想像遊戯―イマジネーション・ゲーム―
僕のデビュー作、人生初の本格的小説です!
まだ小説の基本やセオリーが分からないなかでのスタートですが、気長に読んでくださいね。
テーマは「遊び」です!!
―――人ってのはいつから「遊び」を求めるようになったのか。
スマホもテレビゲームも無かった頃、駄菓子屋でどんちゃんやってなかった頃、江戸堅気に博打なんか無かった頃…
もっと言えば古代エジプト時代からとも遠く、神が存在していた時代から「遊び」が存在していたのかもしれない。
遥か遠い時代から人は戯れ、競い、時に争いながら「遊び」と共に生きてきたのだろう。
――じゃ何も無いものに「遊び」は生まれるの?
なに言ってんだよ。無かったら作ればいいじゃない。
人には「想像力」って力があるんだから。
無いものを造り上げ、崖っぷちの道に橋架けるように可能性を広げてきた。
僕らそうやって何も見えなかった先の未来に希望を造り上げてきた。
何も無かった時代に生き、希望を掴んだ少年の「想像遊戯」が今、現実になる。
1.
1945年8月15日、身勝手な大人たちがやりたくもない遊びを住民に押し付けるかのように巻き込んだ「戦争」が、ラジオの放送と共に終わった。
その時僕、一真10歳は学童疎開のど田舎で生徒30人ほど並ばされてラジオを聞いた。
ラジオが何言ってるのかさっぱり分からなかったし、この時正午だったから早く飯食いたい事で頭一杯だった。
ラジオが終わって先生達大人たち皆が泣くもんだから僕ら生徒は訳を聞くと「日本がアメリカに負けた」「戦争が終わった」と悔しさが滲む声で先生は言った。
――戦争が終わった!!
この時凄まじい解放感を実感した。もう敵機に襲われる事もない、お父さんお母さんの所へ帰れるんだ!!
僕だけじゃない。子供達全員が自由になったかのように喜んだ。この日が僕ら子供達の再出発だったのかもしれない。
―ただ、この先どうしよう…。
子供達の誰もが頭にそうよぎった。
不安が先に頭を駆け巡った。
疎開してきた子供達は東京から来た子であった。疎開している間でも東京は幾度も空襲に見舞われ人々の命を奪っていった。
子供達の両親も決して例外ではないだろう。それでも子供達は両親は生きていると思うしかなかった。生きているんだって思いたかった…
そんな憂鬱を思いもせず、僕はひたすら中身の小豆を食い尽くした脱け殻のお手玉に小石を詰め、それを縫っていた。
「一真、何やってんだ?」
先生は相変わらず泣いてるし、暇をもて余していた友達が一真の様子を見ていた。
「暇だろ?僕面白い遊びでも考えてさ、ちょっと付き合えよ。」
「何言ってんだよ、先生にどやされるぞお前。」
「先生あの様子なら一日中泣いてるよ。晩飯までまだ早いし、泣き止むまで遊ぼうぜ。戦争も終わったんだしよ!!」
戦争が終わったということはいかに子供達を縛っていったが分かる。
終戦になったその日は大人たちは涙を流す人もいれば、途方にくれてボーッとした人もいた。しかし子供達はただただ飯の事と両親の事を考えてた為、疎開での畑仕事やら勉強やらが退屈で仕方がなかったそうだ。
先生が泣いてる今が自由時間だ!
そんな訳で一真の想像遊びに皆が食らい付いた。
一真は小石を詰めたお手玉を持って、
「これは野球の球だ。」
疎開先である神社を背にした竹やぶを指差して司会にでもなったかのようにルール説明をする。
「あの竹やぶにある竹にお手玉を投げて竹を当てる。これを外さないように当てていくんだ。外したら次の人と交代な。」
友達は面白そうと顔に出てるように頷いた。遊びとなると子供は飲み込みが早い。
「ほら、12球あるからそれを外さないで当てたらすごいぞ!」
一真よ、あのラジオ放送からそんな経ってないのにいつから12球作った?
話逸れたがさっそく遊びは始まった。
第一投手は華奢な体をしたのっぽさん。
振りかぶって投げた!
カコン!!
投手から向かって北北東の竹に当たった。これには皆大喜び。投手は尚大喜び。
これに気をよくして、のっぽ投手振りかぶって投げた!
スーっと2つの竹やぶの間を通ってお手玉は落ちた。
「はい、記録は1本!次は誰だ?」
第二投手、おしゃまな年頃のお嬢さん。意外とこういう外遊びは好きなタイプだ。
やっぱし女の子。フォームも滅茶苦茶ながら投げた!
カコン!コン!!
一球で2本の竹が同時に当たった。
「これは凄い!2本当たったぞ!!」
観ていた子供達は大盛り上がり。やんややんやと期待するなかの二投目!投げた!!
スカーッ。
全員大コケ。
外しても笑顔と「頑張ったじゃん」と励ましのおまけ付き。
さぁ注目の第三投手だ。
何か強肩な感じの野球選手小僧が出てきたぞ。この時代皆痩せ細ってるのに。
これはもしかして…?
皆が期待に期待を膨らます。
「宣言する!目の前の竹やぶ全部当てる!!」
オオッ!!?皆がどよめく。よし、それなら見せてやろうじゃないか!と一真も期待に拍車をかける。
さぁ振りかぶり、気合いも上々。
渾身の一球、振りかぶって…
投げた!!!
カン!カン!カン!コン!!
2回3回、反動でどんどん竹を当てていく!
そして最後は……!!
ガッシャーン!!!!!!
――あ。
外野から「コラー!!」っと言う声をした瞬間、一真や投手含めた子供全員が必死で逃げ出した。
投げたお手玉は神社の裏口のガラスにどストライクに当たっていた。
試合結果。
ガラスの音で涙が引っ込んだ先生により3人が逃げ遅れ、三死交代。その中には野球選手小僧も含まれていた。
その3人は先生はおろか神社の和尚さんまで滅茶苦茶怒られ、終戦した日に晩飯抜きにされたという。
何とか逃げきれた一真は申し訳なさそうに3人に向かい、陰ながらささやいた。
「試合終了。」
2.
戦争が終わって1ヶ月が経った頃、未だに故郷の東京に帰る目処が立たず疎開先の神社の生活は続いた。
変わったことと言えば、意気揚々と戦争の事を勉強に吹き込んでた先生が錆び付いた機関銃の如く萎れていたこと。その反面、まともな勉強が出来ていた。
勉強は暇だったけど、その分自由時間が増えてきた。僕たち子供の天下だ。
あるときはスケッチブックで神社の畑で野菜を描く授業から、へたっぴな野菜から単語を連鎖して色んな絵を考えながら描く。
所謂「絵しりとり」ってのも流行り始めた。
絵しりとりの締めで鬼の形相をした先生の顔を描いたときはまずかった…絵とそっくりな面構えで僕をしごき、立たされたことも。
あ、そうだ。
自由時間が増えたことで外に出る機会も増えていたんだった。
近くの田んぼで旗を立ててそれを取り合う陣取りゲームをしていたりもしたし、森を舞台にチャンバラごっこもやった。これらは全部『想像』で造り上げた遊びだった。
お陰で地元の子供までも巻き込んで仲良くなり、一時的だがお父さんお母さんの事を気にすることなく無我夢中で皆遊び尽くした。
僕は今でも思う。
―遊びこそ、人間の原点。そして子供の有るべき姿なんだ―
僕の造り上げた想像遊びのお陰で子供達もこれから先の不安が消えて、寝る頃にはワクワクしてるような顔して寝る準備をしている友達が多かった。
『一真のヤツ、今度はどんな遊びを考えるのかなぁ』なんて。
寝る間際に何やら気になっていたような素振りで友達は僕に話しかけてきた。
「なぁ一真、お前何であんなに遊び考えられるんだ?」
「あん?何を急に…。」
僕は変なこと聞くなぁって顔で返した。
「だってさ、食い物も遊び道具もない何もない所で遊びを考えることって普通出来ないぜ。この先僕らどうなるか分からないって時なのに、お前の遊びをやってるとそんな気持ちが吹っ飛んじゃう。逆に明日が待ち遠しくて仕方ないんだ。一真に不安ってのは無いのか?この先もやっていける自信があるのか…?」
意外にマジな話で僕も本心驚いた。
もっと驚いたと言えば、その話を聞きたかったと言わんばかりに全員が僕の方に耳を持っていっていた。
僕の返答はシンプルで直ぐに出た。
「不安はあるけど、この先はやっていけるでしょ!何があっても。」
「…本気か?強がってねぇよな?」
「それともう一つ!遊びってのは眼じゃ見えないだけで辺りにいっぱい転がってるよ。それを遊びに変えるのは自分は今こんな風に遊びたいって強く思ったから。要は想い次第かな。それと同じようにこの先何も無くなってもやっていけるんだと思えばやっていけるんだ。自分が落ち込まない限りな。」
随分と長ったらしい話だが、妙に説得力はあったようだった。
だってそうでしょ?
子供は元気の塊みたいなもの。何も無くても不自由な時代でも子供は皆元気だった。その元気の源が僕のような考えから出てきたのかもしれない。
質問してきた友達は笑いながら、
「お前なら大人になっても遊び呆けてやっていけそうだよ。お陰で元気が出てきた。明日も遊び考えてくれよ!楽しみにしてるぜ。」
皆総意でそうだそうだと相槌ならし、いつの間にか気持ち良さそうに眠っていた。
その頃先生達は別室で職員会議が行われていた。
「―もう疎開も終わりですね。」
「そう、子供達の親との連絡も着いたし、学校側も再開の目処が立った。長かったがようやく私達の苦労も報われそうだ。」
「そういえば戦争終わってから子供達いつになく元気じゃないですか?」
「あぁ、一真の想像遊びのお陰だな。好き勝手やられるが皆を元気にさせたのは他でない、あの子の想像があってこそだ。」
「………で、一真君の両親の連絡は?」
「……………まだ触れないでおこう。」
―――あの子にこの現実は、酷すぎる…!
3.
その日は突然やってきた。
疎開の条例が解除されたのは終戦から3ヶ月の11月。一真の遊びの虜になった友達はやっと両親に逢える嬉しさの反面、もっと遊びたいと抵抗した子もいた。
僕はその時東京でも遊び考えるから大丈夫だと説得した。
その時は僕自身も両親が生きてると思っていたのだから。
疎開先の神社に友達の親を乗せたバスが停まった。そこで久々にお母さんに逢えた子達は今まで我慢してきた事全部が溢れ出るように涙を流していた…
―次はきっと僕だ。
そう思いながら、僕はまだ親の来ていない子達を誘って想像遊びをした。ただ皆親の事が気になり始め、遊びもままならなかった。
日を追うと同時に比例するかのように親と再開した友達は減っていった。
―10人、5人、そして2人………
残ったのは僕と、あの時僕に疑問吹っ掛けてきた子だけなった。
ここでもかと僕は想像を頼りにした。
花びらの沢山ある花で占い、女の子みたいだがこうするしか頼れない。
―僕か、アイツか、僕か、アイツか……?
誰か来た!!
来たのは聞き慣れない女の人の声、そして嬉し涙を流したのはアイツだった………。
―そして僕は一人となった…。
ちくしょう、いつになったら来るんだよ。お父ちゃん、お母ちゃん…
孤独が想像を覆い尽くす。一人でやる遊びはさほど面白くない。虚しいだけだ。
皆いたときはあんなに楽しかったのに、一人になるとこんなに寂しいんだなぁ…
今まで感じなかった虚無感が僕を現実へと駆り立てていくようだった。
そんな時、
遠くからバスの停まる音が。
―まさか!?
僕は無我夢中でバスの方へ走った。日が隠れ、曇り空にどよんだ風景を背にバス停に向かう。
「お父ちゃん!お母ちゃん!!」
……違う。
バスに降りたのは担任の先生と、白い布で包まれた木箱だった。
こんなものを見せられて僕は何て応えればいいのか、しばらく言葉が出なかった。
先に喋ったのは先生だった。
「一真…お前のお父さんお母さんはな………」
その先の答えを遮るように僕も口を出す。
「冗談はよしてよ、まさかお父ちゃんとお母ちゃんがこの中に入ってるなんて言うんじゃないよね………!?」
木箱即ち…いやダメだこれ以上は言うまい。
先生はただ静かに頷くだけだった。
何も動かない、音のしない時間だけが過ぎ曇り空にポツポツと雨が降り注いだ。
この時今まで疎開に出て1度も流さなかった涙が雨と同じように僕の頬を浸した。
友達にも大人にも見せなかった涙だった。
「こんな…………こんなことってあるかよ!!ずっと待ってたんだぞ!!!何のために僕は遊び考えてきたと思ってんだよ?お父ちゃんお母ちゃんの元へ帰って飯食って寝てまた遊ぶ為だったんだよ!!!僕おいてこんな木箱で眠ってるなんて………こんな話あるか!!!!!」
ずっと、寂しかったんだ。
アイツの言うとおり、強がってた。
ずっと遊び相手が欲しくて、構って欲しくて、そこらにあるもので暇を持て余していた。
想像遊びで皆が集まってくれて、ホントに楽しそうな面で遊んでいる瞬間は心の底から楽しかった。
―でも、もうその遊び相手はもういない…
―――僕の帰る場所も…………
…………!
これは…お手玉?
あの時竹やぶでやった野球的当てのお手玉がまだ残ってたんだ…。
あの時は楽しかったなぁ…
楽しかった?
―じゃ、今はどうなんだ?
このまま止まっても良いのか??
自分で言ってたじゃないか、子供は元気の塊だって。僕だって子供だ。そんな子供が独りぼっちになったからってショボくれてどうするんだ?
………そうだ!
だったらもっと遊びを造ってもっともっと友達を作ってやる!!
こんな田舎だけじゃ留まらない、日本全国、いや世界中、もっと!地球全体を遊びで覆い尽くして!!
未来を造り上げてやる!!!!!!!
この瞬間、僕の頬を濡らした涙は通り雨で地面に流された。
心配するなよお父ちゃん、お母ちゃん。
僕はこの先もやっていくよ!!
この日が僕の本当の再出発となった。
東京に帰ると、早速先生は保護施設で暮らすよう進められた。当時僕のような両親のいない子供(戦災孤児)は施設に預けられるか、道端をさまよう浮浪児として朽ち果てるかの瀬戸際だったんだとか。
無理矢理な形で施設に入れられたが不満はなかった。何故ならそこにも同じ世代の子供は大勢いたし、僕の想像遊びの良いお客さんだった。
長いこと施設では御世話になり、最終的には『遊びの帝王』とまで言われた僕も遊びの真髄を深める為就職し、貯めたお金で留学もした。
そしていつしかこんな夢を持つようになった。
「いつか僕が作った想像遊びを使って、大きな遊びの世界を造るんだ!!」なんて。
夢みたいって笑われるような話でしょ?
でも人の夢に不可能は無い。
自分が落ち込まない限りは。
そして―――
あれから何数十年の年月が経ったんだろう。
僕も相当衰えたジジイになったが、今でも遊びは辞められない。片手に将棋やってもう片方で麻雀やるくらいだし。
「お父さん!!」
いかにも現代の典型的な家族の姿が。
僕の息子と妻と、あの10歳の頃の僕とそっくりな孫に孫娘だ。
「お父さんの作り上げた『遊びの世界』!やっと完成しましたよ!!」
そう。僕の想像遊びの集大成は東京ドームのような施設の中に全部詰め込んだ。
親子3世代で立ち上げた遊びのための企画が今日完成したのだ。
孫達も早くやりたいと言わんばかりの熱い眼差しが僕に向けてくる。
そして僕も。
「本当に何もないものからここまで造り上げちゃうんだもんな…やっぱり凄いよ!父さんは!!」
当たり前じゃん!!僕が造り上げた希望なんだぞ!!!
「さぁ!日が暮れるまで遊ぼう!!僕の造った遊びだ!!!」
扉を開いた瞬間、辺り一面に遊びの道具やゲームが家族を包み込む。100、いや1000はあるのかな。
そして、部屋の奥には竹やぶとあの小石を詰めたお手玉が12球………。
何も無かった時代に生き、希望を掴んだ少年の「想像遊戯」が今、現実になった……!!
僕は昔も今も「想像」をすることが大好きでした。特に子供の頃は「東京フレンドパークⅡ」や「SASUKE」に物凄く憧れて、いつかこんな番組に出てみたい!とか僕もこんなゲームをしてみたい!とか思いながら近くの学校の遊具や公園でSASUKEごっこをやったり、アニメキャラにフレンドパークをやらせたり、現実でやったら著作権訴えられそうなことばかり想像してました(笑)
小説程じゃないですが、本当に想像力は無限の力を秘めています。しかしそれを生かすのは自分自身の行動次第です。そして今回の作品に一部ですがその想像力を形に出来たことを心から嬉しく思います!!
今回のこの小説を読んで一瞬でも楽しかった子供の頃に戻って遊びの事を思い出したり、今を生きる人達の側にも「遊び」が広がってることを感じてくれれば小説の作者として冥利に尽きます。しかし、僕の小説はまだ始まったですよ…!?