藪を突いたらいけません
「梨々子が俺を求めるのはそれが恋人だから当たり前って思い込んでいるからかなって、あいつの必死さがけなげで、それに応えて、それが時々辛くなるだけだよ。大丈夫。俺はまだ大丈夫。あいつの事を愛しているのは事実だからね。」
彼は僕の髪を梳くように右手を動かし、僕はその手の動きにそっと目を瞑る。
僕は楊が初めて言ってくれた辛いがわかったし、大丈夫も僕と共通しているとわかったからだ。
「僕も、二人を愛しているから応えたいだけです。大丈夫。それに、僕には性欲は無いけど、快楽は好きです。彼らは僕に快楽を与えてくれるから、だから、僕も楽しんでいるから大丈夫です。楽しんでいるだけだからまぐろにしかなれませんけどね。やっぱり男性を舐め返したり触り返したりは、異性愛者の僕には無理でしょう。」
「確かに。」
くすくすと笑う楊の低い音が響いた。
「それに、僕が女の人を好きになっても、キスしたり、ましてや良純さんや淳平君が僕にするような行為をしたいとも思わないからいいのです。僕の体は出来ないですしね。」
楊の手がぴたりと止まり、そして僕に聞き返してきた声は彼にしては深く低かった。
あの夜に盗み聞いた擦れた渋い声。
「それは、……辛いか?」
「人並みになろうと頑張っていた頃は、精通も無い体であることが辛かったけれど、自分を受け入れて、受け入れて貰えた今は全く。精子を出すってそんなに気持ちの良い行為なのですか?沢山我慢したおしっこをした時みたい?」
「ばか。」
彼は喉の奥で笑い声を立てながら、再び僕の額に額を軽く当てた。
僕も彼に釣られてフフっと笑い声を立てて目を開けると、楊の顔が間近に迫っていた。
近過ぎるよ、と楊を見返したら、彼はハっとした表情をして、僕の頭を彼の胸に埋めるように抱きしめてから解放し、彼自身はハハハと大きく笑い出して畳に転がった。
「お前凄いよ、凄い可愛い。これで男を落としているんだな。本当に凄いよ。」
僕は楊に褒められているのかディスられているのか判断が付かずに、腹を抱えて転がって笑い声を立てている楊をオロオロと見守るしかなかった。
「え、えと。か、かわちゃんは元気になった?」
転がっていた彼はピタリと笑いを止めて僕を見返すと、再びのそのそと動いて僕の膝に頭を乗せた。
「元気じゃない。」
僕が仕方が無く再び彼の背中をトントンとしていると、楊はひょいと僕を見返してニヤっと笑い、梨々子の喜びそうな擦れた声で囁いた。
「お前は凄いよ。」
「何がですか?」
「うちの補充人員、早速一名決まったのだけどね。なんと、本部の有望株だった五月女君が志願してきちゃったの。一応ね、ちびは淳平という恋人もいるから落とせないよって伝えたんだけどねぇ。良いですってさぁ、彼を守れる場所にいたいですって。俺も髙も唖然としちゃったよ。」
「かわちゃん?」
「確かにね。お前はメチャクチャ可愛いもんなぁ。驚いて俺を見返した顔は、この俺でさえ勃起ちそうになったからね。お前は凄いよ。」
ニヤニヤと悪戯坊主のような顔つきで僕を見返す楊こそ、誰よりも魅力的なのに、と僕は思った。
「かわちゃんこそ、僕でさえとろけそうな魅力を出せる癖に。」
パシっと頭を叩かれた。
「大人をからかうんじゃないの。俺はモテた事がない男だよ。それなのに梨々子が俺にぞっこんなんだよ。これはあいつが友達も経験も無いからだろ。」
こんなハンサムで気立ての良い年上の男に出会ったら、同年代の男は全てゴミ屑ではないでしょうか。
まぁ、僕の膝の上で鼻に皺を寄せて凄む変顔の楊は魅力が台無しだが。
「からかってませんよ。かわちゃんは本当に魅力的ですよ。」
パシ。
再び叩かれた僕は、楊を膝から思いっきり落とした。
「いたっ。」
声をあげて転がった彼は、頬を膨らませるとスクっと起き上がり胡坐をかいた。
「お前ったら酷いよ。」
「かわちゃんだって。褒めているのに僕を叩く。酷いです。」
「おべんちゃらを言うからだよ。なんだよ、僕もとろけそうって。」
とろけそうの所で、楊は体を嫌らしくくねった。
「おべんちゃらじゃないです。」
「お前は誰にでもいい顔をするだろ。俺にとろけそうなんだったら、俺にキスでもしてみろよ。できないだろ。」
楊に乗せられただけなのかも知れないが、僕は楊に証明しなければいけない気になったのだ。
僕は彼の頭を両手で掴むと、生まれて二度目の自分からのキスをした。
ただ、僕は重要な事を忘れていた。
自称メタラーで体育会系の楊は、ノリこそ全ての男でもあったのだ。
彼は僕を強く抱きしめると、濃厚なだけのキスを返してきた。
僕は慌てて彼の腕から逃れようと彼の腕をパシパシと叩いて身を捩る。
「ちょっと、かわちゃん。ちょっと。何を考えているの?」
「お前から誘っといてなんだよ。誘われたら返すものだろうが。」
「あなたはその体育会系のノリだから、全然モテないんでしょうよ!ぜんぜん下手くそだし!」
「だと、このやろう。」
彼は僕に再び攻撃を仕掛け、僕は薮蛇という格言の意味を思い知った。




