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58. エレナの敏腕な交渉

 シルファのおかげで原油が手に入った。

 クレオスと鍛冶屋の尽力で、荒削りなところもあるが蒸留塔が完成した。

 エレナも、精製を代行してくれる商会との交渉に奮闘中。


 ーーここまで俺の存在価値無し……。


 と、一瞬脳裏によぎる虚しい感想は考えないことにする。



 怠惰で惰眠を貪る旧人類の伝統を引き継いで、太陽が真上に昇り切ったあたりでベッドから這い出る。


 ーー俺的に今日は休日だし。

  と言い訳をしつつ。


 現生人類の安息日は週に1日しかない様だが、俺は旧人類の誇りと威厳をもってしっかり週休2日を所望する。



 朝の身支度を済ませて一階に降りると、応接室で話し声が聞こえた。


 部屋の中からはエレナの声と男の声。


 ーーおや。クレオスは改良版の蒸留塔製作のために昨日から出てるし、商会との商談かな?


 最近、エレナは忙しそうに書類にペンを走らせている姿を見る。

 彼女はいつも、俺の無茶振りにも「任せてください!」と満面の笑みで応えてくれる。


 それは頼もしくもあり、そして不安でもある。


 人生とは、適度に手を抜いていいものだ。

 彼女みたいなタイプは、限界まで一人で努力しようとする。


「土曜日は休日だって言ってんのに……。」


 そう言う心の内は、実は自分だけ昼まで寝ていてエレナを働かせていることに対しての負い目から来るものだったりする。


 そもそも、俺が使う薬品系の調達や、資金や帳簿管理だけでなく、他商会との交渉や調整なんかもすべてエレナに丸投げしている俺が原因と言える。


 よく言えば、彼女ならやってくれるという信頼から。

 悪く言えば、こき使っているとも言う。



 ーーこ、これがブラック企業というやつか……。


 突如襲う罪悪感。


 ーーたまには手伝わないと顰蹙ひんしゅくだよな……。


 と、俺は安直な罪滅ぼしに出るのだった。



 〜〜〜


 コンコンコンッ



「ヤトさん?」


「おぅ、エレナ。コーヒーをいれてきたよ。」


「あ、ありがとうございます。」


 ティーカップの乗ったトレイを受け取りながら、彼女は小声で呟く。


「ヤトさんがちゃんとしたカップで用意するなんて驚きです……。」


 ーーお前は俺が客人にまでビーカーコーヒーを出すと思ってんのかよ……。そもそもアレは食器として使ってるやつだし。


 たまに俺が入れるお茶の安全性を訴えたいところだが、客人の前だから自重する。


「俺も同席しても?」


「はい。紹介しますね。」



 部屋の中にいたのは、この街で油屋を営んでいるという30代の小柄ながらも腹の出た男。

 名をルイルオというらしい。


 気温は暑くはないが、顔から滲み出る脂汗は、油屋だからだろうか……。



「俺はヤトとーー」


「存じてまっせ。ラングフォードの大英雄。」


「あー……。知ってくれてるようで何よりだ。」


「ほんで、なんで英雄殿がここに? エレナ殿とどないな関係で?」


「ど、どどどのようなって……。それは、その、別にそんな特別な関係ではーー」


「端的に言えば雇用関係かな。……多分相当真っ黒な……。」


「ん? ……黒? そうでしたかい。ほんじゃま、改めてよろしくですわな」



 俺がエレナの隣に座って、商談が再スタートする。


「ーーという形でお願いしたく思いまして。」

 エレナの言葉を「うーむ」と唸りながら聞くルイルオ。


「そうですわなぁ……。魅力的な商談やと思うんですけどなぁ、当家は4代続くこの街イチの油屋ですさかい。この街の人らにロウと油を届けるのが何よりも優先ですのや。片手間にできるもんじゃないなら厳しいですわな。」


「では、報酬を10%上乗せします。それから、当該事業で発生した損益補填を折半するという条件もお付けします。」


 ルイルオはエレナの提示条件に、腕を組んで再び「うーん……。」と喉を鳴らす。


「追加で必要な人材の雇用費も付随費用もこちらが負担するということでいかがですか?」


「すんませんなぁ。この仕事は人を雇っても即戦力にはなりまへんし、200%上げてもろうとトントンですわ。」


「200……。それはいくらなんでも……。」


「分かってますて。そんぐらい、当方にも難しいっちゅーことですわな。額の問題じゃありゃせんからなぁ。」


「そうですか……。少々お待ちください。」


 エレナが席を立って壁際の机に向かう。



 交渉は難航しているのだろうか。


 エレナがこの油屋に、石油の精製を依頼しようとしているのは分かる。


 餅は餅屋に、ということだろう。


 カネに糸目をつける必要はないが、逆に言えば、難航する理由が金額以外の要因となるとお手上げだ。



「すんませんなぁ。当方も得体の知れないモンを扱うってリスクってのを考えると、美味しい話でも二の足踏んじまうんですわな。職業柄、慎重さがいりますねん。」


 ーーなるほど。


 この社会ではまだ認知すらされていない石油。それを扱うのだから当然の判断だろう。


 ーーエレナを手助けしようと同席してみたものの、これはお手上げ案件か……。



「お待たせしました。」


 エレナが高級そうな黒鞄を持って席に戻る。


 そして、いくつかの用紙を机の上に差し出した。


「ご無理をお願いしているのは承知していますので、この様な形で貴店を支援させていただく用意は整っておりますが。いかがでしょうか。」


「ふむ。……ふ……む? おぉ!? な、な、な……。」


 差し出された書類を読むルイルオの手が段々と震えてくる。

 食い入る様に数枚の用紙に目を通した後、バッと視線をエレナに移した。


「こ、これは……。いんや、どうして月影商会の保証枠が……!?」


 明らかに動揺したルオルイの口から出る単語に引っかかる俺は聞き返す。


「月影商会?」


「はいな。今商人の間で騒がれてる商会のことでっせ。店を持たない商会、存在しないのに存在する商会、それはまるで、月に見える影の如く……なんて。」


「当組合は、商会ではありませんよ? 商会の垣根を超えた相互保証組合です。」


 エレナが彼の説明を訂正する。


「「え?」」


 ルオルイと俺の声がハモった。


「僭越ながら、代表代理を務めさせていただいてますので、多少の融通は効くのですよ? 貴店のご期待に添えれば良いのですが。」


 エレナはそう言って微笑んだ。


 ルオルイは一層顔に脂汗を浮かべて表情を固まらせる。

 俺も同じ様な顔をしていたかもしれない。



「この条件でよろしければ、こちらにサインをお願いいたします。」


「これは……。こっちとしては願ってもないことですわな。飛びつきたいぐらいですわな。せやけど、ええんですかいな? 明らかにあんさんが損しはりますで?」


「ご心配には及びません。広告費とみれば、これは損失ではなく投資ですから。」


「……? まぁ、あんさんが良きならええですわな。よろしく頼んます」


 ルイルオは手慣れた手つきでいくつかの書類にサインすると、「ほな、失礼。」と満面の笑みで屋敷を出ていくのだった。



 取り残された様な気分の俺。


 交渉は成立したっぽい。結局、何がどうなったのかわかっていない件。


 ーーというか、月影組合って何!?



「えっと、エレナ……。」


「はい。なんですか?」


「つ、月影商会の調子はどうだ?」


「もう、ヤトさんまで……。今は組合ですよ?」


「あ、ああ。そうだったな……。」


 謎の知ったかぶりをする俺。『ナニソレ』なんて言える雰囲気じゃないのはなぜだろう……。


 ーーというか、エレナも「知ってるでしょ?」みたいな対応しないで!?


「調子は順風満帆ですね。シャルも手を回してくれてますし、商業ギルドから資産証明も頂きましたし。」


「そ、そうか……。それはよかった。」



 ーー「そうか。それはよかった。」じゃねぇよ。どゆこと? 俺の知らないところで何が起きてるの!?



 ◇◇◇


『月影商会』

 俺がその名を最初に口にしたのは、まだミトレス商業都市にいた時のこと。


 丁度、資金が必要ということで、ベーキングパウダーや人工甘味料を合成しようとしていた頃だ。


 商会や錬金術ギルドから素材を購入する時に、一個人として購入するより、商会として大量購入した方がコスパも効率もいい。何より、”信用”がある。


 そのために、俺とエレナは『月影商会』という架空の商会を、商業ギルドに登録して立ち上げた。


 以来、気にすることもなかった。


 小規模商会の年間登録料はしれてるし、稼働してない架空の商会だから納税義務もない。


 使ってないサブスクリプションを退会していないだけの様なものだ。


 ◇◇◇



 ーーそれが、いつの間に何がどうなってんの!?



 俺はなんとも言えない気持ちで、どうやってエレナに月影組合のことを聞こうかと頭を悩ませるのだった。

次話 『月影商会』


下の☆☆☆☆☆から作品への評価ができます。

感じたままで構いませんので、よろしくお願いいたします。

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