世界樹と未来
「――と。まだまだ言い足りないですが、今日のところはここまでしましょう」
「……」
夕暮れになり、完全に夜の帳が下りた頃。漸く、私はお兄ちゃんの説教から解放された。まだ禍津神モードのためか、正座していたことによる肉体的疲労はない。だが、精神的なところが問題だ。
むしろ、正座で足がしびれて説教どころじゃなくしたほうが良かったんじゃないかな。ははっ……。
もう絶対にお兄ちゃんを怒らせない。そう虚ろな目をしながら私は固く決意した。
「……少し説教し過ぎたのは自覚しています」
「私も暴れすぎたことは自覚しているよ」
私たちは、なんだかんだ似た者兄妹な気がする。主にやり過ぎてしまう点で。
お兄ちゃんは溜息を吐きながら私の頭を撫でた。
「カナデ。少しだけ……ふたりで話をしましょう」
そう言うと、お兄ちゃんは私の了承を得ることなく転移魔法を展開した。
ぐらりと視界が揺れ、次の瞬間には冷たい空気と淡い黄色の花びらの輝くカーテンの中にいた。輝きの元は魔素のようで、よく見ると属性ごとに色付いている。足元を見ると、とても太く丈夫な木の枝に立っているようで、不安定さは感じない。
「ここは、世界樹の頂上です」
「……世界樹」
下を見下ろすと、小さくエルフの居住区が見えた。下手をすれば、地球世界にあったスカイツリーよりも高いかもしれない。淡い黄色の花は絶え間なく降り注いでおり、時折、椿の花が落ちるように花ごとゆらりゆらりと落ちていく。なんて幻想的な風景だろう。隠れ里に来るときは、こんなにも大きな木は見えなかった。
……こんな木があったら絶対に放って置かないよ。神力か魔力かはわからないけれど、隠蔽の術がかかっているのかな。さすがは世界樹。
「あらゆる魔素の終着点であり始点である世界樹の周りは、酷く混濁しています。例えばそう……迷惑神が大好きな覗きができないほどに」
「迷惑神って……否定の言葉が見つからないや」
憐れ、オリフィエル。
「という訳で、邪魔は入りませんよ。ダークエルフを眷属に加えて、一体、カナデは何をやろうとしているのですか?」
「えっ。何って、みんないいこなのに、あんな環境にいるなんて……協力してあげたくなるじゃん」
「その気持ちがないとは言いません。しかし、私は騙されません。何か隠しているでしょう? 昔、ペットの魔物を飼うことすら、責任が伴うから嫌だと拒否したカナデです。言い方は悪いですが、ペットを飼うことすら躊躇するようなカナデがダークエルフを善意だけで保護なんて考えられません」
す、鋭い……。
確かにお兄ちゃんの言う通りだ。私は目的があってダークエルフを眷属にした。善意だけで動くほど、私はお人好しじゃない。
でもお兄ちゃんには御見通しなんだなぁ。黙っているつもりだったけど、お兄ちゃんには教えた方がいいみたい。まあ、タダでは教えないけど。
「……私が話す前に教えてよ。黒腐病の原因って、人族たちみたいな自然発生した種族が原因でしょう? エルフの身体の中で毒のように蓄積している魔素……あれは、人族たちの魔素だよね」
「そうです。この世界のあらゆるものに魔素は宿っています。それは自然発生した種族の魔素も同じ。しかし、彼らは独自の魔素を持ちます。ただそれは精霊が生みだす魔素に少しだけ不純物が入ったようなもので、世界に対して大きな影響を持ちません。……ただ、エルフだけは例外です」
「オリフィエルから貰った神の心得本に、この世界の死について書いてあったんだよ。死んだら肉体と魂は最終的に魔素となり、世界の礎となるって。なんのことかと思ったけど、世界樹の話を聞いてピンときた。死んだら、魔素になって世界樹に集まるんでしょう?」
お兄ちゃんは私の見解を聞いて同意するように頷いた。
「ええ。創造主の作り出した種族も、自然発生した種族も例外なく世界樹に集められます。元々魔素の濃い場所から生まれる神獣、竜族、精霊、妖精は、不純物の影響を受けません。しかし、営みによって子孫を増やすエルフは別です。彼らは、日常生活の中で不純物を取り込み、影響を受けてしまう。それこそが黒腐病の真相です」
「私、思ったんだけど……エルフに黒腐病が流行するのって、1500年前だけじゃなかったんじゃないって思うんだ。人族も何度も繁栄と衰退を繰り返しているのに、エルフよりも高い文化水準ってどう考えてもおかしいもん。途中で文明がリセットされているとしか思えない」
「カナデの考えた通り、エルフもまた黒腐病によって何度も滅亡の危機を迎えていました。その周期は徐々に狭まり、被害の大きさは拡大していきました。人族たちの数が増えると、死者の数もまた比例するように増えます。人族たちとエルフの繁栄と衰退は表裏一体なんですよ。……とても悲しいことに」
人族と魔族と巨人族が栄えると不純物が増える。すると、瞬く間にエルフに黒腐病が蔓延する。同時に栄えることができないなんて、悲劇以外のなんだというのか。
お兄ちゃんはとても長い時を生きて来た。だとしたら、何度も何度も多種族の苦しみ喜ぶ姿を見て来たんだろう。私の脳裏には、お気楽な駄神の姿が浮かぶ。
……何が多種族の友和だよ、オリフィエル。滅茶苦茶難しいじゃん。
「それだったら……ダークエルフが生まれたとき、お兄ちゃんは嬉しかったんでしょう? 不純物――私の瘴気の耐性があるぐらい丈夫なエルフだもん。まあ、当のエルフには同族だって認められなかったけど」
「……滅びの道を歩むことを選択したのはエルフです。もはや、私が関与すべきではない。たとえ、今回の黒腐病流行が最後になろうとも」
エルフたちの身体はもう限界に近い。あの魂の穢れ具合は相当だ。今はエルフからダークエルフが産まれているようだが、それも時機になくなるだろう。エルフは進化することを拒否した。また、あの疲弊具合じゃ子を産めなくなる可能性が高い。
それほど、エルフは深刻な状況だった。彼らは受け入れるべきだったのだ。次代の可能性のかたまりであったダークエルフたちを。
まあ、もう後の祭りだけど。だって1000年以上も受け入れられなかったダークエルフを尊重し、家族として迎えるなんて出来っこないもん。エルフはダークエルフを虐げることで心の平穏を保っていた。私はそんな平然と蔑んでくるエルフの未来よりも、今生きているダークエルフたちの幸せを選んだ。
それが罪だっていうのなら、私は受け入れるよ。でも、全員が幸せになれるハッピーエンドを先に放棄したのはエルフだ。だから、正しくはないけれど、私の選択は間違ってもいないと思っている。
私は禍津神だもん。みんなを都合よく幸せにする方法なんて知らないよ。私が関与できるのは、手が届く範囲だけ。だから――
「……お兄ちゃんはさ。私のしようとしていることに賛成してくれる?」
そう言って私はお兄ちゃんの耳元で囁く。
お兄ちゃんは少し驚いた顔はしたけれど、私を咎めるようなことはしなかった。
「私はカナデの兄です。妹がやりたいことには賛成しますし、助力を願うのならば協力は惜しみません」
「本当!? やったぁ!」
神獣の長として力づくでも反対するかもしてないと思ったが、お兄ちゃんは賛成してくれた。
「ただ。創造主が賛成するとは思えません」
「だよねー。アレは駄神だもん」
そう、問題はあの駄神なのだ。
オリフィエルは私がやろうとしていることを絶対に歓迎しない。それだけはわかる。
難しい顔をしていると、お兄ちゃんが人差し指を口に当てて悪戯っ子のように笑う。
「ですから、今は二人だけの秘密にしましょう。そして、後に引けなくなったら話せばいい。少し経ったら、ティッタとアイルにも話しましょう。ふたりも賛成するはずです」
「……うん。そうだね」
「さて。そろそろ皆が心配する頃です。私たちも宴に参加しましょう、カナデ」
「うーん。……私は、もう少しここにいる。すごい綺麗だからさ」
わかりましたと言うとお兄ちゃんは転移魔法を展開し、私の元から去った。
私はじっと世界樹から落ちる花たちを見つめる。そして手を伸ばし、花を一つ掴む。それは一瞬で黒く染まり、朽ちていく。
うーん。やっぱり、禍津神の力を抑えきれていないな。カトラのところに行ったら、すぐに制御ペンダントを返してもらおう。
「……どんどん変わっていくなぁ。身も心も」
ただの相原奏だったころの感性を、私はもう思い出せない。今の私は、人と禍津神の意識が混在している。相手を攻撃することに躊躇はしない。だけど人のような親愛の情は持ち合わせている。ちぐはぐであやふや。それが今の私。
……完全に禍津神になったら、どうなるんだろう?
今と同じかもしれないし、違うかもしれない。私にはオリフィエルのように未来を見据える力はない。だから確かめようがない。
「未来がわからなくても、私は前に進むだけだよ。オリフィエルは言ったよね、私にこの世界をあげるって。だったらさ……この世界の理を壊してもいいよね。だって私のものになるんだもん」
私は人でなくなるその時に思いをはせ、ひとり暗く笑みを浮かべた。
隠れ里編終了です。
なにこれ暗って思ったあなた。
安心して下さい。次章はコメディー成分強めです。