亀裂とほころび
静寂に包まれたタウンハウスのリビング。
その空気は、朝の光の中で不穏に膨張していた。
リディアは腕を組んだまま、テーブル越しのルークを睨む。セレナは控えめに席に座り、クランがその傍らに立っている。レオナルドはリディアに寄り添うような配置で座っており、カトリーナも固唾を飲んでいる。リディアたちの顔には、今や学生らしい無邪気さなど残されていなかった。
「どういうつもりよ、ルーク」
「……ここで一旦、俺たちの調査はやめよう」
ルークは、いつものような落ち着いた口調の中に、断絶の意志をにじませた。
「これ以上の調査は、教師やナイルの議会、教会に任せるべきだ。僕たちはそもそも実習生として派遣されてる。学びに来てるんだ。ナイル国からの依頼も調査の協力で、問題解決じゃない。現状で十分成果になる。ここからは、学生であり、責任を持たない俺らがやるべき領分を超えている」
静かだった部屋に、ルークの声がしっかりと響いた。リディアの眉がぴくりと動き、レオナルドが静かに口を開いた。
「……それは、僕たちにこの件はもう関わるな、と言っているんですか?」
「そうだ。闇魔法が使われてる確信が持てた以上、手を引く。調査を続ければ大怪我の可能性もあるし、何かあっても責任が取れない」
「冗談じゃないわよ!」
リディアの声が、鋭く響いた。セレナは困った顔をし、クランは鋭い視線をリディアに向ける。
「じゃあ、今この瞬間に苦しんでる人たちはどうするの?何も知らずに、闇魔法入りのハーツを買っている人を、そのまま放っておくわけ?」
「私はこれから、父に状況を説明しに行きます。安価品ハーツの流通を止めて、可能な範囲で自主回収を進めます」
「それでも闇魔法のハーツは作られ続けちゃうじゃない!少しでも街に出回ったら、被害者は増えるんだよ!」
リディアは、自分にクッキーを渡してくれた少女のことを考えていた。
事情を説明しないと、ハーツを使用し続ければ、あの子が被害者になる可能性もある。「リディアお姉ちゃん」と言って自分を見上げてくれた少女を見捨てられない。その熱弁を、クランが遮る。
「おい、この国を心配してくれんのはありがたいが、お嬢はそんなことわかってんだよ。それでも、あんたらに迷惑かけないように、ここで引こうって言ってんだろうが……これ以上首突っ込ませられねぇんだよ」
「……そうなの、セレナ?」
「……はい、これ以上、皆さんを危険に巻き込めません。もう十分です、ここからは、我々で解決します」
セレナが毅然とした態度でリディアをまっすぐ見つめる。
リディアは悲しくて悔しくて、頭にどんどん血が昇る。
「……何よ、それ」
「リディアさん……」
「セレナ、陽光祭の時に言ってくれたじゃない。危険な実習になるかもしれない。それでも、力を貸してくれる?って。私、セレナの力になりたいんだよ。なのに、なんでセレナがそうやって、一歩引いちゃうの?」
あの時、リディアは思った。セレナの役に立ちたいと。なのに、その思いが踏み躙られたような、そんな気がした。
「ルーク殿。僕もリディアに賛成です。確かに、教師たちに報告して進める必要はある。ですが同時に、僕たちだって、できることやるべきです」
「そうだ。だから俺たちは、ナイル国に与えられた任務をこなせばいい。お前たちでいうなら、孤児院への訪問だ」
レオナルドの言葉に、ルークが冷静に返す。その声には、明らかな拒絶が滲んでおり、隣ではセレナが頷いていた。
「それは、模範生としてのお言葉ですか?」
「俺は、今回の実習でお前たちを保護する役割がある……これはお願いじゃなく指示として聞いてほしい」
「我が国の実力を示すため、僕たちに調査の任務を出すという判断も、模範生としてアリだと思いますが?上手くいけば、ナイル国に貸しが作れます」
レオナルドとルークが駆け引きのような会話を続ける。が、リディアはそれをどこか他人事のように聞いていた。
……ルークに、裏切られたような気持ちがした。
「見損なったよ、ルーク。模範生という立場を守るためなら街の人を見捨てるんだね」
リディアがポツリと口にすると、場の空気が一瞬で凍りついた。
ルークの目が、わずかに揺れる。だが、それを押し殺すように唇を引き結ぶ。
「違う。俺は……みんなを危険に巻き込みたくないだけだ」
「わかった、もういい……だったら、私は私で、勝手にやる」
リディアが椅子を引き、リビングから出ようとしたその時、ルークの手元から光の球体が浮き上がり、リビングのドアノブをめがけて飛んでいく。リディアがドアノブを回そうとしても、扉は開かない。
「勝手に調査するというなら、この部屋からは出せない」
リディアとルークの間に、一瞬の緊張が走る。クランが状況を理解できず周囲を見回すと、気づいたレオナルドが「魔法でドアノブを動かないようにしたんだよ」と教え、クランは「魔法使いヤベェな...」と呟く。
「そうやって、人を縛ろうとするの、私嫌い」
リディアは手元で魔法陣をイメージし、ドアノブを触る。すると、ルークがかけた魔法が解けていく。
「……嘘だろ、どうやって……」
「ドアノブの時間をちょっとだけ巻き戻したの……私を縛らないで」
吐き捨てるように言って、リディアが部屋を後にする。
「リディア!」
レオナルドが後を追いかけ、仕方ない、というようにカトリーナも肩をすくめ、セレナを見遣る。
「リディアの気持ちも、セレナの気持ちも私はわかるわ。ちょっと気になることもあるし......私の方でリディアのことはしっかり見ておくから、セレナは自分のやるべきことをやりなさいな」
「すみません、カトリーナさん」
リディア達が退出するのを、ルークは拳をぎゅっと握って見つめていた。リディアの言葉が、胸に刺さった。本当は、自分だって、調査を続けたい、だが、それ以上にみんなを危険に晒したくない。みんなを守りながら調査を続けられない、自分の実力の無さが恨めしかった。
(……大丈夫、少なくとも1日で、リディア達に何かできるはずがない)
ルークはその判断を、後々後悔することになる。
ーーーーーー
「待つんだ、リディア!」
大股で街に向かうリディアの腕を、レオナルドが後ろから掴む。リディアは不機嫌な顔でレオナルドを見た。
「なんなの!あのルークの態度!?普通人を閉じ込めようとする!?」
「まぁ落ち着いて.......」
「だって......!」
リディアが怒っているのを見て、堪えきれないというようにレオナルドが笑う。
「ははっ!」
「ちよっと!なんで笑うのよ!」
「だって、昨日僕は、僕とルーク殿が揉めたらって話をしたのに、君がルーク殿と揉めるから、予想外すぎて」
「.......だって、セレナもルークも突き放すような言い方するんだもの。腹が立って……それに、悲しかったの」
「そういう自分の気持ちに正直なところは、リディアの魅力だよね」
レオナルドが愛おしげに見つめてくるので、リディアは面映くなる。
「......バカにしてる?」
「まさか!......それに、昨日も話したけど僕は君と同じ気持ちだよ。一緒に、できることをしよう」
そっと見遣ると、レオナルドは強い意志を秘めた目をしていた。そして、レオナルドの後ろから、カトリーナが駆け足でこちらに向かってくる。
「できるかな?」
「カトリーナと3人いるんだ。なんだってできるさ」
レオナルドがウインクをすると、リディアはやっと、肩の力が抜けた気がした。
「……で、具体的にはどうするつもり?」
「まずは、土を再度調べたいよね。ってことで、またハーブ園に行こう」
カトリーナがリディアに問いかけると、リディアは自信満々に答えるが、それにレオナルドが水を差す。
「セレナ抜きで、ハーブ園にまた入るのは難しいんじゃないかい?」
「それは、ほら……その、勝手に入るのもやむなしよね」
「あなた、それ犯罪行為じゃない」
レオナルドとカトリーナが顔を見合わせ、ため息をつく。「だって……」とリディアが気まずそうに手元をいじいじし出すと、レオナルドが「リディア」と声をかける。
「なによ」
「これ、なーんだ?」
レオナルドが透明で小さな小瓶をリディアに見せる。その中には、土が入っていた。
「まさかこれって……!」
「そう、ハーブ園の土」
「どうして持ってるの……?」
リディアとカトリーナが驚いていると、今度はレオナルドが気まずそうに頬をかく。
「実は、昨日こっそり拝借したんだ」
「レオナルド、それも犯罪行為じゃないの?」
「まぁ、やむを得ないかな、と……言っとくけど、セレナとクラン、ルーク殿も土採取してたからね」
「え!?」
リディアとカトリーナが顔を見合わせる。「まさかカトリーナも土こっそり取ったりした?」「まさか、そんなこそ泥みたいな真似、私がするわけないでしょう」。小声で話し合う2人を見て、レオナルドは飄々としている。
「さすが模範生に商人の2人だよね、抜け目がない」
「それは、自分も抜け目ないってことのアピール?ちょっと違くない?」
リディアが責めるように言うと、レオナルドはニコッと笑った。
「……まぁこの際、なんでもいいわ。その土、ちょっと私気になっていたの。早速調べましょう」
「そうだね、園主は、土と肥料が特別だって言っていたけど、闇魔法はどっちで使われてるんだろう?どっちも?」
「調べてみようか」
レオナルドが小瓶の蓋を静かに開ける、乾いた土の匂いが、ほんの僅かに鼻を掠めた。
レオナルドが手のひらに土を乗せるとーー魔法を発動したのだろう、淡い水の気配が生まれた。
「まずは土を湿らせて、肥料成分を分離しよう」
土が次第に湿り気を帯び、時間が経つと、土と液体が緩やかに分離を始める。液体部分は、肥料成分が溶け込んでいるのだろう、黄色味を帯びており、土は元通りの乾いた状態に戻る。その鮮やかな様子に、リディアは思わず見惚れていた。
(これだけ複数の魔法を、流れるようにやるなんて、やっぱりレオナルドは凄いわ)
レオナルドが2人に土と肥料入りの水分を差し出し、それぞれで検分を始める。
「肥料からは何も感じない……でも、土からはやっぱり魔力を感じる、カトリーナはどう?」
カトリーナの方を見ると、カトリーナは深刻な様子で土を見つめていた。
「やっぱり……」
ぽつり、とつぶやいた後、土を握りつぶすようにしてカトリーナは目を閉じた。
「この魔力の感じ、間違いない」
「カトリーナ、君がそういうなら、間違いないんだろう」
「え、何が?」
カトリーナとレオナルドが確信を持ったように頷き、リディアだけが置いていかれる。
「この魔力は、ヴァルモン家のものよ」
「……有名な貴族か何か?」
カトリーナは信じられないような目でリディアを見て、わざとらしく大きなため息をついた。
「あなた、自分に嫌がらせした人のこと覚えてないの?シルヴィアは、ヴァルモン家の長女よ」
その言葉で、リディアは学園でのことを思い出す。自分に嫌がらせをしていた2人。
……そうだ、確かに、そのうちの1人は、土魔法を得意としていたじゃないか。




