)
レオナルドは無意識に自分の胸元に手を当てた。服の下には、アレン・ルーミンハルトに刻まれた『闇魔法による精神操作』を禁じる魔法陣が刻まれている。
その、胸元に刻まれた魔法陣と類似した紋様が、なぜか、この部屋の床に刻まれている。
「同じだ……なぜこの紋様がここに?」
レオナルドの動きが思わず鈍ったその瞬間。
司教の放つ闇の槍が空気を裂いて飛来した。
「っ……!」
かろうじて反応したものの、槍の一つがレオナルドの太ももを突き刺し、黒い火花のような魔力が身体を焼く。
「レオナルド!」
リディアが駆け寄るが、レオナルドは決してその魔法陣から目を離さなかった。
「レオナルド!どうしたの!?しっかりして!!」
「あの魔法陣は、なんだ……?」
「そんなの今はどうでもいいでしょ!あれは光魔法を体内に循環させる魔法だよ!今は関係ない!」
「その通りですよ」
司教が声を上げる。その横には、巨大な闇の槍が浮かんでいた。リディアは思わず後ろに下がるが、レオナルドの思考は止まらない。
(……この魔法陣が読み解ければ、僕の胸元の魔法陣もきっと読み解ける。そうすれば……きっとこれは無効化できる)
レオナルドは、取り憑かれたようにリディアを見つめた。
「君は、あの魔法陣の意味がわかるのか……?」
「だから今はそれどころじゃないんだって!」
レオナルドは、ずっと自分の胸元にある魔法陣を無効化したかった。
昔の魔導書で類似のものを探したが見つからず、理論魔法の得意なカトリーナに紋様を少しいじって解読させているが、状況は芳しくない。
なのに、それをリディアが理解するとは、レオナルドは思ってもみなかった。
「僕を救うのは君だったのか……」
「訳のわかんないこと言わないで!一緒にこの場を乗り切るんでしょう!」
リディアの引き上げで、レオナルドは立ち上がるが、怪我した脚が痛み、思わずうめいた。
「ねぇ、大丈夫!?」
レオナルドは、リディアをじっと見つめる。
彼女に魔法陣を解読させて、この魔法陣が無効化できたら、レオナルドは闇魔法が自在に使える。
人々の不安を消すことができる。
人々を、支配することができるーー。
そうなった時、邪魔になるのは、きっとリディアとアレンだ。
「リディア、僕はもう戦うのは厳しい。君が、あいつを倒すんだ」
「え……?」
「大丈夫、君ならできる……時間魔法を使える君なら、きっとあいつを倒せる」
「何言ってんの!?」
怪我をしたとて、自分はまだ戦えるし、司教をきっと倒せるだろう。
だが、ここはリディアが闇魔法とどう対峙するかを見ておきたかった。
これは予感だ。
僕たちは近い将来、きっと敵対する。君はいつだって、僕に守られるのを嫌い、支配しようとすると反抗するから。
だからどうか、闇魔法との戦い方を、今僕に見せてくれ。そうすれば、いつか君が僕の前に立ちはだかる日がきても、僕はその力を封じられる。君を抑える方法を、今、確かにしておきたいんだ。
ーーそうすれば、敵になった未来でも、僕は君を支配できる。君が僕に時間魔法を捧げ、僕と一緒にいてくれる未来がやってくる。
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