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「見舞いの客」

 シンヴレスは日々励んでいた。そうして彼は年を取った。十二歳だ。目標とする十四歳まで後二年しか時間が無い。鍛練の結果にシンヴレスは満足していなかった。剣だって相変わらずのグレイグショートだ。グレイグバッソはまだその手に余る。

 竜乗りの方は順調だった。グランエシュードと共に空を舞い、空での戦い方を教わった。

「フフッ」

 空で剣をしまうと老兵が嬉しそうに笑った。

「どうかしましたか?」

「皇子のような若い御方を指導できて光栄だと思いましてな。御父上のエリュシオン様も弟のドラグナージーク殿も、政争の気配で竜どころではありませんでしたからな」

「それじゃあ、私がエシュード殿の一番弟子ですか?」

「そうです、この老兵を熱くさせる一番弟子です」

 老兵の微笑みにシンヴレスは嬉しくなった。帝国の正規兵では最高の竜乗りであったグランエシュードの一番弟子だ。誇り高いし、同時に責任も重くついてくる。

 シンヴレスは竜舎へ戻り、バジスを撫でると、待っていた不動の鬼を連れて中庭へと向かった。



 2



 腕立て伏せを二百までできるようになった。身体が育っているのがよく分かる。それでもグレイグバッソを持てないのが未だに悔しかった。素振りをし、刃を向けたがらない鬼に木剣で相手を務めさせ、模擬戦を何度もした。結果は鬼の圧勝だった。不動の鬼の膂力で木剣が鎚になったかのように剣を重たく打つのだ。それを胴に喰らった時、鎧越しでも思わず息が止まる。

「隙があれば、頭も狙って良いからね」

 シンヴレスが言うと、不動の鬼は、木剣とはいえ、そればかりは御勘弁をと言った。

 そうやって夜には誰もいない演習場の外周を走り、足腰を鍛えた。

 風呂は安らぎの一時であった。

 そうして寝る前にふと疑問を感じた。

 私は何のために強くなろうとしたのだろうか。

 シンヴレスはしばし、思案し、ああ、サクリウス姫と会うためだ。と、思い出した。だが、とも思う。この結婚は絶対に無くてはならないものだ。サクリウス姫とはいずれ結ばれる。ダンハロウ老人でさえ、口を挟めないだろう。

 それは卑怯というものだ。

 シンヴレスは机の三段目の引き出しに隠すようにしまってある香水を出しにおいを嗅いだ。

 サクリウス姫を必ず誰もが納得する形式でお迎えする。

 シンヴレスは強くそう決意し、バルコニーの戸を開ける。サクリウス姫がそこに居ようが居まいが関係ない。最近、城下で逸り出した「竜と人の輪」というリズミカルな曲を彼は歌ったのだった。



 3



 異変に気付いたのは明け方だ。

 咳が止まらず喉と節々が痛んだ。やけに寒く感じた。

「御曹司?」

 扉の向こうから不動の鬼が声を掛けて来る。返事の代わりに出たのは変な咳だった。

「失礼いたします」

 扉が開かれ、不動の鬼が侍女を連れて入って来た。

「皇子殿下、失礼します」

 侍女が額に手を当て、表情を強張らせる。

「鬼殿、お医者様を」

「分かった」

 不動の鬼が駆け出した。

「お熱がありますね」

「湯冷めしたのかもしれない。心配かけてごめんね」

「とんでもない、大事無いかどうかお医者様が来ますので」

「ありがとう」

 シンヴレスは肌寒さに震えながら返事をした。

 鬼が父であるエリュシオン皇帝と城付きの医者のベルトーマンを連れて現れた。

「父上」

「そのような顔をするなシンヴレス。誰もお前を責めはしない。お前は頑張っているが、少し頑張り過ぎたのだろう。どうだ、ベルトーマン?」

 白髪交じりの生真面目そうな医者は頷いた。

「軽い風邪ですな」

 その言葉を聴き、父エリュシオンがこれほど安堵する顔をシンヴレスは見たことも無かった。

「二、三日休養を御取りください」

「休養も立派な務めだ」

 シンヴレスが言い返そうとしたのを見越したようにエリュシオンが言った。シンヴレスは不動の鬼を見た。鬼も頷いた。なので、シンヴレスは今の務めを果たすことにした。

 侍女が残るものかと思ったが、父は皆を下がらせた。風邪を移してはいけないと言った。侍女は世話を申し出たが皇帝の言葉には逆らえず仕方無しに下がった。

 一人毛布を重ねてようやくまどろんでいると、扉がゆっくり開いた。

「鬼?」

 だが、返事は無い。暗くてよく分からなかったが、誰かが足音を忍ばせて歩んで来る。外には鬼がいる。ということは、この人物は鬼を倒してこの部屋へ入ったのか?

 シンヴレスは慌てて身を起こし、ベッドから跳び下り、後ろへ飛んで机に立て掛けてある小剣を手にした。

 だが、シンヴレスは気付いた。この香水のにおいを忘れるわけがない。だが、だとすれば、まだ来てはいけない。

「声に出さないでください。私はあなたが誰か知っています。あなたに相応しい男になるためにこれまで、あなたのことを思いながら稽古を重ねて参りました。今は駄目です。例えあなたが恋しくても今はまだ言葉を交わしては行けません。どうか、黙って出て行って下さい」

 シンヴレスは背を向けた。

 客人が去って行くのが分かった。シンヴレスは泣いていた。あの方が来てくれたんだ。私が心配で。

 抱き締めたかった。例え毛布を重ねてもあの人の優しさと温もりには勝てないだろう。

 扉が閉まり、シンヴレスは涙を払って、剣を置いた。そうしてベッドに横になった。

 惜しいことをしたのかもしれない。だが、誘惑に勝てた。しかし、身体の誘惑には耐えられなかった。瞼が重くなり、身を縮こまらせてシンヴレスは、目を閉じた。

 不意に、何となくだが、扉の方を見た。

 少しそうして期待が外れたと思った時に、微かな擦れる音が聴こえて来た。

 シンヴレスは再びベッドから起き上がり、机の燭台に火を灯す。薄明るくなった部屋の扉の床との境にやはり一通の手紙が差し込まれていた。

 シンヴレスは歩み寄って手紙を拾い上げた。

「御立派な御覚悟です。その意気で病にも打ち勝って下さい」

 と、文が記され、ディフォルメされた笑顔の竜の絵が書かれていた。

 やはり、あの方だったのだ。

 シンヴレスは途端にこれまで生きて来て親切にしてくれた一人一人の真心を思い出し、深く感じ入っていた。

 みんなにお返しをするためにも今は風邪に勝たなければ。

 シンヴレスは机へ向かい、燭台の灯りを吹き消し、ベッドへ戻った。

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