愛しき日々の終焉
時間が一気に進みます。
ロアナ視点です。
身体が重い、節々が痛い、呼吸が苦しい。
老いた身体ではあるが、それらがもう手の施しようがないことは知っていた。
……寿命よね。よくもまあ、ここまで生きたわ
わたし、ロアナ・ガランは人族の中ではかなり長生きをしていると自負している。友人や夫には先立たれたが、それでもわたしは生きてきた。
悲しいことや辛いことは当然あった。しかし、孫はおろかひ孫の顔まで見ることが叶ったわたしは、人族の中ではとても幸福な人生を生きたと言えるだろう。
「お婆さま、大丈夫……?」
一番下の孫が今にも泣きそうな顔でベッドに横になるわたしへ問いかけた。
「ええ、大丈夫よ」
わたしは孫を安心させるように掠れる声で言葉をを紡ぎ、しわくちゃの顔を綻ばせる。
「お婆さま、早く元気になって……」
「そうね。……少しひとりになりたいわ」
「分かった。お母さまのところに行く」
何度も後ろを振り返りながら、孫は部屋から出て行った。
自分のことは自分がよく分かっている。わたしの寿命はあと半日も残されていないだろう。家族とはもう別れは済ませた。一番下の孫はぐずっていたが、最後にわたしの気持ちを汲んでくれたのだ。
「やっほー! ロアナ久しぶり!」
わたし以外誰もいないはずの部屋に突如、場違いなほど明るい声が響く。
「遅いわよ、カナデ。玄関から入りなさいっていつも言っているでしょ」
「ごめんごめん。転移魔法のほうが手っ取り早いんだもん」
「今日だけは許すわ」
親友カナデは、動けないわたしのベッドまで駆け寄ると、10代後半から一切変わらない顔でわたしをのぞき込んだ。
「……痛い? 辛い?」
「これから死ぬって時に、気持ちが良い訳ないでしょう」
「まあ、そうだよね。死ぬって痛いし苦しいし辛いもん」
そう言ってカナデはわたしの手を取り、ぎゅっと握った。
しわしわのわたしの手とは違い、カナデの手はみずみずしい。
「……不公平だわ。わたしはしわしわなのに」
「ええー、理不尽だよ。それに、ロアナは何歳になったって綺麗だよ」
「カナデの嫁だから?」
「そうそう」
……何十年親友やっていても、カナデの思考回路は理解できないわ。
もはやわたしの手は冷え切り、温度を感じることができない。それでも、カナデと繋ぐ手は温かい。心がふわふわと浮き足立ち、苦痛が消え去るような気さえしてくる。
「ねえ、カナデ。わたしは貴女を置いていってしまうけれど大丈夫……?」
カナデの交友関係は広い。だが人族の友人たちは、わたしが最後のはずだ。わたしがいなくなった時、カナデは辛くないだろうか?
わたしは……カナデの重荷にならないかしら……?
「大丈夫じゃないよ。すっっっごい悲しむし、しばらくお菓子も喉を通らないかもね。でも絶対に立ち直るから、安心して」
「……強がりじゃない?」
「強がりだよ。だけどね、ロアナ。私にはやることがいっぱいあるんだよ。ロアナが生きてきた証たちをずっとずっと見守らなくちゃいけないし、本格的にオリフィエルの仕事を引き継がなくちゃいけないし、世界をもっとお菓子でいっぱいにしなくちゃいけないし」
そう言ってカナデは無邪気に笑った。
「大変ね。程よく息抜きをして頑張りなさい。……サヴァリス殿下も手伝ってくれるんでしょう?」
「うん。今はエルフの隠れ里で大忙しかな」
「そう。早く戻ってあげなさい」
「ロアナの方が大事だし」
カナデはわたしの命を繋ぎ止めるようにぎゅっと先ほどよりも強く手を握った。
次第にわたしの視界もぼんやりと靄がかかり、カナデの顔も霞始める。
「……わたし、カナデに会えて良かったわ。本当に楽しかった。とっても良い人生だった。もう……思い残すことがないくらい幸せよ……」
視界が黒く染まり、身体の感覚も消えていく。それでもどうにか、長い時を生きることになる親友へ最大の感謝を伝えたかった。
「ロアナに出会えたから、私も幸せになれた。本当に最後まで私も……良い人生だったよ」
カナデの言葉を聞き安堵したところで、わたしの人生は静かに幕を閉じた――――