「城代シンヴレス」
べリエル王国へ嫁ぐことに決まったアーニャは、貴族としての作法を学ぶためにサクリウス姫が付きっきりで教えていた。
そんなアーニャだが、ついに出発の日が来てしまった。
竜で向かう手筈となっている。グランエシュードがエリュシオン皇帝を乗せ、サクリウス姫がアーニャを乗せる。護衛にガランでドラグナージークが合流する予定である。
「良いか、シンヴレス。ディオンや鬼と協力し、臣下達をまとめ上げ、帝都を守るのだぞ」
竜舎で勢揃いすると、父であるエリュシオン皇帝が言った。
「分かりました、父上」
そしてシンヴレスの目は甲冑姿のサクリウス姫と彼女より小柄なアーニャへと向けられた。
「シンヴレス皇子、これでお別れではありませんからね。しっかり手紙を送ること、忘れないで下さいね」
アーニャが目を潤ませて言った。
「うん、たくさん手紙を送るよ」
シンヴレスがそう答えた瞬間に、アーニャはシンヴレスを抱き締めた。そして声を押し殺して泣いた。
サクリウス姫と目が合い、彼女は、必ず無事に送り届けると約束するように頷いて見せた。
ひとしきりアーニャは泣き、ようやく悲しみの奔流が終わると、ハンカチで目元を拭い、ニッコリ笑った。
「幸せにね、アーニャ。いえ、姉上」
「ありがとう、シンヴレス」
そしてグランエシュードが竜の背に立ち、皇帝がその後に続いた。
サクリウス姫も続き、アメジストドラゴンのアルバーンの手綱を握り、アーニャが後ろに回ってサクリウス姫の腰に手を回した。
「みんな、いってらっしゃい!」
シンヴレスが言うと竜に乗る四人は一斉に笑顔になりそしてグランエシュード組から飛んで行った。
「シンヴレス、サクリウス姫をお借りしますね」
「分かりました。手紙、絶対送ります、姉上!」
そうしてサクリウス姫の竜も地を飛び立った。
その背を見送り、シンヴレスは一息吐いた。
さぁ、皇帝の代理だ。頑張らなきゃ。
シンヴレスは気合いを入れたのだった。
2
イルスデン帝国に宰相や大臣は居なかった。かつて、シンヴレスが生まれる前に、エリュシオンとドラグナージークの帝位を巡り、争いが勃発しようとした。ドラグナージークの出奔で片はついたが、宰相を始め、多くの大臣らが加担したことに、エリュシオン皇帝は恐れ、怒り、そして悲しみ、宰相職と大臣職を失くしてしまったのだ。貴族らは各領地に居り、あまりこちらに顔を出したことは無い。そのためガランのアレン・ケヘティのように密偵を送り、各地に目を光らせていた。
シンヴレスはいつもの部屋でディオンと政務を行い、カーラに見回りを頼み、鬼を自分の護衛とした。
謁見を求める者がいれば、勿論、謁見の間へと移動する。だが、表面上は平和なイルスデンでは謁見まで求めて他人を直訴しようなどという者はいなかった。
シンヴレスは各地の貴族達の報告書と、密偵の報告書を吟味し続けた。民の訴状はそのため後回しになる。
そんな日が続いたある時、ウルドから早馬が送られてきた。コロッセオのことかと思ったが、違った。ガーナー伯爵という貴族が尋常ではないぐらいの兵士を従えて帝都へ上りつつある。ということだった。
「もうすぐそこでしょうね」
ディオンが珍しく警戒する姿勢を見せて言った。
「どんな人物なんだい?」
「私も当時は子供でしたが、ガーナー伯爵は、元公爵であり、宰相だった人物です」
「つまり、爵位を落とされたということですね?」
「ええ、それを恨みに思いシンヴレス殿下の身柄を狙っているのかもしれません」
程なくして扉が叩かれ、鬼が顔を出した。
「殿下、ガーナー伯爵が御目通りを願っております」
「分かった。ディオン、来てくれ。君は私の補佐官だ」
「はっ」
カーラと鬼が合流し、四人は謁見の間へと向かった。
玉座に着くと、一段下にディオンが、鬼とカーラがシンヴレスの後ろの左右へそれぞれ立った。
「ガーナー伯爵、入られよ」
シンヴレスが言うと、思っていたよりも良い体格をした男が入室し、膝を屈した。
「何用か?」
シンヴレスは大任と見たことの無い貴族の対応に焦っていた。そのため、相手の挨拶を退ける形となってしまい、気まずい思いをした。
「では、おそれながら申し上げさせていただきます。トーマとジュシュンの領主である、アウデック男爵に怪しい動きがございます」
ディオンが口を寄せて囁いた。
「密偵からの報告では異常は無いと告げられています」
シンヴレスは頷いた。
「怪しい動きとは?」
「はっ、過分にも竜傭兵を雇い始め、竜を揃え、武器を拵えておるようです」
それが真実だと大変だ。反乱ということになる。だが、密偵からは異常は無いと知らされている。
どういうことだろう。
「ガーナー伯爵、何を言いたいのですか?」
シンヴレスが問うと、ガーナー伯爵は言った。
「皇帝陛下の不在を狙い、反乱を起こす魂胆やもしれません。ですからこの私と我が軍勢が帝都の防備に就き、殿下に至っては、直接現地へ赴いて反乱の是非を確かめになられるべきだと申し上げます」
「見てはいないですが、貴殿が大軍勢を連れて来ていると報せは聴いています。その軍勢を持って」
「殿下」
ディオンが慌てて耳打ちした。
「そうすれば、ガーナー伯爵に勲功を上げる機会を与えてしまいます。もしかすれば真実などどうでもよろしい可能性もあります」
「では、私が直接」
「それもいけません。ガーナー伯爵に城を奪われる可能性がございます」
シンヴレスは腕組みした。
「陛下、一つよろしいでしょうか」
不動の鬼が背後から進みこみ、正面に回って片膝をついた。
「何か考えがあるのか?」
「はい。今、城下に、先の戦争で活躍したヴァンという竜傭兵が来ています。ドラグナージーク殿の盟友です。彼の力を借りてトーマとジュシュンの様子を探らせてみてはいかがかと」
すると、ガーナー伯爵が苦い顔をした。
「お待ちを! そんな悠長な暇はとてもございませんぞ!」
ガーナー伯爵が責め立てると、鬼が剣を抜いた。
「控えろ!」
ガーナー伯爵はギクリとしたように向けられた鏡のような刃の前に屈した。
「まずは、はっきりとした証拠が必要です。伯爵、報告大儀であった」
シンヴレスが頑なに言うと、ガーナー伯爵は体格の良い身体を更に平身低頭させた。
さて、とりあえず、ヴァンという人に頼まなければ。
伯爵が下がると、シンヴレスは、鬼とカーラを連れて鬼の案内のもと、ヴァンを訪ねに出向いたのであった。




