08.*人類の生み出した悪魔の粉
********
40代の灰色の髪をした男は、突如現れたフェンリルに絶望した。
彼の名は、越境商隊を取り仕切る商隊長であるオズ。
長年このルートを往復しているオズだったが、フェンリルに遭遇したなんて話をこれまで聞いたことはなかった。
オズは思考を放棄したくなるほどの恐怖に晒され、現実を忘れて気絶したい気持ちに襲われていた。
だが、彼は自分がこの商隊を預かる者としての責任感だけで、冷静さを取り戻し指示を飛ばす。
「み、皆! 荷馬車は捨て、馬に乗れるものは馬に、残りは走って街にーー」
「アゥ”オオオオオーーーン!」
フェンリルの雄叫びが周囲を震わせた。
同時に、ズガガーーンという空気を割る音が響く。
皮膚を逆撫でする感覚に振り返ったオズだが、崩れ落ちる冒険者の姿が目に入り言葉を失った。
手練れの護衛冒険者を一瞬で薙ぎ倒し、悠然と近づく絶対的な死に、数人の商人達は逃げることも出来ずにその場に力なく腰を地につけた。
(絶対的な魔法耐性を持ち、分厚い毛並みは刃も通さない……。狼の王にして神獣……。こんな奴を相手にできるのは、選抜討伐軍や国軍ぐらいなもの……。我々はここで……)
オズはもはや逃げる気力も奪われ、ただただ絶望と無力さに打ちひしがれた。
だが、状況はオズの描いた悪夢とは全く違った方向へと動く。
商隊に乗客として乗っていた青年が、強力な”光魔法”を放った。
その光に、座り込む商人達は目を眩ませる。
(何を……する気だ……!?)
目の奥がチカチカとするオズだが、一直線にフェンリルに向かって走り出す黒髪青年の無謀さに驚愕する。
他でも無い、夜斗の後ろ姿だ。
「アオ”ォォォォォーーン!」
空気を震わす雄叫びの後、夜斗に雷撃が落ちた。
(ああ……。人はなんと無力なのだ……)
勇ましく立ち向かっても、卑屈に逃げても、等しく訪れる死にオズは失意した。
だが、突如爆風が届く。僅かに遅れて爆音がオズの耳たぶを打った。
((何がっ!?))
その場にいた皆にとって、理解の超えた何かが起きたことは明白だった。
オズの目に映るのは、雷撃を喰らって死んだはずの青年が何事も無かったかのように徐に立ち上がる姿。
反対に、絶対的な強者たるフェンリルがゆっくりと倒れる姿。
「……何が……起きたというのだ……」
「どういうことだ……」
オズの周りにいた商人も、その光景を前に、思考が空回りしていた。
「まさか、フェンリルを倒したというのか……」
「あの神獣を……たった一人で……ですか?」
「あいつは何者だ……」
「なんだ……今の魔法は……」
「やったか……?」
放心状態の商人達を取り残し、夜斗は2発目の爆発を起こして確実にフェンリルを始末する。
オズの頭の中にはフェンリルに遭遇した時と同様に……いや、それ以上に混乱していた。
(強力な魔法耐性を持つ神獣フェンリルを相手に、爆炎魔法たった一発で仕留めるだと!? そんなことが可能なのか!? 何が……どうなっている……!?)
そんな疑問に脳裏を占められたオズだが、夜斗が戻ってきて声を掛けた。
「皆さん、ご無事ですか?」
(……なんと……。圧倒的な力に加え、他者を気遣う度量まで持ち合わせているとは……)
冒険者は横柄なものが多い中、オズは夜斗の気遣いと腰の低さに驚く。
夜斗としては、音速を超える速度で四方八方に飛散したグレネードの欠片によって、死傷者が出ていないかの確認である。
30m近く離れているこの場所でも、運が悪ければ穴空きチーズになるかもしれないと思ってのことだ。
(尤も、それで死傷者が出ていても俺は無実を主張するぞ。不可抗力だ。俺のせいじゃない)
夜斗はそんな言い訳を心の内でしつつ、馬車に身を潜めて震える商人達の様子を見てホッとした。
「あの……。フェンリルは?」
若い商人が震えた声で恐る恐る聞く。
「ああ。心配しなくても確実に死んでるよ」
「あ、あなたが……やったのですか?」
「成り行きだがな」
驕ることもせずに、さも当たり前かのように答える夜斗の姿に、彼を見る者達は騒然とした。
「おい、マジかよ……」
「何者だよ、この人は」
「相手は神獣だぞ……」
「たった一人でフェンリルを……だと……!?」
「しかし、助かったのか?俺たち……」
「あ、ああ。助かったんだ。生きてる、俺たちは生きてるぞ。喰われずにすんだんだ!」
馬車の陰で怯えていた数人の商人達は、フェンリルが討伐されたと知って恐怖から解放され、心の底から安堵し歓喜した。
「わ、私は商隊長のオズだ。危険なところを助けていただき感謝する」
オズは夜斗の元に歩み寄り礼を述べた。
「ども、ヤトです。まぁアレは自己防衛の範囲内ですよ。お気になさらず」
先制攻撃は基本である。
下手に様子を伺って後手に回れば、夜斗としても自分の身が危うい。
「それよりオズ隊長。倒れてる冒険者達を」
「あ、ああ。治癒魔法が使える者は彼らを見てくれ」
「は、はい。自分が」
若い商人が走って行く。
「オズ商隊長。商隊はバラバラになってるようですが、この商隊はこれからどうするんです?」
夜斗はこの商隊の行く末を気にする。越境出来なければ他の手段を検討しなければいけないからだ。
「あ、あぁ……それなら心配ない。伝達狼煙を上げれば戻ってくるだろう。散った者達も、そう遠くまでは行ってないはずだ。みんな、手伝ってくれ」
内心乱れて全てを忘れ酒に溺れない気分のオズも、商隊を預かる身として指示を飛ばす。
その様子を見て
(流石は越境商隊だな……)
と、夜斗も安堵するのだった。
〜〜〜
「まさかフェンリルを倒すなんて……」
馬車に戻って一息付く夜斗に、エレナは今でも信じられない感情から率直な感想が漏れる。
「言ったろ。生態ピラミッドの頂点は人間だと」
夜斗は積み込んだ食料から夕食を取り出しながら、これがさも既定路線だと言う風に返した。
「生命の……三角形? なんですか?それは」
夜斗の言葉は時たまエレナには伝わらない。概念形態が違えば当然である。
「あー、まぁなんだ。ざっくりいうと、人間が全生物の中で頂点。異論は認めない。そゆこと」
簡潔かつ傲慢極まる夜斗の持論を展開する。
「せ、生物最強は竜種ですよ!?」
エレナは夜斗の暴論に異を唱える。
人類すら足元にも及ばない世界の覇者。
その強大さは、どんな寓話にも綴られていた。だが……。
「体の強さで強者弱者が決まる世界にいる時点で、人間相手に敵うわけないだろ。君ら現生人類の常識は知らんが、空飛ぶトカゲ風情が人間より上とか笑わせないでくれよ」
夜斗はそう笑いながら夕食の準備を始めた。
エレナには、夜斗の冗談はどこまで冗談なのかは分からない。
全て冗談なのか、それとも全て本気なのかすら。
それほどまでに、夜斗の発言は常識から逸脱しているのだった。
「超古代文明人は、フェンリルやドラゴンをも狩っていたとでもいうのですか……?」
エレナは目の前の底の知れない超古代文明人に対して、興味を通り越して恐怖すら感じる。
「いや、俺たちの時代にはいなかったからな。ま、いたとしても人に仇なすなら害獣として処分してただろうけど」
何気なく、さも当然かのように答える夜斗に、エレナは目の前にいる彼は自分たちとは明らかに違った歪な存在であると実感する。
「……先程の爆裂魔法のようなものが、古代文明人である人間の力……なのですか? あの力で神獣をも……」
「ははっ」
夜斗は笑った。
「根本的に、君たちは勘違いしている」
「勘違い……ですか?」
「ああ。体が大きければ強いとか、魔法力が高ければ強いとか、剣技に長けていれば強いとか。そんなものは石器時代までだよ」
「……セ、セッキ?」
「強さとは、目的を遂行しうる力だ」
「目的を……遂行しうる力……? ですか?」
夜斗は頷く。
「そ。手段を模索し、あらゆる手を尽くして目的を達成しようとすることこそが人の強さだ。そして、これはその成果の一つにすぎない」
そう言って、夜斗は鞄の中からガラス瓶に入った白い粉をエレナに見せた。
「これは……? 塩……ですか?」
「古代文明人の叡智の結晶にして、……悪魔の粉だよ」
火薬の原料となる硝酸カリウム。
夜斗が探し求めた天然の硝酸塩鉱物は見つからなかった。
言葉の壁と、この社会での鉱物資源への理解が遅れていることも重なり、入手には至らなかった。
そこで、夜斗は原始的な古土法による採取によって得た貴重な戦略物資だ。
とは言え、夜斗自身が何かしたわけではなく、帝城で幽閉されている時に「古い家の下にある土が古代文明遺産制作に必要」と言っただけではある。
古土法とは、日本でも火薬の入手のために戦国時代に用いられていた方法で効率は悪い。だが、護身用として最低限の量は確保できていたのが、今回功を奏した形となった。
「これがあの爆裂魔法の触媒なのですか?」
エレナは物珍しそうに白い粉を見つめる。
「触媒ってか材料ね。これに色々混ぜて、火薬を作る。火薬は爆裂魔法と似たようなことは出来るからな」
硝石7:硫黄2:炭1の割合で出来る黒色火薬は、硝酸カリウムさえ手に入れれば誰でも作れる簡単な便利アイテム。
夏夜で愛でる花火の灯火から、気に食わない相手の爆殺まで。
「巨大な魔法石を触媒にした極大魔法でも、フェンリルの強力な魔法耐性と”魔法防殻”を破ることは難しいと聞きます……。こんな粉でフェンリルを倒せるなんて、信じられません……」
エレナは到底理解できない。
「”魔法防殻”? あぁ、魔法攻撃を霧散させる全身を包む膜みたいなやつのことか? 関係ないよ。火薬の爆発は魔法ではない。科学的なプロセスを踏んだ物理現象だ」
「ブツリ現象……?」
「そ。発火すると、酸化剤である硝酸カリウムの持つ酸素が、木炭と硫黄に結びついて燃焼し、最終的に二酸化炭素と窒素気体、それに熱を発生させて瞬間的に膨張し、爆発現象を引き起こす。その爆発で同梱する鉄球を音速近くまで加速させ、フェンリルの脳天を撃ち抜く。至ってシンプルで、物凄く凶悪な方法だろ」
「……」
戦争の死因の多くは、銃によるものではない。
第1次世界大戦の死因の7割は爆発による破片によるもの。
第2次世界大戦では、8割を超える。
銃なんてものよりも、殺傷性においては榴弾に勝るものはない。
そして何より、銃のような複雑な構造物より簡単に作れる。
だからこそ、夜斗はその手法も製法も事細かには言わずに言葉を濁す。
「だから、旧人類の叡智の結晶にして、……悪魔の粉なんだよ」
夜斗は瓶を鞄の奥底へとしまって、そう言うのだった。
********
次話 『新しい仲間』
下の☆☆☆☆☆から作品への評価ができます。
感じたままで構いませんので、よろしくお願いいたします。