カトリーナの憂鬱な休暇
馬車の中で、カトリーナは窓の外に広がる景色を眺めながら、ため息をついた。緑豊かな街並みが過ぎ去り、次第に見覚えのある景色が増えてくる。懐かしさを感じるはずなのに、胸の奥に広がるのは憂鬱な気分だった。
「憂鬱かい?」
実家が近いこともあり、相乗りしているレオナルドが微笑を浮かべながら問いかけてくる。彼は窓の外を眺めながらも、カトリーナの微かな表情の変化を見逃さなかった。
「……そう、ね」
カトリーナがポツリと答えたが、レオナルドはそれ以上深く追及しなかった。ただ穏やかに微笑み、軽く肩をすくめる。
「カティのお父上は厳格だからね」
カトリーナは小さく頷く。実家に戻れば、父親に叱責されることが明らかだった。名門貴族であるヴァルモン家、ローゼンベルグ家の出であるシルヴィア、エレノアと決別し、平民と隣国の商人の娘と親しくしていることも、休暇明けの実習で魔法局や王宮ではなく隣国に行くことも、全てが父親の気に触るだろう。ポツリ、ポツリとレオナルドに弱音を吐くと、親身になって話を聞いてくれる。
「自分の選択を後悔してるのか?」
その問いに、カトリーナはキッパリと違う、と答える。自由に魔法を学び、リディアやセレナと楽しい時間を共有した。時に口論になることもあったがーーあの時間はかけがえのないものだった。
「確かにあの2人は貴族ではないけど素晴らしい才能を持っている、僕からも、パーティーでお父上に会った時は話しておくから、心配しないで」
「ありがとう、レオ」
カトリーナの父親は、レオナルドには一目置いている。レオナルドとルークの兄であるアレン、この二人が魔法の天才であることは貴族の間では周知の事実であり、魔法の能力が重視される貴族の中で、二人への信頼は厚い。
レオナルドが普段から自分の味方をしてくれるのがカトリーナにはありがたく、それでも家が近づくと気持ちが塞ぐ。
厳格な父、意地の悪い妹、そして自分を押し込める家の空気――。
カトリーナは貴族令嬢としての振る舞いもつい忘れ、重いため息をついた。
ーーーーーー
「ただいま帰りました」
カトリーナが屋敷の扉をくぐると、整えられた髭と能面の様な顔の執事が出迎える。
高級な絨毯が敷かれた広い玄関ホール、整然と並ぶ甲冑や装飾品。実家のはずなのに、エルミナ学園の寮よりも窮屈に感じるのは、ここにいると「貴族令嬢」としての自分を強いられるからだろう。
「遅かったわね、お姉様」
廊下の奥から、妹のクラリスが現れた。
まだ幼さの残る顔立ちだが、社交界で頭角を現し始めている彼女は、カトリーナを値踏みするような視線で見つめる。
「お姉様、学園ではどんなことを学んでいるのかしら? 噂だと、シルヴィア様やエレノア様に見放され、平民の友達と平民の遊びを楽しんでいるみたいですけど」
「……噂の真偽も確かめず、信じるのは愚か者のすることですよ、はしたない」
「まあ!平民と一緒に過ごす野蛮な令嬢の方かよほどはしたないと思いますけど?お父様だって、そう思ってるに違いないわ」
クラリスは意味深に微笑むと、父の執務室の扉を指さした。
「お父様がお待ちよ。さあ、行かないと」
カトリーナは内心煩わしく思いながらも、背筋を伸ばし、父の執務室へと向かった。
執務室に入ると、父が書類に目を通している。
年のせいか髪に白が混じり始めたものの、その鋭い眼光は衰えていない。カトリーナを見るなり、彼は書類を置き、低く静かな声で言った。
「帰ったか」
カトリーナは沈黙のまま、父の前に立つ。
「貴族とは、強き者であるべきだ。そして、力を持つ者が持たざる者を導く。そう教えてきたはずだが、お前の最近の行動は、その教えに反しているようだな」
「……何のことでしょう?」
「由緒正しい貴族令嬢と距離を置き、平民の娘とつるんでいると聞いている。さらに、実習では隣国へ行くつもりだと?」
カトリーナは父の視線を受けながらも、意地でも目を逸らさなかった。父には学園でのことはぼかしてしか報告してないのに、なぜそこまで把握しているのか。
「お言葉ですが、学園ではしっかりとフランベルグ家に恥じない成績を納めています。また、平民とおっしゃいますが、私の友人も、そのシルヴィアやエレノアよりよほど魔法使いとして優秀なものたちです。身分で人を判断するのは、もはや時代遅れでわ」
「時代遅れ?」
父の声が、わずかに低くなる。
「貴族が力を誇示しなければ、やがて国は平民に食い荒らされる。お前はそんな簡単なことも理解できないのか?」
カトリーナの手が、無意識に拳を握りしめる。
この家では、何を言っても父には届かない。
「貴族の誇りを理解し、家の名誉を守るのが貴族というものだ。だが、お前はどうだ?」
カトリーナは思わず歯を食いしばった。父はいつでも、貴族としてのあり方を議論する。だが、それが全てではない。
自分は貴族令嬢である前にーー魔法使いなのだ。
「……私は、魔法使いです」
「そうだ、貴族の魔法使いだ……学ぶべきことを間違えるな。平民と過ごすなど言語道断、実習先も、隣国に行くなど認められないが......そうだな、魔法を知らない隣国のやつらに、マナギア国の権威を見せつけろ。下がれ」
カトリーナが無言のまま、静かに執務室を後にしようとすると、再度呼びかけられる。
「......ヴァルモン家と距離をおいたことだけは褒めてやろう。あそこのシルヴィア嬢とは今後交流を持たないように」
「......それは、どういう意味ですか?」
「お前が知る必要はない、今度こそ下がれ」
帰省から3日たった昼下がり、カトリーナは庭のベンチに腰掛け、手元の本をぼんやりと眺めていた。遠巻きに使用人が自分の動向を観察しており、見張られているというプレッシャーが、本を読む手を阻む。父の言う、シルヴィアのことも気になり、何もやる気が起きない。
「珍しいな、カティがそんな顔をしているなんて」
突然聞こえた馴染みのある声に、カトリーナは顔を上げた。庭に立っていたのはレオナルドだった。
「レオ……どうしてここに?」
「連絡をお父上にはだしたけど、聞いてなかったのかい?先ほど、クラリス嬢とも話したよ」
その言葉に、カトリーナは眉を顰める。自分は何も聞いていない。おそらく、レオナルドにいつも媚びているクラリスが裏で手を回したのだろう。レオナルドに擦り寄り、猫撫で声で話すクラリスが目に浮かぶ。
彼はゆっくり歩み寄り、カトリーナの隣に腰を下ろした。
庭に吹く穏やかな風が、彼の黒髪を揺らしている。
「お父様に用事?」
「ああ。ついでに、君の学園での様子も話しておいたよ」
カトリーナは少し困った顔をする。
「どんな話をしたの?」
「色々だよ。勉強を頑張ってることや、貴族はもちろん、先生方からの信頼も厚いこと。ルーミンハルト家のルーク殿とも交流があり......君は嫌がるだろうけど、セレナの商会は大きいからね、隣国とのパイプ作りもし始めている、と伝えたさ。お父上、満足げだったよ」
レオナルドは軽く笑いながら言うが、カトリーナには、俄かには信じられない。
「……本当に?」
「貴族に、お父上にとって、身分の壁は絶対だからな。リディアのことは許せないようだが、それ以外のことは概ねポジティブだったよ。とくに、ルーク殿のことと、ソラキ商会との繋がりは思わぬ収穫、といった感じなんだろう」
その言葉に、カトリーナは深いため息をつく。
「セレナと友人になったのはそういう意図ではないわ。ルーク様のことも、リディアを通じて話すようになった程度よ......私はもう、身分で付き合う相手を決めたりはしないわ」
「わかってるよ」
レオナルドはそこで言葉を切り、カトリーナを見つめる。
「君は、貴族としての義務を理解しながらも、自分の信じた道を進もうとしている。それはすごいことだよ、カティ」
「……そう思う?」
「もちろん。だからこそ、お父上に、君の選択が間違いじゃないって証明しなきゃな」
レオナルドはそう言って微笑んだが、その瞳にはどこか強い意志が宿っていた。
まるで、自分のことのようにカトリーナを信じてくれているような――そんな眼差し。
カトリーナは、彼の横顔を見つめながら、小さく笑った。
「本当に、貴方は昔から変わらないわね」
「それはどういう意味?」
「いつも、私が落ち込んでいるときにそばにいてくれる」
小さく笑いながらそう言うと、レオナルドが少し驚いた顔をした。
「……当然さ」
「当然?」
カトリーナが聞き返すと、レオナルドは少し視線をそらし、珍しく言葉を選んでいるようだった。
「……君は、昔から僕にとって大切な存在だからね」
カトリーナの胸が、ふわりと温かくなる。
レオナルドは、どんな相手にも優しく接する。でも、彼がこんな風に特定の誰かを『大切』だと言うことは珍しい。
――私にとっても、レオは特別な存在よ
「……ありがとう、レオ」
カトリーナがそっと微笑むと、レオナルドがカトリーナの指先にそっと触れる。
カトリーナは驚いたようにレオナルドを見て、頬を染める。
「休みの間、二人でどこかに出かけないか」
「いいの?」
「最近、芸術に触れてないし、音楽が聴きたいな」
ぽつりぽつりと、二人で休みの計画について話していく。カトリーナは小さく微笑みながら、レオナルドの温もりを感じる指先に、ほんの少しだけ力を込めた。




