婚約破棄されたぬりかべの令嬢、不眠症の公爵令息に「君はひんやりしてて寝心地がいいね」と惚れられる
「ヌリア・ウォール! お前との婚約を破棄する!」
伯爵家のデニス・アンバーはこう言い放った。
一方的に婚約破棄を宣告された男爵令嬢ヌリアは当然理由を問いただす。
「なぜですか!」
「だって……お前壁じゃん」
「壁ですわ!」
ヌリアは壁の怪物“ぬりかべ”の令嬢だった。
全身は黒に近い灰色の直方体。身長は2メートルほどでデニスより20センチ以上大きく、厚みは10センチほど。
ウォール家のぬりかべ一族はかつて敵国の侵略から国を守った功績から、怪物でありながら異例の爵位授与をなされていた。
事情をよく知らないデニスは「人間の貴族が兵を率いて国を守った」と認識していたようだが、本当に自らを防壁にして国を守っていたのである。
その兵力に期待して婚約話を持ちかけたデニスとしてはすっかり当てが外れてしまった。
「しかも、壁のくせに頭にリボンなんかつけやがって……。その申し訳程度の令嬢要素が余計腹立つんだよ!」
「私の精一杯のオシャレを……酷い!」
「とにかくお前みたいなのと結婚できるか! とっとと俺の前から失せろ!」
「ううっ……!」
ヌリアは短い手足を素早く動かし、その場から走り去った。
***
ヌリアはすぐさま父ヌリウスに報告した。
むろん、当主から正式にアンバー家に訴えてもらうためである。「壁だから」というあまりにも理不尽な理由で婚約破棄されたことは、厳重に抗議せねばならない。
しかし、ヌリウスは――
「まあ、仕方ないんじゃないかな、うん」
「なぜですか!」
「だってほらワシら……壁だし」
「壁ですわ!」
ヌリウスはヌリア以上の巨躯と頑強さを誇り、いざとなれば防壁となり、国のために我が身を捧げる覚悟を持っている。
しかし、平時には至って温厚で、弱腰だった。争わずに済むことなら済ませたいという性質の持ち主だった。
「伯爵家の人間からお前に婚約の誘いがあった時はおかしいと思ったんだよ。そしたら案の定だった。人間がぬりかべに求婚するなんて聞いたことない」
「お父様は国は守っても、私を守っては下さらないのね」
「いや、そんなことはないんだが……」
「もういいですわ!」
正式に抗議するという道も絶たれ、失意のうちにヌリアは自宅を飛び出した。
***
走り疲れたヌリア。
ヌリアも防御力には自信があるが、動き回ることについては苦手である。
その場に仰向けで倒れてしまった。
背中に土の感触を抱きつつ、ヌリアは独りごちる。
「私は所詮壁……ぬりかべ。ああ、このまま地面に埋もれてしまいたい……」
そのまま眠ってしまった。
起きるとすっかり日は暮れ、夜になっていた。
「私ったら! 眠ってしまったのね! はしたないことを……」
身を起こそうとすると、ヌリアは人の気配に気づく。
一人の人間がふらふらと歩いていた。男のようだ。それも身なりからしてかなり身分は高いことが分かる。
「誰かしら……?」
ヌリアは起き上がるのをいったんやめた。
歩いてきたのは銀髪で白い肌を持つ美男子だった。ヌリアは声を上げそうになるのをあわてて制する。
そして、その美男子はというと――
「眠れない……。今日も眠れない……」
どうやら眠れないので、夜の町をさまよっているようだ。
横たわるヌリアに、どんどん近づいてくる美男子。
やがて、向こうもヌリアに気づいた。
「なんだこれ……壁が倒れてる? だけど目や手足がある……」
ヌリアは黙っているのも無礼かと判断し、回答する。
「私、ぬりかべですの」
「へえ、ぬりかべ……。そういえばぬりかべという怪物でありながら爵位を得た一族があったが、もしかして君はその一族のご令嬢かい?」
「そうですわ」
こんな高貴そうな男が、ウォール家を認識していることが嬉しかった。
「君を見てたらなんだか……。初対面なのにこんなことを言うのは大変非常識だと思うんだが、頼みがある」
「なんでしょう?」
「君の上で寝てもいいかい?」
仰向けで横たわるヌリアの上で寝てもいいか、という頼みだった。
ヌリアとて淑女、これには戸惑ってしまう。
「頼む……。私は不眠症でね。色々と寝具を工夫してみたが、どれも効果はなかった。だが、君を見ていたらもしかしたら君とならば熟睡できるのではないか、と思ってしまったんだ」
ヌリアからすれば道具扱いされていると解釈してもおかしくない場面ではある。しかし、本当に辛そうな男の様子を見て、放っておくことはできなかった。
「いいですわ。私が役に立つかもしれないのであれば」
「ありがとう」
男はヌリアの上に横たわった。
ヌリアからすれば本格的に異性に触れられるなど、これが初めてだった。
「これが……殿方の感触なのね」
興奮を覚えていると、まもなく男はすやすやと寝息を立ててしまった。ヌリアにとっては忘れられない一夜となった。
***
朝になった。
初めての経験に高揚していたヌリアも、すっかり眠ってしまっていた。
ヌリアの上に横たわっていた男はすでに起きていた。
「おはよう」
「おはようございます」
男は笑顔だった。刺すように眩しい朝日がその爽やかさを引き立てる。昨晩の不眠に苦しむ姿は嘘のようだ。
「こんな清々しい朝は……何週間、いや何ヶ月ぶりだろう。これも君のおかげだ。君はひんやりしてて、実に寝心地がよかった」
どんな寝具でも熟睡できなかった男は、ヌリアの上だと熟睡できたようだ。ヌリアもなんだか誇らしくなる。
「そういえば自己紹介がまだだったね。私はレナード・オニキス。久しぶりの熟睡をプレゼントしてくれて本当にありがとう」
ヌリアは驚く。オニキス家といえば王国きっての名家、レナードは公爵令息だったのだ。
レナードは続ける。
「昨晩は非常識なお願いをしてしまった。だが、非常識を重ねることを承知で、君に申し上げたいことがあるんだが……」
「?」
ヌリアは首を傾げる。いや、首はなかった。
「私と婚約してもらえないだろうか?」
「ええっ!?」
いきなりの告白に衝撃を受けるヌリア。
「君の体に横たわった時、私は直感したんだ。ああ、この人こそ私の運命の人だと」
「人じゃなくて壁ですわ」
「私は毎晩のように君と寝たい。どうか、私と婚約し、これからも私と寝てもらえないだろうか」
毎晩君と寝たい。なかなかすごいフレーズが飛び出してきたが、ヌリアは躊躇してしまう。
昨日婚約破棄された件を思い出してしまう。
「せっかくのお誘いですけど、やはり人とぬりかべが結婚するだなんておかしいと思うんです。それに私で寝たいのであれば、結婚せずともできるはず。私があなたの元で寝具として働かせてもらえばいいのですから」
しかし、レナードは動じなかった。
「君は素晴らしい女性だ。運命の人と感じるほどに。私がそんな女性を寝具扱いするような、礼儀知らずの男に見えるかい?」
「いえ、そんな……」
「それに君はれっきとした男爵令嬢、そんな君を寝具扱いすれば、私の評判は地に落ちるだろう。婚約したいというのは私のためでもあるんだ。いかがかな?」
熱烈なアプローチを、ヌリアもついに受け入れる。
「はい……。私などでよろしければ……」
「ヌリア……!」
感極まったレナードはヌリアの体に飛びついた。
「ひんやりしてて……気持ちいい……」
***
ヌリアとレナードは正式に結婚した。
レナードは忙しい身であったが、ヌリアの上で眠るとあまりにも熟睡できるので、翌日に疲れを持ち越さずに済んだ。
「さあ、今日も君の上で寝かせてくれ」
「いいわよ、あなた」
レナードはヌリアの上に寝そべる。
「ああ、ひんやりしてて……たまらない」
「おやすみなさい」
愛する夫の安らかな寝顔を見て、ヌリアもまた幸せであった。
一方、ヌリアを婚約破棄したデニスもヌリアの寝心地が最高だという情報を入手する。彼もまた、かつてのレナードほどではないが寝つきの悪さで悩んでいた。
「まさかあの壁女がそんなに寝心地がよかったとはな……くそっ、寝具としてキープしとくべきだったか!」
こうなるとやることは決まってくる。
さっそくどこかの石屋から石板を購入し、それをベッド代わりにすることを試みる。
「これで俺もレナード様のように熟睡できるはずだ」
石板の上に横たわる。
「ごつごつしてるな……いや、きっとこれが体にいい影響を……」
そのまま眠ってしまう。
ところが、一夜経ってみると――
「寝違えたぁぁぁぁぁ!!!」
ろくに吟味もせず石板なんかで寝たものだから、完全に寝違えてしまった。
「首が曲がらねえ! 誰か治してくれぇ!」
治療を焦り、暇をしているインチキ整体師に依頼してしまい、デニスの首は右方向に曲がったままになってしまった。
これを完治させることは難しく、デニスは「首曲がり伯爵」という不名誉なあだ名をつけられるはめになる。
首の扱いには十分気を付けよう。
デニスのそんなあだ名が定着した頃、ヌリアとレナードにもいいニュースが入った。
「あなた……赤ちゃんができたわ」
「ホントかい!」
毎晩のように本当に一緒に眠っているのだから、当然そういう行為もしていた二人。
ぬりかべと人間の夫婦でありながら、子宝を授かることに成功した。
人とぬりかべの間に子供ができるなど史上初めてのことなので、不安視する声もあった。
だが、二人はヌリアの大きくなっていくお腹を嬉しそうに眺めていた。
数ヶ月後、子供が生まれた。
「元気な男の子ですよ!」
夫婦は喜んだ。
「見て、この顔。きっとあなたそっくりに育つわ」
「ああ、だけど体は君に似てとても頑丈だ」
二人の子供は姿形こそ人間だが、やや色黒く、肉体的にはぬりかべのような頑強さを備えていた。
ウォール家のぬりかべ一族も、オニキス家の一族も、子供の誕生を心から祝福した。
「この子の名前は……どうしよう?」
「そうだな……。君と私から名前を授けて、ヌリードというのはどうかな」
「いいわね、ヌリード! きっと素晴らしい子になるわ……」
やがてヌリードは逞しく成長し、兵を率いどんな敵軍をも跳ね返す「鉄壁の貴公子」と呼ばれるようになるのである。
おわり
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