救出。契約は計画的に
「何を言っているの、カナデ。あんな金になる奴を見捨てるなんて普通じゃないわ!」
「ふ、普通じゃない!? でもでも、飢えたゾンビたちに立ち向かう方が普通じゃない気が……」
「カナデさん。ガランさんは、共に魔武会を勝ち抜いた友人でしょう? それを見捨てるなんて……普通の風上にも置けないです」
「ふ、普通の風上にも置けない!?」
ゲスと腹黒の臭いを感じる。そう思ったのに、『普通』を盾に取られて私の思考は混乱してしまう。
「分かったよ。私、サルバ先輩を助けに行く……!」
それが普通の選択だ。
グッと拳を握ると、私は決意に満ちた瞳で空を見上げた。
「そうと決まれば、こちらを持って行ってくださいね」
ガブリエラ先輩は小さく拍手した後、懐から取り出した紙と万年筆をロアナに手渡した。
「かしこまりました、ガブリエラ様。サインが駄目なら、血判を押してきます」
嫌な予感がした私は、そっとその紙を覗いた。
「……物騒だなと思ったら、やっぱり契約書だよ!」
サルバ先輩の契約書は、サーリヤ先輩たちの時よりも枚数があり、かなり厳しい条件が書き連ねられている。
ガブリエラ先輩とロアナはサルバ先輩を雁字搦めにして馬車馬のようにこき使う気満々だ。
「ガランさんのサインをいただければ、それですべては丸く収まります」
ガ、ガブリエラ先輩が怖すぎる。黒幕オーラが半端ないよ!
「ほら、カナデ。変装するわよ。野心家の貴族たちの中に飛び込むんだから、正体は隠さないと」
そう言ってロアナは私にお揃いのサングラスを渡してきた。
悪の片棒を担ぐのは荷が重い。もしかすると私は、とんでもないことに首を突っ込んでいるのかもしれない。引き返すなら今だ。
「……えっと、やっぱり止めない?」
小市民らしく、不安げな顔で問いかけるが、ロアナはにんまりと笑みを深めるだけだった。
「普通に無理よ」
悲しいことに、私の意見は普通に却下された。
「さて、わたしたちはお留守番しましょうか。この温室はこれから作戦本部として使用しますから、許可のない立ち入りは禁止しなくてはいけませんね。……どんな手を使っても敵は排除しなくては」
落ち込む私を余所に、ガブリエラ先輩は指示を出す。
先ほどは慈愛に満ちた顔で温室は一般生徒の出入りは自由だと言っていたのに、今は真っ黒い笑みを浮かべながら悪の総司令官のようなことをのたまった。
「トラップ張り放題ってことだね、サーニャ」
「そうだね。怒りで顔を真っ赤に染めるぐらい面白い物でいっぱいにしようね、サーリヤ!」
ガブリエラ先輩の手下その一とその二が無邪気に笑い出した。
(……このメンバーの中で常識人が私しかいないなんて、不安すぎる!)
ぶるりと全身に寒気が立つが、今更この学園祭への熱意を止めることはできない。まあ、私以外は優秀だし、こういう変人たちが作り出したものこそが文化を発展させていくのだから、学園祭は成功するに違いない。
だから私も彼女らの仲間として恥ずかしくないように、奮い立たなくてはならないのだ。
「ああもうっ! こうなったら自棄だ。殴り込みに行くよ、ロアナ!」
権力者のゾンビがなんぼのもんじゃい!
覚悟を決めて私はサングラスをかけると、転移魔法を展開する。私とロアナの視界がぐにゃりと歪み、一瞬にして風景が温室から薄暗く埃まみれの廊下へと切り替わった。
「とりあえずサルバ先輩の研究室の近くに転移したけど、まだ騒がしいね」
生徒たちは先ほどの通信と変わらずにサルバ先輩の名を叫んでいる。ただ、扉を叩く音がミシッ、ベキッと不穏な音を立てていた。
私は状況を確認するためロアナと忍び足で廊下を進む。サルバ先輩の研究室の突き当たりまで来ると、一際大きな歓声に包まれる。そして大勢の生徒たちの足音が重なり合い、腹の奥に響くような重苦しい音が響き渡った。
ロアナは通路からそっと身を出して扉の様子を窺う。
「扉は……今、破られたところね。急ぐわよ、カナデ!」
「うん!」
すでに廊下は私たち以外は誰もおらず、生徒たちはサルバ先輩の研究室へとなだれ込んだようだ。無残に砕け散った扉の残骸に躓かないように気をつけながら、私たちは研究室へと乗り込んだ。
中は――簡単に言うと、ゾンビたちがひしめく地獄だった。
「ほら、サルバドール。良い子だから俺たちと一緒に行こう……」
「ガラン様、これはとっておきの魔法陣素材ですわ。欲しければ、わたくしたちに付いてきてくださいまし」
「ちょっと手錠と猿轡を嵌めるだけだ。大丈夫。痛くなーい、痛くなーい」
「うわぁっ……何なんだ、お前たちは! こちらに近づくな! ここには試作の魔法陣が書かれていて……おい、そこには触るな……や、やめ、やめぇぇぇええええ」
「……不審者しかいねえ」
私はジトッとした目で周囲を見ながら呟いた。
部屋の中はすし詰め状態で、生徒たちは欲に眩んだ虚ろな目でサルバ先輩ににじり寄った。身なりの良い貴族の子女たちが正常の思考を消し去り、ただ餌を追い求める。そんなアンバランスさが更に恐怖を引き立てている。
それに必死に抵抗するサルバ先輩がホラー映画でよく見る序盤の犠牲者A役にしか見えない。
私たちは餌に群がるゾンビ立ちの後ろで苦悶の表情を浮かべた。
「この中に割り込むのは至難の業ね」
ロアナの言う通りだ。
このゾンビたちは腐っても貴族。私たちのような学園カースト最下層の人族が邪魔をすれば、色々と面倒なことになるだろう。
だがコイツらの屍を越えてサルバ先輩を確保しなくては、今後のテーマパーク計画が大幅に修正され、且つ強力なライバルが現れるに違いない。
そして何より……救出が失敗すれば、腹黒CEOガブリエラ先輩にお仕置きをされ、黒船来航したペリーも真っ青になるような不平等契約を結ばされるに違いない。それだけは御免だ!
「斯くなる上は仕方ない。その道のプロになるしかないね」
目先の貴族とガブリエラ先輩。恐ろしいのはどちらかなんて、答えは決まっている。
(……私は平民カナデじゃない。私は平民カナデじゃない。私は平民カナデじゃない。大丈夫、変装しているから!)
私はクイッとサングラスのフレームを上げ、顎をしゃくり大袈裟ながに股歩きをした。そして上品な育ちの人族が眉を顰めるような態度で声を張り上げる。
「おらおら、ワレ道あけんかい! わしらを誰だと思うとるんや。通りすがりの……ええっと、不良やぞ!」
前世の任侠映画と不良映画が混じったよく分からない言葉で脅すと、生徒たちがたじろぎ、道を開けた。私の狙い通り、お嬢様やお坊ちゃまは不良に弱いらしい。
しかし、私とロアナがか弱い女の子であることにハッと気づくと、幾人かの生徒たちが立ちふさがる。
「おい、サルバドールはこちらが先に目を付けたんだぞ!」
「そうですわ。横取りは許しませんわ!」
「ああん!? じゃったら、実力でわしらを止めてみぃ。まあ、血を見ることになるのはお前らじゃろうがな。ああん!? ああん!? あんああん!?」
とりあえず不良っぽい「ああん!?」とドスのきいた声を発し、脅しの意味も込めて手近にあった人の頭ぐらいの大きさの魔石を両手で持ち、身体強化の魔法を使って砕く。
すると勢い余って魔石が砂になった。それを見た生徒たちは目が点になる。
「あっ、やりすぎた。これじゃあ、全然怖くないね」
小石が飛び散るように魔石を壊せた方が絵になったに違いない。砂とか、サラサラしていて全然怖くない。失敗したと私は溜息を吐く。
「おい、カナデ。砂にするのなら、そっちの魔石も頼む。今度、魔法陣のインクに混ぜるから」
いい労働力を見つけたとばかりに、サルバ先輩は部屋の隅にある魔石が積まれた木箱を指さした。
私はイライラした気持ちを抱えながら、今だ呆然と立ちすくむ生徒たちを除けてサルバ先輩の元へ駆け寄った。
「しぃっ! 正体を隠しているんだから、名前は言わないで。折角、助けに来てあげたのに」
「す、すまん。だがな、魔石を砂にするのはとても時間がかかる。それを短縮できるとなれば、魔法陣の更なる発展が――よしっ、解析させてくれ、カナデ!」
「お黙り、サルバドール!」
「ぐふるわぁっ」
空気の読めないサルバ先輩に、ロアナの鉄拳制裁が下った。
ロアナは呻くサルバ先輩に万年筆を握らせると、契約書を彼に見えるように床へ置いた。
「サルバドール、この書類にサインしなさい。そうすれば、カナデと楽しく魔法陣の実験がし放題よ」
「本当か!? 何でも書くぞ、借金の連帯保証人だろうとサインしてやるとも!」
「少しは確認しようよ!」
私の叫びも虚しく、サルバ先輩は碌に契約内容を確認せずサインをした。彼の将来が本当に心配である。
ロアナはサルバ先輩から契約書を受け取ると、くるりと生徒たちの方へと身体の向きを変える。
「これでサルバドール・ガランはわたしたちの手の中に落ちたわ。負け組は消えなさい!」
「め、珍しくロアナが調子に乗っているよ……」
私はそうぼやくが伝わることはなく、ロアナは大仰に手を仰ぎカツンと靴を鳴らす。
「これからわたしたちは、学園祭の天下を取るわ。それを阻止したいのなら勝手にすれば良い。でも、少しでも甘い汁を啜りたいのなら、わたしたちに労働力を提供しなさい。もちろん、見返りに給料は渡すわ」
ロアナの高圧的な物言いに怒ったのか、一際身分の高そうな生徒が私たちの前に出た。
「ま、待て! そんな本人を騙すような契約認められない!」
彼がそう言った瞬間、生徒たちは一斉に自分たちがサルバ先輩に結ばせようと持って来た契約書を背中に隠し、うんうんと全力で頷いた。
「……本当に認められない?」
「当たり前だろう!」
ロアナは「馬鹿な子たちねぇ」と憂いを帯びた瞳で生徒たちを見ると、何故か私を彼らの前に突きだした。
(え、どういうこと!? もしかして、まだ演技を続けろってこと?)
混乱しつつもそう結論づけた私は、再び不自然ながに股になって顎をしゃくる。
「ああん!?」
「「「異論ありません!」」」
私がすごむと生徒たちは直立姿勢で声を揃えて叫んだ。
貴族ゾンビたちをも黙らすなんて、前世の任侠映画と不良映画は侮りがたいものである。
「そうそう。もし、他の労働者を紹介してくれたら、その人にはお祝い金を上乗せしてあげる。上限はないから、たくさん紹介してくれると嬉しいわ」
ネ、ネズミ講じゃねーか!
「ロ、ロアナ。そんなこと言って大丈夫!? お金足りなくならない?」
自信満々に言うロアナに、私はそっと耳打ちする。
今回の学園祭で稼いだお金は生徒たちの物にできるが、その分、出し物を作るお金もこちらで用意しなくてはならない。こんな大勢の貴族が満足するような額を用意できるか、私は不安が募る。
「計算通りだから安心して。大丈夫。ぐふふっ、ちゃんと宛てはあるもの」
ロアナは可愛らしくウィンクをした。
それを見たサルバ先輩は、眉間に皺を寄せる。
「欲に眩んでいるな」
「サルバ先輩に見抜かれるなんて相当だよ……」
「さーて! 学園祭の準備を始めましょうか。時間は有効活用しないといけないわ!」
ロアナは軽快な声でそう言うと、私とサルバ先輩が逃げないようにガッチリと腕を掴んで、温室へと連行して行くのであった。