リディアのとある休日
朝の光が差し込む自室で、ルークは早朝から服を整えた。
いつもの質素に見えて高級な素材を使った服ではなく、本当に質素な布地のシャツとズボンを選び、髪も少し乱し、あえて汚れをつけた靴を履く。
「……まぁ、これなら貴族に見えないだろう」
鏡越しの自分に納得していると、ルークの部屋にアレンが乱入してきた。
「ルーク!お前、なんかすごい貧乏くさい服買ったって本当か!?どうした、また貴族が嫌になったのか!!」
大きな声とともに、扉が勢いよく開かれ、思わずルークは顔を顰める。
「……兄さん、うるさい」
ルークのいつもと全く違う服装を見て、アレンは呆然とした後、ポツリと呟く。
「......違和感はあるけど、そういう服も似合うな」
「それは褒めてる?貶してる?」
ルークの質問を無視し、なぜかアレンはルークの周りをくるくる周り、服装チェックを始める。
「で、お前なんでそんな格好してるわけ?」
どう答えるかルークは少し迷い、結局兄には隠し事はできないと十二分に理解しているので、諦めたかのようなため息をつき話し始める。
「リディア、社交ダンス苦手だから試験のパートナーと練習に付き合ってあげたんだよ。そしたら、お礼にって、リディアの実家の定食屋に行くことになって、流石に街中の定食屋に普段の格好じゃいけないだろ」
「だったら服をもっとくちゃくちゃに着ろよ、くちゃくちゃに」
「くちゃくちゃってなんだよ」
「この服装で毎日生活してますって感じだよ、まぁ見てろ」
アレンがルークの服に手を当てると、たちまちルークの真新しいシャツに自然なシワとくたびれ感が出て、袖もわずかに縮んだ。
「すごいな、どうやったの」
「糸の一本一本が縮んで、布が密集するイメージだよ、簡単だろ。ちなみに、服の皺伸ばしたり柄つけたりもできるぞ」
なんてことないように言うが、さすがアレン。それが一瞬でできるのが天才の天才たる所以である。
ルークは一応お礼を言って、再度鏡を見直したが、確かに、庶民感が増した気がする。
「それにしてもルークすごいな。社交ダンスのパートナーに実家訪問なんて、もう完全に恋人だろ、それ」
「だからそういうんじゃないって。知ってるだろ?リディアは魔法バカなの。俺はそんなリディアと話してて楽しいし、いい友人関係だよ」
「ふーん」
アレンは意味深に笑うがルークはそれを無視してスタスタと部屋を出る。
「じゃあ俺、行ってくるから」
「何時ごろ帰ってくるんだ?」
「……場合によっては明日かな」
「え、朝帰りってこと!?それは流石に、俺どうかと思うよ。リディアちゃんにはまだピュアでいてほしいし」
「……兄さん少しは人の話聞いてくんない?ただの友達だって!あいつの実家遠いから、移動に時間がかかるの。せっかくなら街もぶらつきたいし、その場合宿とって泊まるから」
「それ危なくないか?大丈夫か?」
「大丈夫。腕輪持ってるから、何かあったら連絡するよ」
ルークは袖を捲り、少し錆びた金色の腕輪を見せる。
それは、昔アレンが旅する時に開発した魔道具で、危険があった時に魔力を流し込めば、同じ腕輪をしている人間に大体の場所を伝えることができる優れものだ。ルークとアレン、2人の両親は大抵の場合はこの腕輪をつけている。
「わかった、じゃあ気をつけて行ってこい」
アレンがルークを見送ると、ルークは少し気まずそうにアレンを見る。
「ちなみにこれ、また作ることって可能か?できれば、イヤリング型で、ナイル国の言語を自動翻訳できて、かつ喋った時もナイル国の言葉に変換できるような機能も追加して欲しいんだけど」
「この天才に不可能はない。休み明けまでに用意しといてやるよ」
「……サンキュ、じゃあ行ってくるわ」
アレンが不敵に笑うと、ルークは安心したように自室を後にした。
作って欲しい背景は聞かれなかったが、きっとアレンにはお見通しなのだろう。
それは、リディアのために開発依頼をしたものだ。休み明け、ナイル国に実習に行くリディアは言語面で苦労が多いだろう、それを助けたいという思いと、万一リディアに危機があれば駆けつけたいという思いからの願いだった。
ルークの後ろ姿を見ながら、アレンは笑みを深める。
「なーにが『友達』だよ。完全に好きな子だろ。あいつ、まさか自覚ないわけ?」
ーーーーーー
その日、リディアは朝から実家の定食屋でソワソワし、意味もなく店の前を掃除したり、机をふいたりを繰り返していた。リディアの母であるエマは、そんなリディアをカウンターに肘をつきながらニコニコ顔で眺め、厨房の奥では父のマルクが苦虫を噛み潰したような顔をする。
「若いっていいわねぇ......」
「何がいいもんか。リディアは試験のお礼って言ってただろうが。母さん、変な邪推するんじゃねーよ。言っとくが、下心満載の男だったら俺は店にはいれないからな!」
リディアは思わず大きなため息をつく。
「だから言ったでしょ。ルークは先輩だけど友達みたいなものなの」
「ふん!お前がそう思ってても向こうがどう思ってるかはわからないだろうが。大体、ダンスなんて体を密着させて踊るんだろう、下心ありまくりじゃねーか」
このやりとりを、リディアは帰省してからもう何遍も繰り返している。マルクはリディアの言うことが納得いかないようで、毎度ネチネチと文句を言ってくるのだ。
「あー!もう父さんもリディアもいい加減にしなさい!そろそろ開店の時間よ、準備しなさい」
エマの合図でマルクとリディアは定位置につき、それを見てからエマが店の前に『開店中』の立札を立てる。
すでに店の前には常連の面子が並んでおり、開店するとわっと人がなだれ込む。
リディアがテキパキとお客さんを捌き、注文をとっていると、落ち着いた、それでもよく通る声が聞こえる。
「こんにちは」
「いらっしゃいませー!......ってルークじゃない!ようこそ」
その声に、リディアの両親はもちろん、常連客もルークの方に目を向け、ルークは少し気まずそうにペコリと頭を下げた。
みんなが見つめる中、リディアはルークを席に案内して違和感を覚える。
「なんか、庶民的な格好ね。着慣れてる感あるし、意外と貴族もそういう服持ってるものなの?」
「新品を魔法で少しくたびれさせたんだよ。やったのは俺の兄だけど」
「そんなことできるの!?面白いわね」
リディアの目が輝き、ルークを見つめると、マルクは父親らしい威厳とともにドンっ!と机に水とメニューを置きジロリ、とルークを睨む。
「今日は飯食いにきたんだろう?店員とくっちゃべってないでさっさと注文しな」
エマがすかさずお盆でスパーン!とマルクの頭を叩くと、大声で叱りつける。
「お客様になんて失礼な口の聞き方だい!娘が世話になったら、自分からお礼するのが親ってもんだろう......ルークくん、ごめんなさいねぇ、うちの人ったらリディアを溺愛してて.....騒がしくてあれだけど、ゆっくりしてね」
マルクの首根っこを掴んでエマは去って行くが、厨房ではやいのやいの、と二人が騒いでる声が聞こえる。
「お前の父親すげーな。俺、ここにいて平気か?」
「なんかルークのこと目の敵にしてて。社交ダンスのペアなんていやらしいー!って騒いでてすごいんだよ」
「ハハっ!なるほどな、貴族にとっては当たり前な社交ダンスも世間からしたら意味不明だろう」
ルークが厨房に目を向けると「愛されて育ったのがよく伝わるよ」と呟きながら微笑む。その微笑みがあまりにも甘やかで優しげで、リディアは頬が熱くなるのを感じ、それを誤魔化すようにルークから注文をとって厨房に戻った。
「リディアちゃん、照れてて可愛いな」
「っていうか、あの青年もイケメンじゃねーか。貴族って聞いてたからもっといけすかないやつだと思ってたよ」
「でも親父さんは辛いだろうな」
周囲では常連客が小声で囁いているが、ルークには丸聞こえでなんとも気まずく、聞こえないふりをしてれば今度はエマが湯気の立ったプレートを運び、ルークの前に置いて行く。
「いやー、ほんと騒がしくてごめんね。注文のサラダと特製シチュー、パンだよ」
「美味しそうですね、いただきます」
ルークは目を輝かせ、フォークを手に取る。
一口食べた瞬間、その顔が驚きに満ちた。
「……美味しいでね。野菜の歯応えが絶妙で元気が出ます」
「お口にあってよかったよ」
エマは嬉しそうに笑い、厨房から様子を見ていたマルクも満足気に腕を組んで頷く。隣ではリディアがホッとしたように笑っている。
「しっかりコクがあって、しかもソースのバランスが絶妙ですね。あとはこのボリューム感が、食べ盛りにはありがたい」
「貴族の小洒落て腹が膨れないメシと一緒にするんじゃねーよ」
「ははっ!全くですね」
気づけばリディアの父も少しずつルークのそばにより、貴族の料理がどういったものなのか、話が弾んでいく。次第にそれはお客さんも巻き込み、ルークの周りにはたくさんの人たちの群れができた。
「......ルークくんはすごくいい子っぽいけど、なんていうか女の子にモテるタイプじゃないね。男子たちとつるむタイプというか」
ぼそりと呟く母の言葉をきいて、リディアも思わず大きく頷く。学年が違うから知らなかったが、普段女性に囲まれがちなレオナルドと比べてルークは男性との盛り上がりがすごい。今も、大食い対決を挑まれているが大丈夫なんだろうか?
「やい、兄ちゃん!あんたも魔法学校行ってんだろ!魔法見せてくれよ」
「いいですよ」
ルークは周囲を見渡し、とある客の前に立つと彼の持っているジョッキに触った。
みんながそれを見守る奇妙な沈黙が続くが、何も起こらずに「終わりました」とルークがいう。
「おいおい、何も起こらないじゃないか!失敗かー?」
「そのお酒、飲んでみてくださいよ」
恐る恐る、ジャッキを傾けると、その客の顔が驚愕に変わる。
「すげー!この暑さでぬるくなってたのに、今は冷えてるぜ」
「まじか!そりゃ便利だ!オレの酒も冷やしてくれー!」
ルークの周りに再び人だかりができるが、リディアはその人たちをかき分け、ルークの元に満面の笑みで向かった。
「何その魔法!どうやるの?ジョッキに魔法をかけたの?お酒に魔法をかけたの!?」
「リディアちょっと待って、ほかのも冷やしたら説明するから」
「えーー!早く早く!」
そのリディアの表情と振る舞いは、まるでおもちゃを父親にねだる子供のようであり、ルークもそんなリディアを可愛がっているように見える。ひと段落したら、2人で魔法談義が繰り広げられ、周囲の人たちはそんな2人を見守っていた。
その様子を見ながら、マルクは腕を組んで「……ふむ」と唸る。「どうしたの?」 エマが聞くと、マルクは少し驚いた顔で答えた。
「いや……なんというか、色気のない会話だなと思ってな」
「ふふっ、確かに。こりゃ、2人の間に色恋はなさそうね」
「......そうだな」
エマはカラカラと笑いながら言ったが、その顔はどこか残念そうだった。周囲の客も、そんな2人を揶揄い始める。
「おいおい!いい雰囲気になるかと思ったのに、ただの魔法オタクの集まりじゃないかー!」
「そうよ!悪い?」
リディアが返すと、周りはドッと笑いに包まれる。
すると、その時、リディアの見知った声が外から聞こえてきた——
「やっぱり帰りましょう!すごく皆さんで盛り上がってるわ」
「ここまできて、何言ってるんですか!入りましょうよ!」
「無理よ無理!やっぱり私に定食屋は敷居が高いわ」
「定食屋は誰に対しても敷居なんてありませんから!いいからカトリーナさん、行きますよー!」
懐かしい声にリディアは驚き、勢いよく店の扉を開ける。そこには、いつもの清楚な雰囲気を残しつつも、よりカジュアルな薄黄色のワンピースを着たセレナと、シンプルな紺のワンピースに白いエプロンを合わせた『貴族のお忍び感』満載のカトリーナがいた。
「セレナ!カトリーナ!」
「リディアさん!お久しぶりです!リディアさんのご実家が気になって、カトリーナさんと遊びにきちゃいました」
セレナが悪戯っぽく笑う横で、カトリーナはふんっと鼻を鳴らして胸を張る。
「庶民の文化も学ぶためには、まずはその世界に馴染むのが一番でしょう?」
「カトリーナさん、洋服選びから楽しんでましたもんね」
2人がここに来るまでに見たことを色々教えてくれるが、リディアには2人が自分に会いにきてくれたその事実がたまらなく嬉しかった。
「どうぞ、中に入って!今ルークも来てるのよ」
「あら、ルーク様が?私たちお邪魔じゃないかしら」
「もー!なんでみんな、そういうこと言うかな!ルークとはそんなんじゃないの!いいから入った入った!」
そこからは、定食屋は更なる賑わいを見せる。
カトリーナの貴族特有の発言が、そのキャラクターもあってお客さんの笑いを誘い、か弱げなセレナが異国から一人で勉強に来ているというエピソードが、娘のいる客層への涙を誘い「俺からのプレゼントだ!これ食って頑張れ!」とセレナの前にパンが積まれて行く。ルークは酒を冷やしてくれー!と依頼を受けては飛び回り、肩を組んでくる客がでると、なぜか一緒に陽気に歌い出す。
リディアはそんな友人たちを誇らしげにみながらも、お客さんの注文を捌いていく。
娘の背中を見ながら、マルクはふとため息をつく。
「……リディアも、立派になったな」
「何?急にしみじみしちゃって......なーんて、気持ちはよくわかるわ」
リディアは昔から友人があまりいなかった。
店の常連には可愛がられていたが、リディアが魔法を使えることが周囲の子供達には不思議であり、リディアもまた、魔法に熱中していたことから話が合わなかったのだろう。誰とでも、そこそこ仲良くはしていたが、信頼する友人というのはいなかったように思う。
でも今は、リディアは良き友人に恵まれているのが、その表情からもよくわかる。
マルクはルークやセレナ、カトリーナと楽しそうに話すリディアの姿を見つめながら、小さく頷いた。
「……まあ、親としては寂しい気持ちもあるがな」
「ふふ、そういうことなら、帰省のたびにこうやって友達を呼ぶようにお願いすれば?」
「毎回男を連れてくるなんてことがあったら、俺の胃がもたん!」
そんなマルクの叫び声を聞いて、店内の客たちが笑い声を上げる。
リディアは笑いながら、厨房から料理を運んできた。
「お父さん、何を騒いでるの?」
「なんでもねえよ!」
騒がしくも楽しい時間がその後も続き、リディアにとっては友人と過ごす初めての長期休暇となった。




