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1、衝撃の・・・玲美

害虫の描写があります。苦手な方はご遠慮ください。



「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁーーー!!!」


 爽やかな秋晴れの、ある日の午後。

 私は、閑静な高級住宅街の坂道を登る途中で、衝撃的な叫び声を耳にした。


 しばらく歩いて。

 少々時代遅れとも思えるバブリーな、蔦の絡まる築20年のレンガ造りの豪邸から聞こえてくる尖った声に、やっぱり・・・と、ため息をつきながら玄関のドアをあけた。



「ですからっ、いい加減誠意を見せて頂けませんか?こちらの仕事に支障が出ているんです!」


 鼻息荒く、この豪邸の隣にある全国展開の焼肉チェーン店の店長に食って掛かる、コー君。

 真っ黒な美しいサラサラの髪が怒りで少し乱れ、整った顔も上気している。

 まあ、顔半分は大きめのマスクで隠れているけれども。

 だけど、それに対し40過ぎの小太りの店長は、すみませんと言いながらもどこか上の空だ。

 小柄なコー君は、私と同じ年だけれど中学生によく間違えられる。

 つまり相手は、子供だから謝っておけばいいだろうというぐらいの甘い気持ちでいるのだろう。

 本当にいい加減な店の責任者だ。

 こういう態度はいかがなものか。

 しかも、どこか油っぽくて不潔感があり、生理的に受け付けないタイプだ。

 とても飲食店に勤めているとは思えない。

 私は眉間にシワを寄せながら、口を開いた。


「コー君、これで何回目?」


 突然声をかけた私に店長が驚いて振り返ったが、あからさまにホッとした後、デレッとした顔をしやがった。

 キモイ・・・。

 多分、小柄で24歳にしては童顔で甘い顔立ちの、10代と言っても通るであろう私の外見を見て、若い女だから大したことはない・・・そう思ったに違いない。

 しかも私は、この小太り店長の好みのタイプだった・・・ということか。

 クレーム対応に来て、何考えてんだっ!コイツ、キモイし、マジムカつく!


「玲美ちゃん、お帰り・・・えっと・・・先月オープンしてから今日で3回目。日付と状況、その時々言われたこちらの対処案も言う?」


 コー君は握りしめていたノートを開き、私に答えてくれた。

 うん、さすがコー君、きっちりとした仕事だ。

 まさかノートに詳しく内容まで記しているとは思わなかったらしく、店長はギョッとしたが。

 甘いな、私達を見くびったことを後悔させてやろうじゃないか。

 私は後でいいよと答え、スマートホンで区の保健所を検索し、そのまま電話をかけた。


「あ、こちらN区に事務所がありますオフィスブルドッグの、犬塚と申します。実は先月から私共の隣に焼肉店がオープンしまして。どちらのご担当なのかわかりませんが。一度、害虫被害の件で保健所の方にご相談したいことが――「すみません!早急に対処させていただきます!!申し訳ありません!!」


 小太り店長が私のスマホをいきなり抑えて、凄い勢いで謝ってきたけれど。

 偶然を装って、私の手を握ってる・・・。

 は、鼻息も荒いし・・・うえぇぇぇ・・・。

 この店長、手もなんだか油っぽい。


 私は、そんな手で触られた事で、イラつきが最高潮となった。

 だから、つい・・・店長の手を、思いっきり振り払って。


「ゴラァッ!ベトつく手で、さわんじゃねぇよっ。手ぇ洗ってんのかっ!?キショいんだよっ!!んでっ!?早急に対処だ?あぁん?今まで、結局なんもしてなかったんだろっ!?テメェ、対処できんなら、早くしろやっ!」


 ちょっとばかり乱暴な口調で・・・ギロリと相手を睨みつけ、少しばかり大きな声で、そう言った。


 私はよく人から、性格がキツいと言われる。

 ついでに、普段はきちんとした口調なのに、地が出ると途端に口調が乱暴になると・・・言われることも、しばしばで・・・。

 私は単に黒か白か、はっきりさせたいだけなのだけれど。


 多分、最初の印象とかなり違ったのだろう、私の言葉に店長がビビりながら裏返った声で返事をし、玄関を飛び出していった。



「小太り店長、帰ったか~♪」


 玄関のドアが閉まる音がしたと思ったら、事務所となっている30畳のリビングのドアが開き、所長の仁さんがゆるい笑顔で現れた。


 こいつ・・・。


 手足の長いスラリとした長身に、バランスのいい小顔。

 つくりは派手ではないが、色気漂う整った顔立ちと柔らかな声・・・大抵の女性なら、この笑顔を向けられ、話しかけられたらなんでも許してしまうのだろうけれど。


「仁さん!いたのなら、何で応対をコー君と一緒にしてくれなかったんですかっ?」


私はいつもの通り、至極当然のことを訴えるが。


「何でって・・・。事務所の中の管理はコーの担当だし。それに・・・俺、あの小太り店長苦手なんだよねぇ。ほら、何か不潔っぽいじゃん?こう・・・オイリーっていうか?べちょっ、としてるし。うん、生理的に俺無理なんだ。さぶイボ?あれ、出る~♪」

「・・・・・。」


 とても、この事務所の代表者とは思えない。

 いやその前に、30歳という年齢とはかけ離れた低次元の言い分に呆れかえり・・・私は、あっけなく、撃沈。

 まあ、今に始まったことじゃないけれど・・・。

 どうも、仁さんには調子を狂わされる。

 イラついて怒っていても、このゆるい調子でなんとなく尻つぼみにおさめられてしまう・・・。

 私はため息をつくと、小太り店長のオイリーな感触が残る手を洗うため、急いで洗面所に向かった。

 急がないと、私もさぶイボ出そう・・・。




 洗面所から出てくると、コー君はまだ玄関にいた。

 さっきの小太り店長が触ったドアノブを、除菌用ティッシューで一心不乱に拭いている。

 もう、いいんじゃないかと思い、私はコー君に声をかけた。


「コー君、前より綺麗になったんじゃない?ありがとうね?」


 そう言うと、コー君の動きがピタリと止まった。

 そのころ合いを見計らったように、リビングから仁さんが声をかけてきた。


「玲~美、コーヒー入れて~♪コーも、マドレーヌ焼けたから食うぞ~♪」


 って、肩に回された腕が重い・・・。

 ついでに、髪を撫でまわすのは止めてほしい。

 仁さんは、スキンシップが激しい。

 一歩間違えば、セクハラだ。

 セクハラ上司って、最低でしょ。

 まあ・・・上司としては最低だけど、タイミングが良くてお菓子作りは昔から上手いから、許すけど。

 それに、あんまり邪険にすると、仁さん面倒だし。




「そうそう。今、古田のじいさんから電話があってな。明日納品予定の楽譜、できたら今日欲しいんだと。確かできてたよな?」


 マドレーヌを頬張りながら、仁さんが隣の私に話しかけてきた。

 何故か、いつもおやつを食べるときは仁さんの隣に座らされる。

 私がおいしそうに食べる姿を間近で見たいとかなんとか、いつも訳の分からないことを言うのだけれど。

 隣に座らないと座るまでうるさいから、面倒なので言われるまま座る。


「はい、出来ています。もう一度、確認しておこうと思ったんですけど・・・これ食べたらやっちゃいますね?」


 そう言って、慌てて私がマドレーヌを食べようとすると。


「おい、そんなに慌てなくてもいいぞ。じいさんが夕方自らとりにくるって言ってたからな。」

「え、古田先生がこちらに見えるんですか?」


 いつもは私が納品に行くのに・・・。

 いつもとは違う行動に戸惑う私に、仁さんがニヤリと笑った。


「ああ、じいさんに勝手な予定変更するんだから、たまには弟子に飯おごれって言ってやった。」

「ええっ!?」

「ってことだから~♪玲美も今日付き合えよ~♪」


 相変わらず、仁さん滅茶苦茶だ・・・。

 だけど、古田先生の事だから、こんな滅茶苦茶な仁さんが可愛くてしょうがないんだろうな・・・。

 そして、仁さんだって、古田先生を尊敬しているし・・・。

 多分・・・・。

 うん、きっと・・・・。




 私が勤める、この『オフィスブルドッグ』という変な名称の事務所は、名称の通り少し変わってはいるが、音楽関係の公演プロデュースを請け負う事務所だ。

 公演プロデュースとはいっても大きなものは稀で、個人のリサイタルや発表会のようなものをはじめとした、コンサート企画、マネジメントなどが中心だ。

 またその他、音楽評論、楽譜清書サービスも行っている。

 所員は、所長の青井仁あおい じんさん、副所長の私・・・犬塚玲美いぬづか れみと、私と同じ歳の青井浩二あおい こうじ君・・・通称コー君。

 コー君は仁さんと従兄弟で、まあ・・・なんというか・・・・・極度の綺麗好き、プラス人見知り。

 でも、本当はとても優しくて誠実だ。

 コー君とは、仁さん繋がりで小学生の頃に知り合って、私とは相性がいいのかそれ以来の仲良しだ・・・というより、本音を言い合える数少ない友達だ。

 コー君は、事務所内の管理と、事務担当をしている。

 あと、バイトの志田愛美しだ えみちゃんがいる。

 高校在学中に、地元三重のミス海老娘というミスコンで優勝した経験のある愛美ちゃんは、高校時代ローカル番組のアシスタントをしていたらしく、タレントになるのが夢。

 今年の春高校を卒業して地元を離れ、チャンスをつかもうと色々オーディションを受けながら、ここで働いている。

 それから・・・J音大音楽学科の講師をしている、ヘルプ所員の火野洋介さんという人が他にいるのだけれど、この人も、変わっていて・・・。

 まあ音楽評論は、洋介さんのつてでわりと依頼があり、事務所の安定をかなりそれで補っているのは否めないのだけれど。

 因みに、私も仁さんも専攻は違うがJ音大の卒業生で、仁さんと洋介さんは同期生だ。

 私よりも6年先輩だけれど。

 いらない情報だとは思うけれど、2人ともモテるのに、いまだ独身。

 理由は、2人の性格に問題があると踏んでいる・・・。


 そして、噂をすれば影・・・というか―――


「ちーす!」

「お早うござまーす。」

 

 洋介さんと愛美ちゃんがやってきた。

 これで、2人のキャラがある程度わかったと思う。

 洋介さんは、一応音大では一流と言われているJ音大で教鞭をとっている教育者の筈・・・なのに、この口調。

 おまけに、洋介さんはお洒落だけれど容姿は至って普通・・・なのに女癖が悪い。

 多分同時進行の女性は、常時複数人いると思われる。

 私が知る限り、歴代バイトの女の子6人すべてに手を出しているし。

 つまり、私は羽毛よりも軽い人格だと認識している。

 だけど愛美ちゃん・・・洋介さんにぞっこんのようだ。

 いや、どこにぞっこんになる要素があるのかはわからないけれど。

 まあ、アレだ・・・とりあえず、この超軽量人格の洋介さんの彼女なのである。

 付き合っていることは2人とも隠しているようだけれど、愛美ちゃん、よく彼の話をしているし・・・で、聞いていたらそれ、どう考えても洋介さんの事だってまるわかり。

 洋介さんも洋介さんで、他の女の子から電話かかってくると明らかにビクビクしているし。

 全くもって、バレバレなのである。

 愛美ちゃんは・・・ちょっと今時で、ちょっとミーハーで、ちょっと空気を読まない・・・という感じだけれども、とても声がきれいだ。

 やっぱり、ローカル番組とはいえ、アシスタントをしていただけあって、発声、滑舌の練習をかなりしたらしい。

 電話番にはとても適している。

 電話口に愛美ちゃんが出てくれると、うちの事務所のグレードが上がったような感じになる。

 でも・・・電話番よりも本人は、当たり前だけど業界に強いあこがれを持っているわけで。


 現在午後3時半。

 決して朝ではないし、早い時間でもない。

 それなのに、「お早うございます」と挨拶してしまうあたり(しかも笑顔で)、彼女のキャラが前面に出ている。

 因みに、うちの事務所では朝以外「お早うございます」と挨拶する者は、他には誰もいない。

 けれども何故彼女が、業界から決して近いとは思えないうちの事務所を、バイト先に選んだのかというと・・・・仁さんの副業(いや、収入を考えれば、本業!?)が、作曲家だからだ。

 たまーに頼まれて作るぐらいだが、それがもれなく大ヒットする。

 一等地にあるこの豪邸を、中古とはいえ所有し維持できるのも、その仁さんの副業のおかげなのだ。

 もちろん、作家名はペンネームで、『ドンファン太塚』・・・若干私とカブっているような、ふざけているような気もするが・・・確かに、仁さんはモーツアルトが好きだけれども。

 だけど、作曲家というより・・・お笑い芸人っぽいって思うのは私だけだろうか・・・。

 まあ、面倒なので深くは考えないようにしている。


 で、愛美ちゃん・・・。

 仁さんが有名な作曲家だとはほとんど知られていないのに何故、愛美ちゃんがそれを知り得たのかというと・・・。

 話はもどるが超軽量人格の洋介さんが原因で、ナンパの口実に仁さんのペンネームを出したのだ。

 本当に、最低な人間だと思う。



「おっ、マドレーヌあるじゃん!仁、焼いたのかっ!?うまそー。玲美ちゃん、コーヒーいっれてー。」


 最低なクセに、コーヒー淹れろと平気で口にする神経を知りたいと思うが。

 事務所の売り上げの貢献度を考えると、そこはグッと我慢する私は大人だと思う・・・。

 でも、立ち上がりかけた私を制すように、愛美ちゃんが立ち上がった。


「あ、犬塚さん、私も自分の分を淹れますから、私がやりますっ。」


 キツい口調にムカッとするわけもなく、返ってラッキーと思い。


「じゃあ、お願いね。」


 上機嫌で返事をしたのだけれど。


「い、いやっ。玲美ちゃんが淹れてっ。お願いっ。」


 と、洋介さんが懇願してきた。


 はあ、わかってたけどね・・・。

 愛美ちゃんは・・・コーヒーはキャラメルマキアートしか飲まない。

 いや、キャラメルマキアートがコーヒーだと思っている・・・。

 洋介さんは甘党なくせに、コーヒーはブラックしか飲まないのだ。

 洋介さんのすがるような目が鬱陶しいので、私は洋介さんはブラックが飲みたいらしいよと愛美ちゃんに伝えた・・・ら。


「えー。絶対にコーヒーは、キャラメルマキアートが一番ですってー。私が、火野先生をキャラメルマキアート一色の人生にさせてみせます!!」

「・・・・・。」


 たった1杯のブラックコーヒーが、えらく壮大な話になったね。

 でも、本当は愛美ちゃん、『キャラメルマキアート一色の人生』って言いたいんじゃなくて、『愛美ちゃん一色の人生』って言いたいんだろうね・・・。

 愛美ちゃんまだ若いのに・・・こんな女癖の悪いオジさんなんかより、もっといい男がたくさんいるのに・・・でも、好きなんだよね・・・。


 愛美ちゃんの気持ちが痛いほどわかって。

 こんな切ないこと言わせている洋介さんに、私はフツフツと怒りがこみあげて。


「おい、ゴラッ!人の淹れるものにケチつけんならっ、自分のコーヒーぐらい自分で淹れろっ!!」


 と、つい口調が少しキツクなって、洋介さんを睨みつけると。

 洋介さんがはじかれたように立ち上がり、ダッシュでキッチンへと向かった。

 すると、いつもゴタゴタしている時は高みの見物をする仁さんが、タイミングを計ったように。


「アハハッ・・・。俺様玲美がキレたぞー。あはは、洋介ビビってんの?アハハ・・・玲美怖いもんなー。いう事聞くしかないよなー?洋介。俺にもコーヒー淹れてっ。ケチつけないからー!!ぶぶっ・・・。」


 と、ゲラゲラ笑いながらそう言った。

 洋介さんはそんな仁さんを睨んでいるけれど、涙目だから全然迫力がない。

 洋介さん本人は隠しているみたいだけど・・・かなりビビリだ。

 だけど、仁さん。

 そこは、せめて俺様じゃなくて、女王様、と言って欲しかった・・・。


 超軽量人格の洋介さんでも。

 愛美ちゃんに凄い迫力で『キャラメルマキアート(本当は、愛美ちゃん)一色の人生にさせる』と迫られ。

 私には、コーヒーくらい自分で淹れろとキレられ、仁さんには笑われた挙句、コーヒーの追加注文をされ、おまけに―――


「うわぁぁぁぁぁっ!!」


 スイーツ好きの洋介さんが、せっかく食べようと思っていた仁さんお手製のマドレーヌの上に・・・群がる7匹のゴキを見つけたら・・・流石に、元気がなくなった。

 まあ、Gは・・・洋介さんの無駄な大声で驚いたのか、一瞬にして一斉に逃げてしまったけれど。

 仕方がないので、元気づけるために。


「洋介さん、ほんの一瞬でしたから、3秒ルール適用内ですよ。それに、7ってラッキーな数字で良いじゃないですか?」


 と、言ってみたら、仁さんは吹き出し。


「嫌だよっ!!」

 

 と、洋介さんにキレられた。

 超軽量人格のくせに、マジになんなよ・・・と、心の中で舌打ちをしていたら。


「・・・ま、また出たんですね。」


 さっきまでの迫力は、どうやらGショックでどこかへ消えてしまった様子の愛美ちゃんが、か細い声で尋ねてきた。

 普段は何かとアレなんだけれど、愛美ちゃんのこういうところは女の子らしくて可愛いと思う。

 背は153㎝の私と違って、165㎝のスラリとした大人っぽい体型なのに、私よりずっと女の子らしい。

 私とは正反対だ・・・。

 いつもは元気すぎる愛美ちゃんがそんな声をだすものだから、洋介さんが大丈夫と優しく声をかけた。

 愛美ちゃんが頬を染める・・・。

 ―――だから、どこに頬を染める要素があるのか知りたいところだけれど。

 私にはその優しい口調が、胡散臭く聞こえるだけなんだけどね。


 仁さんが珍しく口を挟んできた。


「とりあえず今晩終業後、煙の駆除やっから。我慢しろ。」

「えー、でも。隣の焼肉店から大量移動してくるんですよねぇ。隣の店が駆除しないと、イタチゴッコじゃないですかー。」

「ああ、多分今回は、大丈夫だろ。さっき玲美が、あの小太り店長に脅しかけたからなー。いやー元ヤンは、やっぱすげーな?」


 仁さん・・・やっぱり聞いてたんだ!


「えっ!?本当ですか?犬塚さんっ!?やっぱり、怒った時の犬塚さんの迫力って、ソレなんですねっ!?」

「そうそう、玲美の背中には、『ヤンキー魂』って墨入ってるしな~。」

「ええっ!?」


 愛美ちゃんが、ギョッとして私を見た。

 信じるなよ・・・。


「そんなわけないでしょ。しかも、『ヤンキー魂』ってどんなセンスよ・・・チッ。」


 もう、舌打ちと、あきれた声しか出ない。

 なのに。


「じゃ、じゃあ。どんな、文字がはいってるんですかっ!?」


 否定しているのに、ヤンキー説まだ信じているのか、愛美ちゃん・・・。

 私はため息をつくと、いい加減なことを言う仁さんをギロリと睨みつけた。


「仁さん、いい加減なこと言わないでください。愛美ちゃんが本気にしますから。愛美ちゃん、あのね・・・私はただ、保健所に相談しようとしただけよ。」

「おいおい、飲食店にとって保健所にチクられるのが一番怖いんだぞ?しかも、さっきの口調は結構迫力あったしな・・・お転婆玲美ちゃんバージョンだったし?」


 なんだよ、お転婆玲美ちゃんバージョンって・・・。

 ま、確かに保健所って言えばビビるとは思ったけれど。

 予想通り、ビビってくれたし。


「とにかく、先月から何度言っても対処してくれなかったのが、どうにかしてくれそうなんですから、いいじゃないですか。」

「まーなー。とりあえず、今日はたのむなー?玲美ちゃ~ん?」


 話をまとめようとした私に、仁さんが突然そんなことを言いだした。

 この目は「わかってるだろーな」という意味があるんだろうな、ううう・・・・。

 嫌だとは言えず、私は仕方がなく頷くと、仁さんは満足そうな顔で私を見た。


 結局、Gの出現に一番迷惑しているのって、私なんだよね・・・。

 暫くすると、それまで黙っていたコー君が、私のところへやって来た。

 コー君は、人見知りが激しいというか、苦手な人間とはあまり話さない。

 話すとしたら、先ほどの様に苦情を言う時だけだ。

 コー君は、愛美ちゃんが苦手なようで、愛美ちゃんがバイトに来ている時は殆ど喋らないのだ。


「え?ああ。今日納品の、だよね?」


 コー君は頷くと、請求書を私に差し出した。

 古田先生から依頼のあった楽譜の清書の件だ。

 ありがとう、と言ってコー君から受け取り・・・そうだっ、楽譜の最終チェックをしないと!と言って楽譜を出そうとしたら。

 愛美ちゃんが立ち上がり、打ち合わせテーブルに並べてくれた。

 愛美ちゃんは、案外こういう所で気が利いていて、うちみたいな仕事が向いていると思うのだけれど。




 私が小さい頃から師事している古田先生は、気さくで優しくてユニークだが、その道では有名なプロもレッスンを受けにくる程の一流のピアノの先生だ。

 仁さんも、大学卒業時まで古田先生にレッスンを受けていた。

 事情があるらしく仁さんは、中学2年から高校卒業まで古田先生の家にお世話になっていたので、私達は小さい頃からの知り合いだ。

 当時家に1人でいる事が多かった私は、殆ど近所の古田先生の家に入り浸りで。

 仁さんは、私が小さい頃から本当に可愛がってくれて、私は仁さんにべったりだった。


 古田先生は、現在も現役で教室を続けていらっしゃって、時々古くなった楽譜の再生や、移調のための依頼をして下さる。

 多分・・・大学卒業前にピアニストの道を断念し、突然方向転換をしてしまった私が心配で、定期的に顔を見せに来いということなのだろうけれど。

 だから納品の時間は夕方で、夕食を古田先生のご自宅で頂くのが決まりのようになっていて―――


「よし、今日は高いステーキ食ってやろ~♪」


 仁さんが、広げた楽譜の最終チェックするように覗き込みながら、そう言った。


「いや、仁さん。あくまで納品ですから。しかも、ステーキって・・・古田先生のお好きな物の方が・・・。」

「ステーキ~♪ステーキ~♪素敵な~♪ステーキ~♪今夜の飯はじいさんの、お・ご・り~♪」


 変な節をつけて、仁さんが歌いだした・・・。

 仁さんは昔から何でも曲をつけて歌う。

 一応、注意はしてみるけど・・・頭の中に既にステーキしか浮かばない様子の仁さんにため息をつきながら、私はそれ以上突っ込みをいれるのを断念した。

 その時。


――ピンポーン

 

 来客を告げる、インターホンが鳴った。

 楽譜をチェックしている私に、愛美ちゃんが出てきまーす、と言って玄関に向かった。

 って、何度も先にインターホンで確認を、と言ってるのに・・・。




「犬塚さーん、何か『Sグレード』って会社の方が見えてるんですけどー。事務所の代表の人と話をしたいってー。」


 注意をしようと思ったら、直ぐに愛美ちゃんが戻ってきてそんなことを言った。

 Sグレード・・・。


「愛美ちゃん、事務所の代表は、仁さんだよ。仁さんに言って。」

「えー、だって。所長いつも、面倒なことは犬塚さんに頼んでるじゃないですかー。」


 いや、そうだけれども。

 だからって、この場合・・・。


「愛美ちゃん、俺が応対するから。」


 突然・・・仁さんが珍しくゆるくない口調で、そう言った。


「「えっ!?」」


 私と、愛美ちゃんが驚きの声を上げた。

 いや、絶対に私に振ってくると思ったのに。

 驚く私達をよそに、仁さんはハンガーにかけてあったジャケットを羽織り、玄関に向かおうとしたのだけれど。


「玲美!?お前、こんな所で働いていたのか!?」


 突然、ぶしつけな口調で私の名前を呼ばれた。

 Sグレードと社名を聞いて、まさかと思ったけれど・・・。

 聞き覚えのあるその声に驚いて、私はそちらを見た。

 

 裕・・・!?


「あー、結局所長に取り次いでいいのか、犬塚さんに取り次ぐのかわからなかったのでー、それにSグレードって有名な会社ですよねー?そこの取締役の方ですからー、玄関でおまたせるのも、なんだかー失礼かなーって、思ってー。」


 いや、失礼かどうかは、所長が決めることだろ。

 仁さん、何でこの͡コを雇ったんだろう・・・。

 やっぱり、洋介さんに泣きつかれたのかな・・・。

 だけど、まさか裕とこんな風に再会するなんて・・・忘れかけていた苦い思いがよみがえり、私はため息をついた。


「オフィスブルドッグの代表の、青井と申します。」


 仁さんが、私に視線を向け続ける島田裕に、名刺を差し出した。

 げ、珍しく仕事モードの仁さんだ。

 裕はハッとして、仁さんに名刺を差し出した。


「Sグレードの企画部、島田です。」


 仁さんは裕の名刺に目をやると、奥のコーナーのソファーに島田を誘導した。



「で、隣の焼肉店のことでみえたのですね?『焼肉スペシャル』は御社の店舗ですからね。」

「えっ!?そうなんですか!?」


 仁さんの口からでた言葉に、私は驚きの声を上げた。

 そんな私にため息をつく仁さん。


「玲美、お前。クレームつけんなら一応相手企業くらい調べておけよ。」


 た、確かに・・・そうだけれど。

 そんなにはっきり言わなくてもいいじゃない!

 って、それより!


「裕!絵はやめたの!?なんで、企画なんてしてるのっ!?」

 

 私は、信じられない思いで裕に問いかけた。

 だけど、裕はため息をつくと、あきれた顔で私を見た。


「あのな、いくらコンクールで優勝したからって、将来の保証はないんだぞ?しかも、あんな地方のコンクールじゃ、なんの箔にもならない。現にお前だって、ピアノ辞めたんだろう?この事務所に勤めてるってことは?だから、あの時・・・いや、その話はまたにするか・・・。とにかく、親との約束だったんだよ。高校までは好きなことさせてもらう代わりに、卒業したら親父の後を継ぐべくその道に行くって。」

「え・・・そうなの?でも裕は次男だし・・・それに、大学はNYへ留学したじゃない。」

「確かに留学したけど、美術留学じゃない。経済を勉強するための留学・・・あの時その説明をしようとしたのに、お前が話をきかなかったんだろ。携帯の番号は変えるし、引っ越しはするし・・・。兄貴はSグレードの本社にいる。俺は、企画だけど、飲食業の方の担当だ。お前の親父さんも知っているぞ?このところ取引関係で色々お会いしてるし・・・連絡なかったか?」


「・・・・・。」


 長いこと実家とは連絡を取っていない私は、今知った事実に驚いて声も出ない。

 今の裕の言葉で、ここ最近留守電に入っていた父親の声を思い出した。

 何となく、嫌な予感がする・・・。

 黙り込んだ私に、裕が言葉を続けようとしたが。


「ここへは、プライベートな話をしに来られたのですか?」


 いつものゆるさはどこにも見当たらない、仕事モードの口調で仁さんが裕に話しかけた。

 だけど、それを遮って、愛美ちゃんが透き通った声で、とんでもない事を言い出した。


「質問なんですけどー。島田さんって犬塚さんと、どういう関係ですかー?元カレですかー?」


 愛美ちゃん、私はあなたたちの社内恋愛に目をつぶっているのに・・・何で、この仕打ち!?

 途方に暮れる私に、さらに衝撃の発言が追い打ちをかけた。


「いや、元カレって・・・そりゃ、しばらく会ってなかったけど、俺は別れたつもりはありませんが?」









 今の状況が、あまりも・・・・衝撃的過ぎて、言葉もでない私。

 こういうのを、パワハラ、というのだろうか。

 私の自宅のベッドに、私と横たわり、無理やり腕枕をして抱き寄せて。

 さっきから、私の髪にキスを落とし続ける仁さんを、私は思い切って見上げた。

 その途端。


――ちゅっ。


 キスをされた。

 そして、唇が離され、見えた顔はとろけそうな甘さで彩られていて・・・。


「はぁ。やっと、玲美が俺のモノになった~。俺の長年の想いが通じた~。」


 いや、想いが通じたっていうか―――

 仁さんを受け入れるか、受け入れられないのなら、仁さんは事務所をたたんで外国へ行って一生私とは会わない、さぁどうするか・・・二者択一で即答しろなんて、滅茶苦茶なことを言って迫ってきたんじゃない!!

 ・・・まあ、確かに。

 仁さんと一生会わないのは、ちょっと嫌だし。

 事務所だって無くなったら、私も、コー君も・・・超軽量人格の洋介さんはどうでもいいけれど、愛美ちゃんだって・・・困るし。

 それに、小さいころから側にいたから、今更・・・っていう気持ちはあったけれど・・・その・・・仁さんの事嫌いではない。

 かなり面倒な人ではあるけれど。

 何ていうか、昔から私の事を大切にしてくれるし・・・。

 いや、それよりもっ!

 何で、あんなに・・・床上手なのっ!?


 二者択一を迫られ考えているうちに、私はあれよあれよという間に、仁さんに押し倒されて・・・気が付いていたら、そういうコトに及んでいた。

 手際の良さと、技術面、体力面、総合評価は満点といえるべき・・・・って、私、何言ってんだ。

 総合評価って、そんなピアノじゃあるまいし、評価できるほどの経験はない。

 初カレで、初体験の相手の裕とだって、大して経験はないし・・・。

 そもそも、アレって・・・痛くて、気持ち悪いだけなんだと思っていた。

 なのに、なんで、あんなに――

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・いや、思い出すのは止めておこう。

 それよりも、裕のことだ。

 そう、事の発端は裕、だったんだよね・・・。

 裕の事を思い出し、一気に気が重くなり思わずため息をつくと。


――かぷっ。


「ひゃぁっ!?」


 いきなり、耳をかまれた。

 だけど、痛くはなくて・・・こういうのを、甘噛みというのだろうか?

 驚いて、甘噛みをしたであろう仁さんを見ると、鼻を膨らませていて。


「ムカつく。今、アイツのこと考えてたろ。」

「い、いや・・・ずっと音信不通だったのに。今更、別れてないっていう衝撃的な言い分に、どうしたもんか・・・と。」

「・・・そんなもん、無効にきまってんだろ。じゃなくて・・・はあぁぁぁ・・・アイツと玲美が付き合ってたってことに腹が立つ・・・ていうか。何で俺、大学入ってからレミと離れたんだろう・・・あのまま悩まず、中学1年の玲美を押し倒していれば、今頃こんな気持ちにならなかったのに・・・。」

「は・・・?」


 ちゅ、中学1年の私を、押し倒す・・・?

 き、聞き間違いだよね?

 そう思い、仁さんを見ると。


「え?だから。俺、初対面の・・・玲美が小2の時から可愛いって思っていたし。本気で好きだと思ったのは玲美が4年生くらいからだし?だけど俺、そん時高校生で、自分のことロリコンかって、随分悩んでさー。しかもお前、小柄で細いクセに、胸だけデカくなるから・・・俺ムラムラして大変だったし・・・で、悩んだ結果、大学入ると同時にお前からちょっと離れたんだよな・・・だけど、それが失敗だった!」


 と言って、私を強く抱きしめた。


 って、えーーーーーーっ!?・・・・衝撃の、告白だった。




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