4、必死の・・・仁
玲美が俺の手を、払った・・・小さい頃は、嬉しそうに繋いだ俺の手を。
玲美が、拒絶した・・・。
とても信じられなくて、思考が一瞬停止した。
その間に玲美は部屋を出ていってしまい、追いかけようと思ったがその前に、俺はお袋を振り返った。
平然と、食前酒として注がれたシャンパンを飲んでいる。
俺は、あらんかぎりの憎しみを込めた目で、お袋を見た。
「バイオリンは、あんたのせいで諦めた。だけど、玲美のことは絶対に諦めない・・・ていうか、何でいつも俺の邪魔すんだよっ。放っておいてくれよっ!!」
俺は・・・今まで責めた事のない、あの事故の事を・・・初めて口にした。
途端に、お袋の顔色が変わった。
シャンパングラスを持つ手がガクガクと震える。
古田のじいさんが、お袋の手からシャンパングラスをとり、テーブルに置いた。
「仁、済んだことを、今更口にするのは男じゃないぞ。例え、そうであったとしても、お前は蘭子が運転を誤らなくて、事故を起こさなかったら・・・俺の家に住まなかった。そうしたら、玲美とも会わなかった。いや、たとえ玲美と会ってたとしても・・・俺の家で、玲美の宿題をみたり、遊んでやったり、おやつを作ってやったり・・・あのかけがえのない、お前にとって大切な時間はなかったぞ?事故がなくて、バイオリンの道に進んでいたら、また別の人生があったと思うが。どうだ?玲美と出会ったことは、今、お前の中ではどれくらいのものなんだ?」
じいさんの言葉に、じいさんの家で玲美と楽しく過ごした思い出がよみがえる。
「玲美と出会ったことは、俺の運命だと思ってる。玲美と会わなかったなんて、考えられない。」
「だろ?なら・・・今、お前がそう考えるのなら。蘭子の失敗・・・運転を誤ったこと・・・そして。対向車を避けようと、ハンドルを切る時に・・・お前の事より、自分の手を咄嗟に庇ってしまった事・・・責めたって、何も始まらないだろう?」
俺は、驚いてじいさんを見た。
「知ってたのか・・・?」
一度も話したことのない事実。
一瞬の居眠りで反対側車線に飛び出し、お袋が咄嗟にハンドルを切って、助手席に俺が座る左側が対向車に激突した。
それが、お袋の咄嗟の判断だったのだ・・・。
「お前を預かるときに、蘭子から聞いていた。」
今度はその言葉に驚いて、お袋を見た。
「罪悪感がなかったわけじゃないのよ。だけど、働かないと息子3人、食べさていけないでしょ?罪悪感にひたってたって、いい音色はでないわ・・・だけど、見捨てたわけじゃない。」
お袋が、そう言って俺を見た。
俺はため息をつくと、一番気になることを訊いた。
「何で、玲美にあんな、酷いことを言ったんだ?個人的な好みはあると思うが・・・玲美は、プロとしてやっていくだけの技量はあったはずだ。」
俺の言葉に、普段お袋に優しい古田のじいさんも同意して。
「そうだ。玲美は在学中にデビューしてもいいくらいの実力はあったんだ。だけど、本人が大学を卒業してから、って言うから。卒業をまって、CDデビューする段取りはつけてあったんだ。」
俺も、玲美のために曲をかいていた。
だから、何で・・・お袋があんな感想を玲美に言ったのかが、わからない。
古田のじいさんも同じだろう。
だけど。
「理由は・・・あなたたちに言ったってしょうがないでしょ?玲美ちゃん本人に伝えないと意味がないじゃない?訊きたいなら、玲美ちゃん連れてきなさいよ。」
そう言ってお袋は、じいさんがさっきテーブルに置いたシャンパングラスを煽り飲み干すと、丁度入ってきたボーイにシャンパンを注いでくれというジェスチャーをした。
「・・・・・・・。」
一見、余裕そうに見えるその仕草も、さっきのグラスを持つ震えた手を見た後では何故か、必死さが垣間見えた・・・。
玲美のマンションを解約したことを、後悔した。
俺の家に今の状況で戻るわけはないから。
それに、玲美1人でホテルに泊まるとも思えない。
玲美が小学校5年の時、古田のじいさんが仕事でオーストリアに行くことになって、それが丁度夏休みで。
俺も玲美も、じいさんが一緒に行くかと誘ってくれて、喜んで同行したんだけど。
玲美とは別の部屋で・・・でも、一緒に寝たい俺は、ホテルに1人で泊まるとお化けがでるぞと散々玲美を脅した。
だけど、さすがに小5になるとそれも通じなくてがっくりとしていたら、夜中、泣きながら玲美が俺の部屋に来た。
泣き声のような、叫び声のような・・・恐ろしい、変な声が聞こえる・・・幽霊がでた、と。
俺は思わず、オーストリアの幽霊に感謝した。
まあ、翌日玲美の部屋に荷物を取りに行ったときに、隣の部屋からラブラブなカップルが出てきて、玲美の言う変な声っていうのがなんだかわかったけれど。
もちろん真相は言わず、玲美には1人でホテルはまずいと言い聞かせておいたから・・・それ以来、玲美は1人でホテルには泊まらないのだ。
だから、玲美の行先は・・・ホテルってことは、ない。
だとすると・・・はあ。
コーのマンションか・・・。
コーは、色々と精神的に厄介なものを抱えているけれど、いい奴だ。
で、玲美は最初からそれがわかっていて、コーと玲美は仲が良い。
友達関係だとは思うが・・・。
そんなことは、ない、と思っていたが。
玲美が部屋にいるらしいのに、コーが玄関のドアを開けない。
何でだっ!?
一気に、不安が押し寄せてくる。
ただでさえ、玲美は顔立ちが愛らしく、小柄だが出ているところは出ていて、魅力的だ。
俺みたいに、幼い感じの女が好きな男には滅茶苦茶モテる。
だから、玲美が大学に入ったあたりから、俺は他の男が言い寄るスキを与えないくらい、玲美にべったりだった。
なのに・・・膨らむ不安。
「おいっ、コーお前っ。玲美に手をだしてないよなっ!?」
「出してないから。」
「じゃあ、早く中へ入れろっ!」
「諸事情により、今すぐは、無理。」
「!?・・・まさかっ・・・玲美、裸じゃないよなっ!?」
「いや、まだ服は脱ぐ前の段階だから。」
「はっ!?脱ぐ前の段階!?・・・どういうことだっ!!あけろっ、ここあけろっ!!」
コーの言葉に焦る、俺。
取り敢えず、服は脱ぐ前らしいから、セーフだろうが・・・。
だけど、一刻も早く玲美を取り戻したいっ。
なのに――
イラつく俺にさらに追い打ちをかける、コーの言葉が耳に入った。
「玲美ちゃん、大好きだ!!」
コーの興奮したデカい声が、扉の向こうから聞こえた。
「おいっ!?コー!!この野郎ッ!!玲美口説くんじゃねぇっ!!早くあけろっ!!!!」
玲美を口説いているらしい、コーに焦る。
もう、いてもたってもいられなくなって、俺は。
――ガンッ!!
玄関のドアに、思いっきり頭を打ち付けた。
一瞬、星が飛んだように思えたが。
だけど、痛みなんか感じないほど、不安で――
すると、ガチャリ、とドアのカギが外された音がした。
慌てて、扉を開いて――
「きゃぁっ!?じ、仁さんっ!?」
玲美が悲鳴をあげた。
玲美が何か言っているが、玲美の腕を引っ張り、歩き出す。
一刻も、コーから・・・いや、俺以外の男から玲美を引き離したくて。
玲美は、俺だけのものだっ!
とにかく、必死でコーのマンションを飛び出した。
「じ、仁さんっ、ちょ、ちょっと待ってっ!!」
玲美の手を引いて、ドンドン歩く俺に、玲美がストップをかけた。
こっちは、早く2人っきりになりたいのに。
ムッとして、思わず嫌な言葉が口から出た。
「そんなに、コーのところに戻りたいのか?」
自分でも、弟のように思っているコーに対してそんな風に言うなんて、男らしくないと思う。
だけど、さっきのやり取りにすっかり俺は余裕をなくしていて。
情けない・・・。
ちょっと、凹んだけれど。
「い、いやっ。コー君の部屋には戻りたくない!たとえ、仁さんが戻ろうって言っても、私は断固拒否するくらいの気持ちで、戻りたくない!!」
何故か、俺の思っていたこととは違うようで、必死の形相で玲美がコーの部屋には戻らないと言った。
そんな玲美に心底ホッとする俺・・・って、もうどうしようもないな・・・と思いながらも。
「よかった・・・玲美が、俺を置いてどこかへいっちゃうんじゃないかって、滅茶苦茶不安になった・・・。」
思わず、素直な気持ちがこぼれて、玲美を抱き寄せようとしたのだけれど。
「ちょ、ちょっと、待って。仁さん!おでこから、血が出てるからっ!!」
焦った声で玲美がそう言うと、丁度通りかかった公園に俺は連れ込まれた。
公園に連れ込まれて、やっと玲美と2人っきりになったのだけれど。
「ああっ、イタッ!?」
公園の水道で濡らしたハンカチで、玲美が俺のおでこを乱暴にぬぐった。
もうちょっと優しくしてと、文句を言おうとしたが。
玲美の怒りながらも泣きそうな顔に、文句も引っ込んだ。
まあ、考えたら・・・無茶な事したよな・・・。
玲美は、血が嫌いだ。
病気の兄さんが手術をして、出血がひどくて輸血をして感染症になって。
結果、それで亡くなったんだけど・・・とにかく、血が嫌いだ。
「玲美、ごめ――「仁さん、ごめんなさい。」
後先考えずに頭を玄関ドアにぶつけるなんて無謀なことをして、玲美に嫌な思いをさせたことを謝ろうと思ったのだけれど。
玲美が、何故か謝ってきた。
「何で、玲美が謝るんだ?」
「だって、さっき・・・仁さんの手を振り払っちゃったから・・・仁さん、悲しそうな顔、してた。」
玲美が、シュンとした顔で俺のおでこにキテ●ちゃんの絆創膏を貼った。
玲美は、昔からキテ●ちゃんが好きだ。
遠足用のリュックも、水筒も、お弁当箱も、ランチシートも、全部俺と一緒に買いに行った。
おやつも買いに行って、当日のお弁当も作ってやった。
ゆで卵をチューリップにして入れてやったら、喜んでいたな・・・。
そんなことをふと思い出し、さっきの自分のバカな行動がおかしくなった。
クスクス笑う俺を、玲美がキョトンとした顔で見る。
滅茶苦茶可愛い。
「ごめん、何か・・・自分の必死の様に、なんだか可笑しくなってさ。だって、玲美に1回手を振り払われたくらいで、何であんなに凹むのかって・・・そんなことくらいじゃ、俺たちの今までが無しになるわけないし?キテ●好きの玲美のために、遠足セット買いに行ったの覚えてるか?それまで、紺色の古臭いウサギのキャラクターのどっかの高級子供服のブランドの遠足セットで、玲美気に入ってなかったもんな?」
俺が、そう言いながらおでこの絆創膏を撫でると、玲美が笑い出した。
「そうそう、仁さんには沢山買ってもらった!で、結局・・・あははは・・・仁さんも、私とお揃いにしたいって、お弁当箱と水筒キテ●ちゃんのにしたんだよね?中学の時に・・・あははは・・・ありえないよねー・・・で、私が6年生の時に修学旅行に行くのに買った時計も、キテ●ちゃんおそろいにして・・・仁さん、あの時、高校生だったよねぇ・・・マジ毎日キテ●ちゃんの時計して学校通ってたよねぇ・・・ありえないよねー・・・。」
ゲラゲラ笑う、玲美の手を取り、俺はじっと見つめた。
「俺たちには、今までの思い出や絆がちゃんとある。だから、不安になることなんてないよな?・・・お袋の事・・・知らなかったとはいえ、悪かった・・・だけど、俺とお袋は別に考えてくれ。」
「仁さん・・・?」
俺は、玲美の手を口にもっていき、そっと手の甲にキスを落とした。
「玲美、結婚して。14年の片思い・・・もう、俺を楽にして?・・・俺がどれだけ、玲美を大切にするかなんて、今までの事でわかってもらえると思うけど?俺しか、玲美を幸せにできないと思う・・・・・・・・・・ていうか、玲美、二者択一だ。俺のプロポーズを受けるか、俺と一生会わないか、どっちか選べ。即答で!!」
断られるかもしれないと、怖くて、愛美ちゃんの解雇回避にからめていう事をきくということでなし崩しにしようと思ったけれど。
大切なことだから、やはりちゃんと言おうと思った。
誰よりも、玲美の事が好きだって。
だけど、やっぱり、途中で不安になって、例の二者択一戦法を使ってしまった・・・。
多分、必死の形相だったのだと思う。
玲美は、顔をひきつらせながら。
「一生会わないのは、む、無理・・・かな・・・?」
と、今回も無事、落城したから。
玲美と自宅に戻り。
プロポーズ記念、ということで・・・色々ハッスルしてーーー・・・。
まあ、翌朝、玲美は機嫌が悪くて口をきいてくれなかったけれど。
朝食にフレンチトーストを作ってやったら途端に機嫌は治り、ホッとしていたら。
『玲美は、大丈夫だったか?』
朝から、じいさんの声を聞く羽目になった。
早朝7時半の電話って・・・やっぱ、年寄りは朝が早いよなぁ。
って、正直に思っていることを言ったら、心配していたんだから昨日のうちに電話ぐらい入れろと逆切れされた。
年寄りなのに気が短い・・・せっかくのフレンチトーストが冷めるから、適当に相槌をうって切ろうとしたのだけれど。
『今日、玲美と一緒に俺の家に来て、蘭子ともう一度話せ。』
なんて、無茶なことを言ってきた。
「もう、お袋と話すことはないと思うけど?今更、何て言ったって・・・お袋がしたことは変わらないし。じいさんの言う通り、今更俺が言うのも男じゃないから、もう・・・言わないけどさ。だけど、玲美にこれ以上酷い事言って欲しくないし・・・だから、会う気もないし。」
『お前、それでいいのか?後悔しないのか?』
「前から思ってたけど、何でじいさん、そこまでお袋に肩入れすんの?知ってると思うけど、アレ、筋金入りの性悪だぞ?」
前から思っていた疑問を、訊ねてみた。
どんなプロのピアニストでもニコリともしないじいさんが、お袋には優しくて・・・俺の事を含め、何かと親身になっているのが不思議でしょうがなかった。
『ああ、知ってる。だけどな、その分音楽に対しては、気持ちがハンパない。それは学生の頃から変わらない・・・。』
「え?お袋の事、昔から知ってたのか?」
そんな付き合いが長いのかと驚く俺に、じいさんは電話の向こうで大きくため息をついた。
『お前は、俺の歳をずいぶん誤解しているようだが。俺は蘭子の大学の2年先輩で、お前の亡くなった親父の・・・蘭子も俺も生徒だったんだ。』
「ええっ!?」
吃驚だった・・・。
親父が、お袋の高校時代の音楽の教師だったのは知っていたけど。
まさか、じいさんがお袋と歳が2歳しか変わらなかったなんて・・・だったら・・・えぇっ!?まだ、60前か!?
って、ことは・・・初めて会った時、じいさん、40くらいか?
「知らなかったの?仁さん・・・まさか・・・本気で今までじいさんって古田先生の事呼んでたのっ!?冗談じゃなかったのっ!?」
玲美が物凄く驚いた顔で俺を見た。
どうやら、玲美はじいさんの歳を知っていたらしい。
「だって、あのシワ、すごいじゃんかー。俺、最初会った時80くらいだと思ったしー。だけど、そうだよなぁ・・・あの時80だったら、じいさん・・・今90半ばだよなぁ・・・90半ばでサーロインステーキ300gも食わねぇよなぁ・・・。」
俺がそう言うと、玲美が噴出した。
なんだよ、って聞くと。
「よく、先生も・・・じいさんって言われて普通に話してたなぁって。多分先生は仁さんが本気で言ってるってわかってたんでしょうね。そういうの面白がる人ですもんね・・・ふふ、先生らしい・・・アハハ。」
と、楽しそうに玲美が笑った。
玲美はじいさんが好きだ。
じいさんは難しい人だけど、玲美と馬が合うんだろうな。
考えてみたら、俺の周りには・・・難しい奴ばっかなのに。
玲美は何故か・・・無理することもなく、周りの奴らと上手く、楽しくやっている。
まあ、その一番の難しい奴っていうのが、俺なんだろうけど。
バイオリンが弾けなくなって、誰が何を話しかけてきても、ムカついて。
地球なんて、爆発しちまえ!ってマジに思っていたのに。
「お兄ちゃん、あのね。古田先生が、自分はブルドッグに似ているか?って訊いてくるの。ねぇ、どうやって答えたらいいと思う?」
「嘘を言うのは、よくないと思うぞ。」
玲美が最初に俺に話しかけてきた時、あまりのバカバカしい質問に、つい笑いをこらえながらそう答えていた。
バイオリンが弾けなくなったという思いだけにとらわれ、他人なんてどうでもいい、そう思ってたのだけれど。
玲美が、なんてじいさんに答えるかどうしても気になってしまった。
『嘘はよくない』と咄嗟に言ったのは、事故があってから俺にかけられる言葉は、嘘の混じった慰めばかりだったから。
――あんなに素晴らしいバイオリンが弾けたんだから、音楽の道で他にみつけられるはず。
――リハビリをすれば、また弾けるようになる。
――お母様が、自分が身代りになればよかったって、悔やんでいらっしゃいましたよ。
嘘が、どんどん、俺の心を冷めさせていった・・・。
古田のじいさんは世間でも大先生で、ブルドッグに似ているなんて口が裂けても言えない。
小学生のあの女の子だって、それはわかっているはずだ。
あんなかわいらしい女の子だって、きっと嘘をつくだろう。
人間なんてそんなもんだ。
そう思って、じいさんの部屋へ向かう玲美の後を追った。
だけど、玲美は・・・そんな人間じゃなくて――
「古田先生は、ブルドッグに似ていません!」
やっぱり、この子も同じだと思ったのだけど。
「・・・そうか?玲美、俺の顔をよく見ろよ?似てないことはないだろ?」
じいさんも意地が悪いよな、似ているに決まってるし。
そう思って、部屋を後にしようと思ったら。
「か、髪型が違います!お、お髭の場所も、形も違いますっ。鼻の頭の色もっ・・・ブルドッグは眉毛がないです!だからそこはブルドッグに、似ていません!!」
「・・・・・・。」
じいさんが、女の子の言葉に絶句した。
ていうか、似てないところを言っただけで、それ以外は似てるってことだろ?
「ブハッ!!・・・アハハハハ・・・・。」
思わず、俺は噴き出して、爆笑していた。
「お兄ちゃん!何で笑うのっ!?お兄ちゃんが、嘘はいけないって言ったんだよっ!?私、嘘はいってないよっ!?」
女の子の泣きそうな顔が可愛くて、側にいって思わず抱き上げてやった。
「うん、偉いな?似てないところ一生懸命探したんだ。嘘はダメだもんな?」
そう言うと、女の子は大きく頷いて。
「そうだよ、ブルドッグに似ているって言われて嬉しい人なんていないよ。」
と、大真面目な顔でそう言った。
だけど。
「昔は嬉しくなかったがな・・・今はブルドッグに似ていると言われても、嫌じゃなくなったぞ?」
じいさんが意外なことを言いだした。
「どうして?」
女の子が目を丸くして、訊き返す。
この子、お人形さんみたいで滅茶苦茶可愛いな・・・と、女の子に見とれていた俺に、じいさんの言葉が胸にささった。
「ブルドッグは、復活の犬だからな。」
「外国の話だが・・・昔々、ブルドッグはな、『牛苛め』っていう娯楽に使われた犬だったんだ。」
「うし、いじめ?」
「ああ、酷い話だが、凶暴な性格にブルドッグを育てて、多数で牛にとびかからせるんだ・・・そういうのを面白がって見る遊びだ。」
「酷い・・・。」
じいさんの部屋のソファーに移動して、じいさんの話を玲美と並んで座って聞いていた俺は、じいさんの言葉に肩を震わせ恐がる玲美を膝の上に抱き上げてやった。
「うん、酷い話しだ。だから、やっぱり、そういう遊びはダメだ、ってことになってな?無くなったんだ。だから、『牛苛め』用に凶暴に作られたブルドッグは、仕事が無くなっていらない存在になってな・・・。」
「ええっ!?勝手に作って、用がないから、いらないって・・・酷い!」
ブルドッグにそんな歴史があったなんて、知らなかった。
だけど、玲美が突然思いついたように。
「あれ、でも・・・うちの近所に、ブルドッグ買っているおうちがあるけど・・・そこの、みどりちゃん・・・あ、みどりちゃんってコなんだけど、すごーく優しくて、尻尾フリフリしてくれて、全然こわくないよ?面白い顔してるけど、なんだか可愛いよ?」
くりくりの目を、もっとくりくりさせてそう言った。
か、可愛い・・・。
じいさんは、玲美の言葉にニッコリと笑うと。
「そう、ブルドッグは・・・凶暴で仕事が無くなったからもういらないと言われたけれど、そういう犬に変化して・・・今は、人気の犬だ。つまり、復活した犬なんだ・・・まあ、人間が作り替えたんだろうけれど・・・でも、ブルドッグ自身にその素質がなかったら、復活はありえなかった・・・そう思うだろ?」
じいさんの話は。
俺ばかりか、玲美の心にも響いたらしく――
「玲美も・・・お兄ちゃんと違って・・・ママにダメな子って言われてるけど・・・復活できると思う?」
自分に問いかけるように、そう呟いた。
「玲美は、ダメな子じゃないぞ。ちゃんと、嘘は駄目だって、わかってるじゃないか。それに、俺にブルドッグに似てるなんていったら、可哀想って優しい気持をもってくれたろ?全然ダメじゃないぞ。ピアノだって、やり方だ。確かに、玲美は指の動きが遅いけれど、それもじっくり練習すればいつかは上手になる。最初から早くできる必要はない。どれだけ一生懸命練習するかだ。」
玲美に一生懸命話すじいさんの言葉は、玲美を元気づけて。
そして。
「仁、お前だって。ダメじゃないぞ。バイオリンがなくたって生きていけるんだ。もっと、大きく考えろ。お前、玲美に、嘘はいけない、って教えたじゃないか。それって、自分が嘘を言われて嫌だったからだろ?お前、バイオリンを弾いて周りにちやほやされてた時、そんな気持ちわかったか?周りのお世辞や上手な言葉が嘘だって、見ぬけたか?厳しいが真実の言葉に、気がつけたか?・・・事故は残念だったが、それでもお前は生きている。それに、一番人間としてダメなことがわかっている。そうやって、人に優しくできる・・・つまり、お前はまだまだ復活できるってことだ。すぐにとは言わない。ここで、お前の心を休ませて、じっくり考えろ。まだ中学生だ。考える時間はたっぷりあるぞ?」
俺は、他人の言葉を久しぶりに、素直に聞けた。
だけど。
「俺も、お前も、玲美も・・・ブルドッグな人生だ。」
照れ隠しに、そんなことを言うじいさんの言葉には同意できなくて。
「いやいや、ブルドッグとか、俺無理だし。」
いや、素直にじいさんのいう事に頷いてしまった自分が照れくさくて。
必死の抵抗で、そんなことを言ってしまったのか、今となってはどうでもいいんだけど。
だって・・・俺は、その言葉だけで、もう。
復活できたし。
まあ、あれだ。
・・・・・・・・じいさんには感謝してる。
「仁さん、私、新規でコンサートの企画依頼が入ったから、出かけてきますね?」
昼前、突然玲美がそう言って、書類をまとめだした。
「え、新規って、どういうオファーだ?」
「え、と・・・何か、バイオリニストの・・・コンサートみたいなんですけど・・・一応バイオリンに詳しいものがいるので、って言ったんですけど・・・何か、私ご指名みたいで・・・何で、私なのかよくわからないんですけど・・・とりあえず、グランドヒロセのフレンチレストランで、ランチ食べながら打ち合わせしたいって・・・。」
・・・ものすっごく、嫌な予感がする。
俺は、ハンガーにかけていたジャケットを外し、羽織りながら玲美に訊いた。
「その、バイオリニストの名前は?」
「えーと、葵さんっていわれる方ですけど?」
やっぱり・・・あいつ!
「俺も、行くから。」
卑怯なやり方にムカついてそう言うと、玲美がキョトンとした顔をした。
コーがそんな玲美を見て、ゲラゲラ笑い玲美に種明かしをした。
「玲美ちゃん、それ、仁さんの弟の薫君だよ。」
「ええっ!?」
多分、お袋に頼まれて・・・というところだろう。
一応昨日、玲美には事故の真相・・・俺がお袋に対しての感情・・・等を話しておいたが。
俺はため息をつくと。
無駄とはわかっていてもこれ以上玲美を傷つけたくなくて、読めないお袋の心の内を、必死の思いで考えた。