#45 嵐
この季節は時折、こういう嵐が訪れる。
ここは、グアナレル村。人族の最前線。この村より先は、魔物の支配する森が広がる。
その村の建物に激しい雨風が吹き付け、バラバラと激しく音を立てている。
が、この建物の中は、とても快適だ。エアコンなるものが、快適な風を私に吹き付けてくる。
「ねえ、エリゼ」
「なに、ディーノ?」
「そろそろ、出かけないか?」
「えーっ、この嵐の中を!?」
グアナレル村に降りて、2週間ほどが経つ。ここで仮の宿舎が与えられて、私とディーノらは魔物襲撃に備える。
が、ここ3日は魔物ではなく、大雨がこの村を襲う。
そんな時に不快な提案を投げかけてくるディーノに、私はその気持ちをあらわにする。
「いや、この3日、ずっと引きこもったままだよ」
「だって、雨がやまないんだもん。しょうがないじゃない」
「うん、そうだけどさ……ちょっと、問題が」
「問題?」
「食料が、底をついたんだよ」
うーん、さすがに食べるものがないとなると、どうしようもないな。外に行かざるを得ない。
いや、待てよ?
「そうだ、いいこと思いついた」
「なんだ、いいことって?」
「ディーノが買い物に行けばいいじゃない。で、私は留守番ってことで」
私は笑顔で、ディーノに手を振りながら提案する。我ながら良い思いつきだと思ったのだが、ディーノの表情はすぐれない。
「あのさ、エリゼ。王国の上級魔導師ともあろう者が、ダラダラしてていいの?」
「え〜、だって今の私、魔法少女だし」
と、来ている服の裾をつまみながらそう告げるが、私のこの一言に、ますます顔を歪めるディーノ。えっ、私、何か変なこと、言っちゃいました?
「ダメだ、このままじゃエリゼがダメ魔導師になってしまう!」
と、叫ぶディーノによって、私はこの格好のまま、降りしきる雨の中に引き摺り出されてしまう。
「うう、冷たいよぅ……」
「何いってるの、もうすぐだよ」
居心地の良い部屋から出て、雨風吹き荒れる外に雨合羽一枚で飛び出した。いくら今が夏場とはいえ、当然寒い。しかも、向かう先が風上にある。猛烈な雨風を顔にたたきつけられながら、どうにか目的地に着く。
「はぁ……やっと着いた」
そこは、仮説市場だ。このグアナレルの村にも、宇宙からのものがあふれる場所が作られた。そこにはディーノと同じ群青色の制服を着た軍人に、鎧を纏う王国の兵士もいる。
王都の市場ほどの広さはないが、売られている物は王都に負けず豊かだ。隙間なく並ぶかごの上には、食材や生活の品が山と積まれている。
その山の一つを、私は指差す。
「ディーノ! あれ買おう!」
私が指差すのは、レトルト食品というやつだ。レンジという火を使わない窯のようなものに放り込むだけで、簡単にパスタが食べられる。ミートソースにカルボナーラ、そしてペペロンチーノという味に、私ははまっている。
「相変わらず好きだなぁ、こういうのが」
「そういうディーノだって、私にこれを勧めたくせに」
「あははは、これを食べたら、少しはその胸が大きくなるかも……ふぎゅ!」
一言多いのは相変わらずむかつくのだが、私は徐々にディーノの嗜好に染まりつつある。
「他に、スープやハンバーグ、ああ、それとこのピザも買っておこう。お菓子もいるかい?」
思わず私は首をこくこくと振る。ディーノによって、次々にカートの中に放り込まれる食材を見ていると、私はなんだか嬉しくなる。うん、やっぱり、来てよかったかも。ずぶぬれな上に、この魔法少女の衣服というやつは妙に服の裾の丈が短いから、少し肌寒さを感じるけど、そんな寒さなど吹き飛ぶほどだ。
しかし、ここが魔物との戦いの最前線であるグアナレル村だとは、とても信じられない。王都よりも豊かじゃないのか。少なくともこの店からは、魔物との戦いを感じさせない。
魔物は、このグアナレル村に時折、奇襲をかけてくる。が、そのたびに重機隊や防衛システムによって次々に倒されていく。
村の周囲には堅い城壁のようなものが築かれ、その防衛システムというやつによって昼夜問わず常に監視されている。兵士たちは疲弊し、今にも瓦解寸前だったこの村が、宇宙からもたらされたこの仕組みや食べ物によって、蘇りつつある。
「……ましてや、今日はこんな嵐だから、ますます魔物はやってこないよねぇ」
「えっ? なんか言った?」
そう、魔物は嵐の日にはやってこない。生き物である以上、風雨の中を移動することは、極めて体力を消耗する。しかも火龍ならばその武器である炎を吐くことすらもできないこんな風雨の中を、わざわざ出てくることなどありえない。これは魔物退治に関わる者の常識だ。
とはいえ、ディーノたちはそんな嵐の日でも監視を怠らない。こんな嵐の日でも、昼夜問わずレーダーとかいうやつを常に効かせて、怪しいものが近づかないか、いつも警戒しているのだという。
「エリゼ、食べ物ばかりじゃなんだし、他に何か買ってくかい?」
「ええと、それじゃああれも買おうかな」
「あれって……」
「ほら、あそこにあるやつ」
「……これジャージだよ。こんなもの買うの?」
ジリアーニ殿がよく着るあの服を、私は指差す。元々は身体を動かす時に着る服だというが、公衆浴場に来る時も、ジリアーニ殿はこれを着ていた。寝巻きにもできるという、実に画期的な服だ。
この魔法少女の服よりも着やすそうだし、そのまま寝られるというのは魅力的過ぎる。だから私はディーノにあれを所望する。そのディーノはというと、やや冷ややかな目でこちらを見ている。
で、私がそれをカートに入れた、その時だ。
突然、バンッという音と共に、ガラガラと何かが崩れるような音が聞こえてくる。
「……なんだ?」
ディーノの顔が、険しくなる。この仮設市場には似つかわしくない音、さすがの私でも、おかしいと察する。何か、異常なことが起きている。
その音の正体は、すぐに私の前に姿を見せる。
人の背丈の倍以上はある巨大な緑色の身体、大きな頭に、大きな一つ目、全身はずぶ濡れというより、スライムのようなネバっとした何かで覆われている怪物。そう、サイクロプスだ。
だけど、どうしてこの巨人がここに?
そんな想定外のものが2体、この仮設市場の引き裂かれた壁から侵入するのが見える。一瞬、私の頭は事態を把握できなかった。あまりにも唐突過ぎる魔物の侵入に、それが現実の光景だと認知できない。
が、ディーノの反応は素早い。
「全員、退避! 急げ!」
銃を構えて叫ぶディーノ。他にも三、四人が同様に、あの一つ目の化け物に立ち向かうべく銃を構える。
血相を変えて、床を這うように逃れてきた人たちを庇うように立ちはだかるディーノは、最後の一人が足元を過ぎるや、その引き金を引く。
バンッという、乾いた音が響く。放たれた青い閃光は先頭の1体の肩に命中するが、その巨体をすこし揺らしただけで、鮮血を流しながらも歩みを止めようとしない。
他の銃を持った兵士も同様に、迫るサイクロプスに一撃を与えるも、ほとんど効いていない。心臓と思しきところを撃ち抜いた者もいるというのに、この一つ目の巨人は全く歩みを止めようとしない。
「くそっ、最大出力で一発勝負か。だが、エネルギーパックの予備がないのに……」
迫るサイクロプスを前に、最後の決断を促されるディーノ。その時、私はハッとして、背中にぶら下げていた杖を取り出して、それを前に突き出す。
「ディーノ! 魔導を放つ!」
私の叫び声に、ディーノは頷く。そしてディーノは叫ぶ。
「僕の合図の後に、通常出力で一斉に斉射! 今は待てっ!」
銃を構える他の人は、何のことだか分かっていないだろう。今からやろうとすることを理解しているのは、私とディーノだけだ。
そして私は、詠唱を始める。
「……水の神、ネプトゥヌスよ。我に水の妖精の力を授け、我らの道を妨げる真悪なる者を掃滅せよ!」
杖の先で、水弾がみるみる大きくなる。それが成長しきる前に私はその杖崎の向こうを見る。
サイクロプスの数は、5体にまで増えていた。この仮説市場の中にも風雨が入り込み、サイクロプスに蹴倒された棚から落ちたタオルや食材がずぶ濡れになっている。先頭の1体は、もう目の前。私はその5体の位置を見定める。
そして、水弾を放つ。
その水弾は5つに分かれ、その5体のサイクロプス各々の大きな眼球に吸い込まれるように飛翔する。眼球に一撃を受けたサイクロプスはその衝撃による痛みで顔面を抑えながら悶えている。
「今だ、撃てっ!」
ディーノの合図と同時に、再び青い閃光が放たれた。その光の筋は、サイクロプスに突き刺さる。先ほどとは違う現象を伴って。
猛烈な赤い炎が立ち上がる。やや遅れて、風圧が襲い掛かってきた。バーンという破壊音と風圧を前に吹き飛ばされそうになるが、ディーノは私を抱え、地面に伏せる。
「……やった、か?」
顔を上げるディーノ。あたりを見ると、黒焦げになった商品と、同じく黒く爛れたサイクロプスと思しき身体が横たわっている。が、ほぼ原形はない。
辺りを見ると、わらわらと人が集まってくる。あの水弾とビームによって作られた爆発で、より一層大きな穴の開いたこの仮説市場には、さらに風雨が入り込む。私も、一瞬煽られたその風雨でずぶ濡れになる。
「おい、なんだ、水魔導師もいたのか」
と、声をかけてきたのは火の魔導師ライナルト殿だ。
「ライナルト殿、いらっしゃったのですか?」
「そりゃそうだろう。この雨ん中じゃ、ここぐらいしか行くところがないからな」
でしょうね。が、すっかり変わり果てた市場の一角、呆れた顔で見渡している。いや、そんな顔されても、しょうがないでしょう。
「うわぁ、魔法少女ちゃん、派手にやったわねぇ」
と、もう一人、あのジャージ姿の女性士官、ジリアーニ殿だ。どうやらライナルト殿と一緒だったみたいだ。
「ねえ、ライナルト。あんたも火の魔導ってやつ、使えるように構えた方がいいんじゃない?」
「そうだな、ロジータ。水の魔導師だけに戦わせたとあっては、王国上級魔導師としても不甲斐ない」
あれ、この2人、いつの間にか距離、近くない?杖を取り出すライナルト殿のすく横で、銃を構えるジリアーニ殿。
ディーノも、警戒している。おそらくまだ、いるはずだ。魔物は決まって2種類以上が組みとなる。だから、サイクロプスだけではないはずだ。気を抜いている場合ではない。
再び、サイクロプスが現れる。さらに2体。降りしきる雨の中から、この仮設市場に入ってくる。あの巨人め、どれだけ入り込んだのだ?
「ライナルト!」
「おう、任せろ!」
ジリアーニ殿の声に応えるライナルト殿は、杖先をあの2体の巨人に向ける。
「炎の神、プロメーテウスよ!火の精霊を束ね、我らに仇なす巨悪を撃滅せよ!」
ちょっと待って、よく考えたらここで火の魔導を使うの?ここ、建物子中だよ?
いや、もはや「中」とは言い難いか。先ほどの私の魔導と銃のビームによってできた爆炎によって、かなりの壁が吹き飛ばされている。風雨が吹き込んで水浸しだ。
なればこそ、なおのこと問題がある。火の魔導は、この雨の中では使えない。いくらライナルト殿の強力な炎でも、この嵐の前ではたちまちにして消えてしまう。
が、そんな懸念など吹き消すかのように、かつてないほど大きな火の玉が、杖先に現れた。
そしてそれは、あの2体目がけて飛翔する。
いや、あの2体のいる場所は雨が降り頻る裂け目の向こう、炎はたちまちにして消えて……と思いきや、むしろ輝きを増していく。
やや手前に立つサイクロプスに、その炎の球が着弾する。次の瞬間、その炎の球が膨れ上がる。
いや、球から柱になった、と言えばいいだろうか。サイクロプスの巨身に沿って炎柱が立ったかと思えば、それは太さを増して隣のサイクロプスをも覆い、2体を同時に焼き尽くす。
そして、猛烈なる爆裂音が響き渡る。
再び私とディーノを含む周囲の人々は、熱を帯びた強風に曝される。ディーノは私を抱き寄せて、床に伏せる。再びガラガラと崩れる辺りの品物。ああ、食材が、衣服が、タオルが……などと惜しむ余裕は、今は起こりようがない。
「はは、やったぜ!」
ようやく当たりが静けさを取り戻すと、ライナルト殿が高らかに自身の魔導の力を誇る。私は、恐る恐る辺りを見る。
ライナルト殿が誇るのも頷ける。仮設市場の広がった傷口を、さらに大きくしてしまった。私とディーノの銃が成した傷よりも、さらに大きな開口が開いており、嵐の風雨が容赦なく吹き付けている。
それだけではない。そこにいたはずのサイクロプスが、影も形もない。やや黒ずんだ2つの影のようなものが、薄らと床に残されているのが見えるだけだ。あの雨の降りしきる中、あの巨体を焼き尽くすだけの炎を生み出したというのか。
「やはり、強化されたわね、あなたの魔導」
「ああ、以前のものとは別物だぜ、この威力は」
「日頃の鍛錬の成果が出てきたわね。だから言った通りでしょう。私を信じなさいって」
「ああ、悔しいが、その通りだったぜ。まさかここまで俺の火の魔導が強くなるなんてよ」
言われてみれば、ジリアーニ殿はライナルト殿の火の魔導を強化するためと言って、ライナルト殿に張り付いていたな。で、あの辛い食べ物を食べさせて……まさか、あれが効いたのか?
外の方でも、何やら戦いが起きているようだ。時折、爆裂音がする。地面の揺れも感じるが、人型重機が出ているのではないか?
「これはまずいな……僕も重機で出なきゃ」
ディーノが呟く。が、格納庫は村の城壁寄りの場所にある。村の中央であるこの仮設市場からはやや離れた場所。ましてやこの大雨の中、そこにたどり着くのは容易なことではない。
そこで、ふと思う。どうしてこのグアナレル村の真ん中にある仮設市場に、サイクロプスが現れたのか?
こんな大きな魔物が、どうして易々と城壁を越えてこんな場所まで辿り着けるのか。考えてみれば、奇妙な話だ。なにせ城壁には常に兵士がおり、レーダーとかいう仕掛けが常に周囲を監視している。その合間をくぐり抜けてここに達するなど、どう考えても不可能だ。
いや、今はそんなことに思考を巡らせている余裕などない。現実として、あの化け物がこの村の内部にまで入り込んでいる。それを排除せねば。
「来たわよ、ピエラントーニ中尉!」
と、その時、ジリアーノ殿が叫ぶ。
「来たって、何が?」
「決まってるでしょう、車よ! まさかこの雨の中、格納庫まで走れっていうの!?」
ああ、そうか、そういえば車があるんだった。あれに乗れば、すぐに格納庫の場所に辿り着ける。
「すぐに行くわよ! ほら、ライナルトも!」
「は!? 俺もいくのか!?」
「当たり前でしょう! エリゼちゃんですら行くのよ、男の魔導師なら、当然でしょう!」
えっ、私も行くの?なんだか勝手に魔物退治の仲間に組み込まれてしまったぞ……いや、私は王国の上級魔導師だ。戦うのは、当然だろう。
降りしきる雨の中に、4人は飛び出す。ジリアーノ殿が呼び出したという車が、すぐ目の前にある。我々が近づくと扉が開く。その中に飛び乗ろうとした、その時だ。
いきなりその車が、何かで押しつぶされたようにぐしゃっと潰される。潰された車の屋根の上には、緑色の足のようなものが見える。
紛れもなくそれは、サイクロプスだ。鎧のように丈夫なあの鉄の箱を、いとも簡単に潰してしまった。なんてことだ。
だがもしあれに乗り込んだ直後に潰されていたら……これでも、運が良かったと思うべきかもしれない。
「一旦、引くぞ!」
叫ぶディーノ。
「引くって、どこにいくのよ!?」
「仮設市場だ。そこにあれを誘き寄せて、もう一度倒す。この雨の中では、水も火も使えないだろう」
そう説くディーノだが、その仮設市場の方には、別の敵が現れる。
緑色の、人よりも小柄なその姿。まさにあれは、我々がよく知る魔物、そう、ゴブリンだ。
魔物は、2種類以上で現れる。今回も、例外ではない。サイクロプスとゴブリンが、このグアナレル村を忍び込んできたというのか。
ディーノは、ゴブリンに銃を向ける。は、あちらはすでに10体以上。仮設市場の中からも、青白い閃光が幾筋も見える。他の兵士が銃を使っている。が、数が増えている。
どうしてこんなにたくさんのゴブリンが入り込んでいるの?そんな疑問も一瞬、脳裏を過るが、そんなことに思考を巡らせている場合ではないことは明白だ。
ディーノが、銃を構える。先頭のゴブリンに向けて一撃を放とうとした、まさにその時。
目の前を、何かが通り過ぎる。と、一瞬遅れて、ゴブリンの首が、血飛沫をあげながら飛んでいく。
ゴブリンの周りから降りしきる雨が一瞬、弾け飛ぶ。この感触、何が起きたのかを私はすぐに理解する。
「ったく、雨の中で魔導師どもは役立たずか?」
そう、この瞬足技は、まさしく剣士コンラーディン殿の技だ。目には留まらぬ素早い斬り技、王国一といわれた抜刀術を、私は久しぶりに目にする。
「そういうな。俺だってあの巨人を2体は倒したんだぜ」
「ああ、そうらしいな。で、水魔導師とピエラントーニ殿も、5体は倒した、と、アンヘリナのやつが言っていた」
「なんでぇ、お前の奥さん、ここにいたのか」
「この近くの詰所にいたからな。で、サイクロプスが現れたと聞いて、ここに来た」
「はぁ? まさかとは思うが、サイクロプスはこの辺りにしかいないのか?」
「らしいな。仮設市場目掛けて群がっていると聞いた。だがどうして、こんなところに来たのかは不明だがな」
周囲では、人型重機と兵士らが、ゴブリンとサイクロプスの掃討を始めている。気づけば雨が小降りとなり、雨に紛れて行動することもままならない魔物どもは、次々と撃破されていく。またもゴブリンが2匹現れたが、剣士とディーノによって倒される。
で、結局、それから5分ほどで、全ての魔物が排除された。ディーノも私も、そして剣士、火の魔導師、ジリアーニ殿もずぶ濡れになりつつも、どうにかこの奇襲を乗り切る。
数人の犠牲と、仮設市場、そして車一台を代償にして。




