その臭い口を閉じておけ
愛美歌は近藤正の殺害については、認めながらも情状酌量を得ようと近藤正が家庭内暴力を振るう暴君だったと主張してきた。
「仕方がなかったんです。正は暴力的で回復したら私達は何をされるか。力さんはそれで、つい、だった。当時の私達は正の暴力で小さくなってまともな判断が付かなくなって。」
「そうですね。正さんが健康を取り戻すと離婚されるし、力さんも当時の義両親も追い出される事になりますからね。正さんはあなた方の暴力と銭ゲバ、おっとすいません。とにかく逃げ出したかったようですね。」
水野がにこやかに作った笑顔で、愛美歌に書類を読みあげた。
「そんなはずはありません。逃げ出したかったのは私達の方です。」
「依頼人を不当に貶める物言いは許容できません。」
愛美歌に被せるように弁護人が物申し、俺と水野は顔を合わせてから、彼女達に先程の水野の言葉の種明かしを水野自身がした。
「正さんのお母様の実家の、ええと、本家という言い方になるのでしょうか。正さんはそこの方、お母さまの従兄である近藤一之氏と養子縁組をされていますね。彼が最初に警察に被害届を出した暴行事件は、彼があなた方が住む近藤家から逃げる途中だと一之さんから聞いております。離婚の申請も一之さん方の弁護士に本人直筆の手紙と診断書を添えて依頼が在ったそうです。」
近藤正は葉山が最初に捜査した時と同じ、実は「純粋な被害者」であった。
彼は母親から全ての財産を相続し、近藤家で命の危険を感じながら成長し、二十五歳になった時に親族の近藤一之に助けを求めて密かに養子縁組をしたのだ。
その事実を知った近藤明達は手のひらを返し、彼が逃げ出さないように嫁を斡旋までした。
それが目の前の新井田愛美歌。
彼女は正の監視人で後の処刑人であった。
いや、配偶者と言う遺産相続人となり、正から財産を剥ぎ取る目的であるならば、ただの強盗殺人犯か。
「近藤力はあなたが正を殺したのだと証言しています。あなたが島崎初音さんを殺害したように、と。あなた方は高部希美子が作った麻薬愛好会のメンバーでもあるのですね。あなたにもご主人にもコカインの使用が認められています。あなた方は上手くやったと思いながらも、全ての金銭をコカインというものに注ぎ込んでしまった落伍者です。」
俺は彼女の前に座ってにこやかに彼女に語りかけた。彼女は島崎の財産を奪っておきながら、一瞬で財産が消えるほどの借金塗れの状態であった。
使途不明金の殆んどが麻薬だったのであろう。
彼女の栄養状態の悪い老人のような皺だらけの顔に、ミイラのように骨と皮だけというガリガリに痩せた体は、麻薬中毒患者の症状の一つでもある。
高部は妹を貶め父親の死を招いた彼らから、麻薬を使って彼らが一番愛していた金と支配権を奪ったのだ。
麻薬を管理する高部には逆らえない。
そして高部はいつの間にか家族の復讐を忘れ、他人を支配して壊すことだけに集中してしまったのだろう。
彼女が殺した罪のない動物病院の院長に、麻薬の味を覚えさせられた中高生の子供達。
これは決して許されるものではない。
「仕方がないでしょう。不幸なんだから。不幸だから麻薬に逃げたの。」
「あんたの家に不幸にされた女性は、麻薬なんかしないで生きているけどね。」
水野の言葉に愛美歌はワハハと大声で笑い声を立てた。
愛美歌が大きく開けた口の中は、白い歯を探す方が難しいぐらいに歯が真っ黒に染まり、歯茎も紫色に腐っていた。
彼女の口の中から溢れ出した異臭に、俺は自分の鼻を抑えようと動く手を意識的に抑えなければいけない程だった。
「あんな醜い顔じゃあ、出たくても外に出られないだけじゃない。それで時々力達が慰めに行ってあげていたのにさあ。彼が捕まったら彼女は一人で可哀相ね。」
水野はばっと立ち上がり、俺は彼女が愛美歌に殴りかかる前に彼女を抱きついて止めた。
「だめ、だめ。みっちゃん、だめ。」
「こんな女と葉山さんが付き合っていたなんて信じられないよ。」
「ほら、彼は守備範囲が広いから。」
水野はふっと鼻で笑うと大きく息を吐いて座りなおし、蔑んだ目で愛美歌を見返した。
しかし目の前の女は、物ともしないどころか逆に活気を呼び戻しているのだ。
「あら、友君?彼はどこ行ったの?間抜けな友君。彼が全部悪いのよ。家が破産しても官僚になるって教えてくれていたら別れないでやったのに。それにせっかく再会の時にチャンスを上げたのに、余計なことしかしない。お陰で私の父は自殺したし、私は近藤家から出る嵌めよ。彼はそこのガラスから見ているんでしょう。せっかくのキャリアがこんな署で骨を埋めるなんて可哀相ね。」
本来ならば同調してさらに被疑者に喋らせるべきであるのに、俺は目の前の女に葉山を語らせたくないと、余計な一言を吐いてしまった。
「おや、彼は出世するキャリアのままですよ。こんな所にいるわけ無いじゃないですか。」




