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和泉田家

 塀で囲まれた目の前の和風の大きな家は、寂れて打ち捨てられた有様をこの世に晒していた。

 高い塀も所々が崩れ、そこから見える庭木は手入れされておらず、庭中心に植えられたねじれた松は途中から真っ直ぐに天を突いている。


「庭に植えられた松が富の象徴なのは、あれは手が掛かるからですよ。庭師にちょくちょく手入れして捩じってもらうのです。松は真っ直ぐに伸びようとする木ですからね。」


「真っ直ぐに生やさないの?」


「捩じっても真っ直ぐに天に向かおうとするから立身出世の目出度い木なのですよ。どんなに困難でも上に向かおうってするからこそ松なのです。」


 親戚の豪邸の中庭の松を見事だと喜んでいる玄人に、松が好きなら庭に植えたらと尋ねた時に彼が教えてくれたのだ。


「あんな面倒でお金の掛かる木、他所の家の庭で観賞するのが一番です。」


 和泉田家の松を見て、俺はその通りだと思った。

 落ちぶれた時期が一目でわかる、そんな庭木など恐ろしくて植えられやしない。


「ここは空き家かな?」


「いや、人はいる。今二階のカーテンが動いたよ。」


 葉山の目敏さに賞賛を送りながら彼について塀に沿って歩き、葉山が門扉のインターフォンを押している斜め後ろから、俺は葉山が人影が見えたという二階の窓を見上げた。


 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて


 悲鳴だ

 思考も無く、自分への暴力行為に対する純粋な恐怖だけの悲鳴。


 ボックスカーに無理やりに押し込まれ、逃げ出そうと暴れる度に次々と服が破かれる。

 抵抗するたびに大きな手に顔を殴られ、手足は何本もの手で押さえつけられる。


 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて


「どうした?山さん?」


 気付けば俺はインターフォンを押す葉山の腕を掴んでいたのだ。

 おまけに涙で頬が濡れているのは、今の思念に同調しすぎたからだろう。


「駄目だよ。俺達じゃ彼女を怯えさせてしまう。女性刑事、さっちゃんかみっちゃんに頼もう。あるいは藤枝。」


「藤枝は辞めたじゃないか。」


「有給を使っているから、退職日は今月の末。まだ彼女を刑事として使える。」


「そうだね。で、どちらが電話をする?」


 和泉田家の敷地を出た俺達は、拳を握り、互いを見合った。

 そして、せいや、という掛け声とともにその手を突き出した。

 葉山は俺にパーで勝っていた。

 くそ、読み過ぎた。


「俺か。」

「普通は言い出した人間がやるものでしょう。」


 俺の電話に藤枝は想像通りに嫌そうに応対してくれた。

 だが、そんな彼女から、行ってやるよ、の返答が貰えた時には喜ばしい事なのに俺は戸惑っていた。

 いいの?と。


 藤枝と電話を終えた俺達は藤枝を待つために、和泉田家からほど近いコーヒー店に居座ることにした。

 ところが、横浜市の藤枝が相模原市に辿り着くまで想定よりも早く、店の前に一台のパトカーが止まったのである。

 何事かと店から出た俺達の前で、パトカーから颯爽と降り立ったのは、有給消化中のはずの藤枝だ。


「パトカーを使うとは。」

「俺に行くって答えてすぐに、横浜市から飛んできてくれたんだ。」


 俺達は妙に感激していた。

 藤枝は自分が俺に答えた言葉通り、横浜市からパトカーを使って俺達の前に現れたのである。

 横浜市から彼女を連れてきた制服の交通課巡査は、人形のような小柄な美女刑事ににこやかに応対し、何事もなかったように横浜市に帰って行った。


「すげぇ、マジツンデレ。チョー早い登場だよ。」

「友君、君は壊れると馬鹿な若者言葉になるのはなぜ?」


 俺達が藤枝の行動力に賞賛の笑い声を立てていると、抱っこ紐で赤ん坊を抱いている藤枝は物凄い迷惑そうな顔をして俺達に振り向いた。


「てめぇら、ろくでもない案件だったら殺すからな。」


 そして、俺達から事情を聞いた彼女は、赤ん坊を抱いたその姿のまま和泉田家に向かい、和泉田家の門扉を抜けて玄関扉前にずかずかと上がり込み、インターフォンではなく扉を素手でドンドンと叩き始めたではないか。


「けいさつでーす。開けてくださーい。近隣の聞き込みに来ましたー。あけてくださーい。いるのはわかっていまーす。開けてくださーい。」


 大声を張り上げてドンドンガンガン玄関を叩き、彼女の抱く赤ん坊は、リズミカルな藤枝の叫びにきゃっきゃっと手を叩いて喜んでいる。


「なんか、俺は藤枝を見る目が変わったね。良い奴だったんだな、彼女。」

「クロトの話だとツンデレなだけらしいよ。」


「うるせぇよ。この馬鹿コンビ。お前らも声をあげろよ。お前らがマヌケなだけの男だとわかったらドアが開くだろ。」


「やっぱ、やな奴。変わってなくて嬉しいよ。」

「久しぶりの藤枝だ。」


 藤枝の罵倒を受けて喜べる日が来るなんて、俺と葉山は思ってもいなかったよ。

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