「ダンハロウの帰還」
建設現場の棟梁のウルドは、欠かさず連絡を寄越した。そのため、シンヴレスは熱心に聴き入り、または現場へと足を運んだのであった。
さっそく、宿が建っていた。土壁にペンキはまだ塗られていない。灰色の土壁を見て、シンヴレスは嬉しくなった。
「サクリウス姫! 見てください、さっそく宿ができました!」
「先が楽しみですね」
「はい!」
シンヴレスは振り返って応じた。その時だが、ダンハロウと目が合い、相手は笑みを浮かべたのだが、どこか寂し気に思えたのだった。
2
剣術の練習をサクリウス姫と鬼、カーラで行っていると、回廊からダンハロウ老人がこちらを眺めているのに気付いた。
シンヴレスは剣を止め、そちらへ声を掛けた。
「ダンハロウさんもいかがですか?」
だが、ダンハロウはかぶりを振り、歩んで来た。
「若い者達が一生懸命になっているのを見ると、この老人も血が滾りますが、もう、以前の冴えは衰えたでしょう」
「そんなことは」
「そうだよ、じい様に勝てるのはサクリウス姫ぐらいしかいないじゃないかい」
シンヴレスもだがカーラもだろうか、どことなく嫌な気配を察して慰めるようにそう言った。
「カーラ、お前はこの年寄りの後を継げ、サクリウス姫の護衛を務めて欲しい」
「じい様は?」
「私は、そろそろ故郷が恋しくなってきたようだ。サクリウス姫、この年寄りはべリエルへ帰りとうございます。もはや、老いを隠しきれる状態ではなくなりました」
老人がシルクハットを取り、片膝を着くと、サクリウス姫は言った。
「ダンハロウ、これまで御苦労だった」
そこでシンヴレスは慌てて声を上げた。
「ダンハロウさんを帰して本当に良いんですか!? サクリウス姫、カーラさん、鬼、そしてダンハロウさん、我々五人には仲間という名の絆があるじゃないですか?」
ダンハロウは軽く目を開いて、そして笑んだ。
「勿体無いお言葉です。よろしければ、その大切な御縁を私が去った後も繋がり続けていて欲しい、そう思いまする」
ダンハロウの決意は固い。シンヴレスの脳裏に敵としてあるいは師として立ちはだかったダンハロウの姿が過ぎる。剣戟の音色、悔しかった思い出、成就させた悲願、それらが一気に押し寄せ、十四歳のシンヴレスの心を揺さぶった。
シンヴレスはしゃくりあげていた。
「皇子殿下、お涙をいただきありがとうございます。殿下は、私にとっても孫同然でした」
「だったら、孫にして下さい」
シンヴレスは涙を振り払って訴えた。
「勿体無いお言葉ですが、お望みとあらばそう致しましょう。皇子殿下、あなたと剣を交えることが出来て良かった。あなたの成長はこの老人の宝、そのものです」
サクリウス姫はシンヴレスの両肩に手を置いて無言で慰めてくれた。
ダンハロウもイルスデン帝国の立派な一員だ。だが、それはシンヴレスの思いであって、ダンハロウは帝国の臣では無く、べリエル王国の臣であった。それを忘れるほど、シンヴレスの脳裏にはダンハロウの姿が幾つも幾つも焼き付いていた。
「皇子殿下、あなたにならば、姫を任せられます。剣でしか己を培って来なかった老人の太鼓判です。その冴えは姫だけでなく多くの臣民の支えになるでしょう」
「いつ、出発するのですか?」
サクリウス姫が問う。
「明日には。既にエリュシオン皇帝陛下と、我が友、グランエシュード殿には伝えてございます」
もう決まったことなのだ。シンヴレスは頷いた。
「竜で行かれるのですか?」
「ええ。こちらへ来た時の竜がおりますので。アルバーンと離れるのはその竜も寂しいかもしれませんが」
「途中までお見送りさせて下さい」
シンヴレスは思わず声を出した。
「私も行こう」
サクリウス姫が続いた。
「では、明日」
ダンハロウ老人が言った。
「ええ、明日」
サクリウス姫が声に出して頷いた。
3
グランエシュードとダンハロウは握手を交わしていた。
「竜から落ちるなよ、ダンハロウ殿。陛下からの証明書も失くさぬようにな。まぁ、失くしたらまた戻って来れば良いだけだが」
グランエシュードが言うとダンハロウの肩をバシリと叩いた。
「ダンハロウ殿、貴殿は良い話し相手だった。お互い老い先短いが、守護する国は違えども共に励んで参ろうぞ」
「エシュード殿、貴殿との友誼は忘れない」
「うん」
二人の老人は頷き合って、こちらを見た。
「参りましょう」
シンヴレスとサクリウス姫は竜に乗り既に飛び出し口に並んでいた。ダンハロウも隣に着く。
「皇子殿下、サクリウス姫様、ダンハロウ殿のお見送り、よろしくお願い致します!」
「任せてください」
シンヴレスが振り返ると、竜舎の職員と警備兵らが整列し敬礼していた。
「嗚呼」
ダンハロウが声を上げた。涙が一滴竜の背に落ちるのを見た。
「では、行きましょう」
サクリウス姫がアルバーンを離陸させ、ダンハロウが続く、シンヴレスは最後尾に着いた。そのまま空へ飛び出す。
風を孕む竜の翼の音だけが聴こえる。
サクリウス姫とダンハロウが何か話している。竜を寄せ、そして肩を寄せあっていた。
サクリウス姫が泣いている。シンヴレスはそう思った。だが、慌てなくとも慰めるのは後で良いことも知っていた。そのまま三匹の竜はイルスデン帝都の領空内ギリギリまで来た。
「ダンハロウさん!」
シンヴレスはバジスを急がせた。
「シンヴレス皇子」
「本当に、本当に今までありがとうございました!」
シンヴレスが思いの丈を述べると、老人は、シルクハットを脱いで一礼し、再びかぶって前へ向き直った。そして一人飛び去って行ったのだった。
シンヴレスはサクリウス姫と一緒にその背が見えなくなるまで見送った。
「大丈夫です」
シンヴレスはサクリウス姫に言った。
「これからは私が姫様を御守りします」
サクリウス姫は涙を拭って竜を寄せ、シンヴレスを抱き寄せた。ひとしきりそうすると、サクリウス姫も落ち着いたらしく、彼女の方から帰投を提案した。
「もう戻りましょう。鬼殿やカーラが待ちくたびれているかもしれません」
「そうですね、参りましょう」
二人は並んで反転し、戻ったのであった。




