楊と良純和尚
僕には「泊る!」と笑顔を見せた梨々子だが、初対面の年上の女性達が自分を図々しいと嫌うかもと思ったのか、急におどおどして佐藤達を見上げた。
実際は一七〇センチある梨々子の方が僕達よりも背が高いが、今は玄関という段差のある場所にいるため、彼女は僕達よりも小さくなっている。
そのせいで、本当に梨々子が小さい女の子になって見えた。
「お、ちゃんと泊まる準備してきたんだ。賢い賢い。ほら、上がれ。」
みっちゃん、ここは僕ん家。
「そうそう、上がって上がって。ご飯は食べて来たの?まだだったら、これから一緒に食べようか?」
さっちゃん、そのご飯を作る人が、うぐって、怖い声を出したよ!
しかし、梨々子は小学生の様な笑顔を顔に浮かべると、ただいまと言いそうな勢いで玄関を上がって来た。
「ねえ、あんたもかわさんの情けない萌えみたいな?」
「ほら、みっちゃん。私達には見せない面をかわさんは見せているのかもよ?かわさんのあんなことやこんなことを今晩は洗いざらい喋ってもらおうかな。」
今や梨々子は水野に頭をなでられ、佐藤には頬をつつかれている。
親友が祖母と母親だけの彼女は初対面の水野と佐藤に簡単に懐き、早速と連絡先を交換し合い彼女達に何でもすると僕の前で誓っていた。
手下になったといった方が正しいか。
僕の頭の中にあの日の楊の声が蘇った。
「あいつはさぁ、俺しかいないからね。大学で世界を広げてさ、それでも俺が好きなら嬉しいけどね、世界を知らないまま俺の世界に閉じ込めちゃうのは可哀相でしょ。」
日取りを決めて来た楊は、出来る限り梨々子に選択肢を残したかったと語った。
「同世代の男に告られたりさ、同世代の女友達と笑ってね、そういう経験て必要でしょ。」
「じゃあ、手を出さずに我慢すれば良かったじゃねぇかよ、散々逃げ回っていた癖に。最後まで行かなくても、あれやこれやの行為はしたんだろ。」
良純和尚の正確な突っ込みに、楊はすっと目線を逸らして横を向いた。
「どうした?」
楊は此方に暗い表情を向けると、何時もの声でなく本来の楊の声、軽くないどころか掠れたハスキーさもある低い声でポツリと言った。
「他に慰め方が思いつかなかったんだよ。この年で情けねぇ。誘拐されて、誘拐犯の本当のターゲットは祖母のほうで、俺は仕事であいつのメールを見てもいなかっただろ。」
楊はそこまで言って目の前のウィスキーのグラスを煽った。
「俺に会うたび迫っていた小娘が消えて、目の前には生気が抜けた死体みたいな顔したあいつだろ。泣きもせずにぼーとしていてさ。」
グラスの氷はカランと鳴り、彼は再び琥珀色の液体を口に含んだ。
「だがよ。それで相手が元気になったんならいいじゃなぇか。それに、相手がそれを望んで楽しんでいるならね、何も考えずに若い女の体を楽しめよ。」
鬼畜和尚の言葉に楊は盛大に噴いた。
顔に酒のかかった僕はうえぇと思いながら洗面所に行ったので、その後の楊と良純和尚の会話は知らない。
僕が知っているのは、戻って襖に手をかけたそこで、襖の向こうから聞こえた良純和尚が楊を慰める言葉だけだ。
「結婚後に辛くなったらウチにいつでも来ればいいだろ。捨てられての老後だったら尚更ウチに来い。淳とクロを抱えて一人で家事をするのは俺がキツイじゃないか。」
襖の向こうの楊がどんな顔をしているか分からなかったが、聞こえた声はいつもの楊のものよりも、甘くてかすれて渋いものだった。
「ばか。」
しかし、楊のあの時の声が再生されるどころか、残念ながら今現在の、それも良純和尚の声にしてははすっぱで軽い声に、あの夜の楊の声が掻き消されてしまったとは何事だろうか。
目を上げると、なぜか真っ赤な顔をした良純和尚だ。
「馬鹿って何よ!」
「うるせぇよ。俺は飯の後は上に行くからな。」
真っ赤な彼が踵を返したが、パシっと水野が良純和尚の腰に抱き、彼が彼女を払う前にパシっと佐藤も抱きついた。
「何だよ、お前等。パジャマパーティは女だけで開催しろよ。おら、俺に飯を作らせろ!」
「えー!兄さんいないと寂しい!ご飯の後もあたしらと一緒って約束してくれなきゃ離さない~!」
「私も!兄さんともっとお喋りしたい!夜通し一緒にお喋りしましょうよ!」
「誰が兄さんだよ。放せ!」
「ホラ、梨々子!お前も抱きつけ!」
水野の命令に彼女達の奴隷となった梨々子は、ブーンと良純和尚に抱きついた。
「おにいさん!」
佐藤たちが叫ぶ「ニイサン」は、任侠の世界での「アネサン」の類義語で、家族の兄さんではないと、僕は梨々子に教えるべきか悩んでしまった。
そして良純和尚は「兄さん」と呼ぶ水野と佐藤を結局振り払えず、夕飯の後の夜通しマッドパジャマパーティに強制参加させられていたが、柔らかい表情を浮かべた彼はかなりの上機嫌でもあった。




