#5 城内
「さ、着きましたよ、エリゼさん。ちょっとだけ、お待ち下さい」
真っ暗な部屋の中で、私はそのギガンテスの中の仕掛けが放つ僅かな光によって、かろうじてディーノという魔族の男の姿を確認できる。
しかし、着いたと言われても、篝火一つない。奥の方で、微かに赤い光が見えるだけだ。
ところがその赤い光が、緑に変わる。途端に、その部屋がパッと明るくなる。
急に明るくなったため、目がついていかない。真っ白な部屋の光に、徐々に目が馴染んでくると、部屋の全貌が明らかになってきた。
ギガンテスが、すぐ脇にもう一体いる。まるで石像のように立つそれに、私はまったく気づけなかった。奥には扉があり、その周囲には、見たことのない奇妙な仕掛けがいくつも見える。
その奥の扉が開く。
白い服を着た者達が数名、妙なものを抱えて現れる。その後ろには、女と思われる者もいる。
ここは魔族の城だ。だから、彼らが魔族であることは疑いない。が、何を慌ててこちらに向かってくるのだろう?
ああ、そうか、人族が一人、ここにいる。やつらの狙いは、私の何かだ。
「ピエラントーニ中尉殿!」
その魔族の一人が、大声で叫ぶ。それを聞いたディーノという魔族の男は、あのガラスの覆いを開き、叫んだ。
「こっちです!後席にいます!」
私の方を指差した。ああ、やっぱり私が狙いなんだ。白い服を纏った魔族の一人が、しゃがんだギガンテスの脇に寄せられた階段を昇り、こちらにやってくる。
「ちょっと失礼」
白服の、銀髪の魔族の男が、私をじろじろと見る。鋭い眼光で上から下まで見渡された後に、その男は言う。
「足だけか?」
「ええ、僕の見る限り、足だけでした」
「お嬢さん、他に痛いところはないか?」
何やら尋ねられるが、今は心落ち着かず、痛みなど感じられない。それよりも、私は今から何をされようとしているのか、そっちの方が気になる。
「え、ええと……痛みは、ないです。ないんですが……」
「そうか。それじゃあ、まずは医務室に連れて行こう。そこで足の治療、必要があれば、精密検査だ」
「はっ!了解しました!」
他の白衣の魔族が返事をしている。どうやら、あの銀髪の男が長のようだ。そして、布を吊るした二本の棒のようなものをその場に置くと、私の肩と足を抱え始める。
「あ、あの!ちょっと!」
思わず私は声をあげる。が、その男らは構うことなく、私をその布の上に運ぼうとする。身の危険を感じる。
が、その時だった。
「ちょっと待って下さい!」
あのディーノという魔族が叫ぶ。
「なんだ、今は急を要するんだ。なぜ、止めるのか?」
「彼女は、納得してませんよ!怯えてるじゃないですか!ちゃんと納得させないとダメですって!」
私の心の声を、このディーノという男が代弁してくれる。魔族のくせに、人の心が分かるというのか?
「エリゼさん、ちょっといいですか?」
と、私の手を握って語りかけるディーノ。
「は……はい」
「まず、あなたの左足を、ご自身で見て下さい」
ディーノがそう言うので、私は恐る恐る、やや裂けた服の裾をめくって、自分の左足を見る。
思わず、卒倒しそうになった。これ、本当に私の左足なの?血塗れじゃないの。
急に私は、左足に痛みを感じ始める。そういえば私は、立ち上がることができなかった。これだけの怪我をしていれば、当然だ。
「で、今から医務室というところに行って、この足を治療します。ですが、我々を信じて欲しい。おそらく、あなたの知らないものが、次々と出てくるでしょうが、決してあなたに危害を加えるものではありません。僕がエリゼさんに分かって欲しいのは、それだけです」
それを聞いた私は、コクコクとうなずく。うなずかざるを得まい。このままでは、私の足は言うことをきくはずがない。ここは、従わざるを得ないだろう。
「カザリーニさん!それではお願いします!」
「おう、分かった。すまねえな、こっちの都合で動いちまった」
銀髪の白衣の男が、そう私に言う。なんだか、魔族らしくないな。もっと残忍で、人間など麦畑にいる害虫のごとく叩き潰すものだと思っていたのだが、むしろ人間の男よりも紳士的で、丁寧だ。あの勇者様の方が、ずっと私をぞんざいに扱っていた。
私は2人の魔族に担がれて、扉の方へと運ばれる。と、そこに別の魔族が現れる。強面の、いかつい男。その男がいきなり、怒鳴り出す。
「おい、ピエラントーニ中尉!」
「はっ!何でしょう、整備長!」
「何でしょうじゃねえ!なんだ、この血塗れな人型重機は!?」
随分とお怒りな様子だ。その男魔族は、私の方も睨みつける。恐怖のあまり、背筋がゾクッとする。だが、ディーノという男は臆することもなく、その強面の魔族に応える。
「あのモンスターを、至近で倒したんです。しょうがないでしょう」
「おめえ、モンスターまで持ってきたのかよ!格納庫が、血生臭くなっちまったじゃねえか!どうしてくれる!」
「モンスターの回収は、艦長からの依頼です。それに僕は今から、この方の治療に付き添わなきゃならないんです」
「うっ……民間人か?」
「ええ、危うく、命を落とすところでした。そういうことです」
「……分かった。後始末は、引き受けてやる。さっさと行ってこい!」
「はっ!あとをお願いします、整備長殿!」
あの怖そうな魔族の恫喝に、まったく動じることなく応じるディーノ。この男魔族は、なかなか肝が据わっている。
そんなやりとりの後、私は扉の外に運ばれる。窓ひとつないと言うのに、明るい通路を走り抜ける。そして、ある部屋へと入る。
そこには、女の魔族もいる。白い服を着ており、頭にもなにやら白い被り物をしている。というか、ここにはあのディーノと、もう一人の女を除き、皆、白い服を着ている。
「それじゃあ、まずは左足の怪我の治療だ。おい、ピエラントーニ中尉、彼女にまず、足を洗う許可を取ってくれ」
「えっ!?僕が取るんですか!?」
「当たり前だ。お前が連れてきたんだろうが」
ディーノに向かって、ぶっきらぼうに放つ銀髪の男。再び私は、ディーノに話しかけられる。
「あの、エリゼさん。今から足の治療を行います」
「……はい」
「で、その前にですね、この足を洗わなきゃならないんです」
「そ、そうですね。血塗れですものね」
「で、お湯でこの足を洗うんですけど、当然、その時は傷がしみると思うんです」
「しみる?」
「怪我をしたところに水がかかると、普通、痛くなりませんか?」
ああ、そういうことか。つまり、私に痛みに耐えろと、そう言いたいようだ。
「構いません。どのみち、このままではいられませんから」
「はい、分かっていただければ結構です。それじゃあ……ベントーラ准尉!」
「はっ!」
と、ディーノの後ろからついてきていた、ディーノと同じ紺色の服を纏った女が返事をする。
「彼女の足を洗ってあげて下さい。僕は男だから、この場は女性にお任せします」
「はっ!了解しました!」
ベントーラと呼ばれたこの女は、何やら右手を額に斜めに当てる奇妙な礼をすると、私の方を向く。
「それでは、エリゼさん!足を洗わさせて頂きます!」
継ぎ目のないタライのようなものが持ち込まれる。中に水が張られている。そのタライの中に、私の左足を突っ込まされる。
ほんのりと温かい。水ではなく、お湯だ。人肌くらいの温もりのお湯が、タライにいっぱいに張られている。怪我さえなければ、とても心地よいだろうに。
「それじゃあ、ちょっとしみますよ!覚悟はいいですね!?」
女魔族は、まるで私を脅すかのように、そう告げる。私は首を縦に振って応える。それを見たその女魔族は、小さな桶でそのお湯を汲み、左足にかける。
じわじわとしみる。が、お湯だからだろうか、思ったよりも痛みは弱い。これが水なら、冷たさと痛みでもっと不快な感触に襲われるはずだ。過去に、ゴブリンに引っ掻かれた痕を泉の水で洗い流した時は、この程度では済まなかった。あれを思えばまだ、耐えられる。
「先生!洗い終えました!」
「そうか、それじゃあ始めるか」
銀髪の白衣の魔族が、女と交代して私の前にくる。タライは避けられ、足は柔らかな布で拭き取られる。赤い色が、その布にべったりとつく。
「うーん……思ったよりも、浅い傷だな。擦り傷、といったところか。念のため、骨に異常がないか、見てみるか」
そういうとその銀髪魔族は、私の足に何やら妙な仕掛けを当てる。何をされているのか、まるで見当もつかないが、先ほどディーノが私に、何があっても信じろと言っていた。ここは、信じるしかない。
魔族だからといって、人族の私をいきなり食べるようなことはしないみたいだ。魔族にはツノが生えていると、ある者が語っていたが、ここにいる魔族を見る限り、見た目は私となんら変わりがない。ただ、巨人を操ったり、空を舞う魔導を使えたり、窓のない城内をこれほどまでに明るく保つ、不思議な篝火を用いることができる。強大な魔力を持っていることは確かだ。
「うーん、骨にも異常はないようだ。いやはや、あれだけのモンスターに襲われて、よくこれだけで済んだものだ」
「いや、この人も多分、強いですよ。あのモンスター相手に戦ってましたから」
「戦った?どうやって戦うというんだ。失礼だが、剣や槍を振るって戦うというイメージが、この人からは湧かないんだが」
ディーノと銀髪の魔族との間で、会話がなされる。この口調だと、ディーノは私があの翼竜と戦っているところを目撃していた、ということか?
「いや、剣や槍ではありません。杖です」
「杖?まさか、ただの木の棒で、さっき格納庫で見た、あのどでかいモンスターとやり合ってたと?」
「そうです。と言っても、杖で殴ってたわけではないですよ。その杖の先から、水の玉のようなものを発生させて、それをぶつけてたんです」
「なんだと!?まさかこの人は、魔法少女だっていうのか!?」
何やら驚く銀髪魔族。いや、確かに魔導を使える者は珍しいが、それでも王都ならば何人もいる。ましてやここは、魔導だらけではないか。おまけに、この城も未知の魔導で空に浮かんでいる。高々、水弾の魔導如きに驚くほどのことがあろうか?
「そういえば、魔導師だとおっしゃってましたよね。ここでは、魔法を使える人のことを、魔導師って呼ぶんですか?」
いきなり、私に話が振られる。魔導を使える人族と知られては、この魔族どもは何をするか分かったものではない。と、思ったが、すでにもう魔導師だとバレている。私も思わず、自分を魔導師だと話してしまった。ここは正直に応えた方が良さそうだ。
「……はい、私は水の魔導を操る魔導師です」
「水の、魔導?」
「はい」
「なんだその、水の魔導ってのは?」
魔導だらけのこの城に来て、魔導とはなんだと聞かれるとは思わなかった。
「水の魔導というのはつまり、水を空中に湧き出す魔法ってことですよね。僕は目の当たりにしたから、分かりますよ」
それをディーノは、この銀髪の魔族に見たままを説いてくれる。だが、この言い方だと、水の魔導というものは存在しないのだろうか?いや、空を浮くことができるのに、たかが水の魔導如きが使えないなんて、考えられないのだが。
「あの!」
そこで私は、勇気を出し、尋ねてみる。
「なぜあなた方、魔族は、魔物であるギガンテスを操り、堅固な城を宙に浮かせる魔導を持ちながら、私の水の魔導のことをご存知ないのですか!?」
私の言葉を聞いた銀髪の魔族とディーノは、私の顔を唖然とした表情で凝視していた。