彼の場合
サヴァリス視点
私とカナデは結婚の挨拶をするため、月の国の王宮に来ていた。
「……き、緊張してきた」
カナデは青ざめた表情をしながら、胃を押さえつけている。
私は彼女を安心させるため、やわらかく微笑んだ。
「大丈夫です。つまらないと思うほどに、ここの守りは万全ですから」
「国の中心が危険で楽しめるのは、サヴァリスだけだからね!?」
ここは私の生まれ育った場所で、最もなじみ深い場所と言えるだろう。しかし、隣を歩くカナデを見ていると、王宮が特別な場所のような気がしてくるから不思議だ。
カナデは回廊を歩きながら、こそこそと私に詰め寄った。
「ねえ、本当に私の格好変じゃない? 地味だよね? 目立たないよね? 派手で調子に乗ってるとか思われないよね!?」
不安げなカナデの質問に、私は笑顔で答えた。
「ええ、とてもお似合いですよ。その葡萄色のドレスは、露出も少なくて上品です」
「本当に? ……良かったぁ」
胸に手を当ててホッと溜息を吐くカナデから、私はさりげなく目をそらした。
黒髪黒目の時点で、地味で目立たないはずないんですが……まあ、逃げられても困りますし、言わないでおきましょう。
私のそんな邪な思いが伝わったのか、カナデがくいくいと私の袖を引っ張った。何か不満があるのだろうか。カナデは頬をぷうっと子どもみたいに膨らませている。
「あのね、私は、ちゃーんと自分が普通じゃないってことを自覚しているからね! だから、せめて見た目ぐらい普通でいたいんだよ」
いえ、自覚してませんよ?
そうは思っても、私は普通でないカナデを好いているので、言葉にはしない。
本音は微笑みの中に隠した。
「そうですね。呪いが解けてからのカナデは、普通寄りになっていると思います」
「ふふんっ。そうなんだよ! 『良い意味で普通じゃないけど……ちょっと普通な部分もあるよね!』という評価を私は目指しているのさ!」
腰に両手を当てて自慢げに立つカナデは可愛らしい。とてもじゃないが、人智を超越した魔法と呪術を行使する存在には見えない。
まあ、そこがカナデの魅力的な部分ですね。また全力で戦いたくてゾクゾクします。
カナデは突然立ち止まると、両腕を擦り、首を捻った。
「ん? なんか寒い?」
「王宮は魔法で温度調節されているはずですが?」
「……気のせいか。禍津神が寒さ感じるはずないもんね」
カナデは再び歩き始めた。
♢
謁見の間には、月の国の上層部が勢揃いしていた。普段は私もそちら側だが、今日はカナデと共に王である兄上を見上げるかたちになっている。
「あ、あわわ」
カナデは緊張でカタカタと震え、呻き声を出している。そして彼女はおもむろに左手を右人差し指でなぞり始めた。
「……平常心。人、人、人……次はどっちの手を飲み込むんだっけ!?」
「大丈夫ですよ、カナデ。私が側にいます」
「ひぃうっ!」
両手で包み込むようにカナデの手を握ると、彼女は肩をびくつかせた。
「……そうだよね。サヴァリスの側より緊張することないもんね。……いろんな意味で」
「カナデを緊張させられるような関係になれたことを誇りに思いますね」
「まさかの甘酸っぱい解釈ぅ!?」
カナデは私からサッと飛び退いた。
残念です。もう少し、あの破壊的な魔法を繰り出す手を握っていたかったのに……。
「あー、おっほん。余たちの存在も気にかけて欲しいのだが……」
「わ、忘れてなどいましぇんっ! 本当です!」
ああ、忘れていたのですね。
咄嗟の嘘が下手なカナデを微笑ましく思いながらも、私は彼女を見守る。今回、カナデは自分ですべて説明すると言っていた。彼女の口から私を求める言葉が聞けるなんて、喜悦の情で胸がいっぱいになる。
「あの、月の王!」
「うむ、なんだ」
カナデは両手を胸の前で握りしめ、決意をこめた目で兄上を見上げた。
「お、弟さんを私の嫁にください!」
「「「嫁ぇぇぇえええ!?」」」
兄上たちが声をそろえて驚愕を露わにした。
それを見たカナデは目をぱちくりとさせる。
「あ、いけない。混ざっちゃった。私の嫁はロアナだったよ」
「「「嫁ぇぇぇえええ!?」」」
再び兄上たちが驚愕を露わにした。
キャンベル外交官は月の国では知名度もあるし(主にサルバドール使いとして)、外交でカナデと共に王宮へ来たこともあるので、彼女の顔を知っている者も多いのだろう。同性の嫁がいるなんて聞いたら、驚くのが道理だ。
まあ、カナデの『嫁』という言葉は、私たちが認識しているものと少し異なるようですが……。
カナデはごく稀に私の知り得ない言葉や表現を使う。おそらく、異世界に住んでいたことが影響しているのだろう。
魔法なども、その世界の知識を利用していると私は聞いている。とても戦術が発達した世界で、そこにいる種族も戦闘特化に違いない。
是非、行ってみたいですね。
「弟さんを私の婿にください!!」
カナデが仕切り直すように声を張り上げた。
「弟はやらんぞ!!」
兄上が即行で拒絶を示した。
「ちょ、ちょっと陛下! あれだけサヴァリス殿下の婚姻を望んでいたではありませんか。どうして断るのですか!」
「だって、余の可愛いサヴァリスが婿に行ったら、寂しくなってしまう!」
駄々をこねる兄上に、宰相は焦り始めた。
「ですが、サヴァリス殿下が婚姻せねば、この国は晩婚化が進み大変なことに……!」
「どうせ、どうせ僕なんかは一生結婚出来ないんだ……」
甥で王太子のセヴランがどんよりとした空気をかもし始めた。
……セヴランには苦労をかけましたからね。
セヴランは決して無能ではない。しかし、見た目が成長しない私と比べられ続けた。その過程の中に、欲に眩んだ幼馴染みの令嬢や婚約者がいたこともあって、セヴランは私に劣等感を抱くようになった。しかし、それでもセヴランは私を慕ってくれている。
やはり、セヴランのためにも、私はここにいるべきではありませんね。
人の弱さが分かるセヴランは、きっと良き王になるだろう。その時に、肉体が成長しない英雄の王族は邪魔でしかない。
「王太子殿下、キノコを生やすのは止めて下さい!」
宰相が喚いたのと同時に、カツンッと石の床を踏み鳴らす音が響く。
「静粛に!!」
王妃の凜とした声に、辺りは静まりかえった。
「外野が騒ぐものではありません。……カナデさん、どうして王弟であるサヴァリスを婿に?」
王妃に突然意見を求められたことに困惑したカナデは、しどろもどろに言葉を並べる。
「え、えっと……その、さ、サヴァリスをお婿にいけない身体にしちゃったから、責任をとらないと!」
「「「お婿にいけない身体ぁぁああああ!?」」」
再び謁見の間は騒然となった。
義父上の話では、私とカナデは魂が混じり合った状態なのだという。カナデが言っている『お婿にいけない身体』とはそういう意味だ。
ですが、利用させてもらいましょう。既成事実は多い方が逃げられませんし。
私は失言を自覚していないカナデの右手を恭しくとり、手の甲に軽い口づけを落とす。
「私とカナデは、もはや一つの存在ですから。ねえ、カナデ?」
「う、うん?」
小首を傾げながらも肯定するカナデを見て、私は満足した。
嘘は言っていないですからね?
「……苦労しそうね、カナデさん」
「そうですね、王妃様。でもサヴァリスが暴れすぎないように、責任をもって見張ります!」
カナデはとんっと自分の胸を叩いた。
「そういう意味ではないのだけど……まあいいわ。陛下、いいかげんふたりの婚姻を認めてあげてはどうです? 兄として複雑なのは分かりますが、王としての判断もしなくてはいけないと分かっていますわよね?」
王妃と兄上も、私の存在が月の国の未来に必要ないことを理解していた。ふたりが私に愛情をかけてくれているのは知っている。でも、だからこそ私を切り捨てて欲しいのだ。
愛する人々と共に作り上げた、月の国を守るために――――
「……分かっている、妃よ」
兄上は一瞬苦しそうな顔をするが、すぐにそれは消え去り、王の顔になる。
「サヴァリス、カナデとの婚姻を諦めるつもりはないんだな?」
「ありえません」
やっと出会えた唯一の存在と離れるなんて、私には考えられないことだ。
「カナデ、サヴァリスを幸せにしてくれるか?」
「力ずくでも幸せになります! みんな居なくなったその後も……サヴァリスとふたりで」
「……そうか。余は安心した」
兄上は憑き物が落ちたように顔を緩めると一旦目を瞑り、改めて決意をこめた瞳を覗かせた。
「サヴァリスの王位継承権を剥奪する。さらに一年後、王籍からも外す。これは国王命令だ。よいな」
「謹んで拝命いたします」
私は感謝をこめて兄上に膝を折った。
「サヴァリス、本当にいいの……?」
カナデは兄上たちに聞こえないように小声で言った。
カナデは馬鹿ではない。兄上たちが私を愛していることも、私の存在が争いの種になることも理解している。彼らと私が望むのなら、月の国に住む選択をカナデはしてくれたかもしれない。でも、だからこそ……
「愛しているからこそ離れなければならない。……私は大切な人々を壊したくありませんから」
「……そうだね」
私の言葉に何を思ったのか、カナデはどこか遠くを悲しげに見つめた。
「でも、カナデは王族が好みではないのでしょう? これで良かったのではないですか?」
カナデの悲しげな顔が嫌で、私は軽口を叩いた。
「私の好みは普通の人なの! サヴァリスは……なんか違うよ!」
「おや? それでも好きになってくれたのでしょう?」
「そ、そうだけど……もう、知らないよ!」
カナデは仄かに頬を朱に染めて、そっぽを向いた。
「あの女嫌いで、戦場で背中を預けられる相手としか結婚しない、と公言していたサヴァリスが……カナデといちゃついている……! ううっ、長生きするものだな」
兄上は王の顔を脱ぎ去り、眉尻に溜まった涙を拭っていた。
それを呆れた様子で王妃が見ている。
「まだ四十ではありませんか。サヴァリスが抜ける穴を埋めねばならないのです。陛下には、よりいっそう頑張ってもらわなくてはなりませんわ」
「……妃も余と頑張ってくれるか?」
「もちろんですわ。貴方の公私を支えられるのは、わたくしだけですもの。セヴランや優秀な貴族や文官、それに英雄が鍛え上げた武官もいます。サヴァリスだって弟として支えてくれますわ。大丈夫、月の国の固い結束は心の繋がりですもの」
王妃の強い言葉に、月の国の上層部は皆、感銘を受けているようだ。
「王妃様、格好良すぎ! やばい、惚れるぅ!」
カナデもこっそり身悶えていた。
「サヴァリス、余が寂しくなるから、最低でも一ヶ月に一回里帰りするんだぞ!」
「三ヶ月に一回、帰りますね」
私はそう言うと、カナデを連れて謁見の間を後にする。
身内だけの謁見なので、それを咎める者はいない。
「叔父上!」
謁見の間を出たところで、セヴランに声をかけられた。急いで来たようで、セヴランは僅かに息が乱れている。
「どうしました、セヴラン?」
「カナデさんとの婚姻おめでとうございます。……それで、その……」
セヴランは言いづらそうに俯いていたが、やがて顔を上げた。
「僕のせいで……叔父上の王籍が……」
「それは違いますよ。私自らが望んだことです。カナデの傍にいるのに、王族の身分は足枷にしかなりません。セヴランが気に病むことではない。……私が聞きたい言葉は見当外れの謝罪ではありません。分かりますね?」
セヴランはハッと驚いた顔をした後、決意のこもった瞳で私を射貫く。それは兄上を連想させるもので、一気に頼もしさが出てきた。
「叔父上が守ってきたこの国を、今度は僕が守ります」
「セヴランがつくる国を、私はとても楽しみにしていますよ」
「はい! 叔父上が誇らしく思うような国にします!」
私は眩しい思いでセヴランを見つめると、名残惜しいが彼に背を向けた。
そして私はカナデと共に母国を後にするのだった――――