武本だから③
「すまないね。妻をそろそろ休ませたくて。」
髙の隣りで妻の杏子が柔らかく微笑んでいる。
以前は鋭角的な顔立ちばかりが目立つ美人であったが、髙と結婚してから顔つきに丸みが出ているのだ。
子供が腹にいるからか?
「この会場のホテルの部屋は大きいだけでなくて、ヨーロッパの老舗ホテルのような素敵な内装で夢のようですよ。それで僕達ばっかりって気になって。虎輔もなずなも空港で別れたきりで、あの子たちがどうしたかご存知ですか?」
髙家には杏子の連れてきた甲斐犬の雑種犬以外に、髙の愛娘のブリュッセルグリフォンがいる。
虐待で片目を失って殺処分される予定だった仔犬を引き取った髙は、その小型犬を物凄く可愛がっているのであり、髙がなずなを貨物室に入れる筈は無く、玄人のアンズの扱いと同じくなずなは客室で彼の膝上で甘やかされていた。
だが、空港ではなずなと髙は強制的に引き離されたのである。
俺達の小型セスナには乗せられないと、アンズ以外の動物達はジャンボに乗せてきた結婚式用の貨物と一緒に車で空港から運んだのである。
「ゴンタと一緒に武本家の牧場に放してしまいました。俺と玄人が牧場主に預けた時は元気でしたし、昼間は雪の中を走り回って喜んでいたそうですよ。」
牧場主の写真メールを杏子に見せると、馬鹿犬二匹が雪まみれで走り回って転がっている姿と温かい厩舎で二匹が寄り添って眠っている姿に、ほっとしたように目を細めた。
飛行機の貨物室での俺の不用意な言葉が気にかかっていたのであろう。
いつまでも暴れる犬の側を心配して離れない身重の女と、彼女に寄り添う夫を客室に戻すためにかけた言葉だ。
俺は早く客室に落ち着きたかった。
「知らない所だと暴れていますが、隣のゴンタの臭いですぐに落ち着きますよ。目が見えないんだから仕方が無い。杏子さんの臭いがあるとかえって甘えて落ち着かないから戻って下さい。」
「虎輔は目が見えなかったの?」
「え、百目鬼さん、それ本当?」
俺は髙夫婦が気がついてなかった事こそ驚いたのだと思い出した。
「ぼ、僕のなずなちゃんは?そこじゃ、死んじゃわない?」
髙の不安に塗れた声に、俺が虎輔ばかりを気にして答えていたと気がついた。
「武本家にいますよ。明後日東京に発つ時に飛行機では連れて行けないでしょうから、新潟まで連れて行って楊に渡します。俺達は一月の八日まで新潟でだらけますから、虎輔の帰宅はもう少し遅れますけどね。」
「髙さん、僕がなずなを抱いて可愛がるから、ハネムーンの気持ちで贅沢しちゃいなよ。」
髙はハハハと嬉しそうに笑ったが、隣の杏子は作り笑いだ。
「杏子さん、何度も言うけど犬は目が見えなくてもそんなに不幸じゃないのですよ。あいつらは元々目が悪い生き物ですから。」
「でも、数年も一緒で虎輔の目が見えなかった事に気づいてあげられなかったなんて。子供を産んでも子供の事に気づいてあげられないんじゃないかって。」
「虎輔の目が見えないとわかっていたら、杏子さんは何をしていました?」
「家具の配置を換えないようにして、ぶつかって壊したり怪我したりしないように余計な小物や壊れ物を部屋に置かないように……。」
そこで彼女は笑い出した。
涙まで浮かべて。
「イヤだ。変に暴れるあの子の為に今までしてきた事じゃない。」
「今ちゃんは良いお母さんだよね。」
なぜか山口の褒め言葉に杏子はふくれる。
「もう今泉じゃなくて髙姓なんだから、私を今ちゃん呼びはやめなさいって。」
すると、急に大きい方のちびっ子が、ハイハイと手を上げて大人の会話に入って来た。
「どうした雪乃。言ってみろ。」
「私も三厩姓を捨てても大丈夫です。百目鬼姓はカッコイイですね。パパが百目鬼さんと結婚した子は我が家の女王様だよって言っていました。」
「あ、お姉ちゃんズルイ。あたしもジョオウサマがいい!」
俺は危険性を帯び始めたらしきちびっ子二名を捕獲すると、親元に戻す旅に出ることにした。
髙夫妻と山口の笑い声を背に、少女二名を両腕に抱えて俺を祝うこの喧騒の中を歩きながら、俺は毎年何だかんだと顔を見せにくる楊の行動に気がついた。
彼は俺に「おめでとう」を言ったことは無いが、毎年必ず顔を見せに来た。
数分の時だったり勝手に泊まって行ったりと様々だが、俺を養子にした師である俊明和尚の生前から亡くなった後もずっとだったと、この間抜けな俺はようやく気がついたのである。
「俺はあいつの誕生日はそっちのけだったのにな。俺も武本だよ。」
丁度スマートフォンが震え、少女達を降ろして電話に出ると「楊」だった。
「ハッピーサンタさん。」
「うるせぇよ。」
「だって、サンタさんだよ。鳥さんのペンダントヘッド、ありがとうね。銀の鎖が無い所が悲しいけどさ。」
「何だ、お前は。銀の鎖こそ欲しかったのか。俺に鎖を首につけて欲しかったとはね。」
「ばーか。それでさ、どう?梨々子は喜んじゃって、明日の結婚式も新潟の船上パーティも楽しみだって浮かれた電話をしてきたからね。プライベートジェット快適ってさ。」
「来年から恒例パーティにしようかって言われた。俺は東京でクリスマスを――。」
「絶対に断るなよ。」
被せるように楊が強く言った。
彼は俺以上に俺の事を考えてくれているのか。
「そうだな、来年からお前は梨々子とのクリスマスだものな。」
「あら、俺に会えなくて悲しいってか?バーカ。来年は俺もそっちに行きたいからね。便乗しちゃう。毎年恒例の白波船上パーティも素敵だよね。初詣ん時に神様に頼むんだ。」
「それは絶対に止めて。これ以上淳が可哀相だよ。」
「なんで山口?」
俺はなんだか、誰かが願い事をすると、山口が蛇神様に怪我をさせられそうな気がしたのである。
(おわり)




