彼女の場合
復興祭が閉幕した後、私はめでたく王宮を辞した。
王太子と宰相補佐様からは労いの品(お菓子)を貰い、寮生活中にお世話になった侍女さんたちからは餞別(お菓子)を貰い、後宮小町の皆様からもお礼の品(お菓子)を貰い、ロアナからはご褒美(お菓子)貰った私は、ウハウハ気分で家に帰った。
そして――――
「お帰りなさい、カナデ」
王都の私の家でくつろぐサヴァリスがいた。
「なんで、サヴァリスが家にいるの! 月の国に帰ったんじゃなかったの?」
私はソファーにゆったりと座るサヴァリスの襟首を掴み、グラグラと揺らす。サヴァリスはされるがままだ。しかし、ノーダメージのようで、いつも通りの微笑みを顔に貼り付けている。
「私が帰った方が良かったのですか? つれない婚約者様ですね」
「いや、家主の許可を取ろうよ! 御前試合が終わってからずっと外交にかり出されていたから、普通に月の国に帰ったと思っていたよ!」
「ひとまず与えられた仕事を終わらせたので、カナデとゆっくり過ごそうと思って、適当に有給を取りました」
「適当に有給ってなんだよ! ちゃんと手続きしろよ! というか、サヴァリスがここにいること、空の国の上層部は知っているの!?」
私、今日まで王太子付き魔法使いとして働いていたけど、そんな情報一つも入っていないからね!
「安心してください。ちゃんと、偽装しましたから」
「どこに安心する要素があるんだよ! アホ! せっかく颯爽と退職してきたのに、明日怒られるために呼び出し受けたら、私すごい恥ずかしいじゃん!」
興奮した私はサヴァリスの膝の上に乗り、首を絞める勢いで彼を揺らした。
「恥ずかしいカナデも好きですよ」
「そんなこと聞いてないよ! 今すぐ帰ってよ。サヴァリス、帰還魔法使えるじゃん。なんなら、私が送っていくからぁ……!」
涙ながらに言う私をあやすように、サヴァリスは私の頭をポンポンと撫でた。そして、すっと部屋の隅を指さす。
そこには、私の眷属のダークエルフ族のカトラいて、彼女は……
「ぐっふふ……あ、拙者のことはお気になさらずに。ぶふっ、ぐふふっ、ご馳走様でござる」
侍女服を自分の鼻血で染めながら立っていた。彼女は色々な意味で汚れている。
「…………ごめん、サヴァリス。ちょっとやり過ぎたよ。よく考えれば、バレなきゃいいんだよね」
私は何も見なかったとばかりに、カトラから目を離し、サヴァリスの膝から退いた。
きっと、カトラがかかってしまった呪いは、魂の奥底まで蝕んでいる。今更、何をしたって手遅れだ。
「ちゃんと、お話があって来たんですよ。復興祭の開催中に、この手紙をティッタ義姉上からいただきました」
「私も読んでいいの?」
「はい」
藤色の品のある封筒をサヴァリスから受け取り、私は中に入っている手紙を読む。そしてすぐにサヴァリスに突き返した。
「ど、どどど、ど、どうしよう!?」
手紙には、今夜お兄ちゃんたちから、サヴァリスのことでお話があると書かれていた。しかも、筆跡は酷く荒れていた。
危機的状況だ。だって、お兄ちゃんは私を溺愛している。こんな手紙を送ってくるということは、私とサヴァリスが恋人関係であることを既に知っているのだ。
ヤバいよ……ち、血の雨が降る!!
「結婚の挨拶に行かなければならないと思っていましたが、義兄殿の方から招いてくれるなんて思いもしませんでした。……腕が鳴ります」
「なんで結婚の挨拶で腕が鳴るんだよ!」
やべえ、この戦闘狂、殺る気満々だ!!
私の不安など露知らず、戦闘狂は私の手を取った。それは淑女をエスコートするかのように紳士的な仕草だったが、目は狩りを楽しみにしている肉食獣のようだ。
「ほ、ほら……御前試合で、聖剣ぶっ壊れたじゃん。無理しちゃダメだって……」
「カナデの作ってくれた聖剣には劣りますが、それなりの性能の剣は持ち合わせております」
そう言ってサヴァリスは壁に立てかけてあった剣を取った。
刀身は鞘に隠れて見えないが、柄の部分は細やかな装飾が施されており、紫色の宝石が埋め込まれている。ものすごく高そうだ。
「……高そう」
私の口から思わず出た貧乏発言に、サヴァリスは訝しむでもなく、嬉しそうに笑みを深めた。
「文通でカナデからいただいた素材を使って作りました」
「また私は! 自分で自分の首を絞めて……!」
私は頭を抱えてのたうち回る。
「本当にカナデは最高ですね。……それではカトラさん、少し出かけて来ますね」
「行ってらっしゃいませ、サヴァリス様!」
カトラに救いを求める目を向けるが、彼女は鼻血が染みついて真っ赤になったハンカチを元気よく振って見送りするだけだ。裏切り者がそこにいた。
くそっ! いつの間に懐柔したんだ……!
嘆く私の手首をガッチリと掴んだサヴァリスは、弾む足取りで夜の王都へと繰り出すのだった。
♢
サヴァリスに連れてこられたのは、私がお兄ちゃんたちと会う時によく使う、訳あり客御用達のレストラン『コマドリ亭』だった。予想していたものの、私の気分は最悪だ。今日で出禁になるかもしれない。
店長に案内された個室に入ると、そこには私の兄弟たちがいた。
アイルは私たちが待ちきれなかったのか、肉をむさぼり食っているし、ティッタお姉ちゃんはウキウキとした様子で甘いお酒を飲んでいる。
「来ましたか、カナデ。……と、害虫」
そしてお兄ちゃんは、絶対零度の微笑みで私たちを出迎えた。
……気絶したい。
しかし、どうやら戦闘狂のメンタルは常人とは違うようで、サヴァリスは少々興奮気味にお兄ちゃんへ頭を下げる。
「こんばんは。カナデが惚れてくれた害虫です」
「……この野郎」
お兄ちゃんは、地を這いずるようなドスの効いた声で呟くとサヴァリスを憎々しげに睨み付ける。室内は重苦しい殺気で満ちていた。
「や、やめてお兄ちゃん!」
私は咄嗟にお兄ちゃんの腕に抱きついた。
「か、カナデ! 私よりも、この男の味方をするのですか!?」
「違うよ! お兄ちゃん……これ以上、サヴァリスを喜ばせないで!」
「は? 喜ばす……?」
困惑しているお兄ちゃんを説得するため、何よりもこの世界が滅びる未来を阻止するため、私は必死にお兄ちゃんの腕に力を込めた。
「サヴァリスは戦闘狂なんだよ! お兄ちゃんが殺気なんて放つから、喜んじゃってるの! 見てよ、緩んだ顔しながら、いつでも剣を抜けるようにしているんだよ? ふたりが戦ったら、この国どころか、世界が大変なことになるから。自重して!」
「……戦闘狂。カナデ、どうしてこんな男を選んだのですか」
「あはは……自分でも分からない」
私は思わず乾いた笑いが漏れた。
「もうタナカったら、愛し合う二人に無粋なことをするわね。恋に理屈なんて関係ないのよ!」
顔を赤らめたティッタお姉ちゃんがお兄ちゃんの前に割り込み、そしてサヴァリスの手を握った。
「サヴァリスちゃん、よく来たわね。こっちに来て、カナデちゃんとの愛の物語を聞かせてちょうだい!」
「おい、カナデ! お前のせいで、余計にババアが気色悪くなってんじゃねーか!」
「ア・イ・ル? 脳髄爆破させるわよ!!」
ティッタお姉ちゃんが片手で持っていたグラスが木っ端みじんに砕け散った。もちろん、ティッタお姉ちゃんの白魚のような手は傷一つない。
「止めなさ――」
お兄ちゃんがいつも通りティッタお姉ちゃんとアイルを諫めようとしたとき、室内に異常な力の流れを感じた。それが何か分からない私たちは、全員臨戦態勢に入る。
「やっほー! パパだよー☆」
虚空から現れたのは、オリフィエルだった。
「紛らわしいんじゃ、ボケェ!」
「ぐっふっ!」
とりあえずオリフィエルを一発殴っておいた。どうせ、ヤツはこの程度どうってことない。
「もう、痛いなぁ。我の娘は相変わらず凶暴だ」
「息の根を止めれば良かった。……で、何しに来たの?」
「娘が冷たい! パパなのに、結婚の挨拶で仲間はずれって酷いと思うんだけど……」
そう言って、涙目でオリフィエルは私を見上げる。綺麗すぎるその顔を向けられたら、普通の人は見惚れるんだろうけど、私はイラつくだけだった。
「うざい」
こっちはイケメンなんて見慣れてんだよ。平凡顔になってから出直してきな!
「早く自分の住処に帰っては。この引きこもり駄神」
「タナカったら、創造神様さまに失礼でしょー! 初めまして。わたくしは、ティッタ。カナデちゃんの姉です」
「オレはアイルだぜ!」
オリフィエルはティッタお姉ちゃんとアイルを見て、満足そうに笑う。
「よろしくねー、ティッタ、アイル。いつも娘がお世話になっているよ。……まったく、ターニリアスもこのぐらい愛嬌があってもいいと思うんだけど」
「その名で呼ぶな……!」
「酷い! 我がつけた名前なのに!」
身体をくねらせるオリフィエルを見て、私は眉をしかめた。お兄ちゃんはさぞオリフィエルに振り回されてきたに違いない。
「お兄ちゃん、こんなヤツ……相手にしなくていいよ」
「……カナデ」
オリフィエルに振り回された者同士、私とお兄ちゃんの心は通じ合っていた。
「我を仲間外れにする気か! せっかく、結婚の許可をあげようと思ったのに」
「え? 私の結婚にオリフィエルの許可なんて必要なの?」
疑問に思って首をかしげると、オリフィエルは不服そうに頬を膨らませた。
「必要だ! 我はパパだぞ!」
「義父上。私はカナデのものになっても良いでしょうか?」
サヴァリスが突然、変なことをのたまった。
「うむ。許可する!」
「ありがとうございます! カナデ、許可は取りました。今すぐ式を挙げましょう!」
戦闘狂はアグレッシブだった。
「気が早すぎだから!」
「ですが、カナデが逃げる前に縛り付けておかないと」
サヴァリスは私と自分の手をギュッと絡ませてきた。
手から感じるのは熱ではなく、悪寒だった。私は今すぐ逃げ出したい。
「もう十分、カナデがサヴァリスのことを縛り付けているだろう? だって、魂を同化させる呪いがかかっている。これで肉体も精神も、二人は同じ寿命を持っている。さすがは、破壊と呪いを司る禍津神だ。我にも解呪不可能だし、本人たちにも無理だろう。成長したな、カナデ!」
「うう……ああ……私は、なんでこんなに馬鹿なんだ……!」
自分で自分の首を絞めるというより、ねじ切る勢いだ。
「カナデ……そんなに私のことを思っていてくれたなんて……」
うっとりした視線を向けてくるサヴァリスに危機感を感じていると、お兄ちゃんが無理矢理、サヴァリスから私を引きはがしてくれた。
「お兄ちゃん……!」
「よしよし。カナデ、嫌だったら私がコイツらを潰します」
お兄ちゃんが本気が伝わる目で私を慰めてくれた。
私はその優しさに嬉しく思いながらも、首を横に振る。
「あのね。私、サヴァリスが好きだから……早すぎると思うけど、結婚する。本当に早すぎるけどね」
「きゃぁぁああ! カナデちゃん、可愛い! 恋する乙女!!」
「姉貴の目は節穴かよ」
一人盛り上がり、攻撃魔法を放とうとしているティッタお姉ちゃんを、アイルが羽交い締めにして止めている。今日だけは、アイルが頼もしく思えた。
お兄ちゃんは、小さく息づくと心配そうに私を見た。
「……分かりました。でも、辛かったり、嫌になったら、すぐ私のところへ逃げて来なさい。必ず、守りますから」
お兄ちゃん、マジ紳士! イケユニコーン!
私は、お兄ちゃんの優しさで号泣するのを必死に堪えながら頷いた。
「うん! その時は絶対にお兄ちゃんのところへ逃げる!」
これから何度も逃げることになりそうな予感がする。
「絶対に離しませんよ、カナデ」
「私も離さないよ、サヴァリス」
でもきっと、私が一番側にいたい人はサヴァリスなんだ――――
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もしよろしければ、気軽にリクエストをどうぞ。
完結編始まりです。