すべてはこの男から始まった
陽帝国宰相ハイゼンベルグ視点です。
――私は神に選ばれた存在だ。
土着信仰は少なからずあるが、神と言う存在が明確に証明されていないこの世界で、そんな世迷言を真面目に考えるようになったのは、いつだっただろうか。支配者階級の中でも下の身分に生まれた私は、魔法使いになれるほどの魔力も、騎士になれるほどの才能もない凡庸な男だった。だがしかし、一つだけ飛び抜けた才能を持っていた。
それは『幸運』だ。
生まれこそ低かったが、実家は私が成人する前に鉱山を掘り当て、経済が潤い始めた。また父も商才と悪知恵が働くらしく、金を使い地位を上げ、人脈を作り上げて行った。そして私が成人する頃には、陽帝国でも随一の名家の婿になり、やがて実権を握るようになった。
すべてが順風満帆。どんどん暮らしが豊かになり、大勢の者たちを傅かせる。これほど気持ちのいいことはない。
もっと権力を、財力を……!
汚いことには全て手を出し、娘たちを権力者に嫁がせる。そうやってより多くの力を求めて行くうちに、私は宰相となり、陽帝国の皇帝を傀儡にするほどの権力を持つようになっていた。私に嫉妬し、指を咥える腐敗した政治の重鎮たちを見るたびに愉悦で身体が震えたものだ。
権力とは甘美なる麻薬。私の欲望は果てを知らず、支配欲は陽帝国の外にまで及んだ。元々侵略国家だった陽帝国だが、皇帝を操り、侵略を積極的に推し進めた。次々と人間領の国々を蹂躙していったが、ある一つの国に――否、1人の若者にその歩みは止められた。
――月の国の王弟、サヴァリス。
二十代前半の若さで実力主義の月の軍の頂点に君臨する男。その力はたった一人で陽帝国の軍勢と渡り合えるほどだった。この男が加護持ちなどという、本当にいるかどうか分からない存在ではないかと噂されているのが気に食わなかった。
加護持ちとは神に愛された存在だ。それは私にこそふさわしい。そうは思っていたが、サヴァリスによって我が陽帝国軍は甚大な被害を受け、更に決して少なくない領地を奪われてしまった。そして他の隣接する国では、伝説の魔法使いを保有する空の国が邪魔で思うように侵略できなくなっていた。
私の人生の中で、これほどの屈辱を与えられたのは初めてだ。どうにかサヴァリスと伝説の魔法使いを無力化し、侵略を推し進められないかと思ったが、中々うまく行かない。だがやはり私の幸運は健在で、10年もしない内に懸念材料の1人、伝説の魔法使いポルネリウスがこの世を去った。
歓喜で顔を歪ませながら、私は粛々と侵略の準備を始める。偶然にも陽帝国内で、今までに類を見ない大きさの魔消石を発掘されるなど、風向きはこちらに来ていた。だがサヴァリスを無力化するには決定打が足りない。そんな時、馴染みの商人が一つの魔道具を差し出した。それはアイテムバックといい、今までの輸送の常識を覆すほど魔道具。闇取引により手に入れたものだったので値段はかなり高かったが、それでもその価値はあった。
――戦争の常識が変わる。
そう感じずにはいられなかった。魔道具の製作者が欲しかった私は、徹底的に調べさせた。その結果、1人の幼い少女が浮かび上がる。
少女の名はカナデ。あの目障りだった伝説の魔法使いの孫にして、稀代の魔法使いの才能を秘める極上の金の卵。なんとあの失われた属性と言われる神属性魔法を使いこなし、圧倒的な戦闘能力を持つという。しかも平民の少女など、柵が少なく手に入れやすい。つくづく、私は運がいい。
直ぐに陽帝国による世界征服に賛同し協力関係にある中将を呼び出し、自ら少女を攫ってくるように志願させた。
「くくっ、忌々しい月の国の王弟め。貴様の愛する国を蹂躙してくれよう……!」
大規模の侵略のために秘匿していた国宝の魔消石も中将に貸出し、作戦に失敗はないかと思われた。だが、私にもたらされた報は吉報ではなく、中将が精神を病み女装癖を拗らせたという馬鹿馬鹿しいものだった。
私に対する格好の抗議材料を手に入れた重鎮たちは、最速で私と中将を裁判にかけた。
判決は二人とも『島流し』
いくら死海とも呼ばれる激流に放り込むからと言って、他国を刺激し、国宝の魔消石を無断使用して尚且つ破壊した男たちが何故、処刑ではないのか。裁判場で不満丸出しで愚かな顔をする腐った重鎮たちが愉快でしょうがなかった。
私は乱心した中将の報を聞いて直ぐに、各方面への根回しを開始した。それは決して表に出ることはないよう慎重に行われた。やましいことがある者たちを脅し、買収し、小さな約束を取り付ける。その約束が積み重なると、私と中将への判決が処刑ではなく島流しになるように……。
無罪ではなく、限りなく処刑に近い島流しだ。そう難しいものではなかった。
貴人用の牢を出たのは一年後。私は島流しの刑を受けるために、陽帝国の外れにある小さな港町へ連行された。そこで一年ぶりに再会した中将はやせ細り、かつての勇ましい武人の姿はかけらもない。対する私は、以前と変わらない豊かな体格を保持していた。これは私の権益や情報を欲した者たちが手厚くもてなしてくれた結果でもある。この国は心地いいほどに腐っている。
最初に島流しされたのは中将だった。からりと晴れた青空の下、激流が蠢く地元の漁師も近づかない死の海流へと粗末な小船で放り出された。中将は死海に呑まれて死ぬ。それは確定事項だ。
同時に島流しの刑を行う訳にもいかず、私が粗末な船に乗せられたのは深い闇の帳がおりる夜だった。
「ハイゼンベルグ卿。貴方を罪人として島流しの刑に処します。この海の最果てにある島で悔い改めて下さい」
島流しの罪人に対して述べられるお決まりの口上。最果ての島など存在しない。この激流の中で島の有無を調査するなど不可能だからだ。しかし私はニヤリと口角を上げ、処刑役人に陽帝国の宰相ハイゼンベルグ卿として最後の言葉を告げる。
「最果ての地が楽園であることを神に祈ろうじゃないか」
私を乗せた船は激流に呑まれ、闇を駆け巡る。そして何度も何度も陽と月の空を眺め、身体が骨と皮ばかりになった頃、ついに私は本懐を遂げる。
人間領とは違う、血のような赤黒い海の先の先。そこに漆黒の大地がかすかに見えた。
「……魔族、領、か」
声は掠れていたが、喜びが滲んでいた。乾いた喉を潤すため、呪文を唱える。
「我が生命の輝きを取り戻す、癒しの水を。アクアホール」
初心者もいいとこな長い呪文。だが私にはそれで十分だった。手のひらに魔力で生成された命の水が湧きあがる。それを一滴も零さぬように慎重に飲み干す。もう喉の渇きはない。
「くくっ、やはり神は私に微笑んだ……!」
島流しの罪人に瓜二つの怨霊がいる。そんな怪談が陽帝国には存在する。それは役人たちが面白おかしく作りだした話ではなく事実だ。島流しを生き残った者たちが隠れて人間領に戻って来た結果である。生き残った者たちの共通点は、一つ。夜に島流しの刑に処されたことだ。
長い陽帝国の歴史の中で何千という者たちが島流しの刑に処された。その中で生き残った者はほんの数人だろう。私はその数人になるために動き出した。
身体に十分な栄養を蓄えたまま島流しの日を迎え、船には買収した有力者によって食料を運び込ませる。そして中将の刑を先にさせ、私は夜に流された。生き残った者がどうやって帰還したかは分からない。後はすべて運だった。
そして私は『幸運』を勝ち取ったのだ……!
まさか流れ着いた先が魔族領だとは思わなかった。漆黒の大地がすぐ傍にまで近づく。浮かんでいるのが不思議なほどボロボロになった小舟を漂着させ、久方ぶりの大地に足をつける。
手近にあった流木で身体を支え、ヨロヨロと私は歩き出す。少し離れた場所に、獅子の顔をした魔族が見える。
なんとも奇怪な。果たして如何様な種なのだろう。
魔族は私を視界に入れると、一目散にどこかへと駆け出す。そして直ぐに別の獅子の顔の魔族を連れて来た。
「今度は100年ぶりに漂着した人族だな。弱者にほどこしを与えるのは強者の役目だ。来い。飯を食わせてやる」
魔族は人族と同じ言葉を話すのか。それにしても傲岸不遜の単純そうな種だな。見た目からして戦闘特化なのか……?そうなれば話は早い。こやつらに取り入り、駒として動かし、私の欲するものを手に入れようではないか。
私が渇望するもの。それは……世界のすべてだ。
そのために世界を征服する力を、神に並ぶ力をこの手に……!
内心で狡猾な笑みを浮かべながらも、哀れな弱者を私は演じる。
「ああ、魔族様。ありがとうございます。なんと強く慈悲深いのか……」
魔族を統べる王……魔王と呼ぶに相応しい最強の傀儡を作り上げよう。そして人族の王たちを、魔族を、巨人族を、他の未開の種族たちを支配しようではないか!
私は自分が狂っていることは自覚している。だがその狂いこそが、私の生の輝き。
権力は甘美な麻薬。
一度味をしめれば、求めることを止められはしない――――
世界征服編終了です。
この4年後に魔王侵攻が始まります。
登場人物一覧と用語集を投稿したら、新章に入ります。
新章は『迷宮編』。時系列は竜の花嫁編の後です。というか、今後は時系列は基本的には飛びません。
本編も残り1/3なので、そろそろ風呂敷をたたむ作業に入ります。
では次回をお待ちください。




