第五王子の前途多難な初恋
マティアス(第五王子)視点です。
母はとても弱い人だった。
弱小男爵家に生まれたが飛び抜けて美人だった母は、幸か不幸か自国の王に見初められた。やがて伯爵家以上の家柄の娘であることが必須である後宮に、王が望んだ例外として召し上げられ俺を産んだ。そして王の寵愛を一身に受ける寵姫から、後宮内で正妃の離宮を与えられる側妃へと成り上がって行った。
王である父上は、母を側妃ではなく正妃にしたかったらしい。だが、母の身分が低く、既に俺の他に王子を産んだ側妃が4人いたため、流石に側妃たちの実家すべてを敵に回すことも出来ずに諦めたらしい。
昔の母は無邪気に笑う女性だったと父上は言った。しかし、俺が知っている母の顔は泣き顔ばかりだ。『弱い母様を守って頂戴』というのが母の口癖だった。他の側妃たちから嫌がらせをうけて、抵抗も対策もせずにただただ部屋ですすり泣く母は、俺を省みることは無かった。
時折、離宮にやってくる父上に母は泣きながら側妃たちの嫌がらせについて話した。そしてその後、父上が側妃たちを窘め、側妃たちが母へ憎悪を更に募らせる。その繰り返しだ。
側妃たちの憎悪は、母の息子である俺にも向けられた。後宮の隅で側妃たちの手勢に暴行を受ける毎日。傷だらけの俺を母は「母様が不甲斐ないばかりにごめんなさい、マティアス」と言うだけで特に何もしない。己を悲観するだけで、父上にただ助けを求める。そんな母を見ていて、俺は『弱い女』が大嫌いになった。
やがて激化した後宮内での争いで、母は側妃の中で一番最初に毒殺された。それに続くように他の側妃たちもお互いの差し向けた暗殺者に殺された。
そして残ったのは、俺を含めた5人の王子たちだった。
側妃たちが死んだことで、漸く兄たちとまともな交流をすることが出来た。2番目の兄は母親の身分が低い俺を疎んだが、他の兄たちは概ね好意的に俺を受け入れてくれた。
この人達となら家族になれるかもしれない。そう思って、俺は王子としての勉強や鍛錬に打ち込んだ。母の身分の低さから、俺は臣下として生きることになる。父上と兄上たちを支えられるような立派な男になろうと決意した。
だが9歳になったある日、王宮でとある試験を受けさせられた。それはルナリア魔法学園の特別入試試験で、それに受かった俺は直ぐに学園に放り込まれた。それは俺の類まれなる剣の才と豊富な魔力のせいで王太子位争いに巻き込まれることを案じた父上が独断で行ったことだった。
しかし当時の俺は父上に見捨てられたと思っていた。そしてイライラしていた俺は、肯定の言葉しか言わない側近と共に、王子の身分を使って学園内で鬱憤を発散していた。たとえ父上から見捨てられても俺は王族だ。そう確認するように……。
そんな時、俺はカナデに出会った。
俺よりも魔法実技の分野で優秀な平民の最年少入学者。一応は知っていたが、カナデを初めて見た時に何故か母を思い出した。顔立ちは全く違うが、歳の割に小柄で華奢な身体と人を魅了する黒髪黒目。そして何より、儚く曖昧に笑う顔。その庇護欲を誘う姿は、俺の大嫌いな『弱い女』だと思った。
しかしカナデは俺の予想とは全く逆で、すべてを自分の力でねじ伏せる『強い女』だった。だがそれを認めるのは癪に障り、俺はカナデが気に入らなかった。この時はまだ、母様とカナデを重ねていて、カナデを認めることは母様を認めることと一緒だと思っていたのだ。
だがその考えも魔法武芸大会を機に変わった。魔法なしの個人戦で優勝した俺を、ビンタで倒したカナデ。これはもう、カナデを『強い女』だと認めるしかなかった。
それからだ。意味もなくカナデに話しかけるようになったのは。
話が終わった後は、いつも頬が紅潮した。理由が判らずベルナに聞くと「馬鹿ですか」としか言われず、悔しいからそれから誰にも相談することは無かった。
そして時は流れて3年の冬にそれは起った。
魔法騎士科と魔法技術科の4年と担当教員が卒業合宿でいない日に、陽帝国に属する者たちがカナデと有力貴族や王族の生徒を誘拐するためにルナリアを秘密裏に制圧したのだ。
しかし陽帝国の野望はカナデによって打ち砕かれた。泣き叫びながら正体不明の凄まじい力で講堂を破壊し、容易く陽帝国の軍人たちを葬るカナデ。俺はそのカナデの姿に見惚れてしまった。
カナデは強い。だが、同時に心を壊しかけるほどのトラウマを持っている。その誰よりも強いのに危うい歪な姿が、とても綺麗だと感じた。
――ああ、俺はカナデに恋をしていたのか。
漸く、俺は初恋を自覚した。だがしかし、俺は女の愛し方が分からない。何よりも俺は王族だ。今は王太子位争いで婚約どころではないが、その内そうも言っていられなくなる。どうしたものか……。
「――アス、マティアス! 聞いているんですか」
「すみません、叔父上」
カナデのことを考えすぎて、今は叔父上と話していることを忘れていた。叔父上は普段は温厚だが、怒ると怖いのだ。すぐさま謝罪をすると、叔父上は溜息を吐きながらもそれ以上は怒らなかった。
「……それで、カナデさんの様子はどうです?」
「叔父上との面会で話した通り、カナデはあの日のことを本当に何も覚えていないようです」
サルバドール・ガランに眠らされた後、カナデはあの日のことすべて忘れていた。最初から何もなかったかのように、いつも通りのカナデに戻っていたのだ。
叔父上は人差し指でこめかみをトントンと叩きながら、考えを纏めているようだ。
「それは、カナデさんにとって幸せなことなのか……。陽帝国に情報を流していた複数の生徒たちの国を脅し、今回の事件を起こさせてしまった空の国への批判は抑え込みました。表向きは」
「……カナデの存在が抑止力になっているということですか?」
「ええ。あの後、半径10km以内で1週間、魔法を正常に使うことが出来なくなっていました。カナデさんが何かしたのは確実でしょう。もしも戦争でカナデさんが使った力を行使されたら、国として堪ったものではありません。そしてそのカナデさんは、我が国の国民として囲っています。ですから、今は手を出してきませんが……今後はカナデさんの周りを警戒しなければなりませんね。はぁ……また、彼女と交渉するようですね……」
叔父上のいう『彼女』のことは知らないが、カナデが他国へ渡るのは絶対に嫌だ。
「私もカナデと離れるのは嫌です」
「……マティアスはカナデさんが好きなのですか?」
「ななななそんなことは! そんなことは……ありますが、って違います! 俺はカナデのことなど――」
「『私』ではなく『俺』に戻っていますよ、マティアス。貴方は本当に分かりやすいですね。しかし、カナデさんですか……どうしたものか。……マティアス、告白はしたのですか?」
「告白など恐ろしい! カナデに精神的にズタズタにされる覚悟はありません。ベルナなど、ロアナ・キャンベルにこっ酷く振られて1カ月引きこもり、その後も未だに別人のように落ち込んでいるんですよ!」
告白とは恐ろしいものだ。そう、安易に手を出してはいけない。ベルナを見て、俺はそう学んだ。
「キャンベルさん……何をやっているんですか……」
叔父上は頭を抱えて机に突っ伏した。しかし、すぐに疲れた顔をしながらも顔を上げて、真っ直ぐに俺の目を見据える。
「王太子位争いは、第四王子は早々に継承権を放棄し、第三王子も第一王子側に付きました。現在は第二王子と第一王子で争っています。第二王子側に暗殺されないかぎり、王太子は第一王子であるエドガーになるでしょう。……マティアス、貴方は王位を望みますか?」
「望みません。私は昔から父上と兄上たちを支えるために生きてきましたから」
「そうですか、安心しました。……マティアス、叔父として助言を与えます。カナデさんと結婚したいのならば、彼女の最も身近にいる者を警戒しなさい。そして、貴方は王子です。いつ政略結婚の駒になるか分かりません。交渉でも功績でも何でもいいですが、兄から婚姻の自由を勝ち取るために努力をしなさい」
努力することは当たり前だ。必ず、父上と兄上たちに認められる男になる。
しかし身近にいる者か。警戒するなら異性のはず。ということは、助手の立場を利用してカナデの周りをうろちょろしている弱弱しいふりをした狡猾なあの男のことか!
「はい、叔父上! 奴には負けません!!」
「……これは理解しているのかいないのか。兄上の血が流れていますからね。恋愛には鈍感で悪手を打つ可能性も高いですね。前途多難な……ですが、まっすぐなマティアスの思いが届く事も……」
恋心を自覚し、メラメラと闘志を燃やす俺には、叔父上がボソボソと小声で言っている言葉が聞こえることはなかった。
今回は色々お叱りを受けそうなマティアスのお話。
マティアスの恋愛に対する努力の方向性とかは間違っています。
自分本位からカナデを中心に考えないとね。
王位を継がない王族として育てられているので、他人の気持ちに配慮する考えが疎かったりします。
次回はカナデ視点に戻り、4年生の話に入ります。
では、次回をお待ちくださいませ。




