単なる現場
つめていた息を長く吐きながら、俺の吐きそうになっていた喉元も気持も落ち着いていっていると感じた。
「此処が温室で、このゴキブリの飼育場なのはわかりましたが、今までの殺人とどこで係わって来るのでしょうね。まぁ、共通のゴキブリがありますけれど。」
部屋の中には大麻を育てているプランターも幾つか置かれている。
そして、このプランターは院長の仕業ではないであろう。
「大麻はこの部屋を入れまいと頑張った高部の仕業で、虫入り死体の制作も多分高部なのでしょうね。」
「お前がちゃんと使えるって分かって良かったよ。」
「髙さん、僕を虐めるのは止めて下さいよ。僕は何かしました?」
俺の元教官は昔の微笑みから、気安い顔つきに変えていつもの肩を竦める動作をした。
「お前とかわさんは正月にはお大臣旅行かぁ。」
俺はガクッとした。
そんなことか、と。
確かに、俺は正月の三日に楊と新潟に旅発つ。
だが、凄いのが玄人の親族の動きだ。
俺の新潟行きを確実なものとするために、研修という名の新潟県警での仕事を四日入れ込んで来たのだ。
我らが「特定犯罪対策課」の活動に似た課を新潟県警でも新設するからと、新潟県警本部長直々に申し入れて来た合同研修会だ。
俺と楊は「仕事」だと大手を振って正月に新潟に行き、呼び出しもない休暇を手に入れてしまったのである。
こんな事が実現してしまうのは、玄人の母親の姉の夫、つまり伯父が新潟県警本部長であるからだろう。
どこから見ても公私混同だぞ、いいのか?
「髙さんのお子さんは五月が予定日ですよね。かわさんから夏に家族旅行の申請があるって聞いてますよ。新潟もいいでしょうし、青森は涼しくて夏はいい所だってかわさんが言っていましたね。」
髙は片眉をすっと上げた。
「クロトにそれとなく話しておきますよ。」
「あの子はそれとなくではなくて、ダイレクトじゃないと伝わらないよ。」
「それじゃあ、クロトにダイレクトに伝えられるように、要望を具体的に教えてくださいよ。」
髙は嬉しそうにハハッと笑い、俺の背中をパシッと叩いた。
「新潟には、鳥の半身をそのままカレー味で揚げたから揚げがあるそうだよ。」
「クロトはポッポ焼きが食べたいって。イカ焼きじゃなくて細長いドラ焼きの皮みたいなお菓子なのだそうで。お祭りには必ず売っている新潟だけのものだそうですよ。」
「いいねぇ、文化が違う感じが。」
「あんたら、よく食べ物の話をここでできますね。院長がバラバラにされてゴキブリ入りの土に埋まっている現場じゃあないですか!」
鬼畜だが繊細な葉山が言うとおり、水槽の中には五十代の院長の死体が埋まっているのである。
透明なアクリル板では土中の事が良くわかり、死体が虫とバクテリアに分解されていくさまが手に取るように判る。
土の中では腐敗は少し遅れるが、院長が海外に出張に出たとスタッフが主張する一ヶ月前で間違いはないだろう。
また、巨大ゴキブリの巣には死体の破片もなく、土の上に撒かれた乾燥した葉ばかりのところを見ると、彼らは死体を食べる種ではないと推測できる。
死体を貪っているのは、俺達が現場でよく会うウジや甲虫達だ。
あの死体の体内に入れられた虫は、ただ入れられていただけのようだ。
なぜ入れたのか、そここそ考えたくもない所業だが。
「でもね、友君。この殺しは僕達が追っている犯人の殺しじゃないんだよねぇ。」
この現場を見て、最初から違ったじゃないかと、俺の刑事の勘ではなく経験の方が俺を叱りつけてきたほどだ。
連続殺人となる殺しには、加害者と動機の一致が必要だ。