#39 嗜好
「あ、あの、エリゼ殿……」
私は今、アンヘリナさんとクレーリアと共にいる。
そしてここは、脱衣所だ。
「は、裸にされた私は、ここで何をされるのでしょう? まさか、この船にいる男どもに……」
「そ、そんなことしませんって! 何を仰ってるんですか?」
やはり、不安なのだろう。仕方あるまい。私だって最初はそうだった。
が、どうもこのアンヘリナさん、様子がおかしい。
「そ、そうなのですか……それは残ね……良かったです」
あまり外に出ることはなく、王都の城壁より外に出るのは、これが初めてだというアンヘリナさん。いやもう城壁どころか、大陸すらも遥かに超えて、星の海原まで来てしまった。そんなアンヘリナさんは、挙動不審なところがある。
さっきの大気圏突破の時も、剣士にしがみついたまま、なぜか笑みを浮かべてるし、この風呂場でも、言動が怪しい。
「さ、アンヘリナちゃんの下着も用意したし、まずは風呂でさっぱりしよう!」
「は……はい……」
このアンヘリナさん、おどおどしてるんだが、さっきから何か引っかかる。
それが明らかになるのは、あのロボットの腕で身体を洗う、この浴場特有のあの魔導に接した時だ。
「あーっ! たまりませんわ!」
この歓喜にも似た悲鳴を聞いた瞬間、私は察する。ああこの人、危ない人だ、と。
「……あの、アンヘリナちゃん。あなたまさか今、喜んでなかった?」
同じことを、クレーリアも感じたようだ。浴槽に浸かるや、いつもの無神経ぶりで、単刀直入にアンヘリナさんに尋ねる。
「ええ、だって、魔物の腕で、全身を弄られるなんて……こ、この上ない喜びが……」
はぁはぁと、息が荒い。興奮しているようだ。さすがのクレーリアも、彼女のこの尋常ならざる嗜好に、驚きを隠せない。
「ええぇ……ちょ、ちょっと待ってよ、まさかアンヘリナちゃん、マゾっ気があるんじゃないわよね?」
「あの、マゾっ気とは……な、なんでしょう?」
「追い詰められたり、痛めつけられると、興奮しちゃう性格のことよ」
「そ、そう言われれば、そうかも、知れません……」
「ま、まさか、あの剣士がアンヘリナちゃんを、こんなふうにしちゃったの!?」
「いえ、こ、コンラーディン様は……その、物足りなくて……で、浴場にくれば、他の男の人に囲まれるのかと思いきや、こ、ここは男と女、別々だと聞いてがっかりしてたのですが……まさか、魔物の腕が、中で待っていたなんて……」
なんか、危険な香りがプンプンし始めたぞ。身体を震わせて、妙なことを口走り始めた。私もクレーリアも、かなり引いた。
歪んでいる。クレーリアはこういうのを「ヤバい」と表現するが、まさにこれはヤバい。コンラーディン殿も、さぞかし扱いに難儀しているのではあるまいか?
「おう、アンヘリナ。お前のことだ、あの浴場にあったあの腕に、興奮したんだろう?」
ところが、コンラーディン殿はそんな奥さんの嗜好など、とっくに把握済みらしい。唖然とする私とクレーリア。
「あの、剣士殿。アンヘリナさんは、いつもこの調子なのです?」
「そうだ。夜寝る時も、手足を縛ってくれだの、床に転がしてくれだのと、いつもうるさいんだ。こいつ、昔からこれだからな。俺でなきゃ、こいつの相手は務まらないよ」
そうなんだ、昔からヤバいんだ。そういえば、親同士が決めた結婚だって言ってたから、付き合いも長いようだ。そんな会話を後ろで聞いているアンヘリナさんの、恥ずかしげな表情の中に混じるあの薄ら笑みが、不気味でならない。
「へぇ、あの剣士の奥さんが、そんな人だったとはねぇ。ベントーラ准尉にとっては、予想外だったんじゃないか?」
「男はハイエナって呼んで憚らないクレーリアに対し、そのハイエナに襲われたいと願うようなアンヘリナさんだから、まるで話が合わないのよ。ああ、これからもあの人としばらく、付き合わなきゃいけないとは……ところで、ディーノ」
「なんだい?」
「なんであなた、私の部屋にいるの?」
「いちゃ、いけないかい?」
「はぁ……ハイエナがいたわ、ここに」
「失礼な。ちゃんと魔法少女の第2シリーズ、持ってきたんだよ」
「えっ!? ほんと!」
気づけば、私も随分と軽くなったな。この男に、いいように扱われている気がする。
「両舷前進、最微速! ドックまで、あと300!」
「第11番ドックより、ビーコンをキャッチ! 進路微修正、左0.3!」
王都を出発して、5時間ほどが経つ。巨大な岩山が、目の前に現れる。当然、あの三人は、この闇に浮かぶこの船を前に、言葉を失う。
が、あの奥さんだけは、違う。
「や、闇世の中に、こんなに大きな岩牢が……な、中には、何が……」
いや、牢ではないのだが。何を考えているのか分からないが、あの微笑みを見る限りでは、碌なことを考えていないのは確かだ。憂鬱だなぁ。




