#26 出港
ホテルの部屋の中、私は杖を構える。
そして、あの詠唱を唱えた。
「う……ウルトラビューティー、ハピネスサンダーブリザード!」
が、杖先はピクリともしない。魔導は、発動しない。そもそもこの詠唱の意味を解さないと、魔導は発動しようがない。
「はぁ〜……」
杖を下ろし、ため息を吐く。つい「魔法少女」の真似などしようとした自分の愚かさに、反省しきりだ。思えば、あれほど強力で都合の良い複合魔導などあれば、すでに魔導師養成所で研究され、使い手が現れていてもおかしくないだろう。
と、ふと扉の方を見る。いつの間にか扉が開いていて、唖然とした顔でディーノが立っている。
「あ……エリゼさん、鍵が空いてたから……」
頭に、血が勢いよく昇るのを感じる。慌てて私は応える。
「いや、新たなる魔導の可能性を探るべく、詠唱の研究をしていただけなのです!」
で、それから半刻ほどすると、私はあの船の中にいた。
「出港用意!機関始動、レーダー探知開始!」
「機関始動!レーダー、探知開始します!」
「繋留ロック、解除!抜錨、9810号艦、発進する!」
ヒィーンという音と共に、船体がゆっくりと動き出す。窓の外には、あの灰色の岩山のような戦艦が見える。
周囲には、何隻もの灰色の船が行き交っている。なんでもこの船には、30隻の船が随行するんだそうだ。
それにしても、横に立つギガンテスの操り手は、満面の笑みだな。何がそんなに嬉しいのだろうか?あれを見られた後から、ずっとこの調子だ。
「仰角三度!両舷前進微速!」
「了解、仰角三度!両舷前進びそーく!」
ところで、この艦橋では、皆がいちいち大声で、しかも繰り返し同じ言葉を連呼する。あれも、詠唱の一種だろうか?だが、こちらの詠唱はまだ、意味が分かる。
だけど、あの魔法少女の詠唱だけは、さっぱり意味が分からない。あの言葉には、どんな意味があるというのだろうか……魔導師として、気になって仕方がない。
で、再び暗い空間に戻った時、私とディーノは艦橋を出て、会議室へと向かう。
会議室には、すでにクレーリアがいた。そこで、ディーノが口を開く。
「そういえばエリゼさんが、ホテルで魔法少女の技を繰り出そうとして……ふぎゅっ!」
いらんことを口にしようとしていたから、私は杖でディーノの頬を突く。が、それを聞いていたクレーリアの顔の表情も、ぱぁっと明るくなる。
「えっ!ほんとですか!?エリゼちゃん、とうとう魔法少女を目指すの!?」
「あ、いや、そうではなくて……」
「それじゃあ、あの服着ようよ!あのビューティー・アクアの服!絶対似合うって!」
あの服とは、街でクレーリアと一緒に買い込んだ服の中の一枚で、まさにあの巨大なテレビモニターで見た魔法少女とやらの一人の服だ。
と言っても、中央で魔導を放ったあのティアラを被ったあの人物のものではなく、その脇にいた四人の中の一人だ。
青い襟に、青い魔石の杖、そして、青い蝶形の飾り物をつけた魔法少女。なんでも、水の魔導を放つ人物なんだそうだ。
で、私と重なるからと、クレーリアが選んできた。ここでは、魔導師の服といえども、簡単に店で買えるらしい。
といっても、あの動画の魔導師は、架空の存在。あんなものが本当にいるわけではない、とも聞かされる。
いわゆる娯楽のための動画なのだが、それでも私の心に深く印象付けたことは間違いない。でも、なぜだろうか?実在しないと知ったのに、それに焦がれるというか、そんな気分だ。
あの魔法少女の目的は、人間社会を脅かす魔族を倒し、平穏を取り戻すことなのだそうだ。
まさしく、我ら王国魔導師の願いと同じだ。だからこそ、共感するのだろう。あの動画で、魔族を倒したその瞬間に覚えた、心の高揚。大きな火龍を倒したあの瞬間に感じたそれと、よく似ている。
だからといって、あの格好になるというのは、全く別の話だ。
「い、いやですよ!あんな派手な魔導師なんて、あっという間に魔物に襲われてしまう!」
「何言ってるのよ、魔法で追っ払えばいいんだって!ビューティー・アクアには、『スーパービューティー・ウォータースプラッシュ・トルネード』っていう技があるんだから!」
何なのその詠唱は?どうしてそんな意味不明な詠唱で、魔族と戦えるんだ?いろいろと、おかしくないか?架空の物語に文句を言っても仕方がないのかもしれないが、こちらにその妙な願望が向けられては、抗う他あるまい。
「ベントーラ准尉は、魔法少女に詳しいんだね」
「そりゃあそうですよ、中尉殿。女の子の憧れですよ、あれは」
「でもさあ、エリゼさんはやっぱり、この姿の方がお似合いだと思うよ」
「えっ?いや、絶対、ビューティー・アクアの格好も似合いますって!」
「そうかなぁ?こっちの方がさ、なんていうか、いかにも魔導師という荘厳な雰囲気があって、僕はいいと思うんだけど」
珍しく、ディーノがまともなことを言った。いや、まったくこやつのいう通りだ。魔導師は、厳かでなければならない。
「でも、あの格好でその『スーパービューティー・ウォータースプラッシュ・トルネード』と唱えるところも、それはそれで見てみた……ふぎゅっ!」
と、せっかく褒めた矢先に、これだ。まったく、私を馬鹿にしてるのか?
それからしばらくの間、私はこの会議室で魔物のことをこの二人に話す。
「森に現れる魔物には、ゴブリン、ケルベロス、キマイラ、そして龍族。例えば翼竜や火龍が現れます。稀に巨人のサイクロプス、そして地龍が現れることもありますが、私は見たことがありません。水辺に出れば、それらに加えて大量のスライムや、水龍が現れることもあるのです。夜にはスライム以外はほぼ活動することはありませんが、代わりに、双頭の狼オルトロスが、群れとなって現れます」
こやつらの星には、魔物というものがいないらしい。いる星もあるようだが、極めて珍しいそうだ。
「で、その魔物がある種の統率の元、動いているんじゃないかって、王国の人たちは考えているんだよね?」
「はい。必ず二種類以上の魔物が組み合わさって、協調して襲いかかってくるんです。他の野生の獣で、そんな習性を持つものはおりません。どう考えても、裏で操る者がいるとしか、考えられないのです」
「うーん……」
ディーノは考え込んでしまう。それを聞いていたクレーリアが割って入る。
「あのさ、魔物がたまたま、一緒に行動していたってことはないの?」
「いえ、いつも共闘を仕掛けてくるので、それはあまりにも不自然だということになったのです。ところが、王都の周りにくると、ゴブリンのような単一の魔物が群れで迫ることはあっても、複数種の魔物が共闘するということはないんですよ。あくまでもそれは、大陸中央に近づくにつれてみられる現象なんですよ」
「ふうん、でもさ、その魔族って未だにその姿を捉えてないんでしょう?姿も表さないのに、どうやって魔物を操っているの?」
「そ、それは……」
仮にもこやつは軍人だ。我々すらも不思議に思っていることを、突いてきた。が、ディーノが反論する。
「いや、僕はエリゼさんの言う魔族の存在を、信じるな」
「なぜですか。ピエラントーニ中尉は、その魔族に会ったのですが?」
「いや、会ったわけではない。が、その存在を確信せざるを得ない瞬間に出会ったからだ」
「なんなのです、それは?」
「この間、人型重機で出撃した時だ。そのサラマンダーってやつに飛びかかられた時、僕ははめられたと思った。もう少し具体的に言えば、宙に浮く人型重機に合わせて、戦術を変えてきた。そんな芸当、あの頭の悪そうな魔物にはできそうにない。なんらかのブレーンの存在を感じざるを得なかったね」
「そんなことがあったんですか……それは確かに、不思議ですよねぇ」
ディーノがクレーシアに、魔族の存在について述べてくれた。でも確かに、あの火龍の動きはおかしかった。我々相手には、あんな行動は取らない。というか、森の木々に潜んでいる時点で我々は、あれを見つけてしまう。
木のてっぺんに生い茂る葉を隠れ蓑にして可能にする戦い方だった。それはすなわち、空を舞うギガンテスを狙っての行動だ。もしかするとあの翼竜は、ギガンテスを引きつけるための囮だったのかもしれない。そう考えれば、筋が通る。
だが、そんな複雑な思考、龍族に出来るわけがない。私自身、龍族同士が共闘するなんてところを、初めてみた。たいていはゴブリンと龍族のいずれか、という組み合わせが普通だ。
と、魔族の存在という話に言及し始めたところで、突然、ウォーンという大きな音が鳴り響く。
なんだろう、この音は?けたたましく、そして人の緊張を煽るような鋭い音。クレーシアもディーノも、険しい顔で立ち上がる。
と、艦内放送が聞こえてくる。
『達する!艦長のモルターリだ!敵艦隊、接近!3時方向、距離40万キロ、数10!地球に向けて進撃中の模様!これより我が艦隊はこの敵艦隊を追尾し、これを攻撃する!』
なんだって?敵が、迫っているの?この真っ暗な宇宙という場所で、何かが現れたようだ。それを聞いたディーノとクレーシアは動き出す。
「主計科には、船外服準備の命が下るはずだ。直ちに、主計室へ!」
「はっ!了解です!」
「エリゼさんは、僕と共に艦橋へ!」
「はい!」
なんだか、とんでもないことになってきた。魔物がいるはずのないこの宇宙で、戦いが始まろうとしていた。




