第六話
久しぶりの投稿です。お読み頂ければと思います。
ミハイルは食事の後に飲む薬の錠剤を眺めながら思った。
この薬剤の主成分はいったい何なのだろうと。
父のヴァレリーの飲んでいる薬剤とも種類は大幅に異なっている。
ヴァレリーのように複数の色とりどりの錠剤やカプセルではない。
たった一粒だけ、赤みを帯びた清涼菓子のような錠剤だけだ。
名称もわからない。
しかし飲むのと飲まないのとでは翌日の体調が雲泥の差だ。
疲れのあまり一度だけ飲み忘れたことがあったが
高熱と倦怠感と悪寒に襲われ悪夢を見るほどにダウンしてしまった。
キリルはこれを飲んでいても万全の体調を保てない。
よほど重症なのか。
放射線障害とはいったい何なのか。
そこはかとなく抱く疑問
と自身のアイデンティティーにミハイルはいつも悩まされていた。
「父さん。ホイニキには今もまだ帰れないの?」
「またその話か。」
リビングでヴァレリーはもう少しで終わろうとしている「今日」の新聞を拡げながらミハイルの問いに呟いた。
「あそこは森一つはさんですぐチェルノブイリだ。今も線量がすごい。帰れるわけがない。」
ヴァレリーの返答にミハイルは静かに自身の気持ちを語った。
「俺もキリルも、その場所での記憶が全然ないんだ。いつも思うんだよ。俺たちは本当はどこから来ているのかって…」
ヴァレリーは新聞から顔を上げるとミハイルに目線を送り言った。
「ホイニキにいた時隣に住んでいたヴァスネツォフさんご夫婦から引き取ったんだ。気の毒にお前たちの親は二人とも白血病で亡くなってしまったからな。前にも言っただろう。」
「うん。聞いたよ。」
ミハイルは話す度に顔を曇らせるヴァレリーに対し申し訳ない思いが強まりそれ以上話題を切り出さない事にした。
「ごめんね。父さん。変な事言って…」
うつ向きながら謝るミハイルにヴァレリーはそっと寄り添い呟いた。
「いや。謝るのは俺たち…いや…何でもない…。気にするな。さあ、キリルの部屋に行って眠るまで話をしてやってくれ。」
ヴァレリーはミハイルの背中を労るように優しくさすりながら言った。
リビングを後にしたミハイルはヴァレリーが言った通りキリルの部屋に向かった。
キリルはまだ起きているようで部屋に灯りが点いているのがドアの隙間から確認できた。
「キーラ入るよ。」
ミハイルの優しい呼び掛けにキリルはベッドからドアに駆け寄り自ら招き入れた。
「兄さん!今夜もお話してくれるの?」
エメラルド色の瞳をキラキラさせながらキリルは嬉しそうにミハイルを見上げながら言った。
「ああ。」
ミハイルはキリルのプラチナブロンドの頭をくしゃくしゃさせながら呟いた。
「あのね。昨日してくれたお話を絵にしたんだ。見てくれる?」
キリルはそう言うと机の引き出しから一冊のスケッチブックを出した。
「見て。ワシリーサが森のお婆さんの家を出てる所だよ。どくろの灯りってこんな感じでいいのかな?」
そう言って差し出された絵は、どんな挿し絵画家も裸足で逃げ出しそうな色鮮やかかつ緻密で美しい、見る者の心に直接響かんばかりの情景が広がっていた。
物語の名は麗しのワシリーサ。
絵には長い豊かな金色の髪を編み背中に垂らし、サラファンに身を包んだ美しく聡明な美少女ワシリーサがどくろの灯りを握りしめながら暗い森の中にある恐ろしい魔女、バーバ・ヤーガの家を後にしているシーンが描かれていた。
「すごいな。まるで映画のワンシーンを切り取ったみたいだ。」
ミハイルの称賛にキリルは嬉しそうに微笑み更に続けた。
「昨日はどくろの灯りをもらって帰った所までだったよね。続きはどうなるの?」
キリルはベッドにあぐらをかきながら言った。
ミハイルはキリルの隣に同じくあぐらをかいて座り物語の続きを話し出した。
ワシリーサが無事家に戻った後のエピソードを半分ほどまで語った所でキリルはいつの間にかミハイルにもたれかかったまま安らかな寝息を立てて眠りについていた。
ミハイルは優しい眼差しを向けながらそっとベッドにキリルを寝かせ毛布と布団をかけると静かに部屋を後にした。