06. フェンリル襲来
俺たちが乗った越境商隊は、順調に国境を目指してを進んでいた。
夕刻。
河原で馬車が円陣に組まれ、御者が俺たちに教えてくれた。
「お客さんら、今晩はここで野営だべ。ここらは街がないだべよ。だから今夜はちっとばかし緊張の夜だべ」
帝都周辺では定期的な間引きや、”魔除けの木”などの効果もあり、比較的に安全が確保されていた。
だが、この世界の野外というのは基本的には死と隣り合わせの危険地帯。
特に、夜は凶暴な魔獣の活動も活発になる。
「ま、護衛の冒険者が5人もついてるべ、心配するこたぁねーけどなぁ」
ーー冒険者か。
魔獣を狩ることを生業にする者達を、そう呼んでいた。
この世界で最も死亡率の高い職種と言われている。
「どうかしましたか?」
思い耽る俺の顔を覗き込んで、エレナが俺に尋ねた。
「いや、冒険者なんてよくやるもんだと思ってな」
ーー俺なら絶対お断りである。金に困っても命の安売りをする気はない。
「『後悔する冒険者はいない』ですよ?」
「ん? なんだそれ。格言か?」
この世界で2年。大陸共通言語での日常会話には慣れたが、諺や格言にはまだまだ疎い。
「ブラックジョークです。『冒険者になりたい奴は沢山いる。だが、冒険者になって後悔した奴はいない。なぜなら後悔する冒険者はこの世にいないから』というものです」
「……なんだそれ……ブラックすぎるだろ……」
この世界での人の命の軽さに苦笑も浮かばない。
「大丈夫ですよ。この辺りは原生林から離れているので、滅多に魔獣の襲撃はないと聞きます」
「ふむ」
「それに、わざわざ越境商隊規模を襲おうとする魔獣なんてよっぽど凶暴な魔獣ぐらいですから」
「お、おい待て……」
俺は得意げに語るエレナを制止しようとする。
「そんな凶暴な魔物に遭遇することなんて滅多にーー」
「やめるんだエレナ……」
俺の突き出した手を不思議そうに見るエレナは、首を傾げた。
「そういうの、フラグって言tーー」
「ピーーーーーー!!」
突如、警笛が鳴る。
「敵襲ーーー!!」
直後にそう叫ぶ男の声が聞こえた。
その言葉に俺は眼精疲労を起こしたように、目頭を摘んで首を振るのだった。
「お、お客さんら! 敵襲でっせ。護衛陣形をとるので中央にお早く!」
流石は慣れた越境商隊である。
十数人の商人たちは、馬車の影に身を潜めながら短剣を構えている者もいた。
俺たち二人もそこに加わり、身を潜める。
「敵は?」
俺の問いに、若い商人が答えた。
「ウォーウルフですね、はい。数は10匹ほど……。今、前方で冒険者達が戦っています」
「勝算は?」
「我が商会の専属です、はい。腕利きなので心配ないかと。取り逃しがこっちに来るかもしれませんので、隠れていましょう」
馬車の陰から目だけだして様子を伺う。
夕暮れ時の今。30m程離れた先で、狼に角が生えたウォーウルフと呼ばれた魔獣らが、赤眼を鈍く光らせて5人の冒険者と戦っていた。
ーーあれが冒険者か。
剣や盾、弓や杖を持つ5人の冒険者達が、ウォーウルフに包囲された中で奮戦している。
身のこなし、連携、武器の使いから牽制に至るまで、素人の俺が見てもプロの所業だと感じられる。
体操選手並みの身体能力、剣豪並みの剣技、卓越した動体視力と、研ぎ澄まされた反射神経。
それが”身体強化”という魔法の成せる技なのだろう。
全ての面で一流を極めた動きを繰り出し、魔法を使いながら次々と倒していく。
ーー我々人間も遥か昔にはマンモス相手に戦ってた訳だが、素の戦闘力はここまで高くはなかっただろうな……。
そんな感想を漠然と抱いていると、冒険者の放った魔法が最後の一匹を仕留めた。
戦闘は終了したようで冒険者は納刀してこちらに歩いてくる。
「いやぁ、流石はA級冒険者だ」
「ですな。専属護衛は心強い」
隠れていた商人達にも、安堵の空気が流れる。
だが、こちらに歩いてくる冒険者が、急に抜剣して振り返った。
ーー??
俺は彼らが振り返った先に視線を送る。
ーーなんだ……アレ……。
そこには、遠近感が狂った様な狼が見えた。
ーーいや、違う……。
遠近感が狂った訳でもなく、距離を見誤った訳でもない。
その狼の姿をした”何か”が、とてつもなく巨大なのだ。
「あれは……フェ、フェン……リ……ル……!?」
商人の一人が震える声で呟いた。
ウォーウルフと異なり、その背丈は人の数倍ある。
銀色の毛並みを揺らしながらこちらに真っ直ぐ近づく姿に、俺は目を見張った。
「くそっ! どうするリーダー!!」
冒険者の一人が顔を歪ませて叫んだ。
「……俺たちじゃ敵わん。全力で街まで走れ! 俺たちで時間を稼ぐ!! ”身体強化”! ”魔法防殻”! いくぞ、ラッシュ! リア、牽制しろ!」
「お、おう!」
「援護するわ!」
冒険者達は商人に逃げるよう端的に伝えると、その巨大な狼に挑んでいく。
ーーこんな魔獣がいるとはな……。
周りの商人達の怯え切った表情から、かなり恐ろしい相手なのだろうとは察する。だが、そんな恐怖をものともせずに武器を手に立ち向かう冒険者の後ろ姿は勇ましくも見えた。
「み、皆。荷は捨て馬に乗れるものは馬に、残りは走って街にーー」
「ア”ォ”ーーーーン!!」
商人の一人が声を無理して張り上げながら、指示を出そうとした瞬間。周囲を震わせる音量で、雄叫びが聞こえた。
その直後、ズガガーーーンという空気を切り裂く雷鳴が轟く。
ーー!?
その音で咄嗟に振り向いた俺の目、煙を漂わせて崩れ落ちる冒険者の姿があった。
ーー落雷!? いや、魔法か!?
魔法戦というのは俺にはよく分かっていない。
だが、”魔法防殻”を張った人に対しての魔法攻撃は、威力が激減する効果があるのは知っている。
つまり、あの巨大な狼は、それをも上回る威力の魔法を繰り出したのだろう。
「う、うわぁぁぁぁぁ!!」
「に、逃げろぉ!!」
その轟音に、この場にいた全員の時間が動き出す。
散り散りに逃げる商人に、腰を抜かして動けない商人。
フェンリルと呼ばれる巨大な狼は、一撃で力の差を見せつけたのだった。
「ヤ、ヤトさん! 逃げましょうっ!」
エレナが俺の服の裾を引っ張る。
「逃げる?」
「逃げなきゃ殺されちゃいますよ!……逃げ切れればですが……」
「ふむ……」
ゆっくりと一歩一歩近づく巨大は、絶対的な力と世界を支配するかのような風格。
我が物顔で大地を歩き、俺たちを餌としか見ていない眼光が揺らいでいた。
「……ちと癪に触るな」
「ぇ……!?」
主語のない言葉は、エレナには伝わらなかったようだ。
俺は言い直す。
「獣風情を相手に、逃げなければいけないというのは癪に障る」
「あ、相手は神獣ですよ!? 早く逃げないとーー」
「知ってるか? 害獣と益獣の違いは、人間にとって害か否かだ。俺に牙を剥いた時点であいつは害獣だ。エレナ、身を隠してろ。絶対出るなよ?」
「な、何をする気ですか……!?」
「食物連鎖の正しい形を教えてやる。生態系ピラミッドの頂点は人間様だとな」
俺はエレナの掴んだ手を振り解き、徐に立ち上がった。
「ヤ、ヤトさん……何を……笑っているんですか……?」
エレナは怯えた表情で下から見上げて言った。
その言葉に、俺の口角が釣り上がっていることに気付く。
アドレナリンが出ているのだろう。
無意識のうちに、俺の恐怖心は興奮で上塗りされていた。
「害獣は処分する。これは確定事象だ」
俺は高まる鼓動に歯止めをかけることなく、狂った生態系ピラミッドの頂点を奪い返すべく奮い立つのだった。
次話 『害獣退治』
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感じたままで構いませんので、よろしくお願いいたします。