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過去の清算はすべきであり、遺恨を残すならば命を失う覚悟を決めろ(馬14)  作者: 蔵前
十一 聖人は聖人だからこそ処刑台に送られる
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永遠の孤独

 ベンチに足首を拘束されて座る男は、百八十以上ある俺よりは小柄であるが、幅は俺の二倍近くはある。

 もし、彼が暴れたら俺では彼を制御出来ない事は確実だ。

 彼が暴れる事が絶対に無い事を知っている俺でさえ、その可能性を考えたのだ。


 それで彼は恐れられ閉じ込められ続けたのだろうか。


 男は俺の気配に気づいて俺を見上げ、俺はその大男の手に右手の指先で触れた。

 すると彼は嫌がる素振りも見せずに、いや、喜びさえも持って俺に触れさせているのだ。


「あなたは目も見えない。音も無い。でも、こうやって人に触れると世界が見えるから、その障害の事を気づかれずにここに閉じ込められたのですね。」


 大男は嬉しそうに俺の手に自分のもう片方の手を添えて、俺にそうだという風に大きく頷いた。

 先天的に耳の聞こえない彼は療育などされた事など無く、俺の言葉の音が聞こえる訳もなく、それどころか、俺が話す言葉の意味だって理解していないだろう。

 彼は人に優しく触れられているという、たったそれだけのささやかな行為に狂喜しているだけなのだ。


「目が見えないのか?耳も?」


 楊の驚いた声に、俺も驚いて彼に振り返った。


「それを確認して欲しいのかと。」


「……いや、違うよ。彼の目は焦点が合っているだろ。でも、見えないのか?」


 俺は再び大男を見下ろし、彼の握る自分の手に力を込めて握り返す。

 握り返された事に喜びか、目を見開いた彼はゆっくりと俺を見上げた。

 その見えないはずなのに真っ直ぐに見つめる目は、楊が言う通りに焦点が合っているものだった。

 これならば誰もが彼が見えていると勘違いするだろう。

 彼は触れた相手の視界を使っているに過ぎない。

 そして、他人の視界を使うことで、彼の世界は彼だけだ。

 彼を見つめる人間が見えない。


「違う。あなたの事に気づいてあなたに世界を見せてくれた人がいたのですね。手を繋いで彼女の見る世界を一緒に見る。でも、あなたは彼女の内面まで見えてしまった。」


 彼は音が聞こえないから、理解できない音は無音と同じ、よって人に触れて覗くことのできる世界は無音の映像でしかない。

 さらに、無音の新たな世界の映像は、彼の人格を通して観るから善でしかないのだろう。

 彼の力と実際に気づいた女は、最初は鏡に映る自分を見せ、屋上の庭園を見せ、絵本を一緒に読んであげた。


 違う。

 それらの行為は偶然の産物なだけで、女は彼が彼女を一心に慕う事に気づいただけだ。

 そして彼女の駒になるように構っていただけだ。

 それでもそんな扱いが生まれて初めての彼は、彼女の存在が世界そのものとなり、彼女の世界を守るために彼女の記憶を読んだ方法で彼女の不安を取り除いていたのだ。


 違う。

 体をきれいに優しく洗う行為は別の人間によってだ。

 あれは彼の父親なのだろうか。

 彼を保護した先の介護士か?


 殴られて青あざだらけの、その上に糞尿に塗れていた彼から汚濁を洗い流したその行為、それは彼には人間として扱われ優しくされた大事な記憶だ。


「どうした?山口?」


「かわさん、酷いよ。俺にこんな世界は辛過ぎる。」


「何が見えたんだ?」


「知っていたのでしょう。彼が遺体をポリバケツに入れてゴミ捨て場に出したのだって。ヘルパーの彼女の担当する人が死んでしまって彼女が困ったから。でも彼は利用されたのですよ。一番目は多分彼女の不注意でベッドから落ちて凍死した人です。いや、彼女が腹立ちまぐれに何度か殴っていた。殺して始末に困ったから、死体の側に彼は捨てられたんだ。全部、施設を逃げ出した狂人の仕業にするために。」


「彼は遺体を捨てただけかい?」


「彼は捨てていませんよ。弔っただけです。彼女が遺体をガムテープで固定すると、別の男がその遺体をポリバケツに入れた映像を見て、その通りに行っただけです。彼はね、誰も世界を教えてくれなかったから、世界の仕組みを知らない赤ん坊同然なのですよ。」

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