#8 異変
「おい剣士!ゴブリンがそっちに行ったぞ!」
「なんだって!?クソッ、そんなところにもいたのか!」
賢者ブルーノの指示に、思うようについていけない剣士コンラーディンが悪態を吐いている。いつもならば、瞬足でゴブリンなどあっという間に蹴散らしていたはずの剣士が、苦戦を強いられている。
「おい、コンラーディン!どうした!?いつもならアリ一匹逃さねえお前が、どでかいゴブリンの接近を抑えられていないじゃねえか!」
ライナルトのやつが、剣士をけしかける。が、ゴブリンの群れは、いつになくパーティーに迫る。剣士が、抑えられない。
「クソッ!ゴブリン相手に、我が魔導を使わなきゃならねえとはな!」
ライナルトが、杖を構える。目前に現れたこの魔導師目掛けて、ゴブリンらが群がる。
「炎の神、プロメーテウスよ!火の精霊を束ね、我らに仇なす巨悪を撃滅せよ!」
まさに火の魔導師が、ゴブリン共を灰塵と化すべく、自慢の魔導を放つ。杖の先から放たれたその火の球は、ゴブリンの群れの前で止まる。
そして、辺り一帯を火炎に染めて、森の木々ごとゴブリンを葬る……はずだった。
が、その火炎の爆裂が、不発に終わる。
群れの一部が、その業火に晒されて消し飛ぶ。が、いつもならば火龍すらも貫くほどの爆風が放たれるはずの魔導が、今はおとなしい。
このため、多くのゴブリンを止めることができない。
「火球攻勢!」
ブルーノのそばまで、ゴブリンが迫る。あの賢者は戦術は得意だが、魔導は初級を嗜む程度だ。その初級の火魔導で、ゴブリンの接近に耐える。
剣士コンラーディンも奮戦を続けるが、一向にその勢いを抑えられない。ライナルトは続けざまに、王国最強の火魔導を放つ。が、やはり爆裂が起こらない。
焦る。私は大剣を振り、迫るゴブリン共を切って捨てる。この程度の下級魔物には、剣の刃先だけで対処できる。が、今までの戦闘で、私が剣を振るうことはなかった。
何かが、違う。
などと考えている間にも、魔物らは攻勢を強める。そして、ついに火龍が現れた。
いつもならば、最初の1匹目をライナルトの火魔導で食い止める。仲間が怯んでいるうちに、私の白銀爆炎を喰らわせて、この魔物に汚れた森ごと、吹き飛ばすというのがいつもの戦術だ。
だが今日は、そのライナルトが魔力をほとんど使い果たしてしまった。もはや、いつもの戦術は効かぬ。
「放つぞ!」
狼狽する仲間に、私は言い放つ。もはや、こやつらに頼るわけにもいかぬ。ゴブリンも火龍も、我が魔導にて消し飛ばしてくれる。
ゴブリンの一団を切り捨てた後に、私は真上にその大剣を構える。そして、意識を剣先に向ける。
私の魔導は、詠唱が要らぬ。
そんなものに頼らずとも、白銀の光が森の空気に作用し、大陸一の破壊魔導を引き起こす光景を思い浮かべることができるからだ。
そして私は、その最強なる魔導を魔物共に放った。
猛烈な白銀の爆炎が、目の前に立つ。
その光と熱は、ゴブリン共を消滅させ、火龍らの身体を引き裂く。
辺りの木々は強風に晒されたススキのようになびいたかと思えば、その熱によって氷の如くこの空気の中に溶け入る。
その光が止んだ時、我らパーティーを襲う魔物どもの姿は無くなった。
「……さすがだな、やったのか?」
だが、その光景を目の当たりにして、私は愕然とする。
なんだ、これは……
そう、いつもならば、視界の果てまで見える森の木々が、ほぼ全て刈り尽くされたかのように消え去り、大地には巨大な窪みができ、そして焦げた大地が延々と続く光景が広がっている、はずだった。
が、今、眼前にあるのは、せいぜい10ヤルデ(=9メートル)ほどの大地があらわになっただけ。周囲の木々は、そのほとんどがかろうじてその場に立っている。
おかしい、いつもと比べて、まるで力が発揮できていない。
これでは、エスタード王国より召喚され、魔物らと対峙したばかりの頃の威力にまで、落ち込んでいるではないか。
賢者に剣士、それに火の魔導師も、私のこの力の変化に気づいたようだ。
辛うじて魔物を退けたものの、我々、王国最強パーティーに起きた異変に、動揺を隠しきれない。
◇◇◇
黒光りするこの四角い粒は、チョコレートというそうだ。
それは甘美な味と、その覚醒の作用ゆえに、魔族らの間でももてはやされた王道の間食であるという。
加えて、私は出された紅茶を頂く。茶の持つほんのりとした苦味が、あのチョコレートの持つ甘い味に干渉し、口の中に絶妙なる快感を私に残す。その余韻に浸りながら、私は今の生あることへの喜びを覚える……
などと、言っている場合ではない。
すっかり私は、魔族どもに飼い慣らされている。王国から託された、魔物討伐の目的を忘れて、魔族らの仕掛けた誘惑に心流されている。
ダメだ。このままでは、ダメだ。毅然とした態度で、私は魔族らの施しに抗わねばならない。
「エリゼさん」
「な、なんだ、ディーノ殿!」
「こっちはチーズケーキですよ。これが、紅茶によく合うんです。いります?」
「なんですと!?それはぜひ、食べさせて頂きます!」
そのキツネ色の柔らか食材にフォークを伸ばし、それを切り取って口に入れる。上品な甘味が口いっぱいに広がって、至高の快楽に身体中が満たされて……
「はっ!いけません!私は王国公認の水の魔導師!かような情動に心流されては、陛下より賜った務めを果たせぬではありませんか!」
ふと、我に返る。たとえ地上より離れたこの天空の城に囚われた身であっても、その志を忘れてはならない。魔族らの洗脳に、打ち勝たねばならない。
「さて、それでは、我々の話を、始めましょうか。エリゼさんには少し、難しくて受け入れ難い事実を、これからお見せすることになるかも知れません。ですが、これから話すことは我々の、いや、この宇宙での事実なのです。それを避けて我々を理解することはできません。申し訳ありませんが、覚悟してお聞きくださいね」
そんな私に、何やら急に辛辣なことを言い出すディーノ。私は、尋ねる。
「そ、そのような脅しを……ついにそなたは、魔族としての正体を明かすというのか?」
「いや、だから、魔族じゃないんですって。ですが、ある意味では魔族よりも、もっと脅威的な真実に触れるかも知れませんよ」
ディーノがそう私に告げると、この会議室という場所の光という光が、一斉に消される。
「それじゃあ、始めます。前のモニターを、ご覧下さい」
一瞬の暗闇ののちに、私は目の前に、不思議なものを見る。