5、誤解の・・・玲美
指定されたレストランへ到着すると、静かな奥まった個室へと案内された。
店内には柔らかくビバルディが流れていた。
先方からは、取り敢えずの軽い打ち合わせだから、私だけで来てほしいといわれていたのに・・・何故か先に、私の手を引いた仁さんが部屋に入った。
それも、仕事というのに・・・堂々と、偉そうな態度で。
「なんだ。バレたんだ。」
そう言ったのは、半信半疑だったけれど、本当に仁さんの弟の薫君だった。
いや、会ったのなんて小学生の時以来だけど。
仁さんとよく似た容姿で、ただ普段はゆるい柔らかい感じの仁さんとは違い、クールで真面目そうな雰囲気はそのままだから・・・。
「葵さんって、本当に薫君だったんだ・・・。」
私が、ポツリとそう言うと、薫君は片眉を上げた。
「俺の事、ネットで調べれば直ぐに分かったのに。」
確かにそうなんだけど・・・まあ、私はあまりソレやりたくないんだよね。
一応今回コンサート企画って事だし・・・自分自身に、固定観念を植え付けたくなかったから。
今日会ってみてから会った印象を頭の中にインプットして、それから調べようと思っていたんだけど。
仁さんはそういうことを、私のやりたいようにやっていいと容認してくれているけれど。
普通は、勉強不足って誤解されるかもしれない。
「一応、初対面の人は・・・特にコンサート企画とかになると、自分自身に会う前にイメージつけたくないから、先には調べないことにしてるんだけど・・・。」
でも、一応こちらの趣旨を言ってみたんだけど、なんかムッとされた。
わけがわからず、困っていると。
「ブッ・・・大人気ないな・・・そんなに自分が知られていないことが、不満か?香田蘭子の息子なのに?」
仁さんが、喧嘩を売るようなことを口にした。
「じ、仁さんっ!」
慌てて口をおさえようとするけど、何故か仁さんに抱き寄せられて。
「そうそう、俺、玲美と結婚するんだー。」
と、場違いと思われる報告をした。
仁さん、空気読もうよ。
だけど、薫君は仁さんの挑発にものらず。
「お袋から、聞いた。」
と、冷静に答えた。
「へえ。ついでに俺たちを呼びだせって?命令されたのか?」
「命令じゃない、取引だ。」
「取引?」
「ああ。呼び出す代わりに、お袋とジョイントコンサートすることになった。」
「はっ!?」
薫君の言葉に仁さんが驚きの声を上げたけれど、私は仁さんの腕の中で固まってしまった。
もしかして・・・今日はそのコンサート企画の、打ち合わせってこと!?
ま、まさかね・・・と、大それた考えを心の中で否定していたら。
「あー、急いできたら、咽乾いちゃったわ。生ビールもらえる?」
と、いつものはっきりとした口調で、部屋に入ってくるなりメニューをもってきたお店の人にそう言ったのは・・・言わずもがな香田蘭子さんで。
その後ろから、古田先生も続いた。
店内を流れる音楽は、ラ・クンパルシータ・・・何となく、室内の空気が変わった・・・。
予想はしていたけれど。
やっぱり、なんとなく気持ちが弱くなってしまい、仁さんの腕をギュゥッと掴んだら。
その上から、手を握られた。
思わず仁さんを見上げると。
え。
何だかとても嬉しそうで、吃驚していたら。
仁さんが、私の耳元で囁いた。
「もう、玲美、滅茶苦茶可愛い・・・。いつもそうやって、俺を頼って?・・・はあ、最高・・・なぁ、今日このままこのホテル泊まろっか?」
どうも、主旨を間違えて捉えたらしい・・・。
「ホテルに泊まるのは自由だが、とりあえず座ったらどうだ?」
古田先生が、無表情でそう言った。
多分、仁さんのふざけた態度が気に入らないのだろう。
なのに。
「なんで、じいさんがコンサート企画の打ち合わせに来るんだよ。」
仁さんがいちゃもんをつける。
だけど、先生がギロリと仁さんを睨んだ。
「下らない事を言うな。わかってるだろう?今きちんと話す時だ。これを逃したら、一生このままだぞ・・・玲美も、だ。」
今まで仁さんに向けていた視線を、急に私にむけて古田先生が真剣な口調でそう言った。
古田先生にそう言われてしまえば、言い返す言葉もない。
私はため息をつくと、わかりましたと答えたのだけれど。
「玲美、嫌ならいいんだぞ?帰るか?」
仁さんが、優しく私の髪を撫でた。
仁さんは昔からそうだ。
私の心のなかのモヤモヤをいち早く感じとってくれて・・・いや、そうじゃない。
昔、私にチック症状が現れた時、からだ。
お兄ちゃんが手術の後亡くなって、お兄ちゃんが亡くなったことはとても悲しかったけれど。
でも、漸くパパとママが家にいてくれると思ったら。
私がいるのに・・・お兄ちゃんが亡くなったことをずっと悲しんで、泣いてばかりで・・・。
私が学校の話をしても、ピアノの話をしても・・・聞いてくれなくて。
私がいても、いなくても同じ・・・そう思ったら・・・顔が、ピクピクと動き出して。
動かしているつもりはないのに、勝手に顔が動いて・・・。
最初に気がついてくれたのは、やっぱり仁さんで。
古田先生に言って、直ぐに仁さんが病院に連れて行ってくれた。
それで。
「心の中にモヤモヤがたまると、心が助けて~って叫ぶんだ。だけど、心だから声にだせないだろ?だから、こうやって顔に現れたりするんだ。これは、玲美の心が助けて~って言ってるんだぞ?・・・玲美、助けてほしいことがあれば、俺に言え。」
そう言ってくれた。
それから、ずっと仁さんは私の味方で・・・。
だから、仁さんがいてくれるから、本当に大丈夫だと思った。
「仁さん、大丈夫。」
私が静かな声でそう答えると、仁さんはホッとした顔で、ゴシゴシと頭を撫でてくれた。
こうされると私は昔から何故か落ち着いた。
店内の曲は、タンゴからジャズ・・・ノー・プロブレムに変わっていた。
「ほんと、兄貴、別人だよな。玲美の前だと。」
そんな私達を見てか、薫君が呆れたようにそう言った。
「うるさい。それに、玲美のことを呼び捨てにするな。」
私に対してとは全然違う低い口調で、仁さんが薫君を睨んだ。
私が、仁さん・・・と咎めるように名前を呼んだら、仁さんは薫君から視線を私に変えて、ニッコリほほ笑んだのだけれど。
それって、態度があからさますぎないかな・・・なんて。
内心、ちょっと焦る私に、突然。
「何で、あなたばっかり、仁も、古田さんも・・・って思っていたわ。ただ、お人形のように可愛いだけじゃない。あなた自身はそれほど努力もしていないのに・・・って。恵まれた子だって、思ってた。」
香田蘭子さんが、イラついた口調で話し出した。
それに対し、仁さんが。
――バンッ!!
「勝手な憶測で物を言うなッ!何にも知らないくせに!!」
テーブルを叩いて、ブチ切れた・・・・。
仁さんがテーブルを激しく叩いた事で案の定、水の入ったグラスが倒れて、こぼれた。
「す、すみませんっ!」
自分が倒したわけでもないのに、慌てて飛んできたお店の人に謝る私。
仁さんは頭に血が上ると、状況を考えずに感情的になるから・・・こうなった時は何故か私が冷静になるわけで。
お店の人がこぼれた水を拭いていても、そんなことは目に入らず、目の前の蘭子さんをただ睨みつける仁さん。
はあ、普段はゆるすぎるくらいなのに・・・一旦感情的になるとコレだし。
昨日だって、コー君の家の玄関ドアに頭を打ち付けて・・・って、あの後コー君、仁さんの血のついた玄関ドア見て卒倒しそうになったんじゃないかな・・・。
きっと、除菌スプレー振りかけたんじゃ・・・・。
「ぷっ・・・。」
場違いだとは思うのだけれど、つい。
あの後のコー君を想像したら・・・おかしくなって噴き出してしまった。
「玲美っ!どうしてここで笑うんだっ!?お袋に酷い事言われてるんだぞっ!?」
途端に、仁さんが目を吊り上げた。
マズい、火に油をそそいでしまったのかも・・・私は慌てて、説明しようとしたのだけれど。
「いや・・・ごめん、昨日のコー君の家で――「何で、今、コーの家に行った話になるんだっ!?そんなに、コーの事考えてるのかっ!?ていうかっ、何でコーの家から中々出てこなかったんだよっ!?ていうか、服脱ぐ前の段階って何だよっ・・・ていうかっ、何でコーの家にいったんだよっ?あれでも一応男なんだぞっ!?ていうか、俺以外の男の事考えるなよっ!!」
もう、言ってる事が無茶苦茶です・・・。
「・・・・仁さん、『ていうか』使い過ぎでアホっぽい。」
思わず正直な感想が出てしまった。
「ハハハハッ・・・そうだな、仁、お前アホっぽいな。確かに、ククッ・・・。」
私の言葉に、古田先生が笑い出した。
つられて、香田蘭子さんも噴き出した。
すると。
「何だよ、玲美のことこんなに思ってるのに・・・アホっぽいって・・・どうせ、俺は・・・。」
マ、マズい、仁さんが拗ね出した。
このままだと、トイレにこもってしまうかも・・・。
事務所のトイレならまだしも、こんな場所で閉じこもられたら・・・・・・考えたくもない。
私は慌てて。
「違う、違う。昨日仁さんが、コー君の家の玄関に頭ぶつけたこと思い出したのっ。それで、その後コ―君、玄関ドアを拭いたんだろうな・・・って思ったら笑えてきたのっ。」
真相を言ったのだけれど。
「だって、玲美がコーの家の中から中々出てこないからだろっ。」
また、さっきの話に戻ってしまった・・・。
このまま行くとまた堂々巡りだと、返答に困っていたら。
「ごめんなさい、あなたの事、誤解してたの。」
いきなり、香田蘭子さんが私に向かって頭を下げた。
驚く私に、古田先生が申し訳なさそうに言葉を続けた。
「悪いと思ったが・・・お前の家の事情を、蘭子に話した。勝手なことをしたが・・・仁と一緒になるのなら、蘭子も無関係ではないからな。誤解したままではよくない。だから――「古田先生、大丈夫です。もう、昔のことですし・・・今は、両親とも離れていますから・・・何をおっしゃっても、本当のことですし・・・大丈夫です。」
古田先生に頭を下げさせたくなくて、私は言葉を遮った。
だって、今あるのは古田先生のお陰で・・・まあ、仁さんのおかげでもあるわけだけれど。
結局、私にチック症状があらわれて、古田先生がパパとママによく話をしてくれた。
やっとそこで、私にしわ寄せが行っていたことに気がついたようで。
それからはパパもママも私を気遣い、向き合ってくれた。
そんなことがあり、私も気持ちが落ち着き、ピアノの練習も頑張って・・・その頃から、急にピアノが上達しだして周りから注目されるようになった。
だけど、それは特別なことではなくて。
仁さんが優しく根気よく、私に指の運びを教えてくれたり、間違えた箇所を何度もやり直す事に付き合ってくれたり・・・。
もし1人だったら、途中で投げ出していたと思う。
それに、前に間違えたところを1つクリアするごとに、古田先生もあり得ないくらいほめてくれて・・・とにかく。
私が課題曲1曲を仕上げる度に、仁さんも古田先生も大喜びで、ご褒美に何か買ってくれたり、美味しい物を食べに連れて行ってくれたりと・・・まあ、恵まれていたのだ。
そんな前提があって、私はピアノが上達したのだった。
それは、嬉しいことだったのだけれど、ママにとってはそうではなかったみたいで。
ママが教えても私のピアノの腕が上達しなかったということが、ママの中では大きいことで。
今となっては、プライドだったのだと思うが・・・。
私のピアノの腕が上達し、注目を浴びるごとにまた・・・ママとの、目には見えない微妙な距離ができていったのだった。
そんな中、ママが妊娠し、翌年男の子が生まれた。
その子をお兄ちゃんの生まれ変わりのように感じたのかもしれないし、私との距離ができていてどう接していいかわからなくなっていたのかもしれない・・・。
弟、空の誕生をきっかけに、また・・・私は両親との溝が出来て行った。
でも、悲しいことに、私の中でそれは既にわかっていたようで。
知らないうちに・・・もうとっくに、諦める準備が出来ていた。
仁さんはそんな私を前よりも沢山可愛がってくれて、もっと2人でいることが多くなった。だけど、それは寂しいというよりも・・・仁さんと過ごすことはとても楽しくて。
いつも2人で笑っていたような気がする。
古田先生はそんな私達を黙って見守っていてくれたのだった。
「私ね、あの時・・・あなたに、嫉妬していたのよ。」
香田蘭子さんはまるで自嘲するかのような表情を浮かべ、ピンクローズの口を歪めると、一気に吐き出した。
「し、っと・・・ですか?」
いつも自信に満ち溢れた香田蘭子さんの言葉に、『嫉妬』という文字が浮かばず。
理解できないまま、耳から入った音だけをくりかえした。
「そう・・・私を応援するっていってくれた主人は、早くに亡くなってしまうし・・・私のせいで怪我をして・・・バイオリンが弾けなくなった仁は・・・ヒネくれて・・・まるで生きていないような目をするし、何を言っても聞き入れないし・・・私は宗も薫も育てないといけないのに・・・困って、古田さんにお願いしたら・・・仁はまたヒネくれるし。どうしたらいいのか、悩んでいたら・・・玲美ちゃんと出会って更生したって、聞いて。どんな子かって見に来たら、あんなにいつも無表情だった仁が、見たこともないようなデレデレの顔で玲美ちゃんの世話やいているし・・・。私があんなに悩んでいたのは何だったの?って思うくらい・・・でも、仁がそれで立ち直るのなら、いいかと思ったのだけれど・・・古田さんも、仁も玲美、玲美、玲美・・・って。挙句の果てに、大山君まで玲美ちゃんがお気に入りで。そんな恵まれた環境なのに、本人はさほど気にもしていなくて。デビューできるっていうのに、大学在学中は嫌だとか。他のコ達は、争って私に演奏を聴いてもらって意見をもらいたいって、ガッついているのに。玲美ちゃんだけは、全然違う温度で。だから、腹がたったの。こんな恵まれた環境なのに、本人は有難いことだと気がついていないって。もっと頑張っていても、恵まれない人がいるのに・・・そんな甘い気持ちでは、ダメだって・・・言いたかったの。」
突然の、息つく間もない香田蘭子さんの告白に、私は堪らなくなった。
「お袋・・・別に、俺は・・・玲美に世話を焼いてやってたんじゃない・・・俺がしたかったから、したんだ。こんな風に見えて、玲美は俺なんかよりずっと我慢強いし・・・優しい。人の気持ちがわかるし・・・だから、俺も・・・古田のじいさんも・・・浩二だって・・・玲美といると楽しいんだ。玲美よりも、頑張っているやつがいるのに・・・って、お袋、見てないからそんなこと言えるんだぞ?玲美があれだけピアノを弾けるようになるまで、どんだけ努力したか知らないから言えるんだ。どれだけ頑張ったかなんて、俺が一番知ってる・・・そんなに、簡単に玲美の事を決めつけるなっ!玲美があんなに頑張ったのに・・・お袋の勘違いの言葉で、玲美はピアニストの道をあきらめたんだぞッ!?」
仁さんが、香田蘭子さんに掴みかからんばかりに激しい言葉をぶつけた。
香田蘭子さんが、俯く・・・だけど。
「だけど、結局。ピアニストにならないって決めたのは玲美だろ?本当にピアニストになりたかったら、なんて言われたって、諦めないんじゃないか?それだけの、気持だったんだろ?」
冷めた口調で、薫君が口をはさんだ。
「薫は、関係ないだろっ!黙ってろ!」
「あっ!?関係ないだとっ!?兄貴がバイオリン弾けなくなったって大騒ぎになって、俺がどれだけ大変だったのかわかるのかよっ!?ただ好きで弾いてたバイオリンなのに、いきなり一気に期待されて・・・兄貴ほど才能がないなんて自分で一番わかってるのに・・・それでも頑張らないといけない苦しさってわかるのかっ!?・・・弾けなくなったって、自分が一番可哀相に思ってるなんて、思いあがりもいいところだっ!!」
多分、今まで押さえていた気持ちが、あふれ出したのだろう。
薫君の思いがあふれ出た言葉に、仁さんがたじろいだ。
「薫・・・。」
たじろいだ仁さんに、薫君が激しい言葉を続けた。
「事故を起こしたお袋をいつまでも責めて、家によりつかないなんて、くだらねぇんだよっ!!お袋だって疲れて居眠りしたんだっ。わざとじゃないっ。それくらいわかれよっ!!兄貴の腕が利かなくなったのは、お袋だってわざとじゃないだろっ!?親が子供の大切にしてるもん、考えないわけないだろっ!?」
薫君は、香田蘭子さん・・・お母さんが大好きなんだと、思った。
だけど、お母さんを思いやるその言葉で・・・香田蘭子さんは、顔を歪め、肩を震わせ・・・俯いた。
仁さんは・・・仁さんなりの思いがあって。
でも、どうにか飲み込んで今までやってきたという気持ちもあって。
激しい薫君の言葉に、唇をかみしめ・・・思いきったように、口を開きかけた。
だけど、それはっ・・・口に出さないと決めた言葉で・・・。
「俺の腕は、お袋の身が――「仁さんっ!!蘭子さんがピアノを弾けるのは仁さんが蘭子さんの腕をかばったからでしょっ!?」
咄嗟に、私の口から飛び出した言葉。
どんな言葉も打ち消すくらい、大きな声で――
香田蘭子さんの表情を見ればわかる・・・どんなに、悔やんだか・・・。
どんなに、ピアノに今まで打ち込んで、自分の手を大切にしてきたか・・・。
だから、きっと・・・頭で考えずに・・・本当に、無意識に出てしまった行動。
無意識だからこそ、なお悪い・・・そう思うかもしれない・・・でも決して、仁さんを大切に思っていなかったなんてことはない筈。
だからこそ、香田蘭子さんは深い後悔と、罪悪感の中にまだいて・・・あんな顔をしている・・・。
ずっと・・・自分の思う通りに生きてこられた人――
そう思っていた。
だけど、それは誤解で・・・。
私の言葉に。
唖然とする、仁さんと、香田蘭子さん・・・。
古田先生は、ただじっと私を見つめていて。
薫君は、いきなり大声を出した私に驚いている様子で・・・そんな薫君の目を見据え、私は声のボリュームはそのままで、言葉を続けた。
「事故の時に咄嗟に仁さんが蘭子さんをかばって、仁さんが怪我をしたのっ!それで蘭子さんは仁さんがバイオリンを弾けなくなったから、自分のせいだって思って。仁さんはそんな風にいつまでも蘭子さんに思ってほしくなくて・・・だから、仁さんは蘭子さんと顔を合わせないようにしてるだけっ。仁さんは悪くないし!蘭子さんだって悪くないっ!!薫君、誤解してるからっ!!仁さんに謝って!!仁さんを悪く言ったら、私が許さないからっ!!」
「・・・・・・・。」
私の迫力にたじろぐ薫君。
そして、絶句する、仁さんと香田蘭子さん。
「薫君、仁さんに謝って!」
薫君に、詰め寄る私。
そして・・・沈黙を破ったのは、古田先生だった。
「薫、仁に謝れ。玲美の言う通りだ。」
店内の曲は、またクラシックになり。
乙女の祈り――
曲が始まった途端、古田先生がふっと私に向け、微笑んだ。
『乙女の祈り』は・・・お兄ちゃんが最後に発表会に向けて練習していた曲で。
私が、古田先生のピアノを初めて聞いた時に弾いていた曲・・・。
今思えば・・・古田先生はあの時、事故を起こしてしまった蘭子さんの事を思って、祈るような気持ちでピアノを弾いていたのかもしれない・・・。
祈りを込めたような、音色に聴こえたから・・・。
「・・・ごめん。兄貴・・・俺、誤解してた・・・。」
薫君の言葉に、蘭子さんが泣き崩れた。
そんな蘭子さんを見つめ、仁さんは・・・一度俯いて、大きくため息をつくと、私に揺れる瞳を向けた。
そして、私を見つめたまま。
「もう、いい。済んだことだ・・・お袋も・・・手が、無事で・・・よかった・・・・もう、気にすんな・・・・もう、俺は・・・・大丈夫、だから。」
長い間言えなかった言葉を、心をこめて『俺は、大丈夫』と伝えることができた。
結局、その日は食事や打ち合わせどころじゃなくなって。
蘭子さんのスケジュールもあって、翌週にもう一度打ち合わせをすることになった。
場所は、オフィスブルドッグで・・・。
で。
「仁さん、ちょっと・・・もうちょっと、離れて。く、苦しいからっ。」
帰りのタクシーの中で、にじり寄ると言う言葉がかわいらしく思えるような、ガブり寄り?的な感じで。
ドアに押し付けられるくらい追い詰められて、とうとう苦情を言った。
なのに。
「何でっ!?ていう・・・いや、というより、何で俺から離れるんだよっ。さっきの俺をかばう薫にかみついた愛情たっぷりの玲美とは、全然ちがわないかー?・・・あっ、玲美・・・そうか、ツンデレだもんなー・・・人がいたら、ツンだもんなぁ・・・じゃあ、帰ってから・・・運転手さーん、急いでくれませんか?早く帰って、イチャイチャしたいんですー。もう、俺愛されちゃってて~。あ、俺たち結婚するんです~♪」
「・・・・・・。」
もう、独走状態の仁さんに、返す言葉も見つからず。
苦笑いで、グンッとアクセルを踏んだ運転手さんと鏡越しに目が合った私は・・・完全に、誤解のまなざしを向けられていた。