思い出すのも情けない
「辛いだろうけど仕方がないよ。指の処置には切るしかなかったんだから。」
親友は慰めてくれるが、あれはただの指輪じゃないのだ。
玄人が死に掛けて、そのせいで体が変化して俺への気持ちを諦めながらも、俺の誕生日プレゼントとしてあれを購入し、そして、俺に渡せる時までずっと持ち歩いていたものなのだ。
俺が彼を切り捨てたことを知っていながら、だ。
「被疑者に噛み付かれたんだ。君の指を守ってくれたんだと考えなよ。」
包帯の巻かれた左手を悲しい思いで見つめながら、自分の失敗に歯噛みをした。
「僕は本当に無能な刑事になってしまったよ。尋問室で押し倒されて噛みつかれて。処置中に医者にも看護師にも指輪を捨てないでくれって伝えることも忘れていたなんてさ。」
噛み付かれて切れた腱と血管を繋ぎ、砕かれた指の骨の形成の手術で既に夕方近くになっていた。
部分麻酔で左半身が気だるく重いまま、俺は手術後に運ばれた部屋で麻酔が完全に醒めるまで留めおかれている。
俺が押し込められた入院用でないこの病室は、新生児室のように廊下側が大きなガラスが嵌っていた。
そんな丸見えでプライバシーのない環境のため、葉山は入室して俺の様子を目にした途端にベッド周りにカーテンを引いてくれた。
「それで、山さんは入院するの?」
「うん、それね。」
入院して明日経過を確認して退院するか、今日は帰宅して明日一番に来院するか決めろと手術後事務方の人間に言われたが、今の俺には入院して麻酔を注入して意識を失わせて欲しい、それ一択だ。
痛み止めを頂戴!
体を動かせない今の俺は、くどくどと泣き言を言うだけしかできない、新生児同様なのである。
葉山は元気付けるつもりか、俺の右肩にそっと触れた。
「あ、っつ。」
「あ、ごめん。」
本当に情けない事に、俺は左手二本の指だけでなく背中全体に打撲傷も受けているのである。
「今日は入院するよ。それで明日帰るから付き添ってもらえるかな。背中が痛くて体が動かせそうもない。情けないよ。十年近くも刑事をやっていてさ。」
「いいから。ちゃんと明日迎えに来るから心配しないで。そうだ、かわさんが百目鬼さん達を連れて向かっているって、髙さんからメールが着ているよ。彼等の車はパトカーで誘導してもらっているらしいからね、すぐに到着するだろうからさ、元気出して。」
「パトカー?公私混同で叱られないかね。」
「髙さんのすることなら大丈夫じゃない?」
「確かに。はは、僕は彼の薫陶を受けていたはずなのにさ。」
ベテランの筈の俺は尋問中に間違いを二つ犯してしまったのだ。
まず、弁護士の言うままに石井美香、新井田愛美歌の拘束を緩めたことが第一の間違いだろう。
また、弁護士も愛美歌も女性であり、尋問室には俺だけではなくケダモノ水野も同席しており、暴力的な展開になるはずはないと思い込んだ浅はかさが、俺が犯した第二の間違いとなる。
その上、間抜けな俺は容疑者にプライベートまでをも告白してしまった。
あ、これだと俺が犯した間違いが三つとなるか?
「面白い指輪ね。」
「恋人からの贈り物なんだ。」
俺は葉山がしない報復をしたかったのかもしれない。
指輪に興味を見せた愛美歌に恋人のいる幸せな男を見せ付けることで、金に狂った彼女にその人生の空しさを思い知らせたかったのである。
ただし、葉山から見せてもらった彼と付き合っていた当時の写真と今を比べると、彼女は自分自身の人生によって罰をその身に受けていたと言える。
葉山と同じ年齢であるに関わらず、肌は乾燥しきって皺だらけとなっており、明るく染められた髪は艶が無く、年齢的に髪の量が平均よりも少なすぎる。
つまり、彼女は三十代に入ったばかりの若い女性の外見を失い、老年を迎える女性にしか見えない姿となってるのだ。
それでも新井田愛美歌は自分の今の外見を知らないのか、乾燥しきった唇をちろっと出した舌で舐めて潤し、俺に媚びるような視線を向けて来た。
俺が同性愛者でなくとも、俺は君に惹かれることはないよ?
俺は自分のいつもの仕事用の顔のまま、事務的に愛美歌に話しかけた。
「それで、もう一度聞くけど、近藤正の殺害は近藤力でいいんだね。」
愛美歌はそっと両手で顔を覆い、辛そうな顔つきを作った。
嘘ひとつ。
いや、嘘しかない人なのだ。




