#2 崖っぷち
「な、なぜですか、ゾルバルト様!」
突然のこの宣告に、私は抗議する。が、その問いに応えたのはゾルバルト様ではなく、ブルーノ様だった。
「なぜ?それは、こちらが聞きたいくらいだ。あれほど無能、無効果な魔導しか持たず、よくもまあこの魔王討伐のパーティーに同行できるなどと、思えるものだな」
賢者の辛辣な一言が、私に投げかけられる。
「そうだそうだ!ゴブリン1匹すらもとどめを刺せないあんな水魔導など、なんの役に立つというのか?」
「だから最初から水魔導など使わず、我が火魔導を前面に立てれば良いと主張していたのだ!大木の前に吹くそよ風のような貧弱な魔導など、不要であろう!」
コンラーディン殿、ライナルト殿も、それに乗じて私の魔導を批判する。私は、反論する。
「で、ですが、私の魔導は範囲攻撃ができます!群れで襲いかかる魔物らに対しては、私以外には……」
そう訴える私を、賢者ブルーノ様が右手を差し出し制止する。そして、こう述べる。
「確かに、範囲攻撃ができるのは貴殿だけだ。が、この先の戦いでは、考慮すべきことが二つある」
「ふ、二つ、でございますか?」
「まず一つは、この先には小物の群れよりも、巨大な魔物らが現れることが増えるであろう。範囲攻撃よりも、強大な魔導による一点突破の方が、より有用となる」
「は、はい……」
「そして二つ目。この先には、人の住まう集落はない。つまり、兵糧を得る手段がなく、手持ちの限られた兵糧でこの奥地へと進まねばならぬ」
「それは、おっしゃる通りです……」
「つまりだ、食い物に見合うだけの働きをしない穀潰しを、同行させるわけにはいかない。そういうことだ」
この一言に、私は反論することは敵わない。もはや、何を言っても聞き入れてはもらえないだろう。そう私は、察する。
「……と、いうことだ。今から引き返せば、貴殿の足でも3日ほどでグアナレルの村に辿り着けるだろう」
と言いながら、小さな袋をポンと私に手渡す賢者ブルーノ様。
「もっとも、辿り着ければ、の話だがな」
笑みを浮かべつつ、賢者は私にそう告げる。他の3人は、何も言わず振り返り、荒野と化したその大地を進む。賢者も、それに続く。
その4人の後ろを、私はもう追うことはできない。私はその一行とは逆の方角へと足を向ける。
悲しいとか、怒りとか、そういった感情はあまり、起こらない。
心のどこかで、こうなる日が来ることを予見していた。むしろ、このまま邪険にされ続けることの虚しさから解放される。その気持ちの方が、大きいかもしれない。
いや、心乱している場合ではないという、本能的に感じる危機感の方が、上回っているだけなのかもしれない。何せここは、大陸中央部。太古の昔より、人が立ち入れない、魔物の闊歩する地。
その地に、たった一人残された。それがどういうことか、私は理解しているつもりだ。
空には、翼竜が見える。木陰に隠れた私は気付かれることなく、その場を乗り切る。
が、さっきの戦いで多量の魔力を使い果たしたばかり。頭が、くらくらする。私はまず、飲み水を探そう。そう思い、私は木々の間を彷徨う。
と、泉らしき場所が見える。せせらぎの音が、かすかに聞こえてきた。水を求める私は、その泉へと急いだ。が、その泉の手前で止まり、木陰に隠れる。
ゴブリンの群れが、泉に集まっている。水浴びをする者もいる。どうやらここは、ゴブリンが使う泉のようだ。しばらくその場にて隙を伺うも、彼らは全く動く気配がない。これではダメだ……私は、その場を立ち去る。
しばらく木々の合間を彷徨うも、泉は見つからない。喉の渇きは、限界に達する。仕方がない……私は、杖を掲げる。
「……水の神、ネプトゥヌスよ。我に水の妖精の力を授け、我らの道を妨げる真悪なる者を掃滅せよ!」
別に、倒すべき相手はいないのだが、私の目的は水弾を出し、それを得ることだ。つまり、自らの魔術で生み出される水で、喉の渇きを癒す。
だが、できることならこの水を飲みたくはなかった。なんとなくだが、まるで自身の身体から滲み出た汗を飲んでいるかのような、そんな感覚を持ってしまう。しかし、背に腹はかえられない。大葉の上に溜まった、少し生暖かいその水を手で掬い取り、喉の渇きを癒す。
それから、しばらくの間、森の木々の間を歩く。が、やがて、木々の切れ目に達する。
草原だ。ここからは、草原が続く。
つまり、身を隠す術のない場所に達する。
だが、ここを抜けねば、人里へは戻れない。
私は、木陰から遠くをうかがう。見渡す限りの空と地上には、魔物の姿はない。私は恐る恐る、草原へと入る。
日はまだ高い。夜の闇に紛れて抜けることも考えたが、夜になればここは、夜行性の双頭の狼オルトロスの群れが闊歩する場所。昼間ならばまだ、魔物の姿を捉えて逃げることができるだけマシだと、そう言い聞かせて私は草原を進む。
早足で歩くも、丈の高い草が行く手を邪魔する。さりとてその草は身を隠せるほどの高さはなく、いっそ草などない方が都合が良い。
賢者から、最後に受け取ったあの袋を開く。入っていたのは、オニクルミの実。よりにもよって、厄介な硬い殻の実ばかりをよこしてくれたものだ。それをナイフで切れ込みを入れ、歯で砕きながら、私は口に入れる。
その間も、歩みを止めるわけには行かない。一刻も早く、ここを通り抜けねば危ない。確かこの先にはまた、森があるはず。そこにもゴブリンやケルベロス、キマイラなどが棲むが、身を隠すことができるだけ、ここよりはいい。
日暮れまでには、なんとかそこまでたどり着こう。そう決めて歩むも、なかなか足が思うように進まない。
それでもなんとか進むと、丈の高い草むらに出会う。私は、その草むらに身を寄せる。草の中にしゃがみ込み、一休みすることにする。
……
……
なんだろうか。
急に私の心に、虚しさが沸き起こる。
どうして私は今、草原で一人、怯えながら進まなくてはならないのだろうか?
決して私は、足手まといではなかったはずだ。私が足止めせねば、パーティーの苦戦は避けられなかった。
だが、いつも私の魔導は、力量不足だと罵られ続けてきた。敵を倒せていない。だから無能だ、と。
それを私は、受け入れてしまった。心の底では納得などしていないのに、彼らの言い分を受け入れてしまった。
今頃になって、ふつふつと怒りと虚しさが、込み上げてくる。草むらに身を寄せた、この我が身の儚さを実感するに連れて、なぜ私はあの時、もっと抗議しなかったのだろうかと後悔する。
悔しい。私が今、思うことは、この一言に尽きる。
そう、悔しい、悔しい、悔しい!
何が勇者だ。味方を援護し続けた魔導師に、感謝どころか引導を渡す。女魔導師一人を救うこともできず、世界を救うことなど、叶うはずもないではないか。
何が賢者だ。私の働きの重さに気づけず、辛辣な一言しか言えなかった。自身は初級魔導しか操れぬくせに、ただ王国での身分が高いというだけで、私の主人かのように振る舞っていた。
何が剣士だ、何が火の魔導師だ。私の影に隠れて、相手が怯んだところででしゃばって、手柄を挙げていただけではないか。
「あーっ!もう!悔しいーっ!」
思わず私は、立ち上がって叫んでしまう。怒りのあまり、手に持った杖を草むらの中に投げつける。そんなことをしたところで、ただ草がなびくだけなのだが、怒りのぶつけどころを見出せない私は、柔らかな穂をつけたその長草に当たり散らすしか、高ぶる感情を弾け飛ばせない。
だが、魔物の闊歩するこんな草原の只中で騒げば当然、魔物が私を嗅ぎつける。
突然、頭上を大きなものが横切る。日の光が遮られ、私は一瞬、影に覆われる。その影の主を目の当たりにした私は、はっと我に返る。
翼竜だ。1匹の翼竜が、私の姿を見つけて舞い降りてきた。
慌てて身を隠すも、もはや隠れようがない。これが森ならば、木々に紛れて逃げおおせるが、ここは背丈の低い草むらしかなく、紛れることなどできない。
私の頭上を過ぎて、大きく翻り、再びこちらへと向かってくる翼竜。その大きな羽と、鋭い目と牙にぞくっと恐怖を感じるが、私は杖を握りしめ、その先を翼竜に向ける。
たかが1匹の翼竜相手だ。私とてエスタード王国公認の上級魔導師、あの程度の魔物ならば、私一人でも太刀打ちできる。
私は、自身の魔導を発動すべく、詠唱する。
「……水の神、ネプトゥヌスよ。我に水の妖精の力を授け、我らの道を妨げる真悪なる者を掃滅せよ!」
意識を一点に集中させる。いつもならば数体の獲物に分散していたその魔力を、目の前の翼竜ただ一点に集める。巨大な水弾が、杖の先に現れる。それを見ても、怯むことなく向かってくる翼竜。その呆れるほどの自信に、私は勇者らへの怒りも合わせてぶつけたくなる。
そして、巨大化したその水弾を、翼竜に叩きつける。
すでに至近距離にまで迫っていたその魔物に、勢いよく水弾が叩きつけられる。ズンッという鈍い音と共に、水弾は弾け飛ぶ。辺りは、水飛沫で覆われる。
「や……やったか?」
一瞬、私は勝利を確信する。それは、今までもあのパーティーにいて、何度も感じた感触だ。あれだけの魔力を、たった1匹に叩きつけたのだ。いくら翼竜といえど、耐えられるはずもない……
が、一体、私はこの時どうして勝利など、確信してしまったのだろう?
わずか一瞬の後に、その自信が脆くも崩れる瞬間を、目の当たりにすることとなる。
水飛沫の壁から、あの翼竜が飛び出してきた。鋭い牙を剥き出しにして、私に襲いかかってくる。慌てて私は身体を伏せて、かろうじてやつの口元をかわす。
なんてことだ……私の渾身の一撃が、通用しない?ひらりと翻る翼竜が、再び私に向かって突っ込んできた時、私は己の無力さに打ちのめされていた。
「……み、水の神、ネプトゥヌス……」
再び詠唱を始めるも、その翼竜はすでに私の目の前に降り立っていた。そして、鋭い爪を持つ脚で、無造作に私を蹴り飛ばす。
その剛力に吹き飛ばされ、私は草むらに叩きつけられる。一瞬、目の前が真っ暗になるが、すぐに視界を取り戻す。が、その視界いっぱいに、群青色の不気味な巨体が、立ちはだかる。
ああ、これが私の「死」か。あの傲慢な勇者も、愚かな賢者も、正しかったというのか?立ち上がる力すらも失った私は、諦めと絶望で、翼竜からのとどめの一撃をその眼で捉えようとしていた。
が、その時だ。
その翼竜の巨体が、動く。
といっても、こちらに向かってではない。なぜか、真横に向けて、吹き飛ぶように視界から消える。
変わって現れたのは、見たこともない影。
それは、人の形をしている。否、あれは人などではない。
背丈は人の数倍はあり、首らしきものはなく、手足は短くて、太い。
鋼のようなその身体は、巨体とは思えぬほど、軽やかに動く。そしてその巨体が、あの翼竜をいともたやすく跳ね除ける。
それを見た私の脳裏には、ある名前が浮かび上がる。
ギガンテス。魔物の頂点に君臨する巨人族。その身体は大きく、凄まじい力と、強大な魔導を放つことができる、まさに伝説の魔物。
そんな魔物が、私の前に現れたのだった。




