61. 百聞は一見に如かず
百聞は一見に如かず。
侯爵との面会からひと月たった今日。
俺達は、街外れにある工房を訪れていた。
俺とシルファとエレナの他に、今日はラングフォード侯爵とシャル姫とミリア嬢。それにお付きの護衛達。
「なんのだよ……。これは……」
工房の裏手に設けられた空き地……正確には、エレナが札束で更地にした場所に静かにたたずむ、流線形の巨大な風船を見上げながら侯爵が口にした。
この世界の住人には分からないだろうが、現代人が見ればすぐに分かるだろう。
これが飛行船だということは。
理論上は4人乗りの横に30mある巨大な風船。
「来たかい? 待ってたよ」
既に工房にいた作業着姿のクレオスが出迎える。
「ちょっと! 何これ! 凄い凄い! ねぇ、浮いてるわよ! お父様! 浮いてるわよ!」
係留ロープに繋がれながらも、地面から離れて浮かぶ飛行船に大興奮のミリア嬢。
シャル姫は、ただ瞬きを忘れた様に見入っていた。
「これは……」
侯爵の呟く疑問に、俺は簡潔に答えた。
「熱飛行船といって、熱して軽くなった空気を集め、空を飛ぶ船ですよ」
説明が適当だが、目の前に実物があれば説明なんて不要だろう。
熱飛行船。
熱気球とほぼ同じ原理で浮力を得るが、推進力を備え付け、気球と異なり移動を前提としているため、空気抵抗の低い流線型。
旧文明での発明は20世紀となってからで、熱気球よりも200年以上遅く、そして普及はしなかった。
理由は単純で、当時の球皮は布製で重く、推進装置も発展途上で風で流されることも多い。
すぐに燃料なしで浮力効率も高いガス飛行船が開発されたから、脚光を浴びることもなかった。
だが、この世界では価値がある。
ヘリウムの入手は難易度が高い。
だが、魔石という都合のいいアイテムがあるため、燃料効率なんて考えなくていい。
重量の問題も、前回の熱気球の様に絹の帆布を使わず、もっといい素材が手に入ったのだから。
「これは……。布……? いや、膜の様な……」
護衛の兵士が、危険なものではないかと近付いて調べている。
彼らにとっては、初めて見るものだろう。
そして、分かるはずもない。
重量当たり鋼鉄の5倍の強度を持つ、ポリアミド結合のアラミド繊維だということも。
◇◇◇
石油が手に入ったことで、フェノールが作られた。
フェノールとホルマリンとアルカリで、人類初の合成樹脂ベークライトが、再びこの世界に誕生した。
プラスチック第一号を皮切りに、アセチレンと塩素で塩化ビニル。
尿素とホルマリンからユリア樹脂を。
エチレンとベンゼンからスチロール樹脂を。
他にも、メラニン樹脂。酢酸ビニル樹脂。メタクリル樹脂。ポリエチレン、ポリアミド、ナイロンなどなど...。
優れた合成繊維が、絹や麻とは比較にならない速度で作ることが可能となったのだ。
軽くて丈夫で耐熱性のある、21世紀で実際に飛行船に使われる様な素材さえも。
◇◇◇
今日は最後の試験飛行だ。
飛行船の下部に吊り下げられた箱物に、雇われたパイロット冒険者が乗り込むと、飛行船は係留ロープから離れて空へと上がった。
「凄い!」
ミリア嬢が叫ぶ。
「凄い! 凄い凄い凄い! 飛んでる! 本当に飛んでるわ!」
「おぉ……。おぉ、こんな……ことが……」
興奮するミリア嬢とは反対に、言葉にならない様子で空を見上げる侯爵。
巨大に見えた飛行船が、城壁を越えて南の森の空に小さく消えて見えなくなるまで、見物に来た侯爵達はずっと見ているのだった。
「……ヤト様は、あれに乗って海の向こうへ行くおつもりですか……?」
今まで言葉を発することなく眺めていたシャル姫が、俺の近くに来て尋ねる。
「ああ。とりあえずね」
「私には到底理解できない代物ですが……」
呆然と息を飲みながらシャル姫が言う。
原理は単純だ。熱気球に推進装置と舵を付け足したぐらい。
推進力は蒸気機関で動くプロペラ。
ーーとはいえ、こんなものは蒸気機関とは呼べないんだよなぁ。
本来であれば、スターリングエンジンにワルシャート式開閉装置を使って、往復運動をスライダークランクで回転運動に変換する仕組みに、蒸気を冷却して水に戻して循環させる機構を作るべきだろう。
ーーだけど、エネルギー密度をガン無視したご都合アイテムの”魔石”があるんだし、燃費も循環も考える必要ない。
一箇所に穴の空いた金属容器に、”水魔石”と”炎魔石”を放り込むと、穴から気化膨張した水蒸気が高圧で噴き出す。
これだけで、イカサマ蒸気機関の完成だ。
ーー作動流体の水も、蒸発に必要な燃料も、魔石からいくらでも補充できるわけだしな。あとは発生した蒸気圧をテスラ先生発案のクロスフロー蒸気タービンで軸出力に変えてプロペラ回せばいいだけ。なんたるイージーゲーム。
「危険はないのですか?」
シャル姫の言葉に一瞬悩む。
球皮を二重構造にしたり、予備動力を積んだり、舵のサブワイヤーをつけたりとバックアップは整えてる。
だが、空を飛ぶ時点で危険が無いわけではない。
それでも俺が実行に移せるのは、シルファという最強の存在が控えているからだ。
「ま、心配はないかな。少なくとも、見た目以上には安全だよ」
俺はそう答えておくことにした。
南の空を未だに眺めている侯爵の隣に立つ。
「侯爵閣下。こちらの手札は見せました。ので、交渉していただいても?」
「……交渉?」
現状、俺が「海の向こうに陸地があるのを見た」なんて言ったところで信憑性はない。
それどころか、アストラ神書を否定する内容を流布すれば、教会が黙っていないだろう。
事実を羅列して納得してくれるならいいが、最悪、目障りだと中央教会の異端審問官に消される可能性もある。
ーーというか、クレオスから教会の話を聞く限り、十中八九そのパターンになりそう……。
だから、教会も手が出せない方法を用意する必要がある。
手っ取り早いところで言えば……。
「ラングフォード領に協力要請です。お題目は、『共同海洋調査』なんてどうです?」
俺たちが飛行船で海洋調査に出かけると、”偶然たまたま海の向こうに陸地を発見した”という筋書きだ。
無名な男が何を語っても、妄言だと片付けられる。そして、教会に目をつけられたらば面倒なことになる。
だが、そこに権力のお墨付きが得られれば……。
「ま、待ちたまえ。例え私が『果ての海の向こうに大地がある』と言っても、きっと受け入れられないのだよ。それに、辺境の侯爵家がそんなことを発表すれば、教会から破門されておしまいなのだよ」
「でしょうね」
国境を越えて存在するアストラ教会にとって、いち侯爵家を潰すことは造作もないだろう。
破門された領主が領民の支持を失って、失脚する事例は実際にある。
良くも悪くも、民の信仰を集めている教会というのは、巨大な権力機構なのだ。
「ですが、巨大な権威には相応の権力を当てればいいだけです」
「どういうことかね?」
「侯爵閣下には、その調査報告を国王の耳に届け、そして、しかるべき調査団引っ張って来ていただきたいのです」
「……なるほどなのだよ。私はあくまでも、陛下の威信を取り付ける繋ぎ……ということかね。確かに陛下の信託を受けた正式な調査団の発表なら、中央教会も揉み消せないと思うのだよ……」
ーーそゆこと。俺が直接国王に話を付けれたらよかったんだがな……。残念ながら、謁見を申し込むツテはラングフォード侯爵以外にない。
侯爵は「ううむ」と納得した様子で腕を組んで頷いた。
「それで、交渉というからには私がその危険を冒すほどの見返りに、何かしらの利益が見込めるのかね?」
片目だけ開いて、俺を見定める様な視線を送る。
「ことが済んだらあれを差し上げますよ」
俺はそう言って、南の空から戻ってくる飛行船を指差しながら言う。
「なっ……。本気かね?」
俺はその反応で、既に侯爵との交渉が成立したことを確信して「ふっ」と口元を吊り上げるのだった。
次話 『伝説の大地へ』
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感じたままで構いませんので、よろしくお願いいたします。




