「鬼とカーラ」
シンヴレスは、木剣で鬼と打ち合っていた。気合いと気迫を上げ、雄叫びし、大上段から木剣を振り下ろす。鬼はそれを得物で受け止め、下から叩こうとする。シンヴレスは剣を素早く下ろして受け止める。重たい衝撃と振動が走り、木剣は弾かれ、腿を強かに打たれた。
「あ、御曹司!」
鬼が慌てて声を上げる。
「心配ない」
シンヴレスはそう言ったものの、鬼が今までの鬼とは一瞬違うような気がしていた。まるで本気を出した様に思えた。それだけ自分の腕前が上達したのかと考えるも、カーラと出会い、この一週間程度で見違えるほど成長するとは思えない。鬼の中で何かが変わったのだろうか。例えば、私とサクリウス姫のことを焦るあまり、稽古に熱を入れるようにしたとか。
「皇子様もそこそこやるじゃない」
「そこそこではない、御曹司はお主以上だ」
売り言葉に買い言葉、あの寡黙な不動の鬼がここまで口を開くことなど滅多になかった。それも女性を相手にしてだ。
「次はあたしが相手になるわ」
「良いだろう、来い」
鬼が言うとカーラは両手持ちの木剣を握り締め、鬼へ打ちかかった。彼女もまた勢いに満ちた声を上げた。
衝突が五回、六回目で、両者は競り合った。
シンヴレスはただただ目の前の修羅同士の打ち合いに驚くばかりだ。カーラとは一度引き分けたが、彼女は私を侮っていただけなのかもしれない。
「どうした、押さねば、押すぞ」
珍しく鬼から声を掛けた。
「それじゃあ! 遠慮……無く!」
カーラも全身全霊で挑んでいるようだが、鬼は木剣を片手で受け止めている。しかし、その細い目が見開かれ、右手に加えて左手も柄を握り締めるとカーラを簡単に押した。よろめくカーラを鬼は追撃する。素早く踏み込み、横薙ぎ、そして突き。辛うじてカーラはこれを避ける。
鬼は本気を出している。シンヴレスにもそれだけは分かった。
カーラは打ち込むそぶりを見せ、鬼の空振りを誘った。
「貰った!」
「甘い!」
カーラが上段から打ち込んだ瞬間、身を流した鬼が伸ばした剣が彼女の胴を音を上げて打っていた。
「いったぁ」
カーラがそう言いうずくまる。
鬼は思わず我に返ったように見えたが、一歩踏み出しそれだけだった。
「カーラさん、大丈夫?」
シンヴレスは鬼に代わって声を掛けた。カーラは鎧を着ていない。出会った時と同じ身軽な平服姿であった。あばらが折れたかもしれない。
「医者を呼びましょう」
シンヴレスはそう言う傍ら、鬼がギクリとした顔をしたのを見逃がさなかった。
「平気よ、皇子様、このぐらいよくあることだわ。真剣じゃなくてホッとしたけどね」
カーラがシンヴレスに笑いかける。鬼自身も真剣でなくて良かったと思っているだろう。
「平気なら、御曹司に続いて素振りに励んでもらうぞ。御曹司の近衛を希望するのなら気合いを入れ直して励め」
「分かってるわよ」
シンヴレスとカーラはそれぞれ真剣を抜いて、鬼の掛け声と共に素振りをした。
「軌道が逸れている!」
鬼の指摘は主にカーラにばかり向かっていた。シンヴレスはそれもまた不思議に思っていた。ただ鬼が自分に対して木剣ではあるが本気を出してくれたことは嬉しかったのが、すぐに違和感に気付くことになった。
素振り三百本目でシンヴレスは腕が痛くなり、脱落したい気分と戦っていた。平素の鬼ならそんな自分を気遣って声援をくれるのだが、声はカーラにばかり向かっていた。主に指摘だ。カーラも手に疲れが見えていた。
「鬼、あんまり無理させちゃダメだよ」
シンヴレスはまたも思わず言うと、鬼はハッとしたように目を見開き、素振りの終了を告げる。
「鬼ってだけあるわね」
カーラが息を上げて言った。
一方鬼の方は溜息を一つ、後悔しているかのように吐いていた。
2
半人前だが、シンヴレスの部屋の警備にカーラが着くことになった。
シンヴレスは、ここ最近の鬼のまるで鬼気迫る状態についてカーラがどう思うか、廊下に出て尋ねた。
「あたしを思って扱いてくれているんだから、感謝はしてる。でも、何だか皇子様の訓練じゃなくてあたしの訓練になっているように思えなくもないね」
「やっぱり」
シンヴレスはカーラもまたそういう思いを抱いているのだと知り、どうすべきか思案した。
「皇子様だから話すけど、あたし、こう見えて負け知らずだったのよ。だから最初にあたしを打ち負かした男と結婚するつもりでいたのよ。あたしを最初に打ち負かした男、それが」
「鬼なのですね?」
カーラは頷いた。
「実際のところ、カーラさんは鬼と結婚したいと思っているのですか?」
シンヴレスが問うと、僅かの間の後にカーラは言った。
「思ってる。あんな漢の中の漢を代弁した男なんて初めて出会ったもの」
「そうでしたか」
「鬼には内緒にしてね」
「……良いんですか? 言わなくて?」
「今はまだ奴に言わせれば半人前だから一人前になるまでこの気持ちはしまっておくわ。何だか、皇子様と似たような状況ね」
「そうですね」
シンヴレスは頷いた。カーラが軽く微笑む。
「さぁ、皇子様は寝て寝て。この扉はあたしが死守するから大丈夫」
「死守何て言わないで、その時は起きて並んで一緒に戦いたいです」
「皇子様は本当に立派だこと。ええ、分かったわ。さぁ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、カーラさん」
シンヴレスは寝室へ引き上げた。
ベッドに仰臥しながら考える。鬼はカーラさんを育てたいから指導に熱が入っているんだ。でも、その熱も、思わず、といった感じにも見えた。私が兵士で鬼が教官だったら似たような指導をされたのだろうか。
多少厳しくはなるが、骨が折れる程、木剣で叩いたり、大人げない真似はしないだろう。
大人げない? シンヴレスは己の脳裏を過ぎった言葉に引っ掛かりを覚えた。
鬼はどうして大人げない真似をしたのだろうか。それはシンヴレスの知る不動の鬼とはまた違う男の姿なのかもしれない。けれど、何故、そちらの道に切り替えたのだろうか。
駄目だ、分からない。あまり酷いようならアーニャにでも相談してみよう。
シンヴレスは目を閉じたのだった。




