生きてりゃいいんだ
楊をも車に乗せて相模原東署に向かう前に判明したのは、山口が尋問室で被疑者に襲われて病院に運ばれたということだけだった。
「部下に危険な尋問をさせて上司がフラフラかよ。」
ルームミラーに映る楊は、色白の顔を真っ白に近いくらいに血の気を失わせて俺の罵倒など聞こえていない様子である。
俺の声に反応もしない彼は、後部座席にぼんやりと座ったまま動かなかったが、俺の罵倒の返礼のようにして左足の膝を無意識に抱えあげた。
「座席に土足を上げるな。泥が付くじゃねぇか。足を降ろせ。」
「お前は細かくてうるさいよ。」
足を降ろしながら俺に言い返してきた楊に俺はほっとしたが、そのすぐ後に、シートの泥を払って落とした楊が再び足を抱え上げた事に、俺は大きく溜息を出すしかなかった。
「で、淳の具合はどうなんだよ!」
俺の質問に彼は自分の左手がスマートフォンを掴んだままな事にようやく気が付き、口元にスマートフォンを掴んだままの手を当てた。
それから顔を歪めると、言い難そうに数分前に得た情報を話し始めた。
「容疑者に手を噛み付かれて、左手の指が何本かいったらしい。」
ヒっと助手席の玄人が息を吸い込み、再び顔を覆う。
折の中の指はやはり山口の物かと、俺は楊の隣に置いてあるタッパーに視線を動かした。
まだくっ付くかもしれないと、折の中にあった指を氷につけて入れてあるのだ。
その作業は楊がやった。
間違った冷却方法だと指が繋がらないからと、彼が山口の指を手馴れた風に素早く処置をしたのである。
そのまま氷水は絶対にやってはいけない行為だったらしい。
俺は楊の慣れた行動に、毎日おちゃらけるだけの彼がどれだけ酷いものを見て非道な現場にいるのかと、彼に今までにない尊敬まで込めた気持ちまで抱いたのに、そこまでだった。
彼は指を失った山口の身に共感して、哀れみすぎて、自分が役に立たない人間だからと、今や己を呪うまでになっているのだ。
「俺はね、あいつが生きているんならいいよ。全部の指じゃなければ手は使える。刑事ができなくなったら早い退職して家に帰ってくりゃいいんだからよ、あいつが生きているんなら大丈夫だ。」
「お前らしいな。このまま病院に行ってくれ。」
「当たり前だよ。お前は警察に戻るなら其処から歩いて行け。」
「歩けないよ。山口が運ばれた病院は平沢記念病院の方。あっちの方が指をくっつけるのにいいからって髙が指示したそうだ。あっちも労災指定だからって。」
俺は大きく舌打をして車を止めた。
「おい、百目鬼!」
俺は車から降りて助手席に回ると、玄人のベルトを外して抱きしめるように車から降ろした。
玄人も楊と同様に俺の行動に驚いて、青い顔で俺の顔を窺っている。
「俺はそのヒラなんとかの道を知らねぇんだよ。楊、お前が運転しろ。傷つけたり事故ったら許さないからな。クロは俺の横にいろ。お前が病院に着く前に不安で死んだら、元気に生きている山口が死んでしまうだろうが。」
ハハと情けない笑い声を楊が上げ、玄人も目に輝きを戻して俺に縋りついた。
「そうだよな。あいつは怪我だけで死んでいないんだよな。怪我だけで元気なんだよな。怪我してても変わらない山口なんだよな。死んでなければなんだって出来るんだよな。」
楊は車を降りて助手席のドア前にいる俺にギュッと抱きつくと、運転席側にしっかりした足取りで歩いて行き乗り込んだ。
「行くよ!さぁお客様、お乗りください。」
「ふざけんな、馬鹿。」
後部座席に乗り込み震えが納まらない玄人を抱きしめると、車はスムーズに発進した。
「これ、面白いねぇ。最近のオートマって色々付いているのね。」
「そう思うなら新車買える金で中古車乗らずに新車買えよ。」
「オートマじゃ格好良いドリフトターンができないじゃん。」
「乱暴な運転をしたら殺すからな。」




