第一話
ソ連時代のエピソードや現在のロシアの話題等を参考に書いています。
ロシア民謡はカチューシャとカリンカが好きです。
シベリア最大の都市ノヴォシビルスク。
都市中心部から車で三時間ほどのとある村にその農場はあった。
かつてのソ連時代は集団農場として国の農産物の生産の一部を担っていたこの農場もソ連崩壊後は大幅に規模を縮小し
現在は一人の農場主とその家族だけで経営する場に変貌を遂げていた。
今では主に乳牛四頭に鶏が五羽、山羊も番で飼っており
家畜小屋の隣に広がる畑ではキャベツや蕪、ビーツやジャガイモなどを季節ごとに育てている。
10月も半ばを過ぎればロシア極東ではもう冬だ。
この年も例年によって寒波が押し寄せ、昨晩から積もった雪で窓の外は白一色だった。
ガタガタと風が鳴らす窓の音でキリルは目を覚ました。
ボンヤリと薄目を開けた所に映りこんだ四角い空は灰色に曇り、辺りに薄暗く影を落としていた。
例に及んで体の節々が傷み同時に頭部に鈍痛も走った。
三日前から続いていた高熱は今朝も治まりを見せず
体の重だるさと痛みが安らぎの眠りの園から現実に帰ってきた事を否応なしに知らしめるのだった。
壁の時計で午前8時を回っている事を確認した所でコツコツとドアをノックする音が響いた。
「キーラ。起きてるかい?」
90歳の祖母、エカテリーナの声だ。
「バーブシュカ(お婆ちゃん)。ドーヴラェウートラ(おはよう)。もう起きてるよ。」
キリルはベッドに横になりながら答えた。
「ドーヴラェウートラ(おはよう)。朝御飯を持って来たよ。」
エカテリーナはホフロマ塗りの盆にお粥と野菜のスープ、木苺のジャムと紅茶を乗せて運んできた。
「スパスィーバ(ありがとう)。」
キリルはゆっくりと起き上がりながら感謝を述べた。
「まだ熱はあるかい?計ってみせておくれ。」
エカテリーナはエプロンのポケットから体温計を出すとキリルに渡し言った。
キリルは受け取った体温計を脇に挟みしばらく待ちながら言った。
「昨日の夜は吹雪だったね。外の道は凍ってる?」
「そうだね。すっかり凍っちまってるよ。風の音で眠れなかったかい?」
エカテリーナの返しと同時に体温計の電子音が響いた。
「ううん。よく眠れたよ。38度2分だって。」
キリルはエカテリーナに体温計を渡しながら言った。
「まだ高いね。ナターシャ先生にまた電話してきてもらおうね。朝御飯も食べられるだけでいいからね。」
エカテリーナはそう言うと残っていた家事を片付けにいくためキリルの部屋を後にした。
キリルは窓の外を眺めながら兄の無事の帰宅を祈っていた。
道が凍る事で起こるスリップによる車の事故は毎年ロシア全土で問題になっていた。
バス等の公共交通機関も例外ではない。
専ら、スノータイヤも着けずにスピード出しすぎの無謀な運転の一般車両の事故に巻き込まれる形で被害を被っていた。
「おかあさん。キーラどうでした?」
嫁のアリョーナが家畜小屋の掃除を終えペチカ用の薪を抱えながら部屋に入って訊ねてきた。
「熱がまだ38度近くあるよ。可哀想に。9時になったらすぐにナターシャ先生に連絡を入れなきゃ。」
「そうですか。せめて熱が下がってくれたらあの子も楽になれるでしょうけど…。」
アリョーナはエカテリーナの返しにため息をつきながら薪を床に置いて言った。