よし一本
バシン、と音を立てて捕手の手袋に白球が収まると、審判は言った。
「ストライク!…もとい、よし一本!」
「おいおい、しっかりしろよ。言葉遣いがなってないと、試合に出られないかもしれないぞ」
監督が言った。
「すみません。なかなか癖が抜けなくて…」
「まあ、気持ちは分かるがな」
次の球は、わずかに逸れた。
「ボール…もとい、だめ一つ!」
次の球が来ると、打者は打ちにいったものの、空振り。
「よし二本!」
次の球も空振り。
「よし三本!バッターアウト…じゃなくて、えー、そこまで!」
「おいおい、しっかりしろよ。連盟に目をつけられるぞ」
「すみません、監督。
…でも、実を言えば、やっぱり自分は納得いきません。なぜ自分たちは、英語を使ってはいけないのでしょうか?」
「あ?そりゃお前、英語は敵性語だからだろ。まあ、こういう時代だし、仕方ないさ」
「敵性語だというのは、つまり、今我が国はアメリカと戦争していて、そのアメリカの言語が英語だからなんですよね?」
「そうだ」
「ところで、今我が国は支那(中国)とも戦争していますよね」
「そうだな」
「だとすると、『よし一本』の『一本』とか、『打者』とか『捕手』とか、そもそも『敵性語』という言い方自体が、敵性語だということになりますよね?
だって、これらは漢語であって、元々は支那の言葉なわけですから」
「いやお前、そういうことにはならないだろう。それらはすでに長い間使われてきていて、日本語の一部になっているわけだから。
大体、もしそれで漢語が敵性語だということになったら、日本という国の名前から、古典文学の内容、帝国憲法の内容まで、全部書き直さなけりゃならなくなるじゃないか」
「しかし、日本語の一部だと言ったって、現にそれらは『漢語』として、『和語』とは区別されてるじゃないですか?」
「まあ確かに和語ではないが、私達が日頃使っている言葉という意味では、広い意味での日本語と言っていいだろう。前にも言ったように、それらはすでに長い間使われているものだからな」
「しかし、その『長い間』とは、どれぐらい経っていれば『長い間』だということになるのでしょうか?
漢語の中には、『仏教』とか『出家』みたいに、奈良時代から使われているものもあれば、『新聞』とか『郵便』みたいに、明治以降に使われるようになったものだってあるんじゃないですか?」
「そうだなあ。それが人々にとって、すでに馴染みある言葉になっていれば、それは長い間使われてきていて、日本語の一部になっていると言えるだろうな」
「なるほど。それが馴染みある言葉だということは、つまりそれを使っても不自然じゃないか、むしろそれを使わないと不自然だとかいうような場合、それが馴染みあるということですよね?」
「まあ、そうだな」
「だとすると、『ストライク』とか『アウト』とかも、広い意味での日本語だということになりますよね?
だって、野球が我が国で行われるようになって以来、これらの言葉は私達に使われてきたもので、馴染みある自然な言い回しですから。
しかし、『よし一本』とか『だめ一つ』とかは、最近になって作られた言い回しで、私達にはまだ馴染みのないものですから」
「いやお前、そういうわけにはいかんよ。
まあ、その論法でいけば、そういう事にもなるだろうが…。
いや、だがまだ別の論法もあるぞ。つまりだな、朝鮮は今我が国の一部で、少し前には同盟国でもあっただろう?もちろん、台湾や満州もそうだ。
で、これらの国ではやはり漢語が当たり前に使われている。つまり、敵国で使われているのではなくて、同盟国で使われているわけだから、たとえ元々は支那の言語でも、漢語は敵性語ではないんだよ」
「でも、朝鮮の漢語は、支那のものとも、我が国のものとも、発音や意味が微妙に違いますよね?そもそも支那にしたって、地方によって違うようですが」
「それは別に問題じゃない。むしろそれくらい広く使われているからこそ、それは我々にとって共通の財産だと言えるのさ。我々東亜の人間にとってな」
「なるほど。つまり、同盟国の間で使われていれば、厳密に同じ使われ方をしていなくても、それは共通の財産だということになるわけですね?」
「そうだ」
「そうですか。
ところで、今我が国は、ドイツと同盟を結んでいますが、ドイツ語では『おはようございます』を『グーテンモルゲン』というそうです。
そして、この『グーテンモルゲン』は、英語の『good morning』と、元々は同じ語源だという話です。また、ドイツ語では、『一、二、三』というのを、『アインス、ツヴァイ、ドライ』というそうですが、これも英語の『one,two,three』と同じ語源だということです。
この他にも、英語とドイツ語には同じ語源の言葉が多くありますが、それもそのはずで、ドイツの学者の言うことには、元々ドイツ語と英語は同じ言語であって、違う地方で長い間話されているうちに、違う言語になったからだという話です。
つまり、英語とドイツ語は、同じ言葉の別々の方言のようなものだとも言えるわけです。そして、そのドイツは、今我が国の同盟国です。だとしたら、やっぱり英語だって、私達の共通の財産だということになるんじゃありませんか」
「いやお前、そんなことを言い出したら、結局何もかも共通の財産だということになってしまうだろうよ。
まあ、本当のことを言えば、英語が厳密な意味で『敵性語』だってわけじゃないし、そもそもそれが、使うことを禁止されてる理由でもないんだ。
要は、これは人々の足並みをそろえるために行われていることなんだよ。共通の敵に向かって、共通の行動を取ることで、人々をまとめようとしてるんだ。言ってみれば、行進の練習と同じようなものだ。
戦争も野球と同じで、団体戦だから、チームワークが大事なんだよ。多少、理不尽な理由でも、チームワークがあったほうが有利なんだ。わかるだろう?」
「まあ、それはわかりますけど、どうせなら、理不尽な理由より、理にかなった理由のほうがいいですよね?」
「まあ、それはそうだが、すでにこういう世の中になってしまっている以上、私達だけ足並みを乱すってわけにはいかないだろう。さもないと、人々に押し潰されるか、あるいは将棋倒しになって共倒れして、もう二度と、ものが言えなくなってしまいかねないからな」
「そうかもしれませんが、逆に、今のうちに言っておかないと、次にはもう、何も言えなくなる、ってこともあり得ますよね?」
「まあ、そうかも知れないが、その辺りの見極めはなかなか難しいところだ。野球で飛んでくる球を見極めるより、よっぽど難しいかもしれん。
しかも、場合によっては、選手生命じゃなくて、文字通りの生命がかかってるかも知れないからな」