その身一つで
バケーションに入り、ミナミはタクマと共にランクレッド家に帰った。
「お帰りなさいませ、お坊ちゃま、お嬢様」
ランクレッド家に帰ると、侍女たちがミナミを出迎える。
ーいつになってもなれないわ。
ミナミはムズムズした感じを覚えながら、居心地が悪いのですぐに部屋に入ることにした。
明日の朝にはアンジェリカが迎えに来る。
特に用意するものはないが、着替えやお気に入りのタオルだけでも持っていこうか...。
「納得行きません!父上!どうしてあいつがドミエール家に招待されるのですか?!」
「うるさい!マクミリオン、いいか、これはもう決まったことだ。それに、ドミエール家のご令嬢がミナミを誘ったついでに兄であるタクマを誘っただけだ…気にする事でもない」
「ですが…あいつが調子に乗らないか」
「乗るならわからせればいいだけだ」
「それもそうですね!さすが御父上!」
廊下からランクレッド親子の会話が聞こえてくる。
ー胸クソ悪…。
この家での私生児であるタクマの扱いは酷い。ミナミは胸がぎゅっと締め付けられた。
ー大体、タクマが私生児なのはランクレッド男爵がメイド(平民)に手を出したりしたからで、自分の事を棚に上げて、タクマに冷たく当たるなんて本当にどうかしている。
以前、あまりにも腹が立って、ミナミが抗議しようとしたが、タクマに止められた。
「お前まで、ここで嫌われる必要はない」と。
納得いかないミナミに、
「俺は、学園でしっかりと結果を出して、叔父の領地を譲り受けて、さっさとこんなところ出て独立するさ。それまでに親父の機嫌損ねて気が変わられちゃあ困るだろ?」
そう言って、笑って見せた。
そんなの、理不尽だ。
だけど、この家で圧倒的に立場の弱いタクマにとってはそれが現実なのだ。
タクマの努力を自分が潰すような真似をしてはいけないことくらいはミナミも理解できた。
当然納得はいかないが。
そして、ついに避暑地、イーストランドへ向かう日がやって来た。
「ミナミ、準備はできているか??」
「もちろん!ばっちりよ!タクマは?」
「ああ、俺も。パーティー用のドレスはありがたいことに向こうが用意してくれてるから、俺たちは普段用の着替え数点だけでいいからな」
ミナミは、寮で体の細部まで採寸された事を思い出した。
正直あの時はありがたさより、恐怖の方が大きかったが。
「ミナミ様、タクマ様、荷物をお預かりします」
そう言って、ランクレッド家の使用人が荷物を外へ運んで行った。
タクマの荷物を進んで運ぶなんて、珍しいのだが、今日はドミエール家が来るので、体裁を気にして養父のランクレッド男爵が言いつけたのかもしれないとミナミは思った。
タクマもそう思ったのか「はっ、相変わらず調子がいいな」と鼻で笑った。
無駄に養父母がソワソワして、義弟妹達がタクマを睨みまくっていたところに執事がやってくる。
「ドミエール家のアンジェリカ様がお見えになりました」
レッドブラウンの髪を優雅になびかせて、アンジェリカが馬車から降りてきた。
その洗練された所作は、まさしく公爵令嬢そのものだった。
「こっこの度は…我が愚息並びに愚女をドミエール家の避暑地にご招待下さり、恐悦至極でございます」
ーえ?この言い回し合ってんの?ぐじょ??私の事か?
どうやら養父は滅多に会うことのない公爵令嬢を前にテンパっている様だった。
「どうか、そのようにかしこまらないで下さい。私は、ただ、学友を招待しただけですので」
「なんと!お顔も美しいが心までお美しいのですね!」
ミナミは養父がおかしくなってしまったのもアンジェリカの魅力が過ぎるせいだと思って、スルーすることにした。
「では、行きましょうか。荷物はあちらの馬車へ運んで下さる??」
アンジェリカがそう言ったので、ランクレッド男爵が執事に指図する。
しかし、執事が困惑したように、養父のランクレッド男爵に耳打ちする。
「ご主人様、恐れながら、タクマ様の荷物が見当たりません」
「何?タクマ!何をしている早く荷物を持ってこさせろ。アンジェリカ嬢をお待たせする気か??」
「え?…いや、荷物はだってさっき、あの使用人が俺の荷物を持って行って…」
タクマとミナミは先ほど荷物を持って行った使用人を見る。
しかし、使用人はきょとんとして「私は、ミナミ様の荷物しか預かっておりませんが?」と言ってのけた。
「ー?!」
「なっ!そんなはずはない!さっき、持って行ったー」
「やだなあ、お兄様、自分の不手際をまさか使用人のせいにするのですか?」
ーこいつ?!
どうやら、使用人は弟のマクミリオンに買収されているようだった。
ここで言い争ってはランクレッド家の恥だ。
「…すみません、まだ用意ができていなくて。約束の時間を過ぎているのに申し訳ございません」
「なぜ荷物の確認すらできないのだ?まったく、アンジェリカ様をお待たせするなんて!!…大変、申し訳ございません、それまで、応接室でお待ち頂いてもよろしいでしょうか??」
養父が焦りながら、アンジェリカにそう提案すると、
「あら、その必要はありませんわ」
「え?…しかし」
きょとんとするランクレッド家の面々を前に、アンジェリカはにっこり笑って言う。
「私はハッキリと言いましたわ。この身一つで来てくださいと。タクマ様さえいれば他に何も要りませんわ」
そう言って、アンジェリカは真っすぐ、タクマを見つめる。
ーこれは、荷物の事を言っているんだよな?!
なんだか、別の意味に取ってしまいそうな自分を必死に訂正するタクマであった。
「あっ…いえ、でも…」
「公爵家に二言はありませんわ。さっ、ミナミさん、タクマ様、馬車にお乗りになって!行きましょう!」
「…では」
ミナミとタクマはアンジェリカの従者に促されるまま、馬車に乗り込だ。
二人が乗り込んだ事を確認するとアンジェリカもランクレッド家の者達へ一礼し、踵を返し、馬車へ向かう。
「ああ、そうそう、差し出がましいかとは思うのですが…」
そう言うと、アンジェリカは男爵の方に振り返る。
「使用人と家の者の話が食い違ってしまった時に、ろくに調べもせず使用人の話を鵜呑みにするのはいかがなものかと…。特に、兄であるタクマ様の言葉を遮るように発言をした弟君の態度は、如何なものかと思いますわ。ランクレッド家の質が疑われても仕方がありませんわよ?ねぇ、ランクレッド男爵…!」
アンジェリカはランクレッド男爵に凄んでみせた。
「なんでしたら、ドミエール家の家庭教師を紹介して差し上げますわ。とても厳しくて優秀な者がそろっておりますので」
いくら、田舎の貴族のランクレッド男爵とて、先ほどまで、個人的にと言っていたアンジェリカがあえて、ランクレッド家とドミエール家を出してきた意味くらい理解できた。
「いえ…お手を煩わすわけにわいきませんので…!息子には私どもが責任を持って教育し直します!」
「そう?それならよろしいのだけど。ランクレッド家の名に懸けて、その言葉二言が無いようにお願い致しますわね」
アンジェリカはそうい言うと、先ほどから震えて下を向いているマクミリオンの方を向き直した。
「せっかく、優秀な兄上がいらっしゃるのですから、遠ざけるのではなくしっかりと教えを請いて吸収しなくては。あなたはこれからもっと成長しますわ。だって、あなたはタクマ様の弟君なのですから」
そう言うと、天使の様な微笑みをマクミリオンにむけた。
マクミリオンは、天使はこの世の中に存在するのだと初めて知った。
ー将来、義父、義弟になるかもしれない人たちだから…このくらいで勘弁しておきましょうか。
そうして、ゆっくりとアンジェリカは馬車に乗り込んで行った。
アンジェリカが去ってからも、男爵の冷汗はしばらく止まらなかった。
ドミエール家が本気になれば、こんな田舎のランクレッド家なんていくらでも潰せる。
しかし、確かにマクミリオンの振る舞いは貴族としてよろしくないが、貴族だからこそ他の家門の家事情に滅多に口出ししたりはしないのにと、少し疑問にも思った。
ーまさかな。
男爵はアンジェリカのタクマに向ける眼差しを思い出しながらも、そんなわけないと思い直すのだった。
ー坊ちゃま!
ふと、男爵の胸に苦い記憶が蘇る。
彼女もあんな表情をしていたな。
そしておそらく自分もあんな表情をして、彼女を見つめていたに違いなかった。