秀吉と孫七
秀吉が最初に孫七と出会ったのは、彼がまだ足軽頭の木下籐吉郎と名乗っていたときの頃である。
先の桶狭間の戦で宿敵今川義元を討ち取った織田信長は、その矛先を道三無き後の美濃へと向けていた。
そして、その美濃攻略の足掛かりとして、信長は彼の居城を清洲から小牧山へと移すことにしたのである。
当然、籐吉郎以下家臣達の多くが小牧山へと向かうことになったのは言うまでもない。
いっぽう孫七の勢田家は、父孫平の代より織田家に仕えている。
孫平は信長の父、織田信秀の弓衆の一人でもあった。しかし残念ながら、孫七が十三歳の時、織田家の家督相続の内紛に巻き込まれて命を落とすことになる。
以来、孫七は戦場ではなく、戦場に荷駄を運ぶ荷駄侍としてその人生を歩んできた。
この時も彼は、清洲城から兵糧や武具などの運搬を任されていた。
孫七が預かる人足はたったの四人。これだけの人数でも、彼らは一度に五十俵もの米俵を運ぶことができる。
ところが、小牧山へと向かう途中、荷車の車輪をぬかるみにとられてしまい、立ち往生してしまったのだ。
そこに偶然通りかかったのが、十人の足軽を連れた木下籐吉郎であった。籐吉郎は足軽達に目配せをすると、さっそく自分も荷車の下に肩を入れた。
「さあ、みんな踏ん張れや! もう少しじゃ」
籐吉郎だけでなく、足軽や荷駄人足らもみな泥だらけになりながら、やっとの思いでその荷車を転がすことができた。
「たいそうすまんのお」
兜の下からは、赤ら顔の丸い顔がでてきた。ただ兜と言うには、それは余りにもみすぼらしいものである。
鉢以外の部分は側立てすらない。勿論前立てなどは有るはずもなく、一見するとそれは鉄鍋を逆さにしたようにも見える。
孫七は人足達に崩れた荷の積み直しを指図すると、何やら両手に抱えて走って来た。
「たいそうすまんかったのお」
そう言うと、彼は大きな握り飯を二つ籐吉郎の前に差し出す。
「織田様の米じゃ、たいそう美味いぞい」
普通の足軽頭なら、「何と殿様の米をちょろまかしたのか」と怒鳴りつけるところだろうが、そこは籐吉郎、怒るどころか二つの握り飯を掴むと、足軽達を呼び集める。
「この者からの駄賃だそうじゃ、分けて食べようぞ」
これには孫七の方が驚いた。
孫七はさっそく竹製の篭桶の中からいくつか握り飯を取り出すと、小さな器と一緒に再び藤吉郎の前へと差し出した。
「拙者、勢田孫七と申す者。織田様の荷駄を運んでおりまする」
「儂は木下籐吉郎じゃ。ごらんの通りこの者共の頭領じゃ」
孫七はそのものの言いようが可笑しかったのか、自分の握り飯を家来にまで分け与える籐吉郎にすぐに心を開いた。
「木下殿、その握り飯には、それっ、この味噌を付けて食うてみてくだされ」
孫七は籐吉郎に差し出した小さな器から、人差し指で味噌をひと掻き取り出すと、それを籐吉郎の握り飯に擦り付ける。
「我が家秘伝の練り味噌でござる」
そう言いながら、孫七は指に残っている味噌をぺろりとなめて見せる。
籐吉郎とて元は中村の百姓家の出である、こんな孫七の屈託無い態度に二人はすぐに打ち解けることができた。
籐吉郎はその味噌の付いた握り飯を口一杯に頬張る。
「美味いのお。こんな味噌は食ったことがないわ」
お世辞半分だとしても、彼の喜び様は勢田孫七の心にいつまでも残った。
数年後、次にこの二人が再会したのは、伊賀より大和信貴山城へと通ずる街道筋であった。
大和信貴山城が城主、弾正こと松永久秀が信長に反旗を翻し、彼の居城へと立て籠もってしまった時のことである。
すぐさま信長は、嫡男信忠を筆頭に配下の諸武将をこの地へと召集した。その中に、今は木下籐吉郎改め、羽柴秀吉の名前もあった。
今では彼もその居城を長浜に置き、織田家の中でも指折りの重臣としてその地位を確立している。
秀吉は朱色に金をあしらった鞍に跨り、紺色のマントを着けている。隣には重臣の蜂須賀小六正勝と竹中半兵衛を従え、その後ろには、彼自慢の鉄砲隊が彼方まで続いているのが見える。
そんな一行がようやく大和に差し掛かったとき、孫七の荷駄隊と出会ったのである。
いっぽう孫七の方も、今ではゆうに二百人を超える荷駄人足を抱えている。
秀吉は道ばたで休息をとっている荷駄人足を横目に、なおも歩を進めようとした。と、その時、荷車の間からあの懐かしい鉄兜が顔をのぞかせた。
「よう、木下の頭領。儂じゃ、勢田の孫七じゃ」
孫七は鉄兜のひさしをあげると、真黒く日焼けしたその丸い顔で見上げる。
これには馬回り衆の堀尾吉晴が黙ってはいなかった。
吉晴はつかつかと孫七の前へと馬首を回すと、天地が裂けそうなほどの大声を張り上げる。
「貴様! 荷駄侍の分際で、このお方は羽柴筑前守秀・・・」
しかし、吉晴が言うが早いか、秀吉はすでに馬を下りては、この荷駄侍勢田孫七の手をしっかと掴んでいる。
「孫七殿、懐かしいのお。それにしても、また随分と出世したみたいじゃの」
秀吉は荷駄人足達を指で数えながら、彼の肩を軽くひとつ叩いた。
「孫七殿、こたびは何を運んでおるのだ?」
横からそう口を挟んだのは、蜂須賀小六である。彼も孫七とは、以前小牧山への道筋で出会っている。
「荷か? 今回はこれを運んでおるのじゃ」
そう言って孫七は、荷台のむしろを少しだけ翻す。
そこには無数の丸太と大きな壺が並んでいた。壺からは硝煙(火薬)の臭いがする。
「なるほど、重要なお役目じゃのお」
秀吉がすかさず言葉を掛ける。
孫七はこれには答えず、また以前見せたような屈託のない顔つきで、竹篭の中から握り飯をつかみ取った。
「もちろん、これも運んでおるけどな」
そう言うと、孫七は練り味噌がたっぷりついた握り飯を秀吉達に差し出した。
秀吉は堀尾吉晴に、しばし休息をとるようにと命じた。
吉晴は踵を返すと、今来たばかりの道を彼方まで馬を走らせて行く。
孫七の荷駄人足と秀吉の足軽らは、道を挟んでそれぞれ左右に別れて休息をとる形となった。
馬上では、孫七に対し竹中半兵衛が目を細めながら静かに一礼する。
孫七は皺くちゃな小さな目をさらに小さくすると、鉄兜を胸の前に抱えて頭を下げた。
「頭領、あの馬上のお方はどなたじゃ?」
これには、秀吉ではなく小六が答える。
「竹中半兵衛殿じゃ。今や殿の軍師を努めておる」
孫七は少し意地の悪そうな笑いを浮かべると、半兵衛の元にもその握り飯を差し出す。
半兵衛は馬から下りるなり、彼の胸元から薄い半紙を取り出して、その上に孫七の握り飯をいただいた。
「かたじけない。有り難く頂戴いたす」
半兵衛は秀吉にも黙礼すると、それを半分に割ってから食した。
「頭領の家来にしちゃあ、また一段と上品なお侍さんだなあ」
孫七はからから笑いながら秀吉と小六の方に目をやる。
しばらくすると、遠くから馬の蹄の音が近づいてきた。
見ると、今しがた秀吉達が通ってきた道の真ん中を、騎馬の一団が近づいてくるのが見える。
先頭の騎馬武者は全身赤備えの鎧を着けている。旗指物には桔梗の家紋。
明智日向守光秀の騎馬隊である。
光秀は目聡く、荷駄人足の中に秀吉の姿を見つけると、馬上から蔑むような声で語りかける。
「これは誰かと思えば、筑前守殿ではござらぬか。このようなところでいかが致したか?」
もともと生真面目一本な光秀には、このような喋り方しかできない。
いつものことと慣れている秀吉には事もないことだが、初めて彼を見た者にとって、それは高慢なもの以外何ものでもない。
秀吉は努めて満面の笑みをつくりながら、隣に並ぶ勢田孫七の鉄兜を扇子でひとつこんっと叩いてみせる。
「この者、勢田孫七と申してな、上様の荷駄侍をしておる。儂らとは旧知の仲での」
そこまで言うと、秀吉は孫七に竹篭の中から握り飯をひとつ取り出すよう促した。
「光秀殿、ひとつ如何かのお。この者の造る味噌握りは格別に美味い・・・」
「いや、拙者は結構」
光秀は間髪入れずに答える。
「それは残念じゃのう・・・」
秀吉は差し出した握り飯を小六に手渡す。
光秀は馬の頭を返すや、秀吉に背を向けながら呟いた。
「秀吉殿、戯れも良いが、遅参いたすと今度こそ謹慎では済まされませんぞ」
光秀は、先の加賀一向一揆攻めの際、柴田勝家と仲違いした秀吉が前戦から無断で帰還してしまい、信長から大目玉を頂いたことを言っているのであろう。
このように、光秀には人の非に対して特別厳しい面がある。
秀吉はその小さな目で、遠ざかる光秀の背中をいつまでも真っ直ぐに見据えていた。
「殿、お気になさいますな」
半兵衛がすかさず言葉を掛けたが、その時にはもう、彼はまたいつもの秀吉に戻っている。
「信長様のご家中にも、いろんなお侍さんがいるもんですなあ」
孫七も、およそ秀吉とは異なる光秀の態度に様々なものを感じていたのであろう。
それからも、秀吉は戦場で、孫七は荷駄侍として共に織田家のために八面六臂の活躍をすることとなる。
さらに、数年が経ち・・・
ちょうど、秀吉が備中高松城を攻めている時のこと、秀吉の元にあの孫七からの使いが届いた。
「羽柴筑前守秀吉様におかれましては、恐悦至ご・・・」
「ああ、口上などよいよい。孫七殿が如何いたした?」
使いの者は懐から小さな壺を取り出すと、頭を伏せたまま両手を差し出す。
「勢田殿が殿にこれをと! ただいま勢田殿は、荷駄を伴いこちらに向かっておりまする」
「何っ、孫七殿がこちらへ・・・」
秀吉にも小六にも、壺の中身などは見ずとも分かっている。
小六は使いの者を労うと、小姓の石田佐吉を呼んだ。
「佐吉、すぐに早馬を遣わし、勢田殿に繋ぎをつけるのじゃ」
「その件なれば、すでに手配をしてございまする」
佐吉はやや伏せ目がちに答える。彼がこのような言い方をするときは、決まって事の先を読んで、すでに次なる行動をしているときである。
秀吉は、そんな佐吉の頭の切れを大変好み、特に彼を近くにおいている。
石田佐吉は澄んだ切れ長の目で、さらに秀吉に進言する。
「殿、本日これより高松城を総攻めすることになっておりますが・・・」
秀吉は大振りの扇子を広げると、ぱたぱたと扇ぎ始めた。
「佐吉、本日の総攻めはやめじゃ。みなの者にもそう伝えよ」
秀吉の言葉に、すかさず佐吉も返す。
「荷駄侍のためにでございますか?」
いつもながら、佐吉の言葉にはどこか棘がある。
秀吉は閉じた扇子で佐吉の肩をぱんっとひとつ叩くと、低い声でささやいた。
「そうよ、その荷駄侍のためによ・・・」
一瞬佐吉は背筋に冷たいものを感じたが、次にはもういつもの秀吉に戻っている。
次の日の早朝、勢田孫七が率いる荷駄隊が秀吉の陣へと到着した。
夜通し駆けてきたのであろう、孫七はじめ荷駄人足の誰もが目を真っ赤にし、埃まみれの顔をしている。
秀吉は彼を陣幕の外にまで出迎えた。
「孫七殿、よくぞ参られたぞ!」
すでに今では秀吉と孫七との地位の違いは比べようもない。それでも、秀吉はそれを少しも鼻に掛けるようなことはない。
孫七の方とてそれは同じで、むしろ回りの者達が肝を潰すことの方が多かった。
「秀吉殿、今日は灘より酒を持参いたした。飲んでくれ」
それでも、さすがに孫七も今では秀吉のことを頭領とは呼ばなくなっていた。
秀吉は酒樽の中から酒を柄杓ですくうと、ゆっくりその喉へと流し込む。
「小六、前祝いじゃ! これでこたびの戦、勝ったも同然じゃのう」
「御意」
すでに隣では、大振りの升に酒をなみなみと注いでいる蜂須賀小六正勝の姿がある。。
秀吉は孫七に、自分の腰に着けていた脇差しをひと振り差し与えた。
孫七はそれを何の躊躇いもなく受け取ると、こう呟いた。
「今度お殿様にお会いするときは、これでもっと良い酒をたくさん買っておきますだ」
「殿から頂戴せしものを売るとは何事ぞ!」
と、回りの者は慌てふためいたが、当の孫七と秀吉だけはからからと笑っている。二人はほんの束の間、この酒のように澄み切った心持ちで時を過ごした。
ところが、そんな備中高松攻めも大詰めを迎えていた頃、織田信長の異変を伝える知らせが京より届いた。
明智光秀が本能寺にて織田信長を打ち払ったという、世に言う『本能寺の変』である。
知らせを聞くなり、秀吉は泣いた。半時もの間、人目もはばからず大声で泣くに泣いた。
泣きやむと、今度は小六と黒田官兵衛を呼び寄せ、早速次なる一手を考え始める。傍らには小姓の石田佐吉も控えている。
「官兵衛、籠城中の清水宗治殿にこの書状を手渡し、すぐに和議を結ぶのじゃ」
「小六、畿内までは何日で戻れるか算出せい」
「佐吉、武具馬具、兵糧に至るまでの運搬の手配をせい。もちろん、道中の村々にも炊き出しの準備をさせるのじゃ」
追い詰められた時、秀吉の決断力はまさに神懸かり的なものがある。
秀吉は同時に畿内にいるであろう、あの荷駄侍勢田孫七にも使いを走らせた。来る畿内における明智勢との決戦に備えて、様々な荷駄の準備を依頼しようと思ったからである。
秀吉はしたためた書状の端に、あの壺に入っていた味噌をひと摘み塗った。
「頼むぞ孫七殿、光秀との戦はそなたの肩に掛かっておる・・・」
秀吉は、そう心の中で叫ぶと、信長を想い、また一人涙を流した。
二日後、秀吉の隊はみな裸一貫で、高松より姫路を経由し、駆けに駆け出していた。
しかして七日後、正確には八日目の早朝、秀吉らは摂津まで兵を返すと、すかさず富田に陣を張ることとした。
秀吉は陣幕に入るや否や、佐吉に荷駄のことを問う。
「佐吉、孫七殿の荷駄は届いておるか?」
佐吉は、それをわざと焦らしているのか、高松より持ち帰りし荷駄についてを報告し始める。ものの順序を違えないところあたりは几帳面な彼らしい。
秀吉も佐吉の性格は嫌というほど理解している。ひとつひとつの報告に相づちを打っては、目の前で次々とさばかれていく荷駄の山を眺めている。
「秀吉殿、秀吉殿・・・、わしじゃ、孫七じゃ」
たくさんの荷車の中からあの懐かしい声が聞こえる。
秀吉はごった返す人混みの中から、朱色に錆びたあの鉄兜を見つけると、大声を上げながら近づいた。
よく見ると、その兜の前立てには小さな瓢箪がひとつ付いている。
「孫七殿―っ! よくぞ参られた!」
「畿内にある矢玉鉄砲、今のわしに揃えられるだけ持ってきたわ」
孫七はその丸い顔中に白い歯を見せて笑うと、秀吉の手を両手でしっかと掴む。
「ところで、光秀殿からの誘いはなかったのかのお?」
秀吉は心配そうな、すがるような目で尋ねる。
なるほど、今では孫七も数百人を束ねる荷駄隊の長になっていたのだ。
「光秀? ああ、あの高慢な・・・」
孫七はこれ以上語ろうとはしなかったが、事実光秀からは毎日矢の催促があったに違いない。その都度、孫七はのらりくらりの返事を返していたのである。
孫七は荷車の中から幾つもの竹篭と竹の水筒を取り出した。
「秀吉殿、戦の前に、まずはこれじゃろう」
もちろん、そう言う孫七の手には例の味噌にぎりが握られている。
秀吉はそのひとつをむんずと掴むと、口一杯に頬張る。
「殿様、そんなにせかんでも握り飯は逃げやせんよ」
そう、言いながら孫七は水の入った竹水筒を秀吉に手渡した。
「おっと、小六殿にはこちらの特別な水筒を・・・」
孫七は、隣で握り飯を食らっている小六に、秀吉のそれより一回り大きな、酒の入った竹水筒を手渡す。
小六はその竹水筒をひとくち口に含むと、大きな目を見開いて孫七を睨んだ。そして、その液体の半分を抜き差しかざした刀に勢いよく吹きかけると、残りの半分は、その太い喉の中へと流し込む。
「孫七殿も、粋なことをやりよるわい」
小六は二つ目の握り飯を頬張ると、ニヤニヤしながらその竹水筒を口にした。
「小六、何じゃ、その特別な水筒とは?」
秀吉は最後まで、小六の竹水筒の中身を気にしていたが、小六はとうとう一人で全部飲み干してしまった。
隣では、相変わらす石田佐吉が、次から次へと搬入される荷駄の山と格闘している。と、その時、山崎からの伝令が届いた。
「殿―っ、先鋒の中川清秀殿、天王山を確保された由にございまする」
秀吉は竹筒で自分の太股をぱんっとひとつ叩くと、唸るように叫ぶ。
「清秀、でかしたぞー」
当然秀吉は光秀との戦場を、摂津山崎辺りとふんでいた。
天王山は、山崎の地を征するための、まさに天下分け目の場所でもあったのだ。
秀吉は振り返りざま、孫七にこう言い放った。
「孫七殿、この次は天下で会おうぞ!」
孫七は、秀吉のその自信に満ちた後ろ姿に勝負の行方を確信した。
それからも、秀吉と孫七の奇妙な関係は続いた。
当然、主秀吉とその荷駄を扱う荷駄侍としての関係はもちろんだが、それ以上心が通じ合う何かが二人にはある。
柴田勝家との賤ヶ岳の戦でも、関東の北条攻めの時も、果ては異国の地、朝鮮出兵の地にも、秀吉の戦があるところ必ずやそこには孫七の荷駄隊の姿があったという。
そして、慶長三年八月十八日、秀吉は京都伏見城にて、その波乱に満ちた生涯の幕を閉じることとなる。
後日京都では、彼の偉業を偲んで、盛大な葬儀が執り行われた。
その葬儀の数日前、伏見城の南門に大きな樽が四斗置かれていた。
不審に思った守衛の者が、その中を覗くと、そこには赤褐色をした練り味噌がたっぷりと詰められていた。
「なんと、こりゃあ味噌かいのう?・・・」
指ですくって舐めてみる。
「う、美味いのう・・・」
門兵は互いの顔を、不思議そうに見合わせる。
その日以来、孫七の姿を見た者は誰もいなかった・・・