6、仰天の・・・仁
『玲美の気持ちもよくわかった。まあ、結婚するのなら、早いうちに玲美の両親に挨拶に行け。必要なら、俺も同行するぞ?』
グランドヒロセから帰ってきて。
その日は午後3時で無理やり事務所を閉めて、皆を帰らせて・・・玲美と、さー、イチャイチャするぞっ!!って思ってベッドに入ったら。
古田のじいさんの電話でジャマされた。
『おいっ!?仁、きいているのかっ!?』
名乗りもせずに、いきなり本題を言ってくるといういつものじいさんの声を聞いて。
ムッとして黙り込んだ俺に、さらにデカい声を張り上げるから。
「その話、今どうしてもしなくちゃダメなのか?俺、今、手が離せない状況なんだけど?じいさん、嫌がらせかっ!?」
どう考えても、時間を見て電話してきただろって思うくらいのタイミングで、口調が荒くなるのは仕方がないと思う。
「じ、仁さんっ?古田先生から?変な事言わないでっ!!」
玲美が、今の状況をわからせようとする言葉を発した俺に、声を荒げた。
焦って、怒る玲美も可愛い・・・。
もう面倒くさくなって、俺は携帯を切るとそのまま電源を落として、玲美に覆いかぶさった。
だけど。
「仁さん、古田先生なんておっしゃってたんですか?それに、こういうことじゃなくて、今はちょっと話がしたいんですけど?だから、今日は早めに事務所閉めても構わないと思ったんですけど。」
玲美はイチャイチャモードでなくて。
ぐすん。
中々、俺の14年の秘めた想いの深さは、理解してもらえないらしい・・・。
俺は仕方がなくため息をつくと、起き上がり玲美を抱き寄せた。
玲美が俺の背に手をまわして、俺を見上げた。
って、このまま話するのか?
このパターンってキスの・・・。
「ぐぇ。」
仰天の声がでた。
誘われるように唇を玲美に寄せたら、思いっきり手のひらで押し返されたのだ。
「だから、そうじゃなくてっ・・・。」
玲美が、眉を寄せて泣きそうな顔で俺を見上げた。
え?
「玲美?」
驚いて、玲美を落ち着かせるように優しく髪を撫でると。
「ごめんなさい。仁さん、私・・・嘘ついた。」
「え?」
「事故の事・・・。」
事故の事って、俺がお袋をかばったって薫に言いきったことか・・・。
俺は、フッと玲美にほほ笑んだ。
「玲美、あれは、嘘じゃないだろ。昔、じいさんがブルドッグと似てない、って言いはった時と同じだろ?・・・結局・・・あれは本当の事だなって思った。そこまでの状況がどうであれ・・・俺の方が怪我をしたことで、お袋が助かったんだから。結果、俺がお袋の指を守ったってことだろ?あの時俺はまだ子供だったし・・・お袋が指怪我して、ピアノを弾けなくなっていたら生活だって大変なことになってただろうし・・・お袋だって大変だったんだって・・・いや、薫だって。考えてみたら、玲美の兄さんが病気になった時の、玲美の状況と薫は同じような感じだったんだよな・・・大変なのは、俺だけじゃなかったんだよな?・・・お袋をかばったんだって思ったら・・・俺、なんだ、そうだったんだって・・・何で今までお袋を許せなかったんだろうって・・・何か、すっきりした・・・。」
うまく言い表せない気持ちを、何とか口にしたら。
「・・・仁さん、大好き。」
玲美が、ポロリ、と涙をこぼした。
「玲美っ、俺も大好きっ!愛してるっ!!」
大人になって、初めて玲美に言われた大好きにテンションが上がり。
いや、こういう状況で、大好きなんて言われたら、そりゃぁ・・・もうっっ!!
俺は、速攻で玲美を押し倒したのだけれど、また携帯の着信音が鳴り響き、再び邪魔が入った。
だけど、今度のは・・・俺の携帯じゃなくて、玲美の携帯で。
俺が電源を落としたから、またじいさんかっ・・・と、一瞬疑ったが。
曇った玲美の表情で、それが・・・実家からだと、悟った。
結局、じいさんの言う通りで、電話の内容は島田との縁談の話だった。
すぐ戻るようにと言われた玲美とともに、俺は玲美の実家へと向かった。
癪だが、じいさんにも今から挨拶に行く事は連絡を入れておいた。
全く、子供じゃないんだから・・・そう思って、ムッとしたのだけれど。
俺と玲美が、玲美の実家に到着する前に、古田のじいさんとお袋がもう玲美の両親に挨拶をしていた。
じいさんとの付き合いはわかっていたが、まさか香田蘭子が俺のお袋だとは知らなかったらしく、玲美の両親は物凄く驚いていたが。
「確かに、仁君には玲美が子供の頃からお世話になっていましたけど・・・それでも、年も離れていますし・・・兄弟のような幼なじみと思っていたのですが・・・それに、こちらとしても裕君の会社のSグレードとは懇意にしておりまして・・・この縁談は、裕君の人柄の良さを考えても良縁な上に、うちの犬塚土地開発としても、大切な縁談です。玲美のためを思うのでしたら、お引き取り頂けませんか?そろそろ、裕君がご両親と一緒にこちらへいらっしゃるので。」
俺が、玲美と結婚をさせてくれと申し出ても、聞く耳持たない状態だ。
「そんな・・・裕とは高校卒業前に別れているし・・・それからずっと連絡もとってなかったのに・・・何で今更・・・。」
戸惑ったように、玲美が尋ねる。
「何を言っているんだ。高校の時はとりあえず仲良くなるために少し行き来をしたんだ。先方だって、NYへ留学もあったし。それに、玲美だってピアニストになるとばかり思っていたから、音楽に集中してほしいって裕君からの有難い申し出もあってな。だから、お言葉に甘えさせてもらったんだよ。なのに、せっかくデビューまで決まっていたのに・・・お前の気まぐれで、ピアニストにならないなんて・・・だったら、違う道もあったっていうのに。まあ、お前の我儘もこれまで十分聞いてきたんだ。そろそろ家の事を考えてくれてもいいだろう?」
まさかと思っていたが・・・玲美の親父さんから、信じられない言葉がでた。
親父さんの言葉に、お袋が顔を歪めた。
そして・・・。
「違います!玲美ちゃんがピアニストをあきらめたのはわた――「パパッ!私!ピアノに熱心になったのは、お兄ちゃんが病気になって悲しんでるパパやママに・・・お兄ちゃんがレッスンしてた曲を私が代わりに弾いてあげたら少しは元気がでるかって思って始めたのっ。でも・・・お兄ちゃんが亡くなって・・・パパもママも私の事まで気が回らなくて・・・その代わり古田先生や仁さんが凄く可愛がってくれて・・・レッスン頑張ると先生も仁さんも喜んでくれて・・・それが嬉しくて、それだけでピアノを続けてきたの・・・だから、ピアニストに向かないって卒業前に、気がついたの。どうしてもピアニストになりたいとか、そんな強い気持ちは私にはなくて・・・それより、仁さんが学生時代に、学生主催のチャリティの舞台で、インスペクターを務めた時・・・自分もやってみたいって思ったの。」
お袋の言葉を遮って、玲美が突然親父さんに訴えかけた。
それは、珍しいことで。
昔から、家の事情をわかっていて・・・優しい玲美は、我慢強く・・・自分の気持ちなんて親には中々言わなかったのに・・・。
親父さんも、そんな玲美に驚いたのか。
「イ・・・イン、スペ・・・?何だ?それは・・・?」
玲美の話を聞く姿勢になった。
「インスペクターです。オーケストラにおいて、楽団を演奏面以外のことで全体を取り仕切る人のことです。生演奏や、スタジオ録音時の現場監督的存在で・・・その主な仕事内容は、スケジュール調整とコーディネート・・・まぁ、いうなれば・・・演出とマネージメント、雑用・・・ぶっちゃけ、裏方の仕事です。」
俺は、玲美の親父さんに大まかに説明をした。
「裏方って・・・何で、そんなこと・・・お前なら、表舞台に出る素質があるのに・・・。」
親父さんが俺の説明を聞いて、怪訝そうな表情で玲美を見た。
そんな親父さんに玲美は、毅然とした態度で言葉を続けた。
「インスペクターを務めた時の仁さんが、凄く格好よかったの。舞台は1人で作り上げるものじゃなくて・・・見えない陰にいる人の力も重要で・・・いつも、ピアノを弾いてばかりの私にはとても新鮮だったの。それで、コンサートが終わった後・・・成功を皆で分かち合って、笑顔でありがとうって言われている仁さんを見て、格好良くて・・・ずっと、その時の気持ちが残っていたの。だから、大学卒業する時に、迷ったんだけど・・・ピアニストにならずに、裏方をやりたいって・・・思って。そうしたら、仁さんが自分の事務所においでって言ってくれて・・・だから、今私がやっていることは、本当にやりたい事なの!」
俺も古田のじいさんも・・・玲美がこんなにはっきり両親に自分の気持ちを言うなんてと、驚いた。
「玲美ちゃん・・・。」
震える声でお袋に呼ばれた玲美は、ニッコリとお袋に微笑んだ。
「やっぱり、今日・・・お話してよかったです。私、もう逃げません。今の仕事が本当にやりたかったことだって・・・蘭子さんと再会して、よくわかりました。蘭子さんの言葉で、立ち止まってよかったって今は思っています。」
そうやって、両親の前で堂々と宣言する玲美は、何だか急に大人になったようで。
俺としては、嬉しい半面・・・少しさびしくもあり・・・堪らなくなって、俺は玲美の腕を引っ張り、自分の方に体を向けさせた。
そして。
「玲美、愛してる。」
俺という存在を忘れないために気持ちをぶつけたのだが、どうやら今は気持ちをぶつける時じゃなかったらしく。
思いっきり、玲美にため息をつかれた。
その上。
「俺の婚約者を口説かないでくださいよ。」
間の悪いことに、島田とその両親が登場した。
「玲美は、お前の婚約者じゃないしー。俺と結婚するから。」
玲美の事を婚約者と言うだけでもムカつく島田を、俺はギロリと睨み返した。
が。
予想通り島田の頬がげっそりこけている事を確認して、少し気分が晴れた。
だけど、そこで島田がフッと・・・余裕の笑みを見せた。
そして。
「あー、悪いけど?俺、高校の時に玲美と将来結婚するつもりで、玲美のバージンもらっちゃったから、責任取るつもりでずっといるんだから。なあ、玲美?夏休みに軽井沢の別荘で、覚えてるだろ?」
とんでもないことを言いやがった!!
あまりの事に、言葉も出ない。
でも、伊達に長年性悪女と言われ続けていたのは、無駄じゃなかったらしく。
「悪いけど、あんたヘタクソでしょ?」
お袋の言葉に、皆、仰天した。
「はっ!?な、何を、言って・・・。」
突然の、お袋仰天発言に、島田が驚きの声を上げた。
だけど、お袋はニヤリ、と笑い。
「悪いけど、玲美ちゃんが大学に入る前から、ずっと会ってなかったんでしょ?あなたが上手だったら、玲美ちゃんどんなことがあってもあなたと離れなかったと思うけど?何か、玲美ちゃんによると、なんで今更?って思っているらしいし?別に初めてヤったからって、責任が結婚なんてアホでしょ?良い恋愛して、女はナンボよ。そうやって、ヘタクソや勘違い男とであって、本物のイイ男に気がつくのよ。本当に責任とるなら、玲美ちゃんに女の喜びを教えてから結婚を口にしろっつうのっ!・・・仁!!あんた、玲美ちゃんに、女の喜びしっかり教えてから、結婚申し込んだんでしょうねっ!?」
仰天発言は、最終的に俺に振られた・・・。
だから、もちろん。
「おう!しっかり、きっちり、泣くほど教えたからっ、安心しろっ!!」
元気よく、返事をした・・・・のだけど。
「け、結婚は申し込まれたけどっ。しっかり、きっちり、泣かされてなんかないからっ!!」
玲美が泣きそうな顔で、否定した。
「ええっ、だって。玲美昨日だって、ない――「仁さん、それ以上言ったら絶交だからねっ!?」
泣きそうな顔だった玲美は、俺の発言の途中で仰天の怒りの言葉をかぶせてきた・・・。
そ、そんなぁ・・・。
「ブッ・・・アハハハッ。何なんだ?このコントは?・・・ククッ・・・。」
ふくれた俺の顔を見た瞬間、とうとう堪らなくなってという感じで、ブルドッグが噴き出した。
頬のたるんだ皮が揺れている・・・。
だけど、笑っているのはじいさんだけで。
「い、犬塚さんっ!?これはどういうことですかっ!?つまり、息子と婚約をするというのに、お嬢さんは別に男をつくっていると言うことですよねっ!?しかも、こんなわけのわからない男と・・・。」
島田の母親らしき派手なオバさんが、火を噴いた。
まあ、確かに・・・俺は、今日は結婚の申し込みだから、スーツをきっちり着こんでるけど。おでこには、玲美が今日も張り替えてくれたキテ●の絆創膏がはってあるし。
見た目、完全に自由業的な雰囲気で・・・一見何の商売をしているかわかんないってよく言われるし・・・。
オバさんの言うことも俺に対しては、一理あるけど。
と、思っていたんだけど。
なんか、そこで。
ブチッ――
という音が、聞こえたような・・・?
気になって見まわすと、目を吊り上げた、玲美・・・。
え、これって・・・まさか、お転婆玲美ちゃんのパターン的な、感じ?
「いい加減にしろっ!」
玲美がお転婆バージョンで、声を荒げた。
視線の先は、島田親子。
島田親子は勿論、玲美の両親も驚いている。
声もなく笑っているのはじいさんで、お袋は面白そうな顔をして見ている。
「黙って聞いてりゃいい気になりやがって!!仁さんのどこがいけないんだっ!?裕っ!!お前の方が、わけがわかんないんだろうがっ!ああん!?私の事が好きだとか言いやがって、他につきあってる女がいただろっ!!いきなり、人の男とるなとか言われて、こっちは絡まれたんだよっ!!それに、今更昔どうだったとか、人前でそんなデリカシーのないこと言う神経!!どうなってんだっ!!お前みたいに、最悪な、ドヘタクソッ、一生私の目の前に出てくんなっ!!今度そのツラみせたら、てめえんとこのG7匹口にいれてやっからなっ!?いいかっ、このクソ野郎っ!!」
玲美の啖呵に、島田は腰を抜かし。
それでも足りない様子の玲美は、島田の前髪を持って左右にグラグラと振った。
うん、玲美・・・今日は、いつもに増して仰天のお転婆ぶりだな・・・。
でも、お転婆な玲美も、可愛いよな。
「なんて、失礼なんだっ!犬塚さんっ、こういうお嬢さんだったとは思わなかった!この縁談はなかったこととさせてもらうっ。もちろん、取引も白紙に戻しますから。そのおつもりでっ。」
案の定、お転婆玲美に腹を立てた島田の父親は激怒で。
それに対し、焦る玲美の親父さん。
「ま、待って下さい!島田社長!!」
だけど。
「あなた、玲美が嫌だって言っているのよ?このお話はお断りしましょう?それより、玲美があんなにはっきり自分の意思を言ってくれたことを・・・尊重しませんか?」
突然、今まで一言も言葉を発しなかった玲美のお袋さんが、意外な事を言った。
俺は、昔からこのお袋さんが苦手だった。
顔は玲美に似て可愛らしかったが、気は強いが優しい玲美とは正反対の、神経質な感じで。
自分の考えは、間違っていないと・・・いつも押し通す感じだったから。
だから・・・その、お袋さんがこんなことを言いだすなんて本当に、吃驚で。
だけど、玲美の親父さんは難しい顔で、お袋さんを見つめた。
「いや、Sグレード社との提携は、今の犬塚土地開発には必要不可欠なんだ・・・だから、この縁談は――「ちょっと、気になったんだが。」
突然、親父さんの言葉を、古田のじいさんが遮った。
あまりにもこの場とは程遠い、緊張感なんてまるでないデカい声だったので、皆が一気にじいさんを見た。
「気になったんだが、島田君とやら・・・先日、こいつの事務所でお目にかかった時より・・・随分、痩せられたのではないか?何かあったのかな?」
じいさん・・・わかりきった質問をするなよ。
って、島田はわかってないだろうけど。
「ああ、お会いした日の夜に、急性の腸炎で、入院していたんです。」
ほらな。
まあ、玲美はギョッとしているが。
じいさんのその驚いてから気の毒そうな表情は、完全に芝居だよな?
「そうですか・・・それは大変でしたね。お気の毒に・・・でも、やはり・・・こいつの事務所にもお宅からの害虫が出るくらいですから・・・害虫が原因で腸炎になったのでは?」
「いや、それは関係ないと思います。それに、こちらの事務所に出た害虫がうちのものだとは限りませんし・・・まあ、こういう関係となると、もしかしたら、こちらを陥れるためのでっちあげかもしれませんね?」
「成程・・・でっちあげ、ね?・・・でも、でっちあげで、お宅の店に保健所の強制検査が入るでしょうか?」
「はっ!?」
古田のじいさんの言葉に、島田が固まった。
というより、俺たちも驚いた。
ただ、じいさんは、ニヤリと笑っている。
「ええ、実は。先日君とお目にかかった時。私は、頼んでいた楽譜の清書を受け取りにいったのですが・・・君の目の前で楽譜のチェックをしてましたよね?」
「え、ええ・・・。」
「チェックが終わり、君に先に話をすませてしまったことを詫びましたよね?・・・それで、目の前のテーブルにポン、と楽譜を置いたのですが。まあ、その後、手洗いに立ったり話をしたりで、40分くらいそのままテーブルの上に置いていたんです。で、帰って楽譜を広げたら・・・これがね・・・こういう風に入っていて・・・。」
じさんがよどみなくそう話すと、写真のカラーコピーを差し出した。
なんとなく、覗き込むと・・・。
げっ!
楽譜の間にはさまった、G・・・。
そう言えばあれから、次の日至急の追加注文があったな・・・。
それ、Gのせいか!?
「あの日、帰ったら・・・こういう状態でしてね?で、まあ・・・彼らが害虫のことでゴタゴタしていたので、一応調べに出したんだが。そしたら、面白い結果が出ましてね?お宅の店のオリジナルのタレと、ドレッシングが体内から検出されましてね?」
古田のじいさんが勝ち誇ったように、データを取り出した・・・。
その直後、話の途中で携帯に入った連絡で島田親子が顔色を変え、急いで帰って行った。
「あの様子だと、かなりずさんな衛生状態だったはずだ。開店して1ヶ月で害虫がそんなに出るってことは、他の店舗から運ばれてきた備品に害虫が混じっていたんだろう。あいつが仁のマドレーヌを食べて、腸炎になったってことは・・・客の中にもそういう人がいるだろう。食中毒じゃないから、今まであの店と該当できなかったが。今回のことが公になれば、そういう被害情報が殺到するんじゃないか?」
「古田さんに言われて、私、知り合いのマスコミの人に情報流しておいたから、明日大騒ぎじゃなーい?・・・あーあ、ヘタクソな上に、不潔な男って最低。」
「蘭子。俺はヘタクソじゃないし、不潔でもないぞ?」
「・・・・知ってるし。」
じいさんとお袋の会話を聞いていた俺だが、ここで、仰天の事実が発覚した――
もう言葉もない、硬直した俺を無視してお袋は。
「そうだ、犬塚さん!大手チェーン店と提携って、焼き肉店じゃないとダメなんですか?」
玲美の親父さんにおもむろに、話しかけた。
「いえ、そういうわけではないですが・・・知名度があって、好感度が高ければ・・・。」
今回の事で島田のところの店は、知名度はますます上がるだろうが、好感度は地に堕ちるだろう・・・。
お袋は、ニヤリと笑った。
「じゃあ、政略的な縁談話持ちかけていいかしら?私の亡くなった主人はバイオリン好きの、音楽教師だったけれど。実家は、『ブルー珈琲店』っていうチェーン店を展開している、青井カンパニーって会社をやっているんだけど?義父が現役でまだ社長をしているわ。どう?よかったら、義父を紹介するけど?」
まいった。
性悪女のお袋は、じいちゃんまで誑し込んでいたんだった。
結局、1人いつまでも昔の事に囚われていた俺だけど、今回お袋と古田のじいさんに助けられっぱなしで。
いや、お袋と古田のじいさんの助けがなかったら、こんなにうまく運んでいないわけで。
これは、やっぱり・・・感謝を言葉にするべきなんだよな・・・。
そう思って。
「お袋、じいさん・・・色々と、サンキュ。」
と、言って、頭を下げたのだが。
「き、気持ち悪いわね?・・・素直な親子の会話ってものにあこがれていたんだけど。こう、素直になられたら、返って何かどんでん返しがありそうな気がしてくるわ。」
「そうだな、謙虚な仁を俺も初めてみたからな?なんか、裏があるんじゃないかって、気がしてならない・・・。」
お袋とじいさんがかなり失礼なことを言いやがって、俺は何か言い返してやろうと下げていた頭を上げ、口を開きかけたが――
やっぱり。
また、同じ言葉が口から飛び出した。
「本当に、ありがとうございました。」
何故なら・・・お袋とじいさんが俺を見て、嬉しそうな顔をしながら涙を流していたからで・・・。
家を出た時とは全く違う明るい気持ちで帰宅した。
「仁さん、結局夕飯食べそこなっちゃって・・・お腹すかないですか?」
だけど、腹ペコなのは事実で、玲美も元気がない。
こういう時、玲美が食べたくなるものを思い出した。
「玲美、ブルーベリーもはちみつも、クリームチーズもあるから、パンケーキ焼くか?」
俺の言葉に、魔法のように玲美の顔が輝いた。
「食べたいっ!!」
素直な言葉に、昔の思い出がダブる。
俺は・・・結局、玲美に元気がなくても、こうやって俺が笑顔にしたいんだと。
いや、玲美がいつも笑顔でいられること・・・それが、俺にとって最重要事項で。
そうやって生きてきたし、これからも生きていきたいと思っているのだ。
「玲美が、チューしてくれたら、俺パンケーキ上手に焼けると思うんだけどな~♪」
だから、昔のようにふと、お決まりの文句がでた。
こういうといつも、小学生の玲美は俺の頬にチューをしてくれて。
どことなく、照れながら玲美がするほっぺにチューは俺の大好物で、久しぶりに何だかしてもらいたくなった。
だけど、もう、玲美は・・・小学生ではなくて。
してくれたチューは、びっくり仰天の・・・大人の、唇にチューだった。
いや、俺の息子も、びっくり仰天して・・・結局、パンケーキより玲美を先に食べることになってしまったのは、仕方がない事だと思う。
玲美はかなり、剥れていたけれど・・・美味しく、頂いた。