#30 退き口
あと少し、あと少しだというのに、先に進めない。
「クソッ!ゴブリンが多過ぎる!」
「コンラーディン、ブルーノ、ライナルト!後退だ、全員、後ろに退け!」
賢者ブルーノが、火の初級魔導を放つ。が、単発しか放てないのに、当たらない。が、その攻撃で賢者にゴブリンを引きつけることはできる。その間に、火の魔導師と剣士が道を引き返す。
足止めをしていた賢者が、走る。その後をゴブリンが追う。私の横を、賢者が通り抜ける。駆け寄ってきたゴブリンを、私はバサッと斬りつける。
先行する数匹のゴブリンを斬り捨てると、本体がやってきた。無数のゴブリンが、死にものぐるいで迫ってくる。私に代わって、剣士コンラーディンが出る。私は、その後方へ走る。
剣の腕は、コンラーディンの方が上だ。私も剣の腕には自信がある方だが、コンラーディンには敵わない。
ライナルトの腕の傷は、まだ良くならない。むしろ、悪化するばかりだ。こんな森の中を巡っていては、まともに治療ができない。せめてグアナレル村にたどり着ければ、その傷も少しは治るだろうに。
この怪我のため、ライナルトは今、火の魔導を撃てない。ゆえに、それ以外の三人で魔物の攻撃に対処せねばならない。そこで三人が交代でゴブリンに攻撃を仕掛ける、という戦術を取るしかない。
だがこの方法では、来た道を戻ることになる。前に進めない。後退あるのみだ。
しかし、後退を続けるうちに、好機が訪れる。
三人が代わる代わる攻撃をしてゴブリンを引き入れたところで、我々を追いかけてきたゴブリンが道沿いに寄り集まる。そう、これこそが、我々の狙いだ。
「撃つぞ!」
私が叫ぶ。私の後ろに、ライナルト、ブルーノ、コンラーディンが逃れ、その場にて伏せる。
私は、大剣を天に掲げる。
詠唱など、要らない。私の持つ剣の先に、意識を集めるだけでいい。
そして、その剣先を、押し寄せるゴブリンに向ける。
カッと、目前が光る。白銀の光が、ゴブリンの頭上を覆う。
一列に伸び切ったゴブリンに、その魔導の光が走る。ドーンという音と共に、猛烈な風が吹き込む。
威力が弱くなったとはいえ、ゴブリンの群れ如き、簡単に吹き飛ばせる。私は、剣を鞘に収め、光が消えるのを待つ。
やがて、光が消えると、細い獣道の両脇の木々は抉り取られて、大きな道に変わっている。そこに、ゴブリンの群れはいない。
「やったな!」
だが、戦いはそれで終わりではない。我々はさらに後退して、すぐに後ろに残った森の木々の中に逃げ込む。
魔物は、必ず二種類以上現れる。
遅れてやってきたのは、翼竜だ。我々は、その龍族の群れが通り過ぎるのを、ただ待つしかない。
白銀爆炎は、強力な魔導ゆえに、一撃放つと、次が放てるようになるまでに、数刻を要する。だから、遅れて現れたあの空飛ぶ龍族を相手にすることはできない。
せめて、以前のあの威力があれば、ゴブリン共々、龍族をもまとめて吹き飛ばすことができたのだろうが……今はただ、翼竜が通り過ぎるのを待つしかない。木の陰で息を潜めて、我々は時を待つ。
グアナレル村までは、あとわずか。これをあと1、2回やれば、辿り着けるだろう。
◇◇◇
ディーノの怪我が心配だったが、何のことはない、怪我らしい怪我はしていなかった。
「えっ、ですがカザリーニ殿、こやつはスライムにやられて、まともに歩けなかったんですよ?」
「スライムとやらは、アルカリ性の溶解液を出していたようだが、着ていた戦闘服のおかげで無事だ。多分、そいつが立てなかったのは、胴体ほどもある大きなスライムをぶっ飛ばすほどの、あんたの水の魔導ってのを食らった勢いによる衝撃と、その魔導の発する、わずかに酸性な水素水により引き起こされた中和熱で、参っただけじゃないのか?」
この銀髪の医師によれば、ディーノの怪我は大したものではないという。それを横で聞いていたディーノは、頭を掻きながら舌を出している。何が過酷な戦闘訓練をくぐり抜けた精鋭だ。ゴブリンですらも簡単に立ち直れるほどの威力しか出せない私の水弾に、ああもあっさりと負けるとは。
「心配、かけちゃったね」
ディーノが私に、そう話しかける。
「ええ、心配して損だったわ」
応える私。
「でもやっぱりあれだな、君の小さな胸で包まれたおかげで、僕は……ふぎゅっ!」
そろそろ学んでくれないだろうか、その物言いを気にしていることを。杖の先でぐりぐりとディーノの頬を突きながら思う。
「いよっ、相変わらず、仲がいいな」
と、そんな二人に声をかけてくる士官がいる。
「あ、コルティ大尉」
さっと敬礼するディーノ。私は頭を下げる。この方は、ディーノと同じ人型重機を操る方だそうだ。今回、一緒にあの館に向かい、そこで指揮を取られた。
「にしても、油断したな。魔法少女さんがいなかったら、確実にやられていた」
「はい、面目次第もございません」
「本当だぞ。ちゃんとエリゼさんには、礼を言ったのか?」
「そりゃあもう、あの小さな胸で抱き寄せてくれたことまでちゃんと……ふぎゅっ!」
こやつめ、いつも一言多い。本人が一番気にしていることを、何度も言うんじゃない。
「……ま、そんな仲がいい二人に、朗報だ」
「あの……私とディーノの仲は良くないと思いますが、なんでしょうか、朗報とは?」
「ああ、この艦はこれより、王都に向かうこととなった」
「えっ?王都に?」
「そうだ。城壁外ではあるが、着陸許可を頂けたんだ」
「と、いうことは、私も王都に帰れるのですね!」
「そうだな。そういうことになる」
ああ、この船暮らしも悪くはないが、やはり地面に触れたい。ここにいると、部屋と艦橋と会議室、食堂、そして風呂場くらいしか行くところがない。
あまりにも暇を持て余して、この間などは機関室にお邪魔したことがあるが、あそこは暑かった。まるで公共サウナのような蒸し暑い場所で、あのようなところでよく我慢できる者がいると感心してしまったほどだ。
「そういえば、エリゼは王都に住む場所はあるの?」
さらに馴れ馴れしくなってきたディーノが、私に尋ねる。
「そりゃあ、ありますよ。私は上級魔導師ですから」
「へぇ、そうなんだ。どこかの宿舎の一室か何かかい?」
「違いますよ。一軒家です」
「えっ、あの王都に、家を持ってるの?」
そんなに不思議なことだろうか。仮にも私は、上級魔導師だ。家の一つや二つ、あったっておかしくない身分だ。
それを言い出したら、勇者ゾルバルト様は伯爵家の次男であり、賢者ブルーノ様は公爵家の三男。剣士コンラーディン殿と火の魔導師であるライナルト殿は騎士家出身。それぞれ、大きな屋敷がある。私だけが、魔導師となった暁に頂いた、商人街の裏にある小さな家があるだけだ。
「王都に向けて、出発する。微速降下、高度1500まで下げる!」
「はっ!微速降下、ヨーソロー!」
この船が、動き出す。地上に向けて、徐々に降り始めている。雲が近づいてきているのが分かる。
その雲の高さほどになったところで、前に進み始める船。まるで雲の海の上を進むが如く、白い綿毛のような雲海を突っ切りながら、王都を目指し始めた。
『はぁい、エリゼちゃーん、聞こえてるぅ!?』
その到着直前に、エスコパル卿から私のスマホに、電話がかかってきた。
「はい、よく聞こえております。お姿も、よく見えます」
『こっちも、よく見えるわよぉ〜!エリゼちゃんのそのちっちゃくて可愛らしいお胸まで、はっきりと!』
うーん、今すぐ切りたくなってきた。どこを見ているんだろうか、このお方は?
『で、そんな話はどうでもいいわぁ。今から、王都に来るんでしょう?』
「はい、ただいま、王都に向けて進んでおります」
『それじゃあ、王都についたら、すぐに私のお屋敷まで来てちょうだい。直に、宇宙のお話も聞きたいし』
「はい、承知いたしました」
『あ、そうそう、その時はあのピエラントーニとかいう、あなたの彼氏も連れてきてねぇ〜』
「は?いや、あれは私の彼氏などでは……」
『何言ってんのよ。命の恩人でしょう?それじゃあ、首を長ーくして待ってるから。じゃあねぇ』
……切れてしまった。余計な会話が多すぎて、用事を忘れてしまいそうになるが、要するに私に、エスコパル卿のお屋敷まで来いと仰りたかっただけのようだ。
しかしなぜ、ディーノまで?
「あの宰相閣下の補佐役の方からかい?僕の名前も聞こえたようだけど」
すぐ横に立っているから、会話は聞こえていたようだ。私は応える。
「ええ、あなたとともに、お屋敷に来いとのことです」
「そうか。早速デートか」
「……デート?」
「楽しみだなぁ、王都。早く着かないかなぁ」
何か意味不明な言葉を言い出したが、クレーリアではないが、なにやら下心的なものを感じる。それは、この艦橋内の皆の目線からも感じられる。
うう、この無神経男め、よりによって大勢がいるところで、何かとんでもないことを口走ったのだろうな。だが、不思議と腹立たしさを感じないのは、なぜだろうか?




