「鬼の告白」
尋常ならざる殺気を漲らせ、アーニャと不動の鬼が対峙する。
シンヴレスが止めようとすると、カーラに肩を掴まれて、彼女は首を横に振った。シンヴレスはもはや見守るしか無かった。
「木剣で挑もうなどと考えていませんよね?」
アーニャが言うと、鬼は止む無くというていで腰の両手剣に手を掛けて姿勢を下げた。
何が合図になったのかシンヴレスには分からなかった。
両者が突撃し、鬼の剣とアーニャの槍とが激突した。
アーニャはサッと離れ、鬼の剣が三度空を切った。そこへアーニャが踏み込み石突きギリギリを持って槍を繰り出した。鬼はそれを弾き返そうとしたが、アーニャの槍の軌道を逸らすことはできなかった。槍先が鬼の胸に当たり、甲高い音を上げた。
「凄い。鬼に勝てる人だとは思わなかった」
カーラが瞠目して言い、シンヴレスもそう思った。そして彼は宣言した。
「この勝負」
「まだです」
アーニャが声を上げ、鬼を指さした。
「何故、本気を出さないのです? それはあなたが本気を見せる相手を決めているからですか?」
アーニャが問う。そこで分かったが、鬼は片手で剣を握っていた。
「……その通りだ」
鬼が絞り出すように声を上げた。
「御曹司、あなたに対する不忠の数々お許しください」
鬼は剣を鞘に収めると、シンヴレスへ向けて頭を下げた。
「鬼は何も不忠なんてしてないよ」
「いや、しました。私は私を強く見せるために御曹司を叩きのめしていました。あなたを強くすることが私の役目にも関わらず、それを無視しました」
「……うん」
シンヴレスは頷いた。
「どうぞ、今度の剣の師は他の者に委ねてください」
「逃げるのですか?」
シンヴレスが引き留めようと声を出す前にアーニャが鋭く言った。
「逃げ……いや、逃げるつもりなどは」
鬼は言った。
「ただ、私にはもはや御曹司を育てる資格など無いのです」
「そんなこと無いよ!」
たまらずシンヴレスは鬼の元へ駆け寄った。
「そんなこと無い。鬼が居てくれたからこそ、私はここまで成長できた。もっと成長するためにも鬼、あなたの力が必要です。今後とも私を指導して下さい!」
シンヴレスが見上げる先で、鬼の細い目から涙が一筋零れ落ちた。
「嗚呼、御曹司、この鬼は命尽きるまであなたに忠義を貫くことをここに約束致しましょう」
「ありがとう、鬼。アーニャも」
アーニャは微笑んだ。
「それでは、私は通常の任務に戻ります。皇子殿下、失礼致します」
敬礼し、アーニャは去って行った。
「凄いね、あの子。まだ十代だと思うけど、片手とは言え、鬼を降せるとは思わなかった」
カーラがアーニャの背を見送りながら感心と驚嘆をしていた。
「ところで、鬼、あんた、誰にそんなにカッコいいところを見せたかったんだい? というか、好きな人いるの?」
「それは……それは秘密だ」
鬼はそう言うと、木剣を籠の中から取り出した。
「御曹司、改めまして手合わせ願います」
「うん、分かった」
シンヴレスは木剣を受け取り、少し複雑な思いを抱いていた。カーラさんの思いはどうなってしまうんだろう。カーラは鬼に惚れている。シンヴレスは、首を横に振って両手で自分の頬を叩いた。
そこは大人同士の問題だ。身分ある子供の私があれこれ動いてしまっては、こじれてしまうかもしれない。
シンヴレスは正面に身構え、気合いの声を上げて鬼に打ちかかった。
2
その後、鬼はもとの鬼に戻ったように見えた。ただカーラを相手にするときは両手で剣を握っていることにシンヴレスは気付いた。確かにカーラさんは強いから仕方が無いだろう。鬼の指導は丁寧なものに戻った。カーラにもあれこれ教えていた。とりあえず、シンヴレスは安心した。
寝る前にアーニャにお礼の手紙を書き、侍女へ適当な者への使い番を頼むと、部屋に戻る前に、番をしている鬼に向かって尋ねた。
「鬼から見てカーラさんは強いの?」
「強いです。いや、負けん気に呑まれて本来の資質を出し切れていないところがあります」
「アーニャは弱いと思った?」
「いいえ、ただ予想以上に出来る方でした」
鬼は何故、アーニャ相手に片手だったのだろうか。両手ならもっと勝負は長引き、勝敗も違っていたかもしれない。
「そう」
シンヴレスは深く追求することを止めた。鬼には鬼の考えや矜持みたいなものがあるのだろう。だが、部屋の扉を開いた時に鬼が言った。
「私は、私に最初に両手を使わせた異性を愛することを望んでいます」
そうなると、カーラさんか。鬼は他の女性に恋慕しないためにも異性のアーニャに片手で挑んだのあろう。だが、これで鬼とカーラさんは両思いだ。上手く恋人になってくれれば良いが。
シンヴレスは躊躇した。カーラが鬼を好いてることを言うべきか迷っていた。だが、どちらも結局似た者同士だ。どこかで糸が寄り合う様にくっつくだろう。それが大人の恋なのかもしれない。
「おやすみ、鬼」
「はっ、お休みなさいませ」
シンヴレスは部屋へ入ると、サクリウス姫のことを思い出した。もうずっと会っていない。早く会って、思いを伝えたい。例え、結婚が決まっていても、思いを告げたくなったのだ。文通から育まれ、憧れていた女性に対して、自分の気持ちを伝えること、それは大事なことだとシンヴレスは思っていた。鬼やカーラだけでなく、自分も同じなのだ。そのためにはダンハロウから許可を勝ち取らなくては。
「明日も、明後日も頑張ろう」
シンヴレスはそう声を出すと、最後に机の引き出しに隠した香水のにおいを嗅いでベッドへと向かったのであった。




