「空での戦い」
ガーナー伯爵は一度こちらを振り返ると、我を疑う様に二度振り返り、己の行動を決したように空でこちらを向いた。
「ガーナー伯爵、投降しろ!」
シンヴレスが彼なりに怒渇するが、ガーナー伯爵は大笑いした。
「小僧、貴様一人がノコノコ出しゃばって来るとは片腹痛い、だが、私にとってこれこそ好機だ。城代の首を取り、市井に晒し、都を私のものにする!」
ガーナー伯爵のレッドドラゴンが口を大きく開く。焔の影が見えた瞬間、火炎が壁の如く広く放射された。
バジスとならできたけど。
「冷気を吐いて突撃!」
だが、フロストドラゴンは躊躇ってしまい踏み止まった。止む無くシンヴレスは回避した。
サクリウス姫に指笛を教えてもらうんだった。そうすればバジスを呼べただろう。
「はっはっは、逃げるだけか、腰抜け!」
「竜に頼るあなたこそ、腰抜けでは無いですか!」
シンヴレスが吼えると、炎が止み、レッドドラゴンが一気に間合いを詰め、フロストドラゴンに体当たりした。
フロストドラゴンは踏ん張り、揺れは無かった。
剣先がシンヴレスの眼前を掠める。
「良いだろう、皇子よ、望み通り剣で応えよう」
突きを避け、シンヴレスはグレイグバッソを引き抜いた。
手綱を放し、両手で柄を握る。狂喜に歪めた顔をし、ガーナー伯爵が剣を振るう。シンヴレスは落ち着いて得物の刃の腹で受け止めた。なるほど、体格が良いだけあって、膂力はある。
だが、慣れぬ竜の上、地の利はこちらにある。
シンヴレスは、突いては斬りを繰り返した。ガーナー伯爵は表情を少し険しいものにした。だが、決定的な瞬間が訪れても、シンヴレスはガーナー伯を殺せなかった。
どうして、刺せない、斬れない。何のために私は剣を学んできたのだ。
その心を早くも見透かしたようにガーナー伯が膂力の乗った一撃をぶつけてきた。
シンヴレスは刃から痺れが伝わってくるのを感じた。
「甘いな、所詮は小僧か」
ガーナー伯は嘲笑うと、一刀両断に斬り下げた。
シンヴレスはこれも剣で受け止める。
迷っている間に防戦一方になっている。空の上でなら私の方が上だというのに、何故、斬れない!
「そらあっ!」
ガーナー伯が容赦ない攻撃を仕掛けて来る。
鋼の音が幾重にも木霊する。
勝ち誇った賊の顔を見た瞬間、シンヴレスは己の意気地の無さに腹が立ち、剣を薙いだ。
ガーナー伯の服を切り裂いた。だが、その下にある鎖帷子に刃は阻まれた。しかし、これで分かった。ガーナー伯は自ら戦闘態勢で帝都に乗り込んで来たのだ。
鎖帷子には突きが鉄則だ。そうは思っていても、突けばどうなる? 人間の皮と肉を貫く。血は、それは大量に出るだろう。
「だが、やらねばならない!」
シンヴレスは気合いを入れ直し、一息に突いたが、ガーナー伯はヒョイと攻撃を躱した。そして無防備なシンヴレスの顔面に拳を叩き込んだ。凄まじい痛みが走った。
鼻血が竜の背に滴り落ちる。
「ガーナー伯爵!」
シンヴレスは一気に怒り、ガーナー伯爵の竜に跳び移った。
相手は多少は驚いたようだが、剣を真一文字に薙ぎ払う。シンヴレスは剣で受け止め、競り合い、押した。
ガーナー伯爵がよろめく。
よし、筋肉は裏切らない。
シンヴレスはここで次々敵の剣に打ち込み始めた。
鉄の音が断続的に音を上げる。
「おのれ、小僧!」
ガーナー伯爵が打ち込みを剣で払い、刺突を見舞った。
シンヴレスは心臓が凍る思いをした。
だが、無防備なシンヴレスの身体に刃は届くことは無かった。
ガーナー伯爵の後方から更に大きなレッドドラゴンが羽ばたいてきたのだ。
「皇子、助太刀するぜ!」
竜傭兵ヴァンが長柄の大斧を引っ提げて合流しようとしている。シンヴレスは咄嗟に自分の竜に戻った。
そして凄まじい体当たりを見た。
竜の上でガーナー伯爵が尻もちを付き、慌てるように手綱を掴んだ。そして迫るヴァンに向かって片手で剣を繰り出すが、大斧はそれを打ち落とし、返す刃とでも言えるだろうか、石突きでその腹を強かに打ち付けた。
潰れた蛙のような悲鳴を上げてガーナー伯爵が竜の上で倒れた。
「来て正解だったな」
ヴァンが頼もし気に微笑む。
「ありがとうございます、助かりました」
「ああ」
ヴァンが口笛を吹き、ガーナーのレッドドラゴンを落ち着けて、地面に下ろした。既にガーナー伯側の竜乗り達は投降し、各貴族の屋敷の門番達によって捕縛されていた。
「御曹司、御無事ですか!?」
鬼とカーラが駆け寄って来る。
「ヴァンさんのおかげで何とかなったよ」
「皇子様もよく足止めしてくれたもんさ。この野郎が門の外に出たら、大人しくしていたこいつの兵士どもが一気に乗り込んで来ただろうよ」
「ありがとうございます」
シンヴレスは礼を言ったが、気が晴れなかった。
謀反人の捕縛という結果だが、シンヴレスはむやみやたらに触れ回らなかった。
速やかにガーナー伯爵を牢へと連行し、父の裁可を待つ。そういうことにした。
夜、シンヴレスは眠れずに廊下へ顔を出した。
「どうなされました?」
鬼が問う。
「鬼……」
シンヴレスは少し逡巡した。鬼に減滅されないだろうか。私の師はこの人だからだ。
「実は、空で、何度かガーナー伯爵を殺す隙があったんだ」
鬼は無言で聴いている。
「だけど、殺せないばかりか、傷さえつけられなかった。服を裂いて鎖帷子を露出させるのが精々だった。剣士のくせにいざというときに相手を傷つけられないんだ。……甘えかな」
シンヴレスが鬼の目を見て話すと鬼はかぶりを振った。
「それでよろしかったと思います。御曹司はお優しい方。相手に傷を付ければ、殺せずとも、もっと後悔したはずです」
鬼は柔らかい口調で答えた。
「ですが、私達と鍛えた剣術と筋肉は裏切らず御身を御守りした。それでよろしいのです」
「確かに剣術も筋肉も私を裏切らなかった」
「己を鍛えるというのは、己を守るためなのです。殿下は見事それを成し遂げて見せました。立派になられましたな」
そう言われ、シンヴレスは安堵し、少し照れた。
「ありがとう鬼。これからも私を鍛えてくれ」
「畏まりました」
「うん。それじゃあお休み」
シンヴレスは部屋の戻るとベッドに仰臥した。
「これで良かったんだ。そう、私は最善を尽くしたんだ」
そう自らに言うと、目を閉じ、静かに眠りの世界へと落ちて行ったのであった。




