虫の居所
「お前は虫案件が多いよなぁ。でもさぁ、これを全部捕まえる必要なかったんじゃない?一匹二匹逃がしてもさ、越冬できずに死んじゃうでしょ。」
楊は気に入ったのか鑑識から生きている虫を一匹譲り受け取ると、小さなプラスチックケースに入れて部署にまで持って来た。
それは死体の中に埋められていた奴ですよ?
「追い討ちをかけないで下さいよ。捕獲している最中、そんな気がしながら情けなくなっていたのですから。でも、これ逃がせませんよ。こんな気味の悪い虫は初めてです。」
「だねぇ。これ、オーストラリアのゴキブリだもん。」
俺は立ったまま気絶してしまいそうなほどの衝撃を受けた。
「ゴゴ、ゴ、ゴキブリ?」
俺が必死で捕まえた団子虫の巨大型は、実は、ただの、ゴキブリ?
手のひらサイズぐらいの、ゴム手袋はつけていたけれど、俺が手で握って捕まえた虫がゴキブリ?だった?
薄いゴム手袋でも感じる虫の生体感は思い出しても背筋がモゾモゾするのだ。
そんな気味の悪い思いをして捕まえたのが、ただのゴキブリ?
自分のデスクではなく、部署内の雑談用スペースの長椅子に座ってコーヒーを飲んでいた葉山が噴出した。
腹を抱えて笑って喜んでいる。
畜生。
そんな外道を横目で見て、俺は上司に助けを求めるように言葉が出てしまった。
「ぼ、僕が素手で頑張って捕まえた虫が、ゴキブリ?ゴキブリだったの?」
「ヨロイモグラゴキブリって奴。一匹が数万円するよ。そんな高価な奴を死体に埋めちゃうなんて豪勢だよねぇ。やっぱ捕まえる必要があったか。」
楊はプラスチックケースの中身を、興味深く楽しそうに眺めている。
落ちている生き物は何でも拾う課長を優しい人だと尊敬していましたが、そんな気持ちは今日限りにします。
そんなゴキブリにまで愛情をかけられるなんて、あなたは節操が無さすぎです。
ああ、そのヨロイさんを自宅で飼うって言い出したらどうしよう。
俺は彼の家の居候で、料理が出来ない代わりに、彼の愛鳥三羽の世話を楊の代りにしたりしている。
しかし、俺の大型の雑種犬の世話を彼が代わりにしてくれるので、俺は本当に何もしていないと気が付いた。
ペットの世話として、俺はそのグロ虫と触れ合うことになるのだろうか。
ゴキブリの世話を拒否しきれないよ、と、俺はがっくりと肩を落とした。
「輸入品でしょ。神奈川県内のペットショップにこれ持って聞き込みに行っておいで。購入者がわかれば逮捕できるでしょ。何匹だっけ、全部で。」
俺は目を瞑る。
俺は浅はかでしたすいません。
にっこりと魅力的な顔で微笑んだ上司は、嬉しくもない虫入りのプラケースを俺に押し付けるように手渡した。
あぁ、どうして捕まえちゃったのだろう。
捕まえなければ図鑑の絵をコピーして聞きまわれたのにと、ガッカリとしながら楊の質問に答えた。
「十五匹です。」
「凄いね。もしかしたら繁殖に成功した好事家がいるのかなぁ。こいつら十年生きるらしいからさ、そのくらいの幅を見て聞き込んで。」
「十年ですか?虫が?」
「蝉は何年生きるの。」
「そうでしたね。それから、この虫の特徴で他にご存知の事はございませんか?」
「なんだよ、そのいつもと違う変な話し方と挙動。」
「いえ、すいません。でも、だって。俺は今日一日で自分が壊れちゃいましたよ。」
あぁ、僕ではなく俺と言葉が出てしまっている。
くすくすと楊は笑い、長椅子の男はハハっと小気味いい笑い声をあげると、颯爽と長椅子から立ち上がった。
「俺も一緒に出るよ。」
「ありがと。友君。」
楊に渡されたプラスチックケースを抱えて、俺が葉山と部署を出ようとすると、俺の質問の答えを楊が俺達の背中に投げた。
「その虫ね、家族愛が強くて、子育てもして、家族単位で生活するんだよ。」
「うげぇ。」
俺の何時もの叫びを聞いて、葉山は何時もの彼に戻ったのかのような笑い声を上げて俺を外へと引っ張って行った。